II
放課後のC組の教室。
江里口さんの座席を含めた四つの机を並べて、四人の生徒が向かい合って座っている。黒板を背にしてぼくと才華が並び、才華の前には江里口さん、そして、ぼくの正面には一年G組の南原芽以さんが座った。
その南原さんこそ、今回の「依頼人」である。
「それで、わたしは何をすればいいの?」
腕を組んで座る才華が問う。ぼくを介して呼びだしてきた江里口さんと、初対面の依頼人たる南原さんと、どちらの顔を見ていればいいか迷っている様子だ。
江里口さんと才華はあまり反りが合わない仲だが、お互いに認めていないわけではない。江里口さんは時折、才華の推理力に頼ろうとする。才華に頭を下げたくないのでぼくに頼むのだけれど。
「最初にあたしと久米くんで、作戦の詳細から説明しようか」
ぼくは頷く。
「芽以も、話して大丈夫だね?」
江里口さんの確認に、南原さんは丸い顔を赤らめて頷いた。バレンタインの作戦ゆえデリケートなところも多いのだが、納得しているらしい。
「要は、芽以が好きな人にチョコレートを渡して告白するための作戦だったんだ」
南原さんの了解を得て、江里口さんはずばりその趣旨を述べる。
「相手はあたしのクラスメイトの保角。芽以が前々から好きだった人だ。今年こそ想いを伝えたい、と芽以から相談されて、あたしも協力した。具体的には、去年のバレンタインに梓にやってみた作戦を、芽以にも勧めた。保角の下駄箱に手紙を入れて、ふたりきりになれる場所に呼びだし、チョコレートを渡して告白するという算段だ」
平馬には江里口さんが差出人を書き忘れたせいで不興を買ってしまったが、その失敗さえしなければ、シチュエーションとしてはロマンティックで悪くない。
ぼくは知っていても、才華は初めて耳にする作戦だ。情報が足りず、質問する。
「もう少し詳しく。時間や段取りについて」
「二月一四日の朝に保角に手紙が届くようにしたかった。だから、前の登校日――入試期間だったから、一〇日の木曜日――に、芽以が書いた手紙をあたしが下駄箱に入れておいた。人目につかずに下駄箱に入れられるよう、美術部の活動で帰りが遅かったあたしが買って出たんだ。芽以は歯医者の予約があって早く帰らないといけなくて」
才華は黙って頷く。彼女は集めた情報をもとに推理を展開するが、その過程でメモのひとつも取らない。たぶん、聞いたそばから頭の中で推理が始まっているのだろう。
「それで、呼びだしはどういう計画なの?」
才華の問いに、ぼくが手を挙げる。
「手紙に、放課後に国語科準備室に来るよう書いてあるんだ。普段月曜日は将棋部が活動しているのだけれど、きのうは偶然お休みだったから、場所を貸したんだよ」
そう話しつつ、気まずさがぶり返す。同じ時刻、ぼくとマリーが会って話しているところを、才華には目撃されている。才華はきのう機嫌を損ねていたから、きのうのことを話してはならないような気がしているのだ。
本人は気にしていない様子だけれど。
「弥は、国語科資料室を使わせる約束をしたところから、計画に加わったの?」
「うん、そうだよ。先輩がインフルエンザで出席停止になって、部活が休みになったと平馬に愚痴っていたら、江里口さんも聞いていたんだ。それで、江里口さんが部室を使わせてほしいって申し出た」
「国語科資料室はふたりきりになれる場所なのね?」
「そうだね、時々先生が来ることもあるけれど、月曜日は将棋部がいると知っているから、あまり来ないんだ。部活を休みにしたことは、顧問の先生なら知っていても、ほかの先生は知らなかったと思う」
才華はまた、こくこくと小さく頷きつつ、情報を咀嚼する。計画についてはおおよそ理解できたので、事件の核心を問う。
「じゃあ、その国語科資料室で何が起こったの?」
「何もなかったの!」
声を上げたのは、南原さんだ。
その勢いこんださまに、才華はぴくりと怯んでしまう。南原さんが才華について江里口さんからどのように聞いたのかはわからない。でも、「なぜ何も起こらなかったのか」を知るには才華を頼るしかない、と必死の思いを抱いているようだ。
「一時間も二時間も待ったのに、誰も来なくて……」
声は、だんだんと小さくなった。
空気の冷たい国語科資料室、使い慣れないそこで、ひとりぽつんと待ち人を待ちぼうけする――彼女のその時間を思うと、かなりつらい。いろいろな想像がよぎったことだろう。どうして来ないのか、という疑問はもちろん、下校時刻が近づく焦りや、計画にかけた手間が無駄になりかねないことに苛立ちも覚えただろう。諦めて帰るにも諦めきれない時間が長く続いたに違いない。
南原さんは悲壮感を漂わせる。目は潤みだし、結わえられた髪から覗く耳まで真っ赤にしている。語られる言葉も、わずかに震えているようだった。
「もちろん、保角はきのう欠席していない。でも、私の手紙を見て、保角が無視するとも思えないの。もし私が恋愛対象でなかったとしても、何も知らない他人ではないのだから、理由があって部室に来なかったはず。きょう本人に訊ければよかったのだけれど、勇気がなくて、穂波に頼むわけにもいかなくて……」
江里口さんとぼくを介して、才華に真相を推理してもらおうと思った、というわけだ。
結果的に失敗に終わった企画のプロデューサーも、嘆息交じりに続ける。
「芽以が自分で確認するのはどうしてもつらいって言うから、頼むよ、家入。あたしとしても、保角には何か理由があったのだと思う。このままだと、嫌でも芽以はいろいろな人を疑わないといけないだろ?」
その言葉の後に、声を伴わない口の動きがあった。
なんとかしてくれ、と。




