055 ことの始まり
「ッ――もう真夜中じゃねぇかァ!」
ねぇかァ、ねぇかァ……
森の中に俺の声が反響する。相変わらず少女の透き通るような声は綺麗にコダマしていた。
空を見上げると半月がぷかりと浮かんでいる。意気揚々と出発してもう幾ら時間が経ったのだろうか……
『今更なんだけど、本当にそっちで道はあってるの? 流石におかしいと思うんだけど』
「え~~ちょっと待てよ。ここが村だからこっちにこう行って……」
『いやいやアンタ、なに地図をクルクル回してるのよ。地図読むのへたくそか』
……実を言うと、俺は地図を読むのが苦手だ。
スマートフォンのお手軽な道案内に慣れすぎた弊害と言うべきか、とにかくこの紙製の地図を読むのは悲しいかな、へたくそという評価は間違っていない。
「クソッ、地図を買った時は本契約するのが俺だとは思っていなかったから……!」
『あーもう、だからそのクルクルするのやめなさいよ。スタートは間違えてないから、多少進路が逸れたせいで森を抜けて街道に出れていない……って感じだと思うわ』
「じゃあもうしばらく進めば着くかなぁ」
『…………』
「オイ無言にならないでくれよオイ。不安になるだろ」
『……まさか相棒に足りないところが方向音痴だなんて、なんて致命的……』
頭の中の少女――アリスはすっかり呆れて俺のことをどうしようもない奴みたいな認識をされていらっしゃる。誠に遺憾である。
だけどこの調子だと、確かに永遠と森の中を彷徨い続けてしまう訳で……うーん、どうしたものか……
「きゃあ――!?」
俺の溜め息と同時に、悲鳴のような声が森の中に反響した。
地図の読み方や進むべき方向は間違えようと、今の声は聞き間違えない。聞こえたのはこっちの方角――!
「飛ばすぞアリス。こんな夜更けに女性の悲鳴……何かあったかもしれない」
『はいはい。私はモンスターの気配を探っておくわ』
「頼んだ。行くぞ……!」
跳躍するように悲鳴の聞こえた方向へと飛び出す。それと同時にふとももからカードを引き抜いて構えた。
(――見つけた!)
駆け抜けた先で二つの影を視認する。
一つは大きな影。二足歩行こそしているが、人の形をしていない。まるで大きな獣のようだ。もう一つは小さな影。確実に人間だ。
『モンスターの気配は……あれ、おかしい……モンスターじゃない……?』
……状況を推測するに、人間が獣に襲われているのだろう。なら、俺のすることは決まっている――!
――《ウェポン・スキル「金の鍵」》
武器を手に取る。
両手に金の鍵を握らせて、突撃体勢で獣と思われる黒い影に襲いかかる――!
「はァ――ッ!」
背後から首を刎ねるような一撃。
しかし、背後の気配でも感じ取ったのか、獣の影はその場からまるで消えたのかと思える程の速度で跳び退いた。
『ッ!? 避けた!? 今の奇襲を!?』
「ふぅ、救助は間に合った……!」
頭の中でアリスは動揺しているが、俺の優先事項はこっちだ。
人間だと思われた影は、やはり人――それも、少女だった。この世界の住民だろうか……?
「チッ……語り手がもう一人来たか……!」
「え――」
突然、獣が人の言葉を吠えた。喋ったことにも、その内容にも動揺する。
それが不覚。その隙を突かれて、獣の影は疾走して森の中へと姿をくらませた。
「あっ……逃げちまった」
もう痕跡は揺れる草木しか残っていない。少女を襲っていた二足歩行の獣は取り逃がしてしまったようだ。
警戒を怠らず周囲を注意深く様子見する……が、これ以上何も来ない。もう警戒する必要は無いと感じて、俺は手にした鍵を放り捨てて塵に還した。
『今のまさか、語り手だったの……? いや、そんなことよりもそこの少女……』
アリスの言葉を聞いて俺は少女に視線を落とす。
セミロング程度の銀色の髪に西洋風な服装。尻餅をついているから目線よりも低い背丈に見えるが、実際は今の俺の身長よりも高いだろう。
「まさか……語り手、なのか……?」
「…………」
俺の問いに少女はまっすぐな瞳で答える。
少女の瞳には……何も感情が伺えない。襲われた恐怖心とか不安とか、そういったものがまるで無いように感じられた。
「……確かに私は語り手です。ですけど、誰とも戦う気は無いんです」
半月の下。迷い込んだそこには、考えもしなかった出会いがあった――
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