II
『よかった、やっと繋がった』
リビングで、才華と一緒にソファに座ってテレビを眺めていた。
緊急の警報と、地震の速報と、ついに到達した津波が街々を破壊していく様子とが繰り返される画面を、ほとんど言葉もなく眺めていた。最初の地震から、何時間経っただろうか。時計を見ると、普段ならお腹が空くころである。
ぼくの携帯電話を鳴らしたのは、頼みのおばさんではなく、大阪の幼馴染であった。
「心配してくれてありがとう、麗」
『平気か? ホントに平気なんか? 擦り傷ひとつ付いてないか?』
いつも声の大きい彼女が、きょうはしおらしい。
「大丈夫。家も安全だよ」
『そっか……とりあえず、弥のお母さんにも伝えとく』
麗とは家が隣同士だった。こういうときに、一番に心配しあえる昔馴染みがいてくれたことには、心から感謝しなければならない。
「ありがとう。無事を伝えておいて」
麗曰く、電話は混雑していてまったく繋がりそうになかったのだという。固定電話を利用すれば繋がりやすい、と情報を得たものの、ぼくの下宿の番号を知らなかった。ぼくの両親も共働きなので、彼女は、なかなか繋がらないと知りつつもぼくの携帯電話に応答を求め続けた。
「大阪はなんともない?」
『なんともなかった。でも、このへんでも警報が鳴る。津波の注意報も』
テレビを見ると、列島中かなりの範囲の沿岸に、津波への警戒を呼び掛ける表示がなされていた。
ああ、これ、本当に現実なのかな?
「大阪もこれから何があるかわからないから、麗も気を付けてね」
『あんな、弥。こっちの心配はええよ? もっと自分のことばかり考えて、怖がるときやと思う』
「…………」
『物心ついてないころやから憶えてないけど、うちらは被災者や。とんでもない地震を経験してる。震災に関して憶えてるのは、高速が開通したとか、港が元通りになったとか、復興のことかもしれん。でも、学校で教えられたり、親戚の話を聞いたりしたやろ? 街が何もかも一瞬で壊される怖さは、身体の芯でちゃんと感じる。今回も、そういうことになると思う』
「……うん、そうだね」
声を震わせてくれる麗に、それくらいしか返事できなかった。
それから四、五分言葉を交わし、再度お礼を言って電話を切った。『次にいつ電話できるかわからん』と、麗は最後まで通話を切ることに抵抗していた。彼女を安心させられる情報は、ぼくの無事だけなのだろう。
携帯を閉じ、ふう、と息をつく。その直後にまた緊急の速報が鳴り響くのだから、気の休まる暇がない。でも、数時間前よりはその状況に慣れてしまって、危機感が薄れはじめている。
恐怖? 不安? 焦燥? 全部当てはまるようで、ぴったりとは当てはまらない。
そういう感覚の変化に、夢を見ている心地にさせられる。遠く、遠く、現を旅立って悪夢の中に溺れているかの如く。
「才華も、みんなと連絡は取れた?」
彼女はソファの上で体育座りしてテレビをぼんやりと眺めている。
「うん。家はなんともないって」
「そっか、それはよかった」
相変わらずおばさんとは連絡が取れなかったけれど、最低限家族との連絡はついた。学校からも電話がかかってきて、ふたりの無事を伝えられた。江里口さんや平馬は……心配だけれど、彼らも彼らで連絡したい相手がいるはずだから、無理に連絡を試みないほうがいいかもしれない。
良くも悪くも、ほっと一息つける状態になってきた。
日曜日の昼下がりのように、ぽかんと呆けてテレビを見る。
日常と非日常との境は、どこかへ消し飛んでしまったのだろうか。
「……夕ご飯、食べようか」
テレビは点けっぱなしにして、ふたり揃ってキッチンに立つ。一方が離れれば、もう一方がついていく。電気、ガス、水道を調べ、異常なく使えることを確認する。割れた食器も見当たらない。料理に差し支えはなさそうだ。
おばさんの不在時、ふたりで食事の支度をすることは珍しくない。手軽に作れるものを、と話しているうちに、インターホンが鳴った。
手にしていたうどんとネギを放り投げ、玄関に駆けつける。
「はあ、ようやく帰ってこられた」
ドアを開くと、両手に買い物袋を提げたおばさんが、汗を流しながら肩で息をしていた。苦労を人に話すとき、共感を求めて語るのが楽しくなって笑ってしまうことがあるが、おばさんの表情はまさにそれだった。災害時ににつかわしくない、白い歯を見せた笑顔である。
「ふたりも家も無事そうね。何より、何より。こっちは大変だったのよ。職場はパニックになるし、デスクの片付けもしないといけない。仕事場が何とかなったら、今度は電話が繋がらないし、電車も動かない。歩いて帰る羽目になって、ああ、大変だった!」
早口に、豪快に語るさまに、安堵させられてしまう。
この家の主は、日常を守る最強の守護神なのかもしれない。おばさんがいるだけで、下宿は無敵の要塞となるのだ。
「それは?」
才華が彼女の買い物袋を指さす。
「小麦粉とかチョコチップとか、スーパーに寄って買ってきたの。もうすぐホワイトデーでしょ? バレンタインをやったなら、ホワイトデーもやらなくちゃ。あした、一緒にクッキーを焼きましょう」
おばさんは、楽しそうだ。
ニュースは多くの人々が命や住処を失ったことを報じている。その最中、お菓子を焼いて楽しむことは不謹慎で、罪深いことかもしれない。余震や、東京方面にも広がりかねない被害に備えることのほうが肝心だろう。
でも、予定通りに事を進めることができるのなら、そうしておくことも、その後への強力な備えなのかもしれない。