IV
高校生たちは水遊びに夢中だ。担任の先生の注目もそちらに向いているので、二年生と三年生がそれぞれひとりずつ離脱したところで、誰も気がつかなかった。それほど遠くに行くつもりはないので、堪忍。
歩いてきたのは、駐車場を超えたその先。
いままさに工事が進められている、ガタガタ道だ。
作業員さんを邪魔しない位置で様子を伺っていると、片側通行が始まる地点に立て看板を見つける。大きく青色の字で、
『土地改良および道路補修工事中。ご迷惑おかけします』
と工事について記されている。
看板を見つけた姫川先輩は、満足げに頷いたかと思えば、大きく息を吐いた。
「沼尻さんは、これが心配だったのでしょう」
「へ?」
唐突に提示された結論に、ぼくは当惑してしまう。工事現場はキャンプ場のほど近く、駐車場に間近の位置である。G組のバスが高速道路を利用せず、一般道を迂回した理由になると言われても、理解が間に合わない。
ぼくが困惑しているのを汲んで、先輩は補足する。
「ああ、『これ』と言うのは正確ではありませんでした。『この手の工事』という意味です。沼尻さんが案じていたのは、迂回した地の様子でしょう。工事はすでに行われたのか、現在進行中なのか、まったく行われていないのか――見て確かめたかったのです」
「工事……」
現在目の前で行われている工事の名目は、土地改良と道路補修。道路の補修は経年劣化でも必要になるけれど、だとしたら地盤までいじるとは大がかりだ。そのような例でないとすれば、道路が何事かで派手に損壊してしまい、その何事かの原因が地盤と明らかになった場合に思われる。
難しく考えなくても、思いつくことがある。いや、思いついたのではない。すぐにわかることなのに、考えまいと避けてしまっていたのだ。
「この前の地震で?」
「そうです」
先輩は声を低くした。工事の騒音が会話を妨げるので、キャンプ場へ向かって歩きながら言葉を交わす。
「茨城県は各地で液状化が起こりました。液状化は、地盤に含まれる水が地震の振動によって地表へ移動することで水が噴き出し、建造物や道路を破壊してしまう現象です。このあたりも、液状化に見舞われたのでしょう」
震災の直後から、各地の液状化がニュースで騒がれ、現象としては知られるようになってきている。報道でよく目にするのは、東京湾湾岸の埋立地を中心とした地域なので、そのあたりに独特な現象と思っていた。でも、実際には内陸部でも起こりうる。河川が作った平野や、湿地を埋め立てた土地など、様々な場所にリスクがある。
関東地方の被害は、東北に比べれば注目されにくい。東北の悲しみを無視したり矮小化したりするつもりはないけれど、被害とは数や大きさではない。それぞれの人にとって重大な痛みがあって、それがほかと比べていかに些細だったとしても、簡単に忘れられるものではないのだ。
沼尻さんの親戚も、被害に遭ったのだろう。
きっと、彼女は茨城を訪れる機会がなかったのだ。震災から時間が経って、茨城の様子を見てみたくなった。そんな折、フィールドトリップの実行委員を任される。悪意から地位を利用したわけではないだろう。でも、この機を活かして茨城のキャンプ場を提案し、自身が手配するバスのルートに細工をすることで、地元を訪れた。
車窓から見る街は、彼女の思うような姿だったのだろうか。彼女の計画は、上手くいっても「見るだけ」に過ぎない。それでも実行した。ぼくもずっと街を眺めていたけれど、その光景を鮮明には記憶できていない。思い入れには差がある。
「あの日から二か月と幾ばくか。私たちはこうして穏やかな時間を過ごせています。沼尻さんがクラスメイトを地元に招いたのは、見てほしかったからかもしれません。地震から立ち直っている姿や、地震の前から変わらない姿を。私たちのクラスも、行き先を考える中でこの地に魅力を感じました」
先輩は日差しを浴びて目を細める。
「他方、県内には爪痕はまだまだ残っていて、復興の最中、あるいは出発点にいるのですね。関東でこの状況です、いわんや東北をや」
今度は、肩を落とす。
命や財産に直接の傷を負っていないぼくたちでも、痛みは確かに感じている。痛みの大きさを気にしてはいけない。感じているか、気づけているか――これだけの問題だ。
「私が進路に悩んでしまうのも、今回の災害が無関係ではないのでしょう。やりたいことを見つけ、未来を思い描くことを躊躇している気がします。もしくは、そういう明るい気持ちの持ち方を忘れてしまったのかもしれません。そのように思うこと自体、おこがましいとはわかっているのですが」
ぼくも下を向いてしまう。気の利いたことは言えなかった。
ぼくとて彼女と違いはない。蓋をされたような。蓋をしてしまったような。想いの自由を奪ってしまったという、罪悪感に似た感情を覚えている。あくまで似ているだけで、まったく同じではありえないのだけれど。
「ぼくも、わかる気がします」
絞りだした精いっぱいの共感に、先輩は「ふふ」と笑った。
抽選で決められた帰りのバスの座席は、沼尻さんが隣だった。
「実行委員、お疲れさま」
クラスで最後に座席に腰を下ろした彼女へ、気持ちばかり、労いの言葉を贈る。
一瞬、互いにそのあとに続く言葉を期待した。しかし、それはなかった。共通の話題がなければ、話題もなく会話を続けられるほど親しい間柄ではないのだ。カードは手にしていたけれど、ぼくからそれを切るわけにはいかなかった。
所在ないので、首を伸ばして周囲を窺う。斜め前に座った才華は、顔色も良くなって、退屈そうに欠伸をしていた。ぼくがきょろきょろする必要はないらしい。そのうち、ぼくも眠くなるだろう。
帰りのバスは最寄りのインターチェンジから高速道路に乗り、実行委員長は仕事をやり終えた表情ですやすやと眠っていた。




