39.学習能力の欠如
相手を尊敬していることを素直に伝えたいという気持ちと裏腹に、それを伝えれば相手の悩みを軽んじているようになってしまう。
――言葉というのは限定だ。相手の思っている色々なことを、何度も使い古した枠の中にはめてしまう。それは短い言葉であればあるほど、単純で融通の聞かない形をしている。
だからこそ、そんな言葉を使えなかった。それ以外の方法があるのなら、そのやり方が良かった。
「でも変なことはしないよ!!」
繋自身の思考の流れのためか、語頭には接続詞がついている。
「ということは……『これは変なことじゃなくて、みんな当たり前にしていることだからね』と言い含めながら、徐々に淫らな行為に及ぶつもりだろう!!私は既にその手口を学習済みだ!!」
――自身満々にこのみは披露しているが、どこでその知識を学んだのか気になるところだ。……いや、それどころではない。会話がとんでもない方向に暴発している。
「誤解だよ!ただ言葉が見つからなかっただけなんだ!」
より説得力を増すために、繋はこのみの方に一歩踏み込む。
「ひぇっ、全く理由になっていない理由で正当化して襲いかかるのはやめろ!」
もう後ずさりできないところにまでこのみは追い込まれた。
「別に襲いかかるつもりはないよ!!」
~~
「なんだ、本当に言葉が見つからなかっただけなのか」
「だから、そう言いましたよ……」
場を収めるのに憔悴しきった繋である。
「全く、毎度毎度、誤解を招くような真似をするな……」
「面目ございません」
やはり通報されてはかなわないので繋も低姿勢である。
「それで、私に何を伝えたかったというのだ?……いや、言葉では伝えられないのだったか?」
だんだんとためらうような口調になりながらこのみは聞いた。
こういう聞き方をされてしまうと引くに引けなかった。それでも少なくとも相手に真剣に話を聞いてもらえるという安心感はある。
「……それじゃあ、聞いてもらえるかな――」
不安にまみれた消え入りそうな声で、繋は話し始める。
「――僕はこのみちゃんがすごいと思ったんだ。もちろん学校一の頭脳っていう客観的な面でもそう。でもそれ以上に、僕自身が人として尊敬できると思った。それだけじゃなくて、このみちゃんと話していると楽しい。多分その楽しいの中には、このみちゃんの能力も含まれているんだと思う」
このみは表情をさほど変えずに黙って話を聞いていた。
「だから、僕は『このみちゃんはすごい』って言いたかった。でもこのみちゃんはきっと、そんな言葉は聞き飽きているんだろうし、何より、このみちゃんが『それは職業につながるわけじゃない』と言っていることを軽んじているように思えた」
「だから、言葉で言えなかった。でも、『このみちゃんはすごい』という思いは、きっと悪いものじゃない。伝えたい。でも、僕にはその方法は分からない……」
「……だから、体で……ということか……」
繋が訥々と語った言葉を一言一言噛みしめるようにこのみは聞いていた。そして、その帰結であるところの「体で伝える」という結論も冗談としてではなく受け取り始めていた。この調子だと本当に懐柔できちゃいそうだね!
「いやだから、体でとは言うつもりはなかったんだよ!」
「失礼失礼……でも、そうだな、その気持ちは、嬉しいよ――」
はじめに少し笑ったのを次の微笑みに引き継ぎながら、和やかにこのみは伝える。
「――確かに私は、自分の能力を褒められるのには慣れきってしまっている。学力が高いことを褒められても、大して嬉しいとは思えないこともある。……けれどもね、一般論としてではなく、その人の心から、そう思ったことを伝えられて、その結果として褒められる。――これは、私だって嬉しいのだよ。そして能力を認められるばかりでなく、その人に身近に思ってくれるなら、なおのこと嬉しいさ」
「……どうだ、言葉では、伝えられなかったか?」
繋は息を呑みこんだ。このみがまさか、ここまでこまやかな答えを返してくれるとは期待していなかったので、感動もひとしおだった。
「ありがとう、伝わったと思う」
繋からこのみへも、このみから繋へも。
「さあ、昼休みもじきに終わるぞ」
普段はクールでありながら、この大事なときに自分の思いをここまで詳らかにできることに、繋はこのみの新しいすごさを見出す。
「このみちゃんはやっぱり素敵だね」
「なっ……と、突然どうした?」
「言葉通りの意味だよ」
この時はあえて短い言葉を残すことにした。
このみは少なくともそれが告白でないということは、以前の経験から理解していたが、それでも頬の赤みが抑えられるものではなかった。
――
「優ちゃん」
帰りのホームルームが終わった直後、繋が優に話しかける。
「どうしたの?」
「ちょっと話があるんだ」
「それって家に帰ってからじゃ駄目なの?」と危うく優は聞きかける。慣れというのは恐ろしいものだ。
放課後、営業終了したカフェテリアに行き、二人で少し話すことにする。
なかなか快適な場所なのだが、やはり華の女子高生は他にも居場所がたくさんあるのか、それほど人は多くない。
……ともあれ、やはりこの場にいる少数の生徒からの視線は集まるのであるが。
幸い外の席には人がいないようだったので、そこを選んだ。白い木の椅子と机がどことなく心地よい感触を体に伝える。外の風は日中の日照りを忘れさせるように涼しく吹いている。
「それで、話って?」
いつも顔を突き合わせていても、今までにない時と場所の組み合わせのせいか、お互いが新鮮に見える。
「僕が優ちゃんをどう思っているのか、ちゃんと話しておきたいと思って」
「……」
優は椅子と同化して固まった。赤面というよりは石化という反応だった。恥ずかしさは人間の挙動を取り戻した後にぐっと押し寄せてきた。
(繋が私をどう思ってるか……!?それってひょっとしなくても……)
……というところまで自然と思考が運んでしまったが、冷静になる。優はもう繋という人間をふんだんに学習している。おそらくこれは自分が考えているような類のものではないということくらいは推測できた。「どう思っているか」である。下手をすると悪口すら飛んできかねない。――これがどう告白に転ぶというのか……はぁ……
「分かった」
とりあえず自分が恥ずかしい思いをさせられることはない、ということで安心して、フラットなトーンで優は首を振る。
「優ちゃんはすごいと思うんだ。優しくて、料理もうまくて、大家さんの仕事までしてる。色々なことに気を回してくれて――」
「――そして何より、一緒にいると落ち着くし、楽しい」
「と、突然どうしたの?」
優は少し体を震わせながら目を見開いた。
「いや、どうしても伝えておきたいと思ってさ」
繋は柔らかに微笑みながらそう語り掛けた。
(ほんとに突然どうしたの!?……)
優は顔を急激に火照らせていく。何の脈絡もない褒め言葉の数々にたじろぐばかりである。
「進路調査書の話があったよね」
「う、うん……」
なぜこのようななんでもない話の数々のために、わざわざカフェテリアに呼びつけるような真似を繋はしたのだろうと思いを巡らせる。
「正直、答えはやっぱり難しい。……でもさ、今もこれからも、変わらず大切にしたいことはあるんだ」
「大切にしたいこと?」
熟れた果実のような顔のままでそんなことを言うものだから、どことなくいじらしい訴えに優はなる。
「……僕は、身近な人を大切にしたいと思う。それが今、一番大切なことだと思うから」
合った視線からその瞳の奥にある心が透けて見えそうだった。しかしそれは、見えそうでやはり見えない。
――それでも、一つだけ分かったことがある。
「そ、それって……結婚ってこと?」
優はもじもじとした様子に成り変わって、そう尋ねた。
心臓の鼓動が相手に伝わりそうなくらいにバクバクしていた。
「一緒にいて楽しい」という繋の言葉は、だんだんと優の中で存在感を増していった。




