表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/25

1--16  父の罪

「一気に若くなったな」


 小柄な男が言った。


「そうですね」


 隣のセッカが同意する。随分低姿勢だ。クマタカは自分の後見を買って出た男をまじまじと見つめる。


「じじいは早いとこ引退すれってか?」


 最年長と思わしき男がにやつく。


「何、言うてるんですか」


 初老の女がからから笑う。


「まだまだ現役やにか、じいちゃん」


 気のいい声で若い男も笑い飛ばす。


「あんさん、ワシんとこの倅かえ?」


 しわがれた声にクマタカは振り返った。すぐ目の前ですらりとした細面の男、…女? 性別の判然としない奴がクマタカを見上げていた。クマタカは深々と頭を下げる。


「まいねじゃ。若者(わげもん)ばいじめるのし」


 太った男が何事かを口にし、一同が爆笑した。

 父が頻繁に通っていた寄り合い。よほど重要な案件でも話しあっているのかと思いきや、想像以上に和気あいあいとした雑談会だった。そこここでいくつかの円座が勝手にでき上がり、それぞれが各々の方言のままに大声で何かを言っては笑い合っている。互いに理解できているのかが甚だ疑問だ。


「あんた、ワシんとこのやろ?」


 後ろから声をかけられて振り返ると、若い男が立っていた。随分体格のいい男だ。


年近(としちか)少ないからすぐわかったぜ? 寄り合いは始めてけ? 後見は? …ああ、あの色男」


 若い男はクマタカの返事も待たずにまくし立てる。色男とはセッカのことだろう。


「苦労するのう、自分も」


 小声で耳打ちされ、クマタカは身を引いた。その態度が腑に落ちなかったのか男が口をへの字に結ぶ。しかしまたすぐに笑顔に戻ると、馴れ馴れしく肩を叩いてきた。


「そんな緊張されんな。俺もこの前来たばっかやし」


 それにしては随分先輩風を吹かせるものだ。すでに暴風域に達している。


「自分、無口け? 耳は聞こえるが?」


「そちらが早口過ぎてついて行けないだけです」


「なーん、敬語なんて使われんな。数少ない同輩やにか」


 年齢が近いのか? 確認するとクマタカの方が年下だった」


「にしては自分、落ち着いとるぜ?」


「一回り違いの弟がいるのでそのせいかと」


「うちの甥っ子も同じくらいやわ。言うても従姉の姉ちゃんの子どもやけど」


「いとこ?」


「そう従姉。しかも全員女の三姉妹。強烈やぜ?」


「はあ…」


「ああ、俺、餓鬼の頃に両親死んどるんよ」


 笑顔でさらりとすごいことを言ってのけた男をクマタカは凝視した。


「そっから伯父さんに育てられたん。だから姉弟みたいなもんなん」


「ご苦労されたんですね」


「自分も大変やったんやろ?」


 父の死は全員の知るところのようだ。


「その節はお世話になりました」


「なんもしとらんて。敬語やめんまいけ」


 言うと男はまた背中を叩いてきた。馴れ馴れしい男だ。おそらくクマタカが年下と知って嬉しくなっているのだろう。末っ子にしばしばみられる兆候だ。ヨタカを見ているようだ。


「なんにせ、これから長い付き合いやちゃ。気楽に、のう?」


「よろしくお願いします」


「言ってるそばから敬語!」


 男は大口を開けてげらげらと笑う。悪い奴ではないのだろう。


「クマタカ」


 セッカに呼ばれて返事をする。すぐに行くと告げて若い男に向き直った。


「ではここで…」


「クマタカ?」


「……はい」


「ヘビのシュウダや。もうすぐ継ぐからまた頼むわ。あ、うちはまだ伯父さんが(かしら)なんやけど、今、痛風で動けんくて…」


「すみません、呼ばれてるので」


 悪い奴ではないのだろう。だがあまり得意な系統ではない。

 苛ついているセッカに頭を下げて呼ばれた席に向かったが、スズメの頭目と話していた禿げた男が、クマタカが顔を向けるとさっと離れて行った。あの態度は何を意味するのだろう。


「聞いてたか?」


 セッカに再び呼ばれる。


「夜汽車の配分ですよね」


 顔を向けて話に応じた。

 スズメの(かしら)とセッカが仲立ちしてくれはしたが、カエルの主張は噂以上に激しく、クマタカは黙りこむ以外に対応のしようがなかった。


「そやから足りん言ぅとるげんて!」


 床をばんばん叩きながら唾を飛ばしては顔を近付けて来るヒキガエルにうんざりしながらクマタカは手渡された帳簿に目を通す。

 ヒキガエルは自分の駅がどれほど他所の駅に貢献しているかを延々と説き、野菜作りには体力が必要でそのために瓶詰めの配分を増やしてほしいと言い続けている。しかしカエルの駅はただでさえ多産で、他の駅の倍近く瓶詰めを供給し続けている。これ以上増やせば別のどこかがしわ寄せを食らう。


「…何度も申し上げますが、今現在、すでにヒキガエルさんのところにはかなりの瓶詰めをお渡ししています。これ以上は増やし様がありません。現状維持で何とか凌いでいただけませんか?」


「わからんだらやじ! できんもんはできん言っとんがに!」


 出来ないものは出来ない。それはこちらだって同じだ。


「申し訳ありません」


 引き下がってもらうしかない。


「ヒキさん、こいつはこの間、跡目継いだばかりなんです。まだ仕事も全然できなくて。俺からも言っておきますんで今回は見逃してもらえませんかね」


 セッカが見たこともないほどへつらい、ヒキガエルの機嫌を取ろうとする。仕事ができるかできないか、お前が俺の何を知っている。


「俺からも頼むわ。な?」


 スズメの(かしら)もヒキガエルを宥めすかす。それでもヒキガエルの血走った視線はクマタカを捉えて離さない。父はこれにどう対処していたのだろうか。何故これを解決もせずにおいたのか。クマタカは俯き拳を握りしめる。気付かれないように長く息を吐いていた時、大仰な音を立てて誰かが立ち上がった。老齢な顔ぶれの中で唯一の若い女だった。確か、ネコの。


「帰る」


「何言ってるの、ヤマちゃん」


 ネコの女の傍にいた中年の女が窘めた。


「せやん、姉ちゃん」


「和ぁ乱されんな」


 どこかからしわがれた声もあがる。


「うざいね、じじい共。少しは黙りな」


「ヤマちゃん!」


 たしなめた中年女をネコの女が見下ろした。


「おばさん、何しに私連れて来たのさ? ばばあの代わりって言ってたけどあいつはここで何してたの?」


「こごで話し合いしてらだべ」


「話しあってんのはそっちだけじゃないか。とっととけりつけなよ。いつまで待たせんのさ」


「すぐに片つくことなら、わざわざ集まったりしない」


 セッカがきつい口調で言う。目下の者には偉そうな男だ。


「つけようとしてないだけだろ? そこのでぶは分配増やせの一点張りで、そっちの青いのは出来ませんの繰り返し」


 青い、と言われた。


「譲歩ってもの知らないのかい。でなきゃ手っ取り早く殴り合いで決めな」


「女が偉そうに」


 腹の出た男が立ち上がって威嚇する。しかし女は鼻先で笑うと、


「爺が偉そうに」


 男を小馬鹿にして踵を返した。


「ちょっとヤマちゃん!」


 中年女が慌てて後を追いかけようとしたところで、ネコの女は立ち止まり、こちらを向いた。目が合ったクマタカは唇を閉じる。


「うちは前期のままでいい。それだけ言いに来た」


「ヤマちゃん!」


 中年女の目の前でぴしゃりと扉を閉められた。呆気にとられていた他の面子の中で先程話しかけてきた若い男が立ち上がり、その後を追った。確か、ヘビの。


「あの嬢ちゃんの言うとおりやじ」


 ヒキガエルが低い声で言った。ようやく話もまとまるか、と微かな期待がクマタカの中に生じる。


「譲歩は大事や。そやろ? 兄ちゃん」


 開いた口どころか目も鼻も塞がらなかった。

 結局何も決まらないまま話し合いは今まで通り、という妥協案で幕を閉じた。この数時間は何だったのだろう。何のために寒空の下、電車を走らせてこんな最果てまで来たのだろう。寄り合いの主催、進行は輪番制だと言うがクマタカが割り当てられるのはまだまだ先のようだ。ということはまた呼ばれる度にト線の果てまで移動しなければならないらしい。

'

「お前、あんなんだったら押し切られるぞ」


 セッカが後ろから声をかけてきた。帰路が同じ方向というだけでスズメと同じ電車になった。


「もっと毅然としろ。あいつの言い分ばっかり聞いてたらうちの取り分までなくなるだろうが」


「現状維持で話をつけました」


「時間切れだっただけだ。あと一時間粘られたら、二割増しくらいにされてた」


「そんなことさせません」


「どうだか」


諦めたように息を吐いてセッカは去って行った。

 小言の好きな男だ。知識を分けてくれるのはありがたいがとにかく話が長い。

 セッカたちを送り届けてようやくワシの駅に帰り着く。セッカに言われたとおり、誰か従者をつけて行くべきだったと後悔する。交渉は数が物を言う場合が多い。しかし誰を連れていけばいい。サシバか。あの男しか思いつかないのが歯痒い。だが奴から教わることは多々あるだろう。何せ父の側近だったのだ。だがあの男には頼りたくない。

 忘れぬうちに記録でもつけておこうと、父の遺した帳簿を捲ってクマタカは目を見張った。分配率はもう長いこと変化していないらしい。あの話し合いは何だったのか。しかしそれよりもクマタカが目を疑ったのは配分ではなくその総量だった。


「今日、上行ってきたんだけどさ」


 かつては新月の度にト線入りしていたらしい。


「『よんりん』はやっぱすごいね。超速いの。ちゃんと首巻きはしたよ? ほご眼鏡もサシバから借りたし今、充電もしてるから。でさ、」


 新月の度…、月に一度は来ていたのか? クマタカの知る限りでは夜汽車のト線入りは二、三ヶ月に一度のはずだ。


「チョウがばかみたいにはしゃいで、走ってるさいちゅうにおっこちたんだよ! 俺らみんなあわててさ。あわてて降りて迎えに行ったら、あいつ、どうしてたと思う? 足だけまっすぐ空に向かって伸ばしててでんぐり返しみたいな着地してて全く動かなくなってて」


 回数だけではない。数も減ってきている。かつては五十以上の夜汽車が乗っていたらしい。五十、五十だと? 


「もうやっばい、これ絶対死んだと思ったしょ? 俺らも思ったもん。でもあいつ、むっくり起き上がって来て『どしたの? お前ら』って」


 今の倍以上の子どもたちが乗っていたのか? 倍以上の夜汽車が倍以上の頻度で来ていたのだとしたら……。見間違いか? 頁をめくり返す。まさかそこまで…


「すごくない? あいつばけもんだよ! 超がんじょうなの! あいつの骨は絶対鉄製だって話になってチュウヒが試してやるって追いかけ始めて…」


 クマタカは帳簿を閉じて立ち上がった」


「兄ちゃん?」


 卓の向かいに座っていたヨタカが顔を上げる」


「どこ行くの? もうすぐ朝だよ?」


 文書の束を積み上げて、脇に抱える。


「もしかしてあそこ? おれも行く。ちょっと待って…」


「サシバ」


 クマタカは通路に向かって叫んだ。待っていたかのようにあの男が無言で扉を開けた。父の遺した右腕は、何も言わずにクマタカの傍にいようとし続ける。


「危ない真似させるな」


「兄ちゃん…」


「早く寝ろ」


 後ろ手で戸を閉めた。



 通路を足早にすり抜けて階段を駆け上がる。空は大分色がついてきていて、電気の明かりは必要なかった。

 誰もいない砂の上に座り、父の帳簿をもう一度めくり返す。


―そやから足りん言ぅとるげんて!―


 カエルへの分配上は昔から一割八分。


―出来んもんは出来ん言っとんがに!―


 五十の頃の一割八分と直近の一割八分。

 父が最後に行った調達では夜汽車は“二十九”と書かれている。


―今のお前には話せない―


 そういうことか。

 クマタカは帳簿を握りしめた。

 父はワシの(かしら)だった。誰よりも駅の仲間を慮り、何よりも駅の存続に苦慮し、奔走するワシの(かしら)だった。

 父が行った最後の調達、ネズミの一斉駆除を提案したあの日のことは忘れもしない。あの日の夜汽車は三十三だ。

 自分で数えたのだ。父はヨタカと遊ぶと言って中抜けしたから。報告しながら、ぞろ目だな、と思ったのだ。覚えている。

 帳簿をつけて保管していたのは父だった。部下たちは見ることもなかっただろう。他所の駅の連中に開示することはあったかもしれない。だが調達するのはワシの仕事だ。現場を知らない他所の連中は帳簿を信じるしかないだろう。

 いつからだ。いつから父はこんな不正をしていた。こんな卑怯な誤魔化しを働いてまで自駅を優先したかったのか。これほどまでに父は姑息な男だったのか。


―クマタカ君が卑怯だと感じるような行動さえとってしまうお父様の気持ちは無視しちゃいけないんじゃない?―


 父は何を考えていた。


―足りないか―


 イヌマキたちを匿った日。彼らの水と夜汽車をどこから捻出すべきか尋ねた時、


―そうか…―


 具体的な解決策を何も提示してくれない父にやきもきしたクマタカに向かって、


―心配すんな。何とかなるだろ―


 何ともならなかったのだろう。考えて考えて考え抜いて出した策がこれか。


「ばか親父」


 こんなに卑怯な男だとは思わなかった。これほど小さな男だったとは。

 クマタカの知る父は強くて、大きくて、いつでも余裕があって、どんなに背伸びしても届かなくて、それがクマタカには歯痒くて、腹立たしくて時に目障りな壁だった。

 しかし父も、(かしら)である前にただの小さな男だった。

 

―足りないか―


 余裕など無かった。イヌマキたちを養えるほどワシの駅は盤石でも何でもなかった。ならばなぜ受け入れた。なぜ咎めなかった。なぜ自分の言うがままに…。


―好きなようにやれ―


 奥歯が軋んだ。だから言ったのだ。好きなようにしているだけでは立ちいかないのだと。なんでよりによって自分の提案を聞きいれたりしたのだ。馬鹿な父だ。馬鹿な、


―父さんが母さんを殺したんだ!―


「ばかやろう」


 どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。口をついて出たということは心のどこかで抱いていたことに違い無い。いや違う。例えそうだったとしてもあんなこと思ったことなかった。なんであんなこと。なんで、あれが最後の。


「父さん…」


 握りしめた帳簿の頁が、破けて手の中で丸まった。見慣れた父の遺した文字が、汚く滲んで読めなくなった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ