IV
試合に目を向けると、試合は最終回。二点を追うエレファンツの攻撃を、タイガーズから今年チーターズに移籍したサウスポーの千草が迎え撃つ場面だった。
タイガーズファンとして千草の投球を見守りたかったのだけれど、才華の説明にも耳を傾けなければならない。千草の投球練習中に済むことを祈ろう。
「損得を比べるからには、最も得したパターンと最も損したパターンとが両方わかっている必要がある。弥は、損したパターンばかりを探しているけれど、先に得するパターンを見定めるほうが効率的だったの」
指摘の通り、ぼくの調べ方では基準もなしに闇雲に探すのと同じだ。下手な鉄砲数打ちゃ当たる、とは言うけれど、論理的でもなければ効率的でもない。とはいえ、蓋を開けてみたら全数調査が最短ルートだった、なんてことも経験している。
「じゃあ、最も得したパターンはどうやって見つけたの? それこそ全部のパターンがわかってからでないと、難しいんじゃないの?」
「そんなことないよ。最大の連勝は五だとわかっていたんだから、五連勝を含むパターンが最も得なのは明らか」
頭の上に浮かんだ疑問符を、才華は読み取ってくれただろうか。
ぼくに構わず説明を続けようとする才華を遮って、マリーが合いの手を入れてくれる。
「割引率で考えればわかります。一勝ごとに価格が下がるので、連勝が続くと割引率は毎日上がっていくんです。八〇〇円から引く五〇円より、七五〇円から引く五〇円のほうが大きいですよね? 割引率が最大になるのは、当然、この問題で論理的に考えうる最大の連勝が達成されたときです」
そうか、金額の合計にばかり気を取られていたけれど、最終的には「同じ食事回数のとき、一食あたりに払った金額」で勘定するのだから、割引率にも目を向けておくべきだった。
金額で考えるとどうしても「いくら値引きされたか」を考えてしまうのに対し、割引率で考えれば「リセット回数がいかに少ないか」という問いになり、スマートだ。
主導権が才華に戻される。
「さて、五連勝が含まれるとき、食事の回数は四回。弥、食事が四度になるのは、勝利数なら何勝?」
同じことは先刻考えていた。メモを頼りに思考を遡る。
「当然、五勝だね。ただし六勝も含まれる。一勝と五連勝の場合や、二勝と四勝の場合もある」
「そうだね。でも、六勝のパターンはもうひとつあるよ」
え?
それを調べ終えていたから、マリーのヒントを受けて考え方を変えていたはずだ。六勝や五勝ではなく、もっと勝利数が少なくなるだろう、と。そうすることで、値引きの回数が減ることになるから。
いや、待てよ?
才華と一緒に考えていたとき、五連勝が含まれる組み合わせでは結論が出ないとわかった。そこで、五連勝が含まれなくても同じ食事回数、同じ勝利数が得られる組み合わせを考えたのだった。「二勝と四勝の組み合わせ」を例にして。
わかった――!
「二度、三勝する組み合わせを見落としていたのか!」
白星と黒星で表すと「○○○●○○○」になる。これなら、四連勝を含む組み合わせよりも効率が悪い。七試合の真ん中で連勝がリセットされるので、四連勝で得られた高い割引率が期待できないのだ。
金額を計算してみる。
七五〇円足す七〇〇円足す七五〇円足す七〇〇円。
すなわち、二九〇〇円。
五連勝した場合の合計金額二七〇〇円より、二〇〇円も高い。一食あたり五〇円もの損をしており、なんと連勝ひとつぶんを打ち消してしまう。店員が店の収益を忘れて「損をしたね」と言うわけだ。
マリーに確認すると、
「さすが、お見事です!」
と大興奮だった。
試合は千草がエレファンツ打線を斥け、一〇対八でチーターズが勝利した。
「きょうはありがとう。千草も見られたし、クイズも楽しかった」
帰りの電車を待つ駅のホーム。才華がトイレに離れているあいだに、想像したより充実した休日になったことにお礼をマリーに述べた。
礼を言われたほうは、まさか自分が感謝されるとは思っていなかったらしい。急に慌てふためき照れだして、「わたしは何も」「先輩のおかげです」などと謙遜を並べる。ついでだから、もうひとつ褒めておく。
「あのクイズは、退屈する才華のために即興で考えてくれたの?」
数学が苦手なぼくには手強いクイズだった。才華だって楽に解けたわけではないだろう。あの問題をわずかな時間に考えたとは信じがたいが、彼女も天下の天保高校の生徒である。天才的な素質を持っていてもおかしくない。
さらに穿って考えるなら、彼女は才能を自覚したうえで、才華を試したと考えられなくもない。
しかし、彼女は手を振って強く否定した。
「即興なんて、そんな。先輩と話すために予め考えていた話題を工夫しただけです」
そんなことを言われたら、今度はぼくが照れてしまうではないか。
「それに、あの問題――とんちで解いてもらってもよかったんですよ?」
「とんち?」
「実は店員に未来予知能力があって、連勝が一〇まで伸びると知っていたとか。Eさんがカツカレーに夢中なあまり、チーターズの好プレーを観ていなかったとか」
「ははあ、なるほど。野球ファンが考えそうな――あ、そうか」
元々ぼくを相手に考えた話題だから、ぼくが言いそうな答えを想定していたのだ。論理的でなくても構わない、会話が盛り上がればいいのだ。才華の回答は、それと比べたら真面目で堅苦しい、テストの模範解答だ。どちらが望ましいわけでもないけれど。
先刻マリーに叱られたのを思い出す。ぼくは、ぼく自身で思っているより、マリーや才華の気持ちをわかっていないのかもしれない。
そう考えると、切なくなってきた。
「ねえ、マリー。返事、まだ待ってもらっていたよね?」
この話を切り出すには、唐突なタイミングだっただろうか。マリーは目を見開き、早口で捲したてる。
「無理に結論を出さなくてもいいですよ。曖昧なのはわたしも残念ですが、かといって急ぐことでもないはずです。変に決着をつけると、いろいろ不都合が起こる気がします。わたしもまだ、恋してもしきれない気がするというか」
本心でないことを言っている、そんな気がする。
いずれにしても、ぼくが先輩らしく思いやれればよかったのだけれど。
「わかった。現在地は、友達で間違いないかな?」
「……はい」
彼女は俯いて、か細い声を漏らす。
その顔を見、ぼくは初めて、彼女が真剣にぼくを好いてくれているのだと実感した。
西日が眩しい上り列車。誰の視線が気になるでもないのに、ぼくたち三人にはほとんど会話がなかった。
マリーと別れ、窪寺駅で下車してようやく、才華と言葉を交わす。
「きょうはごめんね。マリーと野球で勝手に盛り上がっちゃって。退屈しなかった?」
ぼくの二、三歩先を歩いていた才華は、首だけこちらを振り返る。
「いいの。麻里亜さんのクイズ、面白かったし」
ぼくが彼女と同等の推理力を持っていたなら、言葉通りに解釈できなかったのだろうか。




