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1--19 仲間って何だ

「お前の教育が悪い」


 サシバはいつにも増して不機嫌だ。誰もいなくなったのをいいことにここぞとばかりにヨタカへの文句と自分への非難をまくし立てる。オオワシはサシバの言葉を振り払うかのように大股で足早に通路を進んだ。


「大体何だ、あいつは。他者への敬意というものが欠落してる。あれは同い年にも敬遠される。仲間はずれにされて当然だ」


「仲間はずれにされてたからあんな風になったんだ。それを修正するのがお前の仕事だろ」


「いつから俺の仕事になった。いくつ仕事を押しつけるつもりだ」


「お前が死ぬ暇、なくなるまでだ」


「とっくに暇など無い!」


 元自殺志願者が怒鳴った。いつの間に心変わりしていたのか。オオワシは足を止めてサシバをまじまじと見つめる。


「……何だ」


 サシバの質問ににやけ顔で応えて、オオワシは再び歩き出した。サシバが駆け脚で追って来て再びヨタカへの不満を繰り出す。


「その笑い方はやめろ。あいつもお前と同じ顔で笑う。腹立たしいことこの上ない。自分の思ったことを言いたい放題言いやがって、俺のことも馬鹿呼ばわりするくせに何でもかんでもあれやれこれやれと命令してくるところは完全にお前の生き映しだ。あれはお前の分身か。母方の遺伝子は受け継がなかったのか」


「お前、俺のかみさん、知らないだろ」


 妻が他界したのはサシバを拾う前の話だ。


「知らない。見たこともないが長男に似ているんだろう? あのお前の遺伝子を全く受け継いでない長男に」


「お前、嫌な言い方する奴だな」


「嫌な言い方なんてしてない。事実を言っているだけだ」


「いい性格だよ、お前は」


「お前の性格よりはずっとましだと自負してる」


「照れる」


「褒めてない」


 サシバが真剣な顔を向けてきたのでオオワシは可笑しくって豪快に笑った。サシバは口を挟もうとするが、オオワシの笑い声にかき消される。代わりに深いため息をついた。

 サシバが言うほど長男は自分に似てなくもないとオオワシは思う。いやむしろそっくりだ。例えばこうして塔に住んでいた者を拾ってくるところなど。


 クマタカがどういう経緯であの亡命夫婦を匿おうと決断したのか、その場にいなかったオオワシには知る由もない。しかしあの、無口でひねくれ者で自尊心が高いくせに劣等感の塊でもあるクマタカが、初めて自分の希望を口にしたのだ。オオワシは親として、その気持ちを汲んでやりたいと思った。ヨタカならまだしもクマタカが珍しく見せた自己主張だったのだから。あの夫婦を匿うことでワシの駅が被った損害は、あの夫婦から得られた恩恵と比べても少なくはないが、あの夫婦と交流するようになってからの長男の表情は、それ以前に比べて明らかに良くなった。だが最近は少し関わりが深すぎるとも感じている。


 物思いに耽っていたオオワシをサシバの咳ばらいが引き戻し、おもむろに業務報告を始めた。


「セッカが面会に来ていた」


「誰だって?」オオワシは首だけで振り返る。


「スズメの駅の参謀だ。口の上手い小男」


 サシバがスズメの使いの特徴を説明する。オオワシは眉間に皺を寄せて記憶を必死にたぐる。


「司会進行役でよく寄り合いに同席してるだろう」


「ああ…」


 いたような気もする。


「お前は本当に」サシバが呆れて頭を振る。「少しは名前と顔を覚えろ。寄り合いの度に愛想笑いで済ませられると思ったら大間違いだぞ」


「仕方ないだろ、苦手なんだよ」


 オオワシは唇を尖らせてサシバにぼやいた。すかさず「その顔やめろ。無性に腹が立つ」と叱られる。


「お前が代わりに覚えてくれるだろ?」


 オオワシはにやにやしてサシバに言った。


「俺がいない時もあるだろう」


「お前、嫌な奴だな」


「わかった」サシバが頷く。「次の寄り合いは絶対に付き添わない。お前だけで行ってこい」


「なんだそれ…」


 オオワシは不服を訴えたがサシバは完全に無視して本題を告げた。


「お前はコノリたちと会議中だったから用件を聞いておいた。七日後にイモリのところで寄り合いがあるらしい」


「またか?」


「まただ」


 頷きながらサシバが答えた。オオワシはがっくりと項垂れて息を吐いた。


「どうせ同じ用件だろ?」


「同じ用件だろう」


「言いだしっぺは?」


「カエルだ」


「だろうなあ」


 さらにも増して大きなため息を吐いてオオワシは立ち止まった。追い越したサシバが振り返る。


「サシバ、代わりにお前…」


「断る」


「頼む」


「ふざけるな。死ぬぞ」


 その気はないと言った癖に、何かと言えば自分の命を盾に脅してくる。


「死ぬなよ。わかったよ、行けばいいんだろ行けば」


 オオワシは顔を背けてとぼとぼと歩きだした。少し遅れて後ろについたサシバが思案顔だ。


「断るか?」


「いい、行く」


「行くのか? 俺に代わりに行けと今言ったばかりだろう。少し休んだらどうだ」


 予想外の気遣いにオオワシはサシバを凝視した。


「ヨタカは俺でなくお前と遊びたがってる。あいつは長男になついているとお前は言っていたが兄と親はまた別だろう」


「お前、」


「どうした」


「いい奴だなあ」


 サシバが真っ赤な顔になって睨み上げてきた。オオワシは大口を開けて笑う。


「お前を拾って正解だった」


「俺は拾われて命運が尽きた」


「どうせ捨てるつもりだったんだろ? 塔ってそんなに窮屈なところなのか?」


 サシバが立ち止まり、背後を振り返る。


「心配すんな。誰もいないから言ったんだから」


「悟られるなと再三注意してきたのはお前だろう」


「ばれれば面倒臭いしな」


 サシバがぎょろりとオオワシを睨んだ。オオワシは「どうした?」と尋ねる。


「俺に『あまり喋るな』と言った理由はそれだけなのか」


「他にあるか?」


 サシバは口をあんぐりとさせて固まる。


「おい、オオワシ、」 


「なんだよ、早く歩けよ」


 オオワシは少し面倒臭くなってきている。


「お前、他の者に俺が塔の出だと話してるだろ。そうだ、お前はそういう奴だ」


 オオワシは記憶を手繰る。「話したかなぁ?」


 話したような気もするし話していないような気もする。

 サシバは真っ赤な顔になり、憤慨して押し黙った。


「そんなに怒るなよ、禿げるぞお前…」


「お(かしら)!」


 ふり返ると肩を怒らせて睨みつけて来る長男がいた。



* * * *



 父を睨みつけながら歩み寄る。途中、無口な父の右腕を一瞥してから父に対峙した。


「どうした? ひどい顔して…」


「話があります」


 父が眉根を顰めた。クマタカは父の右腕を睨みつけ、「外せ」と命じた。父の右腕は父を見る。


「…帰るか」


「ヨタカがいます」


 父が眉間の皺を深くした。クマタカも眉間に力を込め、顎を引いて父をさらに睨み上げる。


「サシバ」


 父が右腕を呼ぶ。クマタカはじっと待つ。


「ヨタカの相手をしてやってくれ」


 クマタカは驚いてサシバに振り返った。この男はいつの間に自分の家の中にまで入り込んでいたのか。抱えていた怒りとは別の感情が込み上げる。両手の拳が筋ばって震える。

 父の右腕は微かに表情を動かすと、何も言わずにクマタカたちの部屋の方へ去って行った。


「帰るぞ。うちで話せ」


 ため息まじりに父が背中でそう言った。クマタカは顎を引いてその後に続いた。



 サシバは首尾よくヨタカを誘い出したらしい。今日が初めてではないのだろう。どこまで飼いならされているのか。


「座れ」


 言って父がどっかりと腰を下ろした。あの男がこの部屋に上がったかと思うと腰を下ろす気になどなれない。


「何だ? 話って」


「どこまで知っているんですか」


 父が眉根を寄せる。眉間に皺を刻んだままのクマタカは親の敵を見るような目で親を見ている。


「何の話だ?」


「ネズミについてです」


「またその話か」


 父は息を吐き出しながら襟元を緩めた。「ネズミの一斉駆除だろ? 住処の特定も出来てないのにどうやって…」


「塔です」


「塔の近くと言ったって範囲が広すぎると…」


「ネズミは塔に住む者です」


 父が口を噤む。


「ネズミは塔の子どもたちでそして、」


 クマタカは拳を握り締める。唇が戦慄く。歯ぎしりが頭の中に響いてうるさくて息を吐き出しながら、


「|地下(私たち)の仲間です」


 一息に言った。

 襟に手を掛けたまま、父が首を回す。ここに来てようやく父は自分に向き合った。クマタカは眼球の奥に感じている熱と何度飲み込んでも落ち着かない呼吸を瞬きと気力で抑え込む。


「塔は夜汽車をト線(こちら)に寄越す、その代償として地下からはネズミが女を連れて行く。ネズミは地下の女を孕ませ、生まれた子どもたちが夜汽車とネズミになる。選別方法はおそらく生殖機能の優劣。機能が強い者はネズミに、それ以外の者は夜汽車に乗車させられて、ある程度成長した後、ト線に入った彼らを俺たちが…」


 クマタカはそこで口を噤んだ。


「つまり、」


 両手の拳の中で爪が手の平に食い込む。


「私たちがしているのは共食いです」


 知らず知らずのうちに犯していた禁忌。体が起こした拒絶反応は全身を泡立たせ、吐き気を催した。

 イヌマキは知っていた。イヌマキが知っているということは塔全体の共通認識ということだ。知っていながら飲んでいた。地下出身の女の子どもと塔で捨てられた望まれない子ども。どこかで自分と繋がっていたかもしれない子どもたちを『夜汽車』と呼ぶことで|塔(自分たち)とは別物だと切り捨てていた。


―だって仕方ないことじゃないか。夜汽車がなければ俺たちは生きていけない。夜汽車が走らなければ電気も手に入らないし缶詰がなければ飢え死にだ。仕方ないんだよ。ずっとそうしてやってきたんだ―


 仕方が無ければ禁忌さえも破るのか。仕方が無ければ全てが許されるのか。


―ならクマタカ君は夜汽車無しでどうやって生きていくんだ? 一生、缶詰絶ちする? 野菜だけで腹を満たす? 君を満足させられる野菜を作るのにどれほどの時間と場所と電気と労力がかかるか知っているかい? 缶詰なら一缶で数日は満腹感が続くけれども菜食家は日に何度も食事する、それもかなりの量をだ。それなのにすぐに腹が減るからと言ってまた何かをつまむ。どっちが効率的で燃費がいいかなんて一目瞭然だろう?―


 効率が全てではないだろう。もっと大事なことがあるだろう。


―クマタカ君のは理想論だよ。この限られた地面と電気でやっていくにはそんなものにこだわってるわけにはいかないんだ―


 命は『そんなもの』なのか。


―だから夜汽車には最善と思われる環境が用意されているんじゃないか。苦労も恐怖も危険もない、安全で快適な守られた生活を送られるんだから代償だってあるだろう?―


 でもそれは彼らの選択ではない。彼らの希望でもない。彼らは何も知らない。


―……君は優しすぎるよ―


 以前、目が合った夜汽車を絞め損ねた時、父に言われた言葉と同じものだった。顔面が発火して脳に飛び火した。クマタカは杯を卓に叩きつけて研究所を飛び出した。


「考えればおかしな点は今までだってあったんです。ネズミの被害は看過できないし駆除出来るならすべきなのに、幼い頃から言われてきたのは『ネズミが出たら逃げろ』だ。女、子どもにはそうさせるべきでしょう。下手に立ち向かって連れ去られたり殺されるくらいなら逃げた方がいい。しかし戦える年齢になった男たちにも、率先してネズミ駆除をさせようとしない。あくまで威嚇して退散させるだけだ。せっかく絞めた夜汽車を捨ててまで撤退を命じたこともありましたね。それほどまでに恐ろしい存在なのかと思っていました。でも違った。そうじゃなかった。お(かしら)はネズミを恐れているんじゃない、哀れんでいたんです、最下層のあの子どもたちと同じように!」


 言い切ってクマタカは息を吐いた。乱れた呼吸が収まらない。深呼吸する。呼吸を整える。口を閉じ、下を向いて鼻で息をする。


「それで、」 


 クマタカは憤りながら安堵する。混乱した頭がようやくこれで落ちつくかと顔を上げかけた時、


「それで、お前はどうしたい」


 期待とは真逆の言葉と冷たい視線に絶句した。



* * * *



「なあ、どこいくんだよ、サシバぁ」


 オオワシの命令でヨタカを連れだしたはいいが、このふてぶてしい子どもの機嫌を取り続けることにサシバは限界を感じていた。この悪餓鬼は父親や兄に見せる顔と自分に向ける態度が違い過ぎる。外面(そとづら)家族の間(うち)で見せてどうする。外面と言うくらいなのだから自分にこそ行儀正しくすればいいのに。


「お前の父親と兄が大切な仕事の話をしている。話が終わるまでしばらく席を外す」


 言った途端にヨタカは踵を返して部屋に向かって走り出した。サシバは慌てて追いかけ、その襟首を掴む。


「いってえ! はなせよ、ばか!」


「話を聞いてなかったのか」


「とおさんとにいちゃんが『かぞくかいぎ』してんだろ? ならおれもいないとだめだろ」


「なぜそうなる。お前がいると駄目だろうの言い間違いか?」


「おまえ、にいちゃんたちがなんのはなししてっかしってんの?」


 それは聞いていないが。


「しらないなら『くちだし』すんなよ、バカサシバ」


 言ってからヨタカは思案顔になり、


「サシババカ…、サシバカ、サシバカ!!」


 思いっきり頭を殴り下ろしてやりたい。その憎たらしい笑い顔を床にめり込ませてやりたい。


「お前もオオワシたちが何を話しているのか知らないだろう。俺のことが言えるのか」


「おれはいいんだよ」


「なんでお前はいいんだ」


「いいからいいんだよ。わかれよサシバカ」


 サシバは肩を怒らせヨタカを睨む。「父親にそっくりだな」


「照れる」


「褒めてない」


 げらげらと、ヨタカはオオワシと同じ顔で笑った。サシバはため息をつく。


「サシバぁ、おまえさ、」


 ヨタカが突然、真面目な顔をして見上げてきた。サシバは掴んでいた襟を放し、「何だ」と尋ねた。


「ためいきばっかりついてると、ふけるぞ」


「なんでため息で老けるんだ」


「おまえのばあいは、少しくらいふけたほうが『かんろく』して、いいかもな」


 ヨタカはにやつきながら、さらにそんな減らず口を叩いた。いちいちかまっているのも馬鹿らしくなり、サシバは無視して歩き始めた。


「まてよ!」


 部屋に駆け戻るかとも思ったが、予想に反してヨタカは自分の後を追ってきた。サシバは立ち止まって待つ。


「こっちに来るのか」


「おまえみたいな『いんき』がうろついてたら、他のやつらがこまるだろ。しかたないから、いっしょに行ってやるんだよ」


「他の奴らは困るのか?」 


「何いってんだ? おまえ」


 サシバは考える。考えてヨタカを観察してまた考えて一つの結論に至る。


「お前みたいな口の悪いのがうろついていたら、他の連中も迷惑するだろうな」


「ああ?」 


 ヨタカが全身で怒りを露わにして見上げてきた。言い負かされてばかりだったから少し嬉しくなりサシバは小さく失笑する。


「おまえ、なに、バカにしてんだよ! サシバカ」


「してない」


「うそだ! いま、おれのこと見てわらっただろ!」


「笑ってない」


「うそつくなよ! バカサシバ!」


 面倒臭い。素直になったと思った途端に絡んでくる。


「お前、」


「『おまえ』じゃねえよ」


「じゃあ何と呼べばいい」


「名まえで呼べよ」


 名前を呼んでほしいらしい。


「ヨタカ」


「なんだよ」


 いちいち面倒臭い。サシバは肩を落としてから通路の先を指差した。


「あそこにお前と同い年くらいの子どもたちがいる。まだ朝まで時間もある。ゆっくり遊んで来い」


 ヨタカが顔を強張らせて立ち止まった。サシバは振り返る。やはりこの性格では遊び仲間を作ることはできないのだろうか。


「どうした。俺には強気なのにあいつらには話しかけられないか」


「んなことねえよ、バーカ!」


 必死に否定してから俯き、それから意を決したように顔を上げて子どもたちの輪の中に入って行った。行けるのか、とサシバは意外だった。


「……なにしてんの?」


 ヨタカが言う。子どもたちは一斉に手を止め顔を上げ、互いに無言で視線を交わし合った。


「なにしてんのってきいたんだけど」


「何も…してませんよ?」


 ねえ? などと言って子どもたちは俯き気味にぎこちなく笑みを交わす。


「それなに?」


 ヨタカが子どもたちの持っている玩具を指差した。細面の男児が「つかいますか?」と言ってヨタカに押し付けるようにして手渡した。


「…どうやってつかうの?」


「知らないの?」


 眉毛の濃い子どもが驚いた顔をする。すかさずその隣の子どもが「ばか!」と言って頭を叩き、眉毛の濃い子どもに代わってヨタカに頭を下げた。


「すみません。こいつ、口のきき方しらなくて」


「べつにいいけど」


 ヨタカは困った顔で肩を竦める。子どもたちとヨタカの間にしばらく沈黙が横たわる。


「かえすわ」


 ヨタカが手の中の玩具を長身の子どもに押し返した。長身の子どもは「え…」と言ったきり受け取らない。ヨタカは眉根を寄せると玩具を床の上に置き、走ってサシバの方に駆け戻って来た。声をかけようとしたサシバに見向きもしないですれ違い、全速力で走り去る。


「行こ」


「うん」


「早くはやく」


 子どもたちもそそくさとその場を離れて行った。姿が見えなくなってから大声が響いて来る。会話の内容から子どもたちが相当気まずかった様子が窺えてサシバは驚いた。それから思い出し、ふり返ってヨタカを追った。

 子どもの癖に体力はあるようだ。ヨタカはかなり先の角を曲がったところで立ち止まっていた。壁に手をつき息を切らしている。サシバも乱れた息を整えながらヨタカに近づいた。


「あいつらと遊ばないのか」


「うるせえよ! バカ!」


 本気で怒ってサシバを両手で押しやると、大股で肩を怒らせて歩きだした。うるさかっただろうか。だったら申し訳ないと思う。しかし子どもが子どもと遊ばないならこの子どもは誰と遊ぶのだろう。


「お前、普段は何してるんだ?」


「いきすってはいてる」


「俺だって息は吸っているし吐いてもいる。だがそれ以外のこともする。お前はオオワシが仕事の間は、部屋にいるんだろう? 部屋では呼吸以外は何もしないのか」


「…かたなのれんしゅう」


 ぶっきらぼうだが応じる気はあるようだ。


「誰としている」


「だれもいないよ。みんなしごとでいそがしいだろ」


 確かに忙しい。忙しい者に教えを乞わないということはヨタカはヨタカなりに、周囲への気遣いをしていたのだろう。口の悪さと横柄さだけでヨタカの性格を決めつけていた罪悪感に、サシバは閉口した。

 ヨタカはちらりとサシバを見た。唇を尖らせたまま眉根を寄せ、


「…むかしはにいちゃんがおしえてくれてた」


 ぶつぶつと聞きとりにくい声で話し始めた。


「かたなだけじゃなくて、なんでもおしえてくれた。しょくぶつがどうしてのびるのかとか、水だけじゃいきてけないとか。よぎしゃとかせんろとか他の『えき』のしごととか」


 なぜか自分を毛嫌いしている無愛想な青年は、弟のことは可愛がっているらしい。サシバはオオワシの長男の意外な一面に驚きつつ、ヨタカの話を広げた。


「お前の兄は何でも知っているんだな」


「あたりまえだろ! にいちゃんはすごいんだぞ!」


「…そうか」


 弟も兄を慕っていることはよくわかった。


「でもにいちゃんも、しごとがはじまっていそがしいんだ。さいきんあんまりへやにいない」


 そう言うとヨタカはまた肩を落とした。


「帰るか」


 サシバの提案にヨタカは顔を上げた。


「いいの?」


「そろそろ『会議』も終わっている頃合いだろう」


 他にどこに連れて行けばいいか思いつかない、というのが本音だったのだが。


「お前の自慢の兄も、今日は部屋にいるしな」


 サシバは事実を言っただけだったがヨタカはまじまじとその顔を見つめて来る。


「どうした」


「サシバってさ、」


 そう言えばこいつは完全に俺のことを呼び捨てだな、とサシバは思う。でもまあいいか、と今は思う。


「何だ、ヨタカ」


 サシバは微笑みながら子どもの名を呼んだ。

 ヨタカはじっと中年男の顔を見つめてから、「女にもてないだろ」と一言言った。


「あ?」


「ぜったいそうだろ! お前バカだし」


 げらげらと笑うとヨタカは逃げて行った。



* * * *



「……どう、…とは?」


「そのままの意味だ。そこまで知った上でお前は何をしたいのかと聞いたんだ」


「やはり知っていたんですね」


 願わくば父には何も知らないと言ってほしかった。


「知っていながら手を染めていたのですか」


「何だその言いぐさは」


「そのままの意味です」


 幼稚な願望をあっさりと打ち砕かれたクマタカは、幼稚な反抗に出る。


「知っていながら禁忌を犯していた。知っていたのに止めようとしなかった。なぜ止めなかったんですか! 部下たちを騙して女を犠牲にして救えたかもしれない子どもたちを見殺しにして! それじゃあまるで犯罪の首謀者だ!!」


 思いのままに怒鳴り散らしたクマタカに対し、父は冷たく静かにその目を見返しただけだった。

 父はクマタカが事実を知ったことに対して驚いた顔を見せたのだ。クマタカがつい先刻、知ったばかりの内容については既知の知識だったのだ。

 父は若干弱った、と言わんばかりに眉根を顰めて唇を結び、唸るように鼻息を漏らしてから「あの夫婦か」と言った。


「だったら何です? マキさんたちは関係ないでしょう」


「大いにあるだろ」


 父は心底不愉快そうに憤った。クマタカは気圧される。


「その話はな、地位と共に代々引き継がれてきたものだ。俺も先代から知らされた。引き継ぎの時に話すつもりだった」


 そんな前から…


「あの亡命者たちはどこまで話した? お前が話した内容が全部か?」


「まだ何かあるんですか」


 父はちらりとクマタカを見遣り、その表情から何かを読み取ったのか「いや」とだけ呟いて首を横に振った。


「あるんですね? だったら教えて下さい。これ以上隠し立てして何の意味があるんです?」


「俺の引退はまだ先だろ」


「どうせいずれ聞かされるんです。今だっていいはずです」


「お前が次期頭目になると誰が決めた」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 父は困った顔のまま、哀れみの視線をクマタカに注ぐ。その目を直視できなくて、沸騰した頭と顔を隠すようにしてクマタカは俯く。


「前にも言っただろ」


 父親の声色で。


「やりたくないならそう言え。仕事なんていくらでもある。お前も選んでいいんだ。無理してここにいる必要もない」


 出て行けということか。


「お前の努力は認める。お前はよくやってる、本当に。でも仕事だ義務だと嫌々やり続ける姿を見せられてるこっちの身にもなってみろ。どこの親が子どものそんな青い顔を見ていたいと思う?」


 この駅には不要だと言いたいのか。


「お前、物考えるの好きだろ。植物の育成も中心になってやってると聞いた。どうだ、一度、チドリのところにでも行って…」


「お(かしら)の息子として」


 気遣いに似せた厄介払いを遮る。クマタカの変化に父も気付く。


「この駅に係るありとあらゆる業務を修得してきました。夜汽車の停車から屠殺、搾血、分別まで。植物の育成は趣味も兼ねていますが加工処理もチドリの世話になることなくワシの駅(うち)の分くらいは賄えるまでになりました」


「お前の働きは俺も認めてる。だがそれとこれとは…」


「電気の配給だって俺が! 俺がマキさんたちを保護したからここまで安定しました。これに関しては誰にも何も言わせません」


「クマタカ…」


「何もかも全て!」


 クマタカは真っ赤な目で父を睨み上げる。


「お(かしら)の後を継ぐためです」


 父が唇を閉じる。


「俺はそれを義務だと思っているし継ぐべき立場にあると自負しています」


 父の目に憐憫の色が射す。


「俺には話せませんか」


 父が顔を背け、手の平で目元を覆った。深いため息。言葉は途切れたままだ。クマタカは拳を握り直して一歩踏み込む。


「禁忌に目を瞑り、甘んじて犯罪に手を染めた理由は何ですか」


 理由もなく父がそんなことをするはずがない。してほしくない。


「時期は早まってしまったかもしれませんが私には聞き継ぐ覚悟は出来てます。口外するなと言うならしません。でもその上でお(かしら)の考えを聞かせてください。そしてこれ以上罪を重ねずに済む方法を共に探させて下さい」


 精一杯の誠意を込めて伝えたつもりだった。出来うる限り静かに、務めて平静に、感情をいつも以上に押し隠して、父が口を開いてくれるまで待ち続けるつもりだった。しかしクマタカの誠意を父はかわした。


「お前、一度サシバと腹割って話してみろ」


「なぜあいつの話を今、するんですか」


 父はばつが悪そうにクマタカをちらりと見ると、壁に向かって「あいつの話を聞けばお前も納得すると思ってな」などと言った。


「何を聞けと言うんですか」


 あんな奴から。


「あいつの!」


 何をそんなに信用しているんですか。

 辛うじて呑み込んだ言葉の代わりに、クマタカは不服さをそのままさらけ出す息を吐いた。父が眉根を顰める。

 父は俯いたクマタカの頭頂部を見つめていたが、やがて視線を逸らした。


「今のお前には話せない」


 あいつには話すのか。

 握り締めすぎて感覚が麻痺してきた拳が、わなわなと震えていたことにクマタカは気付かない。それを父に見られていたことも気付いていない。


「禁忌は、」


 クマタカから顔を背けて父が言う。


「犯してはならない」


 クマタカは顔を上げて父を見る。


「殺し合いも絶対にしてはいけない。仲間なら尚更だ」


「だから…」


 夜汽車とネズミも。


「だから、」


 父がクマタカを見据えた。


「夜汽車以外を飲んではいけない」


 クマタカは口を噤んだ。


「ネズミからは逃げねばならない」


 握り締めていた拳が開いた。

 父の視線を感じる。皮膚に、半身にじりじりと不快な刺激と共に父の視線を感じ取る。

 父は、(かしら)だった。仲間を守り、駅を存続させることを第一に考えるワシの頭目だった。


 同情ではなかった。哀れみでさえも。そんな感情を父はネズミや夜汽車に抱いたことなどなかった。分かっていて続けていたのだ、当然のこととして。何故なら父にとって、駅を離れた者は仲間ではないから。仲間でないなら守る理由はなくなるから。血縁があろうともその可能性が限りなく濃厚であろうとも、駅を出れば仲間ではないのだ。仲間でなければ共食いとは言わない。仲間でないのだから殺しても構わない。仲間でないのだから



 仲間って何だ。



「お前、最近少し働き過ぎだろ」


 父が立ち上がる。「しばらく休め。穴は埋めておく。たまには好きなことに没頭して気分転換でも…」


「皆が皆、あなたのように好き勝手していたら何も回らないでしょう」


 外套を自分の寝室に投げ入れた父が振り返る。


「誰もやりたがらない仕事というのは少なからずどこでも生じます。その時に『好きなことをすればいい』と自分の感情を優先させてあなたが悦に浸っている間、あなたが投げ出した仕事は誰がこなしていると思っているんですか。好きでもないことをする者を馬鹿にする資格が、好きなことしかしてこなかったあなたにあると思っているんですか」


「どういう意味だ」 


「そのままの意味です」


 クマタカは拳を握った。


「あなたはいつだってそうだ。自分の感情が最優先で周囲がどれほど迷惑を被っているかなど考えない。でなきゃこれほど頻繁に寄り合いに出かけられるはずがない。留守を守る身の気も知らないで」


 父が鼻筋に皺を刻む。


「あの時だってそうだった。母さんは具合が悪そうだった。それなのにあなたはあの日も寄り合いに行った。母さんは無理して送り出していたのにそんなことも知らないで」


「仕事だ。好きで行ってるわけじゃない」


「母さんの容態に気付いてたんでしょう? なんで母さんを置いていったんですか。なんでせめて出産が無事終わるまでそばにいてあげなかったんですか。父さんがいられないならせめて、母さんをヘビのところにでも預けておくとか考えなかったんですか。ヘビを呼ぶより泊まり込んだ方が早いし安心なのは考えるまでもないでしょう」


「母さんが泊まりを嫌がった。ここで生みたいと動かなかったのは母さんだ」


 それが自分のためだったことをクマタカは知らない。


「説得すらしなかったのは父さんだ。母さんの好きにさせるより母さんの身の安全を優先させるべきだったのにそうしなかったのは父さんだ!」


「知った口聞くな」


「父さんが母さんを殺したんだ! 父さんとヨタカが!」


「クマタカ!」


「ヨタカさえ生まれなければ…ッ!」


 言い切る前に殴り倒された。重たい拳だった。頬だけでなく歯茎と舌も痛かった。


「いい加減にしろ」


 腹に響く声で父が言った。


「しばらく全ての業務を休め。命令だ。あの夫婦の下にも行くな。水と瓶詰めは他の者に運ばせる」


「お断りします」クマタカは立ち上がる。「休まねばならない理由がありません」


「クマタカ!」


「私の好きなようにさせていただきます。お(かしら)が日頃から説いていることでしょう」


 それだけ告げてクマタカは父に背を向けた。扉を開けてすぐ、ヨタカとサシバが立ち尽くしていた。どこからどこまで盗み聞きしていたのか。悪趣味な男を睨みつけてクマタカは廊下に出る。


「にいちゃん…」


「ヨタカ、そいつに構うな!」


 室内から父が怒鳴った。誰も構ってくれなどと頼んでいない。クマタカはヨタカの視線に応えないで立ち去りかけたが、一つだけ言っておかねばならないことを思い出した。


「ヨタカ」


 父と兄に挟まれた弟がびくりとする。


「お前、『あれ』使っただろ」


 脅えた顔でクマタカを見上げていたヨタカはクマタカの隠語に眉根を顰め、それから「あ!」と言って挙動不審に慌て始めた。やっぱり、とクマタカは鼻で息をつく。


「もう二度と乗るなよ」


「え…」


「絶対だ。触ったら許さないからな」


 泣きそうな二つの目が離れていくクマタカの背中を見つめた。

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