準備万端ですから。
「リリーシア・バーライド!
お前との婚約を破棄する!!」
長閑な昼下がり。学園のサロンは午後のティータイムを楽しむ紳士淑女で溢れていた。
そこに、フォルガー伯爵家次男のアーノルドが小柄な少女を腕にくっつけてあらわれた。
「そうですの。
わかりましたわ。
書類は、ここに準備してございますので、サインをお願いします。」
白髪に近いシルバーブロンドにアメジストの瞳をした美少女リリーシアは、自身の空間収納から三枚の書類を取り出して言った。
「三枚、それぞれにサインしてくださいませ。
一枚は貴族院に提出いたします。あとの二枚は我が家とアーノルド様のフォルガー伯爵家の控です。
わたくしはサイン済みですので、アーノルド様がサインされれば、提出できますわ。」
サロンで優雅な時間を過ごしていた紳士淑女は、このやりとりを静かに観察していた。
親切に万年筆まで準備したリリーシアに戸惑いつつも、アーノルドは三枚の書類にサインを書き込んだ。
「たしかに。
では、今から貴族院に提出しに参りますので、ごめんくださいませ。
貴族院に提出後、すぐにフォルガー家にもお届けいたしますので、ご心配なく。」
みなさま、お先に失礼いたします、と優雅な礼をしてリリーシアはサロンを辞した。
万年筆を持ったまま、「嫉妬のあまり、私の愛するカーラを……」と言いかけるアーノルドだが、それに耳を傾ける者はサロンにはいなかった。
何しろ、この婚約破棄騒動は、今週に入ってもう3度目なのだ。
一度目は、サーシャ・ロランド子爵令嬢がダンスタン男爵令息ロイドに、二度目はエリアーヌ・テイラー伯爵令嬢がドートリッシュ伯爵家三男デニスに、同じくここ、サロンで婚約破棄を受けたのだ。
そして、毎回、彼らの傍らには、ピンクの髪をした男爵令嬢カーラの存在があった。
学園内では、次は誰が婚約破棄を言い出すか、賭けまで始まっている。
「お父様、無事に婚約破棄できましたわ。」
リリーシアは、バーライド侯爵である父、ウィリアム・バーライドに書類を渡しながら言った。
「リリーシア、婚約破棄ではなく、婚約解消だろう。
それも、あちらの不貞を認めさせ、賠償金の支払いを確約した上での婚約解消だ。」
ウィリアムは、書類を受け取り、金庫に入れる。
「そうでしたわね。
これでやっとわたくしも自由ですわね。
お父様、しばらくは領地に籠もっていてもよろしいかしら?」
「そうだな。
来週の王宮での夜会が終わればいいだろう。」
「もしかすると、そこでも一悶着あるかもしれませんものね。
わかりましたわ。
王宮での夜会が終わってから領地に参ります。」
「リリーシア、王宮での夜会だ。
今までで一番美しく装うように。」
そう告げる父に優雅な礼をしてリリーシアは自室に戻った。
貴族院では、静かな騒ぎになっていた。
何しろ、一週間で3件もの婚約解消の書類が提出されたのである。こんなことは、前代未聞であり、通常の窓口業務の職員の手には余る。そこで、貴族院の議長である、ランバスター公爵のところに報告が上がっていた。
ランバスター公爵レイナルドは、26歳。現国王の王弟であるが、早々に継承権を放棄して臣下に下っていた。
報告を受けたレイナルドはニヤリと笑った。
「学園で面白いことが起きてるみたいだね。
来週の夜会でも、何か起きそうだ。久しぶりに参加してみよう。
あ、これは全部受理しといていいからね。」
男爵令嬢カーラは戸惑っていた。
「これ、うまくいってるのかなぁ。
なんか、攻略対象の名前が違ってたりするけど…
それに悪役令嬢も何にもしてこないし。
でも!
来週の王宮夜会がクライマックス!
そのイベントこなしたら、隠しルートが開くはず!」
フォルガー伯爵家では、アーノルドが父である当主の執務室に呼び出されていた。
「アーノルド。
お前がこれほど愚かだったとは…
来週の王宮夜会が終わったら、お前を領地に返す。
しばらくは頭を冷やせ。」
「父上!
なにを言っているのですか?
私は何も間違ったことはしていません!」
「その思い上がりがすでに間違いだとなぜわからない。
我が家は大丈夫だと思いたかったのだが…
ああ、それと、お前が熱を上げていた小娘を夜会に伴うのは許さない。
もし、その娘を夜会に連れて行くのであれば、我が家の名を使うことは禁ずる。」
「父上っ!
ですが…!」
「話は終わりだ。
出て行け。」
アーノルドの前に無情に扉はしめられた。
王宮夜会当日。
リリーシアは、裾にいくに従ってコバルトブルーに染まっていくグラデーションカラーの優美なドレスを身に纏っていた。
本来ならば、婚約者がいるはずの傍には、父であるバーライド侯爵ウィリアムの姿があった。
二人が広間に入る頃には、ほとんどの参加者が揃っており、あとは王族の入場を待つばかりとなっていた。
そのとき、喜劇の続編が始まろうとしていた。
「アデライド・ローレシア!
そなたとの婚約をここに破棄する。
そして、私、ファブリシオは愛するカーラを新たな婚約者とする!」
前王の庶子であるファブリシオ公子が、ローレシア公爵令嬢アデライドを指差しながら大声で告げた。もちろん、腕にはピンク髪の令嬢をくっつけている。
前王は、愛する王妃を亡くした後、彼女の面影に似たメイドを寵愛し、晩年にファブリシオが誕生した。しかし、その時には王位を長男であるラインハルトに譲位しており、継承争いに巻き込まれぬよう、ファブリシオを庶子として王族からは外した。彼は一代限りの公爵扱いとされ、公子と呼ばれている。
しかし、晩年に授かったファブリシオを可愛がっていた前王の願いで、ローレシア公爵令嬢アデライドとの婚約が成っていたのである。
しかし、その願いも虚しく…
「わかりましたわ。
では、こちらにサインをお願い致します。」
婚約者であるファブリシオ公子ではなく、父であるローレシア公爵に伴われていたアデライドは、侍女に書類を持って来させ、ファブリシオに差し出した。
「…アデライド、そなた、他に言うことはないのか……」
万年筆を渡されて、呆然とファブリシオが呟く。
「ファブリシオさまぁ〜
あたし、アデライド様に酷いことを言われて……」
カーラが口を開くと、アデライドの隣の公爵が厳しい声で一喝した。
「そこの娘!
誰の許可を得て話している!
口を慎め!」
「ひっ!
ファ…ファブリシオさまぁ……」
サインをしているファブリシオの腕にカーラがしがみつく。
「ローレシア公爵、カーラは私の連れだ。
無礼な態度は許さない。」
「許してもらわなくても結構ですな。
愚かな若造と無礼な小娘。
国王陛下がみえる前にこの場を辞されるがよろしい。」
「なっ!!
ローレシア公爵だろうが、その言い草は…!」
抗議の声を上げるファブリシオを無視して父は娘に声を掛ける。
「アデライド、明日、朝一番に貴族院に書類を提出するように。」
「わかりましたわ。お父様。」
サインを確認して優雅に微笑むアデライドの後ろから手が伸びた。
「それには及ばないよ。」
現れたのは、ランバスター公爵レイナルド。
「僕がここで受理するからね。
アデライド嬢、書類はもらっていくよ。」
レイナルドは魅惑的な瑠璃色の瞳をきらめかせてアデライドに微笑んだ。
そこに場違いな奇声が聞こえてきた。
「きゃーーーーーーー!!
レイナルドさまーーー!
ラピスラズリの貴公子様っ
やったぁ!
隠しルート開通❤️」
いきなりのことに立ち尽くすファブリシオをよそに、カーラはいそいそとレイナルドのそばに近づいて腕を取ろうとした。
「レイナルドさまぁ。
あたし、カーラって言います。
レイナルドさまの心の隙間を埋めるために……」
レイナルドは、サッと身をかわし、衛兵に合図を送る。
「この無礼な女を連れてってくれる?
貴人牢でなく、地下牢でいいよ。」
「えっ
っちょっと!
何するのよー!
レイナルドさまぁーーーー」
カーラが衛兵に連れて行かれ、広間には静寂が戻ってきた。
「……カーラは…」
時が止まったように呆然としているファブリシオを憐むかのように視線が集まる。
「ファブリシオは、ちょっと歴史を学び直そうか。」
レイナルドが腹違いの弟に声を掛ける。
「え……
レイナルド兄上、どういうことですか?」
「この国にはね、何故か『ヒロイン』を自称する女が何世代かおきに現れるんだよ。
決まって下級貴族の娘か庶子でね、高位の子息にハニートラップを仕掛けて落とすんだ。
最初の頃は国も混乱したんだけど、そのうち、これを次代の資質を見抜く機会として利用する様になったんだよ。
と言っても明文化されている訳じゃなく、歴史の学習にキーワードが散りばめられていてね。
きちんと学んで、考察して結びつけるとこういう事態が解るようになってるんだよ。
だから、賢い女性たちは、準備万端だっただろう?
もちろん、男性たちも助言なんてしないよ。
この事態の後なら、高嶺の花だった令嬢たちと縁を結べるチャンスがくるからね。
あの娘に引っ掛かった君たちは、もうこの国で名を上げることはできないだろう。」
レイナルドは、ファブリシオだけではなく、その背後にいたアーノルド達にも言い聞かせるようにゆっくりと説明した。
「そんな……」
ファブリシオに背を向け、レイナルドはアデライドに向き直った。
「ローレシア公爵令嬢アデライド嬢。
僕にもチャンスが巡って来たようだ。」
レイナルドはアデライドの前に跪いた。
「あなたをお慕いしていました。
どうか、私の妻になってもらえませんか?」
アデライドは頬を染めて微笑んだ。
「喜んで。
お受けいたします。」
この求婚で喜劇は終幕となった。
観客としてそれを眺めていたリリーシアの周りにも求婚者が集まっていることを、彼女はまだ気付いていなかった。