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才華の本棚  作者: 大和麻也
Episode.06 ○○のいない教室
22/40

II

 消灯した自室、ぼうっと浮かび上がる豆電球のオレンジ色を見つめる。

 うつらうつらと意識は揺らぎつつも、このまま眠ってしまってはならないような気がしていた。何も行動を起こせていないぼく自身を、とても薄情な人間だと感じている。せめて、ぼくが江里口さんのことを心配していると伝えたい。

 ベッドから這い出て、勉強机の上で充電中の携帯電話に手を伸ばす。夜分といえども迷惑な時間ではないだろうし、もし眠っていたなら翌朝返信してくれるのでよい。ふたつ折りのそれを開くと、青白い光が目を強く刺激した。

 件名は「大丈夫?」とでもしておく。

「クラス替え残念だったかもしれないけど」

 メール本文、試しに書き出してみる。

 気落ちしている原因を決めつけては、励ませるものも励ませなくなってしまうかもしれない。ボタンを連打し、白紙に戻す。もう少し、当たり障りのない文章にするべきだ。

「昼間はごめん」

 うん、この出だしなら相手がいいように解釈してくれそうだ。

 これはメールだ、簡潔なら簡潔なほどよい。そこで、ぼくが彼女を心配していて、元気を出してほしい旨を、できれば一行に収めて伝えたい。

 しかし容易に思いつくものではなく、相談してほしいとか、落ちこまないでほしいとか、安直なフレーズばかり思い浮かんでしまう。そのたび本文を空白に戻す。繰り返していくうちに、「ぼくが励ましても」という気持ちも渦巻いてくる。

 意を決し、送信ボタンを押す。

「明日は一緒に食堂行こうよ」

 再び掛け布団を被るのだけれど、すっかり覚醒してしまっていた。



「家庭科でアク抜きをするように言われるけど、アクがどれくらい不味いかとか、どうして不味いかって教わらないよね」

 眠気から醒め切らない登校時間のお供は、疑問とも愚痴ともつかない才華のトークであった。毎朝ぼくの野球の話題などに付き合ってもらっていたけれど、今朝は彼女の好奇心のスイッチが入っていたらしい。

 とはいえ、才華の好奇心は基本的に話し相手を必要としない。彼女の気になっていることの半分も理解できないまま、ぼくは頭の中で昨晩――というより、きのうの放課後――から続く悩みの延長戦を繰り広げていた。頭がぼうっとしてしまうのは、ただの寝不足ではない。

 江里口さんからの返信は、未だ届いていない。

「だからね、調理実習ではアク抜きするものとしないものとを両方作って食べ比べてみるべきだと思うの。……弥?」

 昇降口の手前、ついに悟られた。

「ああ、ごめん。ちょっと眠くて」

 はぐらかそうと思ったが、言い方が悪かった。昨晩と似たような言い訳をしたものだから、才華の疑心を強めてしまったらしい。少し口を尖らせ、眉を顰めている。視線による追及は、下駄箱の扉を開いて回避した。

 室内履きを床に落としたそのとき、バイブレーションの音が聞こえてくる。

 待ちわびた返信だ! 靴の履き替えも中途半端に、鞄から携帯電話を取り出す。思った通り、待ち受け画面には新着メールの通知が表示されていた。件名は「心配ありがと」――強張る指先で、メールを開く。


「そんなにみじめに見えたかな?」


 本文はごく短かった。

 二度も三度も読み返した。目を疑う、とはこのことだ。どうか見間違いであってほしいと思った。さもなければ、ぼくは彼女を励ますどころか、痛めつけてしまったことになる。でも、見直せば見直すほど、見間違いではなかったと明らかになるばかりで、何度目かには携帯を閉じた。

 嘆息もできない。

 知り合ってから一年、正直、江里口さんのことをちょっとくらいは知っているつもりだった。ところが、それもわずか一年ばかりの絆にすぎない。ぼくは結局のところ、彼女の誇りを甘く見ていたのだ。

 誰かに励まされること自体、彼女にとっては苦痛なのだろう。気高く見栄っ張りな彼女にしてみれば、自分の悩みを誰かに指摘され、あまつさえ心配されるのは不本意なのだ。自らの悩みは自らの内で処理したいので、誰かを巻きこんでしまうことを負い目に感じるのかもしれない。

 ぼくが彼女にできる選択肢の中で、「励ます」は最悪のものだった。

 無神経なぼくに、彼女はさぞ腹を立てていることだろう。

「どうしたの?」

 才華に問われ、「なんでもない」と返して上靴を履く。呆れる才華と教室に向かって踏み出した刹那、またしても携帯電話が震えた。まだ一分も間が空かないのに、立て続けのメールだ。

「ごめん」という件名、すぐに江里口さんだとわかった。


「久米くんは何も悪くないよ」


 そんなことはわかっている。

 わざわざ詫びを入れてくれる彼女を良い人だと思いたいけれど、これもまた、彼女にとってはプライドの傷つく瞬間なのではないかと疑ってしまう。

「なるほど、江里口がいじけているのか」

「……あ」

 目の前の才華に小さな液晶を覗きこまれていた。

「言ったでしょ、わたしに隠し事は無意味だって」

「覗いたからや!」

「好奇心に勝てなくて、つい」

 確かに、彼女を前にしてちょっと油断していた。秘密を見抜かれてしまうことを恐れる前に、謎に接近せんとする行動を回避すべきだったのだ。

 しかし、どうしたものか。知られてしまったからには仕方がないけれど、江里口さんが才華を相談相手に選ぶことはしないはずだ。まさか才華を江里口さんにけしかけるわけにもいかない。

「それで、江里口はどうして拗ねているの?」

 才華の瞳には、純粋な好奇心が輝いている。これが暴走して、余計なことで江里口さんを刺激してしまったら逆効果なのだが。

 言葉を躊躇っていると、才華のほうから予想を口にする。

「まあ、どうせ簡単な話でしょ。平馬くんと同じクラスじゃなかったからかな」

「そう思う? 付き合っていることには変わりないんだから、そのうち元気になってほしいのだけれど」

「いや、あいつにとっては大事だと思うよ。高校三年間、一度も同じクラスになれないわけだし、修学旅行も別行動になっちゃうから。初詣のときも――」

「初詣のときも?」

「あ、いや。関係ないこと」

 急にお茶を濁す才華。彼女なりに思い当たるところがあり、江里口さんの感じ方を想像しながら話してくれているようだ。少なくとも、落ちこんでいる彼女を笑うつもりはないと見える。

 それどころか、途端に表情を険しくする。

「弥の言う通り、クラス替えで落ちこんでいる程度ならいいのだけれど」

「え?」

「もっと悪い可能性もないではない」

 心配してくれるのか。

 それなら、彼女を頼ってみるのもいいかもしれない。ぼくには「もっと悪い可能性」が思いつかないけれど、彼女なら気が付けることもあるはずだ。才華と江里口さんはぼくより長い四年来の友達なのだから、その友情を信頼しないわけにはいなかない。

「ところで弥、クラス名簿はまだ持ってる?」

 ブレザーのポケットを探ると、それはまだ畳んで収められていた。平馬と江里口さんが違うクラスになったことは知っていたようだけれど、何を確認するのだろうか。ぼくが知らない人間関係があるのか、それともぼくが見落としている別の登場人物がいるのか。

 目的の名前を見つけたらしく、小さくこくりと頷いた。


「やっぱり、同じクラスになったみたい」





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