III
参拝から帰る人の流れに乗りつつ、江里口さんに問うてみる。
「そういえば、平馬はどうして遅刻することになったの?」
江里口さんが頬を赤くするのは、寒さ以外にも理由がありそうだ。
「地域の行事の手伝いに駆り出されたんだって。男手が要ったんだと。いいんだよ、あいつは。どうせ、神社も寺も教会も好かない奴だから」
まあ、平馬の性格からしてそんな気はする。「おみくじや占いを信じても何になるんだ、面白くもない」と、彼なら言いそうなものだ。大凶に狼狽える才華に聞かせてやりたかった。
「地域の行事って?」
「どんど焼きじゃないかな。小正月には早いけど、土曜日だし、高校生男子が呼ばれるような力仕事といったら、そのくらいだろ」
「どんど焼き? とんど焼きのこと?」
一歩後ろから才華も口を挟む――「なにそれ?」
「お焚き上げじゃないけど、そんな感じの行事さ」江里口さんが肩越しに振り返りつつ、端的に説明する。「竹や藁を組み立てて、もろとも正月飾りや達磨を焼くんだよ。うちの地域でもやっているよ、来週、うちの末っ子が初めてやった書初めを燃やす予定だ」
うん、間違いなくとんど焼きのことだ。
「なんだ、左義長のことか。焼き団子がもらえるから好きだったな」
呼び方こそ違えども、才華も同じ行事を知っているようだ。
「焼き団子ね、あたしももらったよ」
江里口さんは同意して少し笑うが、それから声を低くする。
「……でも、あんまり良い思い出じゃないんだよな。小学校一年生のころ、泣きながら団子を食べた憶えがある」
「泣きながら? お団子が熱すぎた? それとも、煙が目に染みた?」
ぼくがとぼけてみると、「そんなわけないだろ」と江里口さんは笑いながらも強めに否定した。ぼくが聞いて想像するよりも思い入れのある出来事のようだ。駄々をこねる程度の泣き方ではなかったらしい。
改めて泣いた理由を問うてみると、江里口さんは首を傾ぐ。
「いや、それが思い出せない。たぶん、焼かれたくないものを燃やされたんだろうな。バカ弟がふたりもいる前で、長女が大泣きしたんだぞ。よっぽどのことだ」
「バカ弟」という呼び方はかわいそうだけれど、小学校一年生の女の子なら体面を気にする気持ちもあっただろう。まして江里口少女はお利口だっただろうから、ませていそうなものだ。多少の我儘で大騒ぎしたとは考えにくい。
のろのろと進む列が赤信号を待つしなに、才華も思い出話に参加する。
「でも、左義長で燃やされるものって限られているでしょ? 気に入った正月飾りでもあったわけ?」
江里口さんは「ううん」と唸る。正直、焼かれて大泣きするほど正月飾りを好きになるかは疑問だ。もし好きだったとしても、小学一年生なら、来年また同じものが飾られることくらいわかっているだろう。
横断歩道を渡りつつ、「あ」と江里口さんは何かを思いつく。
「わかった、書初めだ」
よほど自信があったようで、彼女は早口になる。
「幼稚園のころの先生が近所に住んでいてな、どんど焼きにも来ていたんだ。そこで、『よく書けているね』と褒められたんだよ。だから焼かれるのが惜しくなったんだ」
習字が得意だったとは知らなかった。現在美術部に所属し、芸術家気質の彼女なら、幼いうちから一目置かれる作品を書くこともありそうだ。しかし、ぼくはそれが記憶違いであろうとわかった。
「江里口さんは、書道教室に通っていたの?」
「うん? いや、そんなことはないよ」
「だったら変だよ。小学一年生は毛筆で書き初めをしないだろうから」
小学校低学年のうちは「硬筆」すなわち鉛筆で書き方を習うものだ。ぼくも書道の経験がないので、小学校三年生のときに人生で初めて筆を使って字を書いた。
ついでに、と才華も付け加える。
「学校の宿題の書初めなら、たいてい校内に展示する期間がある。小正月に燃やしてしまうんじゃ、ちょっと早すぎるよね」
せっかく思い出したのに否定されてしまい、江里口さんは肩を落とす。
「そっか、そうだな。久米くんと家入の言うとおりだ」
およそ一〇年も前の記憶である、曖昧にしか思い出せなくても仕方ない。毛筆で書いた、褒められた、展示された、燃やされた、大泣きした――これらの断片的な情報のそれぞれは正しい記憶かもしれない。でも、一年のうちには並立しない。複数の年次や別の作品の記憶が混ざり合ってしまったのだろう。
とはいえ、「一年生のころにとんど焼きでもらった団子を食べつつ泣いた」という思い出そのものが誤認だったようには思えない。原因が思い出せなくなっているだけで、その出来事自体はかなり印象に残っているようだから。では、断片的で並立しえない記憶たちの中には、原因となる正確な記憶が紛れているはずだ。
それを探し出せるかは江里口さん次第のようにも思える。
しかし、江里口さんの頭の中を割って見たわけでもないのに、真相を確信する天才少女がいた。
「なんだ、わかった。簡単な話だね」
才華の呟きに、ぼくと江里口さんは驚いて振り返る。当人はというと、自分の気づきがすごいことという自覚がないらしく、ぼくたちに対して「どうして驚いているの?」と言わんばかりである。
江里口さんが才華に迫る。
「もったいぶらないで教えろよ」
すると、才華はにっと笑うのだが、すぐにそれを引っ込める。
「それはいいんだけど、寒いから建物の中で」