1.結婚
いつも私の作品をお読みいただきありがとうございます。今作はとりわけ「勘違い」を軸としたユーモアラスな雰囲気を楽しんでいただきつつ、かつ恋愛も青春の情緒も感動も描き出そう、という贅沢な野心で書き進めています。どうか最後までお付き合いいただければ幸いです。
新天地が僕を待つ。
『コンビニ』が何軒も立ち並ぶこの大都会で、新しい、期待と不安に満ち溢れた新生活が始まる。
もらった鍵を鍵穴に通す。意外なほどあっさりとはまって、鍵穴を回す心構えはあるのかと自分に問いかけた。
意を決して、開く。そこには、まっさらで、純真で、どこまでも可能性に満ちた部屋が――
あるはずだった。
――
「へっ!?ひ、ひぇっ……」
怯えたように自分を見つめる瞳があった。視野が広がって全体を見渡すと、そこにあったのは半裸の少女の姿だった。
そこにあったのはまっさらで純真でどこまでも可能性に満ちた女体――失敬、もう、完成されている。
視線を上下に揺らす。申し訳程度の布切れは明らかに秘部を隠すためのものだった。
頭がおっぱいおっぱいで彼は一瞬固まったが、直後火事場の馬鹿力的な脳の回転を発揮し、次すべきことを考えつく。
「申し訳ございません、小生、切腹いたします……」
土下座ののちにバッサリと。しかしすぐ自分が刀を持っていないことに気がついて、たちまち自分で自分の首を締めた(物理)。
「いやいやいやいや、まだ死ぬには早いでしょ?早まらないで!」
不法侵入強制わいせつ男に迫真の説得をなす下着姿の少女が一人。
「でもこれ以外に、僕の罪を償う方法が思いつかない……」
彼は涙目で答えた。
「それでも死ぬことはないから!うん!」
「それじゃあどうすれば……ハッ、僕も脱ぐ……?」
「それは死ねば良いって思うな」
少女は辛辣であった。上下関係が布面積の多寡によらないのだという普遍的な真理を体現する。
少女は奥の部屋に入っていった。彼は下着姿のまま鈍器や鋭利な刃物を携えて現れる少女の姿を想定したが、実際には部屋着を着た手ブラ((倫理的に)正しい意味)の少女が現れる。
「それで、見たところ同年代だし悪いことをしそうな風には見えないけど、事情を聞かせてもらえる?」
「実は……」
引っ越してきて新居の鍵穴を開けたら、そこに柔肌の乙女(実際の発言ママ)がいたのだということを繋は説明した。
「そ、それじゃあなたはうちのマンションの入居者だってこと?」
怪訝な表情で少女は見つめてくる。――脇に添えられたその手は握りこぶしではないよね?違うよね?
「うちのマンション?ああ、この部屋がってことか……」
「うん、もちろんこの部屋もだけど……」
会話が微妙に噛み合っていない気がした。
「えっと、それじゃ手違いで同じ部屋にってことなの……なんでしょうか?」
「ああ……これって私がやっちゃったパターンか……」
少女は突然彼の前にひざまづく。
「この度は、本当に申し訳ありませんでした!!」
「えっ?えっ?」
はじめ「これから人を殺めてしまう自分をお許しください神様」的な謝罪かと思ったが、どうやらそういうわけでもなさそうだ。
「実は……」
「私、このマンションの大家をしていて……」
「ん?」
「それで、この部屋を空き部屋だと思って使ってたのだけど」
「??」
「……何か手違いがあったみたいで、お見苦しいものを……」
重苦しい空気が流れている……ような気もするが、彼はそれより「何が起こっているのか分からない」という思いの方が強かった。
――いや、それはまずい。相手が気を遣ったことを何か言ってるみたいだし……
「いやいや、全然そんな、見苦しいなんてことは!むしろ役得と言いますか!!」
「役得」という難しい言葉の意味はちょっとど忘れしたが、まあなんかフォーマルっぽいので問題ないだろう。――いや思い出したよ、大いに問題あるなこれは。
「そ、そう?」
少女よ、なぜその話に乗ってしまうのか。
「まあそれはとにかく、あなたはどこの学生なの?」
「見たところ……男の子……だよね?」
ついぞ自分の男児たることに疑いを向けられるようになってしまったかと思いつつ、彼はこくりと頷く。
「それじゃあ、うちの学院……栄ヶ丘学園の生徒じゃないわけだし、それ以外にここで一人暮らしをして通うような所って……」
「??」
「どうして首を傾げているの ?」
「いや、僕、栄ヶ丘学園に通う予定の編入生なんだけど……」
「え?」
「え?」
「やっ、やっぱり変態さんだったり……?」
「違う!断じてそれはない!本当に僕は怪しいものじゃないんだ!信じてくれ!」
「……いやでも――」
「――栄ヶ丘学園は女子校だよ?」
「うん、でも今年度から共学化されたんですよね?」
「……えっ?」
少女は再び彼に対して疑いの目を向け始める。
「ええっと、でもまあ、今後共学化されるかもみたいな話を噂では聞いたことがあるけれど……」
「……もう一度確認するけど、今年度の初めから共学化されたわけじゃないの?」
「いいえ、今は女子生徒しか在籍していないし募集もしていなかったはずだけど……」
目を細めて警戒心丸出しで少女は彼の方を睨む。
少しぞくっとする快感を覚えたが、すぐに彼は身に迫る危機を意識した。
「一応、編入生である証拠を見せてもらいたいのだけど……」
そしてすぐさま彼は合格証明書を取り出して少女に突きつける。
「『能代繋、ここにあなたが本学への在学資格を有していることを証明する。』本物だ……」
「……本物なの?」
「能代くん、あなたがそれを疑ってどうするの?」
自分がこれから女子校に通うことになるという事実に驚愕するあまり繋は言動がおかしくなっていた。
「……えっと、それとも……あの……」
もじもじとしながら少女は切り出す。
「その……本当は能代ちゃんだったり……」
「あ、いや、ごめんなさい、これはデリケートな問題だもんね、少し出過ぎた質問でした」
「いやそういう配慮はいいから!正真正銘僕は男です!」
――多少中性的で男らしくない所はあるかもしれないが、性別を間違えられるほどではないはずだ……
「えっと、それはあの、付いてるってことでいいの?」
「そう!付いてる!その聞き方はどうかと思うけどね!!」
「??その、それじゃ、一応、証明できるものを……」
「いやここで僕の付属品開『陳』するの!?即物即逮捕だよねこんなの!?」
「あ、いや、そういうつもりじゃなくて……ご、ごめんなさい!!」
そう言って彼女は部屋の奥の方から別の部屋へと去っていった。
……何か強烈な違和感を感じたが、ここまで違和感満載で来ているからこの時は気にも留めなかった。
繋はようやく一人自分の部屋に落ち着く。間取りは1Kでまあ一人暮らしとしては妥当な所。まっさらな部屋は、案外広く感じられたが、これがこれから自分の荷物で埋まっていくだろうと考えると得も言われぬ高揚感があった。
少々落ち着かない様子で部屋をうろうろしていたりした所に荷物が色々届き始めたり、ガスや水道の開通をしたりと慌ただしくなる。荷解きが意外に大変なことに気が付いた。
そうこうしているうちに日も暮れ、部屋には明かりを灯そうとする。……そういえば、カーテンがまだないことに気が付く。街灯の光のせいで、まだ照明をつけていない状態でも部屋は真っ暗闇にはならなかった。
引っ越しの雑務もしばし休憩。そういえば夜食べるものを用意していなかったことに気が付く。冷蔵庫に何かあるわけでもないし、とりあえずコンビニにでも行こうかと思う。ただ、まだ土地慣れしていないのでなんだか初見のコンビニまで辿り着くのも億劫だ。もう暗いし。
そんなことを思いながら腰を上げかねていると、部屋の奥からガシャリと音が響く。
驚くべき瞬間であった。
そこには、例の少女がいたのだった。
「え?え?どういうこと?もしかして……不法侵入?」
「いや、さっきも来たでしょうに!!……って、まあ、確かに不審ではあるというか……あなたにとっては不思議なことなんだよね」
「うん、すごく不思議」
心なしか繋くんが目をキラキラさせているように見えるのはどうしてだろう。
ともあれ。
少女は経緯を説明する。
「そんなわけで、私も詳しい事情は分からないけど、私の部屋と能代くんの部屋は行き来ができるようになっているというわけ」
「……賃貸って、プライバシーという概念はないんですか……?」
「……そっか、ごめんなさい、いきなり部屋に踏み込んじゃってごめんなさい。男の子にも色々あるもんね」
「色々ってなに?」
「へっ?そりゃもちろん……って何言わせようとしてるのよ!」
繋くんは少女が慌ててもなお無邪気な瞳を浮かべている。――調子狂うなあ。
「それで今日は、改めてお詫びをと思って部屋にお邪魔したんだけど……」
繋くんはまたもはてな、という表情だった。
「あれ、覚えてるよね?」
――私の下着姿を――と言い掛けてすんでの所で止めた。少女は恥ずかしくなる。完全に自爆だった。
「いや、そんな謝られるようなことは。手違いは仕方のないことだし……僕はむしろ逮捕されなくて恐悦至極といいますか……」
――低姿勢!?
「いや、あれは私が悪いわけで、能代くんは一方的に被害者なわけで……初対面の異性なのにお見苦しい姿をお見せしてしまって、と、とにかく!!もうお嫁にいけません!!」
話をまとめようとして明後日の方向に飛ぶ少女であった。
「……」
繋くんは黙っている。
まあ、初対面で、変な関係性の相手ということもあって、遠慮の沈黙なのだろうか。いや、そんな感じの雰囲気でもない。どちらかといえば、何かを迷っているような……
すると繋くんはいきなり少女の前にひざまずいた。
「わ、私もあと2年すれば18ですから……責任は、とらせてもらいます……」
いきなり人生初のプロポーズを受ける少女だった。