IV
内科のあとも平馬と言葉を交わせる機会が何度かあったけれど、お守りに関する何かについては、秘匿にされたままだった。彼が何やら面白がっている様子だったから悔しい。ぼくをからかっているわけではない、と彼は言っていたけれど。
それにしても、「お守り」か。ぼくに隠し事をするくらいだから、共通の話題であるはずだ。だとすると、初詣のときに買ったもののことを言っているのだろうか。ぼくは買わなかったけれど、江里口さんと才華は連れだって購入していたはずだ。
お守りというと、もうひとつ――ホワイトデーの日、机の上にチョコレートと一緒に置かれていた「恋愛成就」のそれも思い出される。もうすぐ一か月が経つというのに、お返しはまだできていない。
考えを巡らせているうちに、クラスには解散がかけられていた。委員会の分担を決めきれずに刻限を迎え、ホームルームが切り上げられたのだ。担任は教室を去り、級友たちはぞろぞろと鞄を抱えて移動を始める。
才華に声をかけようとした。お昼ご飯に誘い出すため、いよいよ江里口さんに声をかけるときだ。ところが、
「久米、保健委員やってくれない?」
新しく決まったばかりの学級委員に足止めされ、才華はひと足先に教室を出て行ってしまった。
適当に話を切り上げてB組に向かうと、窓際の座席、江里口さんと才華が机を挟んで向かい合っていた。才華は立ったまま江里口さんを見下ろし、淡々と言葉を投げかけている。一方の江里口さんは、机に置いた荷物に顔をうずめるようにして頬杖をつき、才華とは視線を交えようとしない。
B組の生徒の視線を気にしながら、そろそろと近寄って会話を聞いてみる。
「いじけているって聞いたけど、本当だったんだ」いつもの調子、才華が先制攻撃を仕掛けているらしい。「クラス分けがそんなに気に入らなかった?」
「そりゃ、あんたに比べればね」江里口さんは鞄を盾にでもしたように、最低限の言葉で応じる。「こっちは散々だったんだから」
平馬の言っていた通りだ。江里口さんは、才華に嫉妬するような言葉を漏らしている。確かに、気まずい友達と同じクラスだったり、恋人と別のクラスだったり、放課後には不運ではあったが除け者にされ、その中には自分以外の女子と仲良くする恋人の姿があって――江里口さんの新学年は不満も多かろう。しかし、その不満が最終的に才華へと向けられるとは思わなかった。
「どうにもならないことくらい、わかっているでしょ?」
一応、ふたりの会話は才華のペースで進んでいる。
「わかっているから拗ねるしかないんだ」
しかし、江里口さんの気分はあくまで低調だ。
まだ短いやり取りしか見ていないが、才華の狙いとしては、いつもの口論に持ちこんで江里口さんを盛り上げたいらしい。挑発しても簡単には食いついてこないので、才華もやりにくそうだ。相手の並大抵でない落ちこみ方を実感しているだろう。
ペースを乱されても、才華はなんとか狙いを達成しようと挑発を繰り出す。
「ふうん、お守りを買うほど神頼みしたのに別々のクラスになったんじゃ、そりゃ拗ねたくもなるか。江里口がそこまで信じるとは思わなかったけど」
眼鏡の奥で目の色が変わった。
「そういうこと言うのかよ。そりゃ、あんたは久米くんと同じクラスで、さぞ嬉しかっただろうな」
そう吐き捨てると、立ち上がって鞄を肩にかけた。才華を置き去りに踵を返すのだが、一歩目を踏み出すことはできなかった。
ぼくに聞かれていたことに、初めて気が付いたのだ。
「ええと、つまり」よくよく考えて言葉を紡ぐ。「ぼくと才華が同じクラスだったのが悔しくて、ぼくや才華にうっかりきつく当たってしまった、ということ?」
江里口さんの顔は、それまでの不機嫌が嘘のように紅色に染まっていく。
「もしかして、きのうの朝ぼくに『ズルい』って言ったのも江里口さん?」
「……そうだよ」
ようやく、嘆息することができた。
彼女を困らせた正体、それは彼女自身の気高さだったのだ。
望んでいたクラス分けにならずモヤモヤしていた放課後、平馬を訪ねようと廊下を歩いていた。そのとき、ぼくと才華、平馬に蓮田さん――偶然だが、江里口さんにとって最悪の組み合わせだった――が賑やかに語らっている。不機嫌な少女は、暢気な四人の輪に加わろうにもプライドが邪魔をしてしまい、甘えることさえできなかった。
たぶん、涙を流したときには、ぼくが邪推したような辛い思いが渦巻いていたに違いない。気まずさや不安、疎外感、名残惜しさなどに不意に襲われた。そういった焦燥に駆られている自分を虚しく惨めにも思ったことだろう。
「ああ、もう。きょうは帰る」
思いがけず辱めを受けたことで、さっきまでとは違った苛立ちを募らせているようだ。根深い対立や痛々しい傷を残したわけではないのだから、ほとぼりが冷めるまでしばらく放っておくのがいいかもしれない。
きょうは無理に引き留めなくてもいいかな、と思っていたところ、
「江里口」
と才華が引き留める。
再度足を止めた江里口さんは、首だけ振り返ってぎろりと睨めつける。力んで眉根を寄せ、こめかみには青筋が浮いているかに見えた。
「何だよ」
腕組みしていた右手を解いて、口許を覆うように頬に添える。才華があまり見せない仕草だ。
「弥と同じクラスで、確かに良い巡り合わせだな、とは思ったよ。でも、弥とは家でも顔を合わせるわけだから、嬉しいというよりは『ああ、そうだな』って感じなの」
「はあ? 自慢?」
「いや、そうじゃなくて」
視線を外した。
「江里口と同じクラスになっても面白かったのにな――と」
不意打ちに放たれた不器用な励ましには、第三者のぼくも赤面した。
才華に対してつい「気持ち悪い!」と口走った江里口さんは、食事に大量のタバスコを仕込む手口で復讐を受けることになる。




