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才華の本棚  作者: 大和麻也
Episode.09 Take Me Out to the Baseball Game
33/40

I

 今年の梅雨は比較的短く、雨も少なかったと聞く。

 それだけに、身体はまだ炎天下への備えが間に合っておらず、じっとりと汗の粒が浮かぶようだ。気を抜けば崩れ落ちてしまいそう。目的地まではそう遠くないから、と我慢して歩みを進める。

「あ、あそこじゃない?」

 一緒に歩いていた才華――彼女もまた、暑さと日差しに顔を歪めている――が指し示した先には、行列ができていた。

「嘘やん、あんな行列。やっぱりやめへん?」

「いや、いい」

 躊躇うぼくとは対照的に、才華はすたすたと目的地に向かう。仕方なく、ぼくも後に続いた。

 期末テストから解放され、束の間のテスト休み。学校は休みでも世間は平日なので、おばさん不在の昼食にぼくと才華は外食をすることに決めた。こういう日は自分たちで食事を作るのだが、きょうは特別に外食する事情があった。

 窪寺駅前にラーメン店がオープンし、開店記念と称して無料券付きのビラが投函されていたのだ。

「ねえ、行列に耐えてもラーメンだよ? 暑いよ? 正直、家で冷たいそうめんでも食べたほうが幸福度は高いと思うなぁ」

 行列のうち、四分の一ほどは日陰に列をつくっている。しかし、それ以降の客は直射日光を浴びている。ラーメン店だから回転が速いとはいえ、三〇分は並ぶような人数に思える。

 ところが、才華は乗り気だ。倹約家、というよりケチなきらいのある彼女は、ちょっとでも出費を抑えられる選択肢に食いつく。

「別に、弥だけそうしてくれてもいいけど」

 すでに彼女は列の最後尾に陣取り、涼を取ろうとキャップで首筋を扇いでいる。

「はあ、わかったよ」

 男性ばかりのむさ苦しい行列に、女子高校生ひとりを置いて去るのは忍びない。レースのついた水色の半袖Tシャツに、黒の七分丈のパンツという可憐な装いは、この場では明らかに異質だ。

 こんなことになるなら時間帯をずらして来ればよかった。なんでも、地方の人気店の東京進出第一号店――なぜ都心ではなく窪寺を選んだのかはわからない――だという。地域住民にタダ券を配布する財力もさることながら、開店早々平日の昼間に行列をつくれるのだから、味は保証付きだろう。

 ぼくも列に加わり、嘆息することおよそ五秒。背後から大声で呼びかけられた。


「先輩!」


 声の主を勘違いしていないなら、その声は間違いなくぼくに向けられている。将棋部に新入部員はいないし、保健委員でもろくに先輩後輩の付き合いをしていないから、ぼくを「先輩」と呼ぶ人物は限られている。


「マリー?」


 振り返ると、一学年下の後輩が驚きながらも嬉しそうな表情を湛えていた。長い髪は高い位置で束ねて、半袖のパーカーにホットパンツ。涼しげなそのいでたちから覗く雪のような白い肌は、真夏の猛暑を一瞬ばかり忘れさせる。

 三月以来言葉を交わせていなかった、ぼくを慕ってくれている後輩だ。

「久しぶりですね、先輩」

「うん、久しぶり。あれから大丈夫? 元気だった?」

 つい迂闊なことを聞いてしまった。彼女は太陽にも負けない笑顔を引っ込める。

「大丈夫なはずないじゃないですか。空元気ですよ」

「…………」

「まあ、気にしないでください。ええと、そちらは……」

 手を後ろに組んだマリーは、首を伸ばしてぼくの背後を窺う。

 なるほど、才華とは初対面だったな――と紹介しかけて背筋が凍る。もしかすると、ふたりを会わせてはならないのではないか?

「家入才華さんですよね!」

 心配は杞憂だったようで、マリーは声を高くした。

「初めまして、わたしは――」

「茂木麻里亜さん、だよね」

 食い気味に名前を言うと、才華はにっこりと表情を穏やかにする。ただ、どこか作り笑顔にも見えてしまうのは、ぼくの勘違いだと良いのだけれど。

「はい、マリーと呼んでください。才華さんのお噂もかねがね」

 どうも、と困ったように才華は返事する。彼女は、マリーのような強引に距離を縮めてくるタイプを苦手としている。

 適当に挨拶を終えると、マリーは口許を隠してぼくに囁く。

「噂通りキレイな人ですね」

「あのね、マリー……何から確認すればいいかわからないけれど、まず、才華を知っているとは思わなかった」

「たぶん、先輩が思っているより先輩たちは有名ですよ。わたしも中等部時代から先輩を知っていましたし。あとは、家入先輩が推理力抜群なこととか、毎朝一緒に登下校するくせに付き合っていないこととか」

 確かに、ぼくたちの振る舞いは時として校内で目立つことがあった。天保学園で市民権を得たと考えるべきか、反対に好奇の目を向けられていると考えるべきか。

 ひそひそ話を終えると、マリーは改めてぼくたちふたりを相手に質問する。

「ふたりでお昼ご飯ですか?」

 才華は近くのインドカレー店の看板に気を取られているらしく、そっぽを向いている。とりあえず、ぼくが応じる。

「うん、無料券が手に入ったから。マリーは? ラーメンを食べにきたの?」

「はい! ラーメン、大好きなんです。休みの日にパパと一緒にお店を開拓することもあるんですよ。きょうも開店の情報を聞いて駆けつけました」

「へえ、ラーメンが好きなんて意外だったな」

「ライス付き大盛マシマシでも食べちゃいますよ。もしかして、よく食べる女の子は好みではありませんか?」

「そんなことないよ?」

 大阪に胃袋の大きな幼馴染がいるからね。

「いま、ここにいない女の子のことを考えましたね?」

 ソンナコトナイヨ。

 妙なところで鋭いにぎやかな後輩女子は、「そうだ!」と手を叩いた。才華もぎょっとして振り返る。

「先輩たち、食後の予定は空いていますか?」

 才華と顔を見合わせる。特に予定はない。

「ヒマですか? だったら、野球を見に行きません?」

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