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才華の本棚  作者: 大和麻也
Episode.09 Take Me Out to the Baseball Game
34/40

II

 夏はナイトゲームが多い。七月にデーゲームといえば二軍の試合だ。

 ひどく暑いので空調の利くドーム球場がよかったのだけれど、事はそう都合よく運ばない。窪寺からは水道橋のみならず所沢も移動圏内だ。隣県のその球場は、ドームには違いないが、屋根がある以外は屋外球場とほぼ変わらない。

 スタンドは蒸し風呂状態だ。

「暑い……」

 左隣に座った才華は、ついに文句を垂れるようになっていた。水分補給のためにと買ったペットボトルは、わずか一五分あまりで半分まで減っている。

「熱いですね!」

 額に水滴を浮かべる才華に対し、マリーはちょっとズレた同意をする。彼女はぼくの右隣に座して、選手たちのプレーに目を輝かせている。

「野球ってやっぱり最高ですよね。ファームなら一軍公式戦の半額で観戦できるんですよ? 楽しいと思いません?」

「うん、ぼくも安く野球が見られるのはいいな、と思うよ。でもね……」

 対戦カードはチーターズ対エレファンツ!

 しかも、ぼくたちが陣取った席はエレファンツ側!

 タイガーズの試合でもなく、一軍の試合でもなく、あまつさえ憎きエレファンツを応援するスタンドにいて、どうやってこの暑さに耐えろというのか。

 タイガーズファンにしてみれば、たとえファームでも、たとえ友達の付き合いでも、万死に値する裏切り行為である。大阪の友達には生涯秘密にしておかなければならない。

 強いてプレミアが付くとすれば、マリーが話してくれる裏話だろうか。エレファンツの選手は、彼女の父親の仕事仲間だ。マリーも何人かと会ったことがあるという。そういう選手たちの変わった趣味だとか、面白おかしい失敗談だとかを時折聞かせてくれる。

 告白の返事は曖昧なままだけれど、趣味は合うし性格もいいし、とても良い子だと思う。

 友達から、と言って返事に代えられたらいいのに。でも、四か月も保留しておいてそんな煮え切らない回答では不誠実だ。一方で、彼女はその間に大変な思いをしてきた。安易な答え方をしてしまったら、傷つきやすい彼女は不快に思うかもしれない。

 答えを出せないまま、彼女の空元気に付き合って楽しく野球観戦をしている。

 才華も一緒に。



 試合はすでに七回。ぼくたちが来場したころにはエレファンツが一〇失点を喫していて――正直いい気味だと思っている――、反撃する展開になってきている。この回の攻撃でも二点を追加し、五点差に迫った。

 チーターズの攻撃が始まるとき、イニング間に席を立っていたマリーが通路へ手招きしてきた。気がついたぼくが歩み寄ると、彼女は困ったように口を開く。

「あの、家入先輩……退屈させちゃいましたね」

 マリーがそんな心配をしているとは露も思わず、失礼ながら驚いてしまった。

 思い返せば、観戦中才華はあまり会話に入ってこなかった。もとより野球にさほど関心がないので、下宿でテレビを観ているのと同じ気分で放っておいてしまった。むしろ、出費も増える野球観戦に来てくれただけでも、彼女は充分楽しんでいると思いこんでいた。

 座席を振り返ると、彼女はぼうっとグラウンドを見つめている。ぼくがしょっちゅう野球の話をするので、ルールくらいはわかっているだろうか。ルールがわからないなら、ぼくに質問してきそうなものだ。試合展開を理解しているからこそ、疑問を感じ興味引かれることがなかったのかもしれない。

 ちょっと申し訳なくなってきた。

「先輩って、意外と人の気持ちがわからない人ですか?」

「へ?」

「あ、気にしないでください。ここは、わたしが一肌脱ぐとしましょう」

 そう言うと、マリーはそれまで座っていた席より一列上の通路を歩いて、才華に歩み寄る。観客はわずかなので、二列に分かれて座っても迷惑にはならないのだ。才華も彼女の接近に気がつくと、不思議そうな顔をして振り返る。

「家入先輩、ヒマなら知恵比べしませんか?」

「知恵比べ?」

「ちょっとしたクイズを思いついたんです。やってみませんか? わたし、評判の家入先輩の推理力を見てみたくて」

 いきなり突き付けられた挑戦状に戸惑う才華だが、負けず嫌いな性格が顔を覗かせる。挑発されると捨て置けないのも、彼女のいじらしいところだ。何より彼女の好奇心は正直者である。

「まあ、面白いなら」

「やってくれますか? なら、反対側のスタンドを見てください」

 マリーが指さしたのは三塁側スタンド。この球場ではホーム側で、公式戦では地元ファンが押し寄せる。それだけに、座席上の通路にはたくさんの屋台が並ぶ。もっとも、二軍戦ではどの店も開店していない。

 そのうちの一店舗が、今回のマリーの出題に関係するらしい。

「あそこにカレー屋さんがあります。そこの目玉商品は『毎日勝つカレー』という八〇〇円の数量限定カツカレーです」

 意外と高い、と才華が呟く。そう、スタジアムグルメは安くない。お祭り気分でたくさん払うのも悪くないけれど、ぼくが野球を観るなら、予め地元のスーパーで食べ物や飲み物を買いそろえる。

「でも、『毎日勝つカレー』は特別な商品です。なんと、チーターズが連勝するごとに五〇円引きされます!」

 途端、才華の目が輝く。

 まったく、現金な少女だ。

「具体的には、チーターズが試合に勝った翌日、連勝数につき五〇円値引きします。試合に勝った翌日には七五〇円になり、その日も試合に勝つと七〇〇円になる、という具合です。雨天中止はノーカウントで、負けるか引き分けるとリセットされます。一六連勝するとゼロ円になるのですが……まあ、日本記録がリーグ黎明期の一八連勝なので、まずありえないでしょう」

 ふうん、と才華は頷いている。背後に座るマリーの話を聞くために、グラウンドに背を向けている有様だ。

 マリーが「前提となる仕組みはわかりましたか?」と訊くので、ぼくも頷いた。

 出題者はにっと笑って、胸を張った。

「では、ここからがクイズです」

 ででん、と自分の口で効果音を付ける。こういったあたり、くすりと笑ってしまうセンスの持ち主だ。

「あるところに、『毎日勝つカレー』が大好きで、値下げされるたびに『毎日勝つカレー』を買うファンがいたとします」

 そういえば、江里口さんもカレーが大好物だったな。

「先輩。いま、ここにいない女の子のことを考えましたね?」

 ソンナコトナイヨ。

 集中して聞くように釘を刺したうえで、クイズの詳細を発表する。


「とある七連戦で、チーターズが連勝してカツカレーが値引きされました。

 カツカレー好きな野球ファンは、連勝が続くあいだ何回か、大喜びでカツカレーを食べます。七試合で勝ち越しを決め、連敗もなかったので、その人はカツカレーを安く食べることができたと思っていました。

 ところが、最後にカレーを買った日、お店の人はこう言いました。『あんちゃんはこの七連戦で損をしたね』と。カツカレーは確かに値引きされていたのに、損をしたなんておかしいですね。

 なぜ、そんなことを言われてしまったのでしょうか?」



 シンキングタイムに入る前に、マリーはいくつか補足をした。

 まず、出題の七連戦の直前の試合は負けている。つまり、七連戦開始時点での連勝カウントはゼロである。

 次に、七連戦の中に雨天中止や引き分けはない。全試合で勝敗が決している。

 そして、七連戦はすべてチーターズのホームゲームである。ビジターで試合が開催されたために「毎日勝つカレー」を買えなかった、ということはない。


 説明を終えると、マリーは「どうそ」と言って手を叩いた。

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