下手くそな交渉
――あのクソガキ。
鈍色に光るナイフを壁に飛ばしながら、苛立ちを募らせる十代半ばごろの少年が吐き捨てた。
依頼は速やかに遂行しなければならないと言うのに、もうすでに一ヶ月が過ぎようとしている。
さすがにそろそろ自分の身も危ない。
手強い相手だからと期限は長くされてはいたが、ガキ一人にここまで長引いてしまえば言い訳すら難しいだろう。
なにせ相手はまだ一桁の子供なのだ。
そのことに依頼主はぐちぐちと文句を垂れたが、不思議なことに同業者たちは少年に憐れむような同情のような視線を向けるだけで笑い者にはしてこなかった。
内心では馬鹿にしているに違いないが。
念入りの準備をして狙うはただ一人、シャール・クレヴァンだ。
今日こそはと数え切れないほどの罠を仕掛け、発見されないように念入りに隠す。
どうにか罠にかかってくれればいいが。
シャール・クレヴァンというガキは、ガキのくせにめっぽう強かった。
純粋な力では大人に勝てないことを分かっているので、真っ向勝負を必ず避けて周りのものを上手く使う。
何度繰り返してもガキの反撃を食らうだけで依頼を達成することは出来なかった。
罠に関しては少しは効果があり、まるで自分が猟師にでもなった気すらなってしまう。
相手は妙に勘の働くガキで、野生動物でさえここまでではないとも思ってしまう。
「何やってんだ、セドリック? 」
「――っ。クソガ――シャール・クレヴァン‼︎」
背後からの声に瞬時に振り返ると、そこにはシャール・クレヴァンがセドリックの手元を後ろから覗き込むようにして立っていた。
気配なく声をかけられたことも驚きだが、その前に名前を呼ばれたことに驚いてしまう。
本名であるセドリックは育ての親しか知らないはずだ。
「精が出ますね。セドリック様」
シャールの後ろには、使用人らしき服装の年老いた男がいて柔和に微笑んではいるが恐ろしいほどの殺気を放っている。
クソガキに気を取られていたとはいえ、気がつかない方がおかしいほどに。
動けないセドリックをよそに、その男は口元とに手を当て何かを悩んでいる。
シャールはそんな男を見上げて、男が喋るのを待っている。
「及第点というところでしょうか。ですが、よろしいのですか、シャール様」
「柔軟さがあるならもってこいだってアルバンこの前言ってただろ」
「フフ、そうでございましたね。ではアルバンはシャール様の手腕を期待して待っております」
言い終わるやいなや男の姿が消える。
それと同時にセドリックを襲っていた殺気が消え、セドリックは尻餅をついて荒い呼吸を繰り返す。
「交渉ってどうやるんだ」
呟いたシャールは立ったままセドリックを見下ろして、何かを考えている。
やがて、思い立ったように口を開いた。
「なぁ、セドリック。一つ、賭けをしないか」
「はぁ?」
突拍子のないシャールの発言にセドリックは訝しげな表情をするが、シャールは気にする様子もなく続ける。
「ここで俺とお前が真っ向勝負して、勝った方の言うことを聞く」
セドリックはますます訳が分からないという顔をする。
この条件はシャールにとってかなり不利な条件だ。
純粋な力ではシャールはセドリックに勝てない、ここではシャールがいつも使うような戦法も取れない。
なにより、この不利な勝負の賭けにシャールは自分の命を賭けることになるのだ。
「アルバンにも期待されたし、へんな癖がつく前にケリをつけないとな」
同じ相手と長く戦うなとシャールは周囲の人間から言われている。
1人の相手と長く戦うことはその動き慣れてしまい癖がついてしまい、それは致命的な弱点になってしまうと。
勝つ気でいるシャールに刺激されたセドリックは賭けを受け、勝負が始まる。
シャールは受け流しを駆使して一気にダメージを喰らわないようにしながら戦い、セドリック相手に善戦をし、辛くも勝利をする。
立つのもやっとのシャールは、仰向けに倒れるセドリックが意識を失っているとわかると自分も地面に倒れた。
そして、どこからともなく現れたアルバンの手によって二人はシャールの自宅に運ばれた。
セドリックが目を覚ますと、既にシャールは目を覚ましていて使用人に甲斐甲斐しく世話を焼かれては――いなかった。
自分で腕の包帯を巻いていて、やけに手馴れている。
体じゅうセドリックと同じように包帯だらけで、幼い涙目の弟に抱きつかれて体の痛みと離れない弟に困っていた。
「おう、起きたか」
「ここは?」
「俺の家」
状況はわりとすんなり飲み込めたセドリックは息を吐くとシャールに勝者の願いはと尋ねた。
セドリックたちの世界じゃ、弱い奴は強い奴に従うしかなく嫌なら下克上しかない。
勝てるはずの勝負で負けたセドリックはシャールと戦う意思はないようだ。
「うちの使用人になること。俺の専属ってことにしとく」
「正気とは思えない」
自分を狙うなとか雇い主を教えろとかなら理解はできるが、使用人として、まして自分を狙っているやつを専属にするというのは正気の沙汰ではない。
セドリックでなくてもそう思うはずだ。
「ああ、お前は知らないのか」
シャールは弟を自分の隣に座るように促して、使用人を呼んだ。
「誰か来てくれ!」
すると、数秒の後天井から女性が一人と扉からアルバンがやってくる。
「はーい」
「お呼びでしょうか、シャール様」
どちらも音を立てずに現れ、目の前に来るまでセドリックは気配を感じ取れなかった。
「は――なんだ、この家」
二人の気配を感じなかったことで、セドリックはこの家の気配のなさに気がついた。
どう考えてもおかしい。
使用人はいる。
ただ、気配を隠して音を立てずに動いているかのようだ。
今のセドリックが感じ取れたのは、自分に向けられたピリピリとした殺気でとても素人が出せるものでない。同業者なのだろう。
セドリックの様子に気がついたアルバンは穏やかな笑みを浮かべる
「ですので、シャール様がセドリック様をお雇いになることに何の問題もございません」
「そーゆーこと。ね、それより依頼者教えてよ」
女性は唇を舐めて愉快そうな笑みを浮かべるが、アルバンにすでに交渉は終えていると言われて落胆していた。
負けたからには従うしかないのだが、依頼者とのいざこざの心配はなさそうだ。
それからセドリックは無事にクレヴァン家の使用人として働くことになるのだが、先住たちは手練ればかりで苦労の日々が続き、やっと新入りが入ってきても、彼女はちょっと気の強いだけの普通の女の子のため立場は大してかわることはなかった。
シャールの父というか、クレヴァン家はこうやって使用人を増やしてきました。




