III
まず、ぼくと才華は登場人物に名前を付けた。いちいち「カツカレー好きな人物」では長くてややこしいので、仮に「Eさん」と呼ぶことにする。イニシャルが「E」に決まったのは、ぼくと才華が同じ人物を思い浮かべているからだ。
さて、いよいよ才華が推理を組み立てはじめる。
「再確認すると、値引きは勝ったその日ではなくて、翌日から始まるんだよね。ということは、最も値引きされた値段は――」
「七試合全部勝ったとき、五〇〇円になるね」
「七連勝のとき、Eさんは値引きされた回数、すなわち六回食事をする。その合計金額は……」
「ええと……」
七五〇円足す七〇〇円足す六五〇円足す六〇〇円足す五五〇円足す五〇〇円は?
「三七五〇円、かな」
才華が計算の速さで上回った。
ぼくも才華も数学は苦手だ。正直ぼくは問題を聞いただけで数学的思考の壁を感じている。他方、才華が数学に怯まないのは、問題を解こうとする意欲ゆえだろう。
「確認したいのだけれど、『損をした』とはどういう意味?」
真剣な様子の才華の質問に、マリーはちょっとばかり怯んだようにも見えた。
「常識的に考えて、同じ回数の食事ならもっと少ない出費で済んだとか、同じ出費ならもっとたくさん食べられたとか、そういうことです」
七試合の中で連勝がいくつか発生した可能性もある。たとえば同じ五勝でも、五連勝ではなく、二連勝と三連勝、という具合に。そうなると食事回数や合計金額に差が生じるはずだ。
ということは。
「カツカレーを食べた回数ごとに値段を比較すればいいんだね」
才華はそう簡単に言ってくれるが、シンプルな出題の割には難題である。何せ、七試合に起こりうる勝敗のパターンを挙げたうえで、二連勝以降の勝利数、つまり食事の回数を調べ、出費の損得を考えなければならない。順列とか場合の数とか、数学的な言葉はよくわからないけれど、そういう思考法が必要になるのではないか。
紙を使ってもいいか、とマリーに許可を請うてから、才華は自分の手帳を一ページ破った。
「Eさんが最後にカレーを買ったとき、三つの条件が揃っていなければならない」
マリーの口頭で一度しか問題を確認していないのに、天才少女はすらすらと迷いなく手を動かす。まもなく、三つの条件をまとめてしまう。
条件一、七連戦を勝ち越している
条件二、七試合の勝敗には連敗しない組み合わせがある
条件三、同じ食事回数の組み合わせの中では出費が多い
三つの条件を頭の中で繰り返す。
条件一は、要するに四勝以上の勝敗の組み合わせを考えればいい、ということだ。試合は七試合で、中止や引き分けはなかったというから、四勝のラインは明確だ。
条件二は、絶対に連敗が生じる組み合わせは除外していい、ということになる。わかりやすく負け越しで想定すると、七試合で二勝しかできなかった場合、どこかに連敗がなければ七試合の勝敗は埋まらない。
条件三は、損得の計算についてマリーと確認した通りだ。一食あたりにかける費用が高いほど損をしたことになる。しかし、カツカレーは勝利するごとに値引きされるから、連勝数が多いほど一食あたりの価格が下がる。ということは、食事した回数を揃えてから比較しないと、連勝数が少ないことを以てのみ損をしたと解釈してしまう。
考えを整理しても難しい。無理をせず、ぼくも才華に倣って筆記用具を準備した。
条件を挙げた才華の推理は、一歩先の段階に進んでいる。
「最初の絞りこみとしては、条件一が簡単だね。ただし、四勝の中にも例外はあって、それも除外する」
才華の手元では、白星を「○」、黒星を「●」で表現した図が用意される。
三勝以下は除外。ただし、「○●○●○●○」は四勝でも除外。
なるほど、確かに勝ち越しているけれど、連勝そのものが存在しない。これではカツカレーが値引きされないので、値引きされてから購入するEさんは、カツカレーにありつけない。
才華のその図を見て、ぼくも思いついた。同じ規則で図を書いていく。
「なら、次のこともわかるよね?」
最終的に損をする場合、連勝数は五を超えない。
七連勝:「○○○○○○○」この一通りのみ。
六連勝:「○○○○○○●」もしくは「●○○○○○○」のみ。
以上は食事回数が必ず六回もしくは五回になるので、損得を比較できない。
図を見せつつ説明すると、才華は「なるほど」と頷いた。どうやら彼女の推理に協力できたらしい。
「ということは、四回以下の食事で比較するわけだね。さしあたり五連勝を含む組み合わせを挙げると……」
「○●○○○○○」:二七〇〇円
「○○○○○●○」:二七〇〇円
「●○○○○○●」:二七〇〇円
「○○○○○●●」:連敗しているので除外
「●●○○○○○」:連敗しているので除外
これではダメだ、損得が比較できない。
「なら、連勝が分かれる組み合わせを付け足してみよう。二連勝と四連勝が組み合わされば、二連勝中に一回、四連勝中に三回で合計四度カツカレーを買うよね」
「○○●○○○○」
「○○○○●○○」
七五〇円足す七五〇円足す七〇〇円足す六五〇円、すなわち二八五〇円。
お、これなら比較ができそうだ。
「同じ食事回数四回なのに、五連勝のときと比べると合計金額が一五〇円高くなっているね」
「一食当たり三七・五円の損か……こういうこと?」
才華がマリーに問うと、高校一年生の少女は得意げに笑う。
「そういうことです。でも、もっと損をする組み合わせがありますよ」
もっと損をする?
ということは、白星の数がさらに少ないということか。連勝数が少なくなって、値引き回数が少なくなれば、それだけ払う金額も増えることになる。
ペンを動かし、狙い目となる勝敗パターンを挙げていく。七試合のうち五勝以下をピックアップするのがいいだろう。
七戦五勝
「○○●○○○●」「●○○●○○○」「○○○●○○●」「●○○○●○○」
「○●○○●○○」「○○●○○●○」「○○●○●○○」
七戦四勝
「○●○●○○●」「○●○○●○●」「○○●○●○●」
「●○●○●○○」「●○●○○●○」「●○○●○●○」
「●○○●○○●」
ううん、このあたりが損をしそうなところ。短い連勝が何度も続くために購入回数が増える「一勝、二勝、二勝」の組み合わせなど有力だ。パターンを挙げたら、合計金額を計算していかなければ。
考えれば考えるほど全体像が見えなくなってくる。そもそも全部で何通りの勝敗が考えられるのだろうか? 計算する術は数学で教わった気もするが、さっぱり思い出せない。いや、もしかするとこの問題を計算式にすると、高校の学習を超える高度なものになるかもわからない。ぼくがわからないだけなのか、それとも問題が複雑なのか、それさえわかればもっと落ち着いて解答できそうなのに。
あかん、白黒の丸を見すぎて目がチカチカしはじめた。
「うわ! 先輩、面倒なことをしていますね」
苦労して計算しているところを、マリーに笑われる。
不服で口を尖らせていると、
「弥、それだと解けない」
と才華にまでバッサリと切って捨てられる。彼女はぼくを笑うのではなく、「まだわからないの?」とからかう表情だ。
才華こそわかったのか、と反撃すると、彼女はずばり言ってのけた。
「簡単な話だよ。弥が見落とした勝敗の組み合わせがまだあるってこと」




