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才華の本棚  作者: 大和麻也
Episode.07 真っ直ぐな道でなくても
26/40

II

 才華には堪えるだろうな、という工事によるガタガタ道を抜けると、そこは目的地の駐車場であった。運転手さんの大胆かつ繊細なハンドル裁きで、狭い駐車場をバスが切り返し、窓に頭をぶつけそうなほど揺さぶられてから、ようやくバスが停車する。降車時には運転手さんにお礼を言いつつ、心の中では反対の言葉を呟いた。

 駐車場に降り立つと、まずキャンプ場の事務所が目に入るが、その反対側にはもう一台バスがあった。クラスメイトの降車を待つあいだ、ふらふらっともう一台のバスに近寄ってみる。

「天保高校三年E組様ご一行」

 なるほど、行き先が被ったというクラスのバスか。



「あ、いたいた。姫川(ひめかわ)先輩」

 てんやわんやのバーベキューを終え、小一時間ほどの自由時間。クラスメイトたちが水辺で水風船やら水鉄砲やらを手に、びしょ濡れになって遊んでいる最中。それを見渡せる木陰に赴いた。

 先客は、三年E組の姫川英奈(えな)先輩。将棋部の先輩だ。

「久米くん。そういえば、二年G組もこの場所に来る予定でしたね」

 グレーのキャップの奥から覗いた銀縁眼鏡が、木漏れ日を反射してきらりと輝く。皺ひとつ付かないパンツルック、シャツの襟もまったくくたびれていない。大樹の根の上にゆったりと腰掛け、春風にポニーテールを揺らしながら、小さく見える高校生たちの人影を眺めていた。

「先輩、楽しんでいますか?」

「ええ、私なりに」

 にっこりと笑う。

 まあ、はしゃぐばかりが校外学習の楽しみではないか。同級生たちと川に飛び込まなかったぼくも、他人のことは言えない側だ。

「久米くんはどうですか? 家入さんも同じクラスでしたね、一緒ではないのですか?」

 後輩にも向けられる丁寧語。慇懃な質問に、つい苦笑が漏れる。

「才華はひどく車酔いしてしまって、事務所の救護室で休んでいます」

「おや。それは心配ですね」

「もうすぐ元気になると思います。いまさっき、バーベキューで焼いて残しておいたものを食べたみたいなので」

 姫川先輩は他人事ではないふうに何度も頷いた。

 先輩が座るのとは反対向きに伸びた根に、ぼくも腰掛けてみる。ここ数日雨は降っていないはずだが、わずかに湿った感触をズボン越しに覚える。木の根の生命力を感じられるようで、案外悪いものではない。暖かい日差しのもと、自然に囲われているからこその心地よさだろうか。

「先輩は、考え事でもしていたのですか?」

「はい?」

 唐突な質問に、先輩の声が高くなる。

「暇を持て余しているようだったので」先輩は本を開くでもなく、ただそこに座って遠くを眺めていたのだ。「ほら、先輩って趣味人でしょう? 水遊びはしなくても、河原の石の採集とか、植物の観察とか、退屈せず好きなことを始めそうじゃないですか」

「生憎、石や植物にさほど造詣はないのですが……」苦笑いしつつ、ぼくの偏見を受け容れる。「久米くんの言う通り、上の空だったかもしれません」

 将棋部での付き合いも一年になる。直感でも先輩の気持ちを言い当てられたのなら、正直ちょっと嬉しい。彼女は多趣味ゆえに生活の様子が計り知れない、ミステリアスなきらいのある人だ。

 悩みがあるのですか、と訊く勇気はなかったのだが、ぼくも彼女からそれなりの信頼を得られていたらしい。彼女のほうから、フランクな口ぶりで話してくれた。

「進路のことを考えていました」

「進路?」

 天保高校に通っていれば、進学は安泰だ。三年間真面目に学校に通っていれば、さほど高くないハードルで天保大学への推薦を得られる。常識的な範囲であれば、ちょっとくらい逸脱しても問題ない。というか、逸脱できないと天才たちの才能が腐る。

 ひょっとすると、進路のことで真剣に悩む生徒はごくわずかなのではないか。

 しかも、姫川先輩の場合は、成績優秀なために生じる悩みだ。

「外部の大学を受験しようと考えているのですが、指定校推薦で受験できる学校の中に強く関心を引かれるところがなく、受験の方針を固められずにいます」

 長い脚を組んだり、解いたり。

「もちろん、一般入試でも構わないのですが、天保大学を蹴るリスクを負ってまで行きたい大学を選べるかというと、それほど強い意志もありません。裏を返せば、天保大学に通う動機もこれといってないのです」

 中学生のころのぼくの悩み――とはちょっと違うか。

 姫川先輩は学年トップの成績を誇る。推薦で受験すれば合格の可能性は高く、入試対策など苦にならないだろうから、大学は選び放題に近い。しかし、本人には強い動機がないのだ。彼女の場合は、おそらく、どこに行く興味も湧かないのではなくて、どこでも興味深くてたまらないせいで決め手を欠いているのだろう。

 やっかみかもしれないが、これ以上なく贅沢な悩みである。

 ふふ、と先輩は独特の癖を持った笑い方をする。

「あまり悩んでいるとも思っていませんね?」

「ああ、すみません……」

 本心を見抜かれてしまった。

「構いませんよ。久米くんはまだ二年生ですから、親身になれるほうがおかしいのです」

 立場が違えば悩みも違う。悩みは数の問題ではないのだ。案外、先輩の悩みの正体とは、自身の悩みに共感し、一緒に考えてくれる「戦友」がいないことなのかもしれない。

 さもなければ、受験に苦い思い出を抱える後輩など、相談相手として頼りない。

「思うに、私は悩むことが苦手なのだと思います。いままで手っ取り早く楽な選択ばかりしてきて、真剣に悩まなかった罰が下っているのかもしれませんね」

 そうしてまた「ふふ」と笑ってみせるのだった。




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