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才華の本棚  作者: 大和麻也
Episode.04 チョコレートはやっぱり苦いもの
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IV

「まだ全部を把握できたわけではありません。でも、地元がテレビに映ることがあります。見知った景色はひとつも見当たりませんが、住所を見る限り確かに地元です。小さいころ住んでいたのに、全然わかりません。

 おばあちゃんの家は、無事ではないと思います。港が見える家だったので。おばあちゃんとは、連絡が取れません。一緒に住んでいたおばさんも。おじいちゃんは施設に入っていたので、施設の方の尽力で高台に避難できたそうなのですが、必要な機械が動かなくて体調を崩しているそうです。もう長くないと聞いています。

 ほかにもたくさんの親戚と連絡が取れません。津波から逃げられた親戚からも、家が崩れたとか、車を流されたとか、いろいろ聞きます。もっと遠方の親戚からも、東北の家族はどうしたのかと心配する連絡が来ます。誰と話せて、誰と話せていないかも把握しきれない状況です。

 ああ、そうだ、血のつながっているほうのお父さんとも、音信不通です。

 当然、みんな無事でいてほしいです。助かっていてほしいです。連絡を取れないだけで、生きている可能性は充分にあります。

 でも、助からないだろうな、と思ってしまうのも本音です。

 東京にいるわたしたちも、それはそれで大変です。

 モノを送ってほしいと頼んでくる連絡もたくさん来ます。東京まで逃げたいのでしばらく泊めてほしいと言ってくる人もいます。お母さんは、地元を見に行きたくてもそれができず、親戚に振り回されるのを苦しんでいます。

 誰よりも、パパがとても心を痛めています。日本に来て一〇年以上、大きな地震を何度か目にしていても、今度ばかりは怖くて仕方がないそうです。特に、発電所の爆発をこの世の終わりのように思っています。

 できることなら自分の国へ一時的に帰りたいと言っています。野球のため日本に戻る前提ですが、故郷の家族に会って無事を伝えたい、と。いまの日本よりは安全だとお母さんを説得しようとしています。確かに、パニックを引きずってしまったら、野球にも支障が出るかもしれません。向こうの家族の気持ちだって、無視できません。

 わたし、どうすればいいんでしょう?

 お母さんとパパとで、完全に食い違ってしまっています。わたしはどちらかに味方しないといけない状況です。さもないと、自分の気持ちを伝えることもままなりません。家族なのに、家族らしい会話ができそうにありません。家にいる心地がしません。

 東京にいて、何の被害もなかったのに。

 両親のことを信頼しているし、ふたりとも正しいのに。

 わたしよりも辛くて、痛い思いをしている人たちがたくさんいるのに。


 苦しいです。


 被災地にいるわけでもないくせに、こんなことを言ったらダメですよね」



 マリーにかける言葉が見つからなかった。

 黙って聞いていることしかできなかった。

 途中、話しながら泣きだしてしまったのに、「少し休もう」とか「場所を変えよう」とか、たったそれだけの気遣いもできず、ぼくは呆然としていた。「無理に話さないで」と言えたなら、それだけでも少しは違っていたはずだ。

 ところが、「大変だったね」と言いかけて引っ込めてから、何の言葉も思い浮かばなくなってしまった。何も、マリーを案ずる感情を失ったわけではない。励まし、慰めることを諦めたつもりもない。それなのに、相手を思えば思うほど、ぼくの言葉も表情も行方不明になってしまうのだ。

 麗――ぼくの幼馴染にして一六年前の震災の被災者――が電話口で言っていた「怖さ」の何たるかを、垣間見た気がする。一瞬にして失われるものは、命や家や財産ばかりではない。一瞬にして失う恐怖は、直接の被災者に限られた感情ではない。

 現地で被災した人々に比べれば、マリーは、マリーに比べればぼくは、恐怖の中心から離れたところにいるのだろう。それゆえに、より近くにいる人を差し置いて恐れおののくのは間違っている気もしてしまう。それでも、正直な気持ちで怖がるほうがいいと、麗は言った。

 ぼくは、マリーに伝えられる言葉をすでに受け取っていた。

 己の感情を見失い、竹馬の友の言葉も忘れてしまっていた。

 嘆息しても、零れ落ちるものはない。

「おかえり」

 ひと足先に帰宅していた才華が、制服姿のまま玄関でぼくを待っていた。

「才華は、わかっていたの?」

 主語を省いた問いにも、彼女はしっかりと頷く。淀みない言葉を紡いだ。

「ただ一度、宮城の言葉を使っていたの。『いきなりカッコいい』って、強調する意味の『いきなり』を。もちろん、それだけでは東北に縁のある人だと決めつけられない。知識と現実は常に同じではないし、言い間違いや聞き間違いとも考えられる。ただの癖かもしれない。確たる証拠とは言えなかった。でも……」

 その続きは省かれた。

 勘違いの可能性があるとはいえ、万一そうだったとして、ぼくたちは相手をどれだけ思いやれるのか――言葉は悪いが、大きなリスクだ。

 ゆえに才華は、率直に、ぼくがマリーと会うことへの抵抗感を述べたのだ。再会を先送りしてもその後はわからないし、確信もなかったため、強引に引き留めることまではできなかった。推論の域を出ない以上、彼女とて仕方のなかったことだ。

「どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」

 とは、口が裂けても言えなかった。

 マリーのことを真剣に知ろうとすべきだったのは、才華ではない。

「そうだったんだね。気にしてくれて、ありがとう」



 自室のドアを開くと、机の上に小さな箱が置かれていることに気づく。

 手に取ってみると、軽い。手のひらに収まるほどの立方体だ。「Happy Valentine’s Day」とプリントされた簡単な包装がなされている。ラッピングは一度外されたのか、テープの糊や折り目は甘く、はがれやすくなっていた。

 その箱の下に、メモが敷かれていた。

「一か月遅れになっちゃった。賞味期限はまだ大丈夫」

 蓋を開けてみると、金色でブランド名があしらわれた個包装が三つ。カラフルなチョコレートが収められていた。たった三粒だけれど、安いものではないはずだ。

 それと一緒に、赤色のお守りがあった。チョコレートを端に寄せて、箱の中に無理やり隙間を作って入れられたようだ。一月、初詣でと称して江里口さんたちと訪れた神社のものだ。


 金色の刺繍で、「恋愛成就」の文字。


「参ったな。こんなの……お礼のしようがない」

 紙袋には、もうひとつお菓子の缶が残されている。




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