表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
才華の本棚  作者: 大和麻也
Episode.04 チョコレートはやっぱり苦いもの
13/40

I

『ホワイトデー、感謝を伝える日』


 駅ビルのお菓子売り場に垂れ下がったバナーには、そんな素敵な宣伝文句があった。

 一か月前にもらったチョコレートが本命だろうと、義理だろうと、お礼の気持ちを持ってお返しをしなければならない――ぼくは思い知らされた。平馬だったら「商業主義の表れだな」と評するのかもしれない。でも、ぼくはこのキャッチコピーに心動かされてしまい、予定外に出費してしまった。

 義理チョコとして駄菓子を贈ってくれたクラスメイトたちは、「三倍返し」を要求していた。売り場の雰囲気に呑まれてぼくが購入したキャンディは、一個当たりで計算したら、本当に三倍返しが実現している。損をした、とはあまりに失礼だけれど、正直、してやられたと思う。

 誰よりもお返ししなければならないマリーには、缶入りのクッキーを買った。これも、当初の想定よりも高いものにした。

 市販のチョコレートを溶かし、ハート形に固めたマリーのチョコレートは、プライスレスの品物だ。だから、安いものを返すのは論外としても、あまり高いものを買ってもいやらしい気がした。そこに、例のキャッチコピーである。誠意は品物にも宿る気がしてしまった。予算オーバーにならない程度に、グレードを上げた。

 とはいえ、後悔する出費ではない。マリーのアプローチは、本当に嬉しかったし、感謝すべきと思っている。素晴らしい出会いだ。ゆえに、ぼくが数日後、マリーに返答する内容を思えば――贈り物は少しくらい良いものでなければならない。

 一か月悩み抜いて、返事は決まった。そう返答するしかないと、いまでは確かに思っている。譲らない気持ちを、贈り物に込めることもできるはずだ。

 それと、もうひとつ。

「正直、出費は少なくない……」

 テスト休み、金曜日の昼下がりは、首筋も財布も肌寒い。

 駅構内や駅ビルにはそれなりに人が行き来していたが、ロータリーに出るとすっかり人の気配はなくなる。天気予報曰く晴れの空は、すっきり晴れているわけでもなく、どこか淀んでいて、涼しい気温も相俟って物寂しい。恨めしくも冬型の気圧配置がしつこく居残っている今年は、春が何たるかを忘れそうになる。暖かくて穏やかな気候が待ち遠しかった。

 駅を利用する生徒の通学路とは異なる道、天保高校の前を通らないルートを帰り道に選ぶ。道幅は広いが、商店街からは逸れる。テスト休みという理由があるとはいえ、街に高校生が見当たらない時間帯、なんとなく、学校や人目につく道は歩きにくい。

 お菓子の入った紙袋を後ろ手に、もやもやと歩く。

 店を出るときは気分が良かったのに、出費を気にしすぎているのだろうか。

 そのとき、ふわり、と違和感。しっかりと歩みを進めていたのに、足を地に踏み下ろせないような奇妙な感覚だ。疲れているわけでもないのに、と不思議に思いつつ姿勢を整えると、ふらつきの原因が自分自身ではなく、世界にあったのだと察知する。

 電柱が揺れていた。

 刹那、ずん、と大きな音――いや、耳に届くような音ではないかもしれない。空気の震えというか、世界がひっくり返る衝撃というか。本能のはたらきなのか、身体は強張り、背中がぞっと反りあがる。無意識に口が開いたままになった。

「地震……!」

 それも大きい。

 道路を走る何台かの自動車は、ハザードランプをちかちか点滅させて停車する。

 すぐ近くのショーウィンドウに飾られた店主夫妻の写真立てがぱたりと倒れる。

 台車に乗せられた段ボールは、配達員が押さえていてもばらばらと崩れ落ちた。

「結構大きいな」

 次第に、身体が横向きに揺さぶられていると、はっきりとわかるようになる。屋外で揺れを感じられるなんて、それだけでも地震の大きさを表している。それがまして、電信柱を揺らすほどとは。

 道の反対側にある店のカートから商品がこぼれ落ちたころ、揺れがだんだんと小さくなっていった。

 揺れが収まってからも、しばし緊張を解かずにその場に留まる。見たところ、明らかに建物が壊れているとか、上からモノが落ちてくるとか、直接身に危険を感じる状況はない。念のため、情報収集のつもりで周囲を窺う。

 商品を崩された店員や、積み荷を崩された配達員などが片づけを始める。道行く人は、そうした人々に声をかけ、安全を気遣ったり、何があったのかと互いに問うたりする。窪寺駅のホームからは、安全確認について知らせる、駅員の切羽詰まった声が場内放送で流されていた。

 ただごとではない――早く家に帰らないと!



「才華、大丈夫だった?」


 荒ぶる呼吸のままに家の扉を開くと、才華が玄関の固定電話で通話を試みているところだった。

「弥、よかった。何ともなかったんだね。わたしも家も平気。部屋の棚からものが落ちたくらい」

 同居人は冷静だった。さすがに平時よりは興奮しているようで、頬は上気し、どこか落ち着かない息遣いだ。それでも、パニックに陥っている様子はない。そんな彼女を見てほっと脱力し、ようやく深呼吸することができた。

 家にひとりだからと心配したけれど、彼女はぼくよりよっぽどしっかりしている。伊達に中学生のころから親元を離れて下宿していない。

朝子(あさこ)おばちゃんにつながらないの。まだ仕事中だし、職場も慌てている最中なんだと思う」

「そっか、どうにか連絡できるといいんだけれど」

 ぼくがそう言うと、才華は眉を八の字にした。

「これから電話はもっとつながりにくくなると思う。電車も止まっちゃうだろうから、ひょっとするとおばちゃんも帰れなくなるかも」

 はっとする。

 状況はかなり深刻なのかもしれない。

「いったい何があったの?」

 居間に入ると、確かに、いくつかものが散乱していた。あとで自分の部屋も点検しなければならない。本棚からものが落ちているだろう。

 上着を着たまま、テレビのリモコンを手にする。

「東北で地震があったみたい」

 才華の言葉に続いて、アナウンサーが強い調子で繰り返し同じことを伝えていた。


 津波が来る、津波が来る、と。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ