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1--3 締結

引き続きモブたちが頑張ります。

 スズメはワシについたという。女の提供と絶対服従を条件に、駅の安全と夜汽車の確保を選んだのだろう。チドリは分裂したそうだ。戦う者はなく、逃亡した者と投降した者がいたということ以外、詳細は不明とのことだった。寄り合いを軽んじ、『当番制』などと言って統率を図ってこなかった駅だ。当然の成り行きかもしれない。反対にトカゲはネコ同様、一斉攻撃を仕掛けたそうだ。仲間オカダトカゲを目の前で無様に殺されて黙っていられなかったのだろう。


「結果は…言わなくてもわかりますよね?」


 女は暗い顔のままそう告げた。シュウダも黙って頷く。


「余談ですがうちの駅の手前で二両編成の電車が見つかりました。積まれていたのは細切れにされた切断死体で頭部の数から七体分ではないかと。ですが損傷が激しくそれも定かではありません。全員男という以外は身元も確認がとれなくて。心当たりはありませんか?」


「ご期待に添えず」


 シュウダは頭を下げる。「いえ」と短く呟いて女も首を降った。


「私たちが知り得たのはここまでです。近隣の駅やワシに探りを入れて聞き出せた所のみで他の駅については…」


「なーん、ありがたい情報でした。ご足労様です」


 女は困ったように一瞬だけ笑うと、「こちらはご無事で…」と言いかけてからその表現が不適切だったと気づき、「失礼しました」と言ったきり口を閉ざした。シュウダも黙って項垂れた。


 リクガメを伴って帰還した駅にいたのはスズメの遣いの女だった。ワシの包囲網を掻い潜り、線路沿いに各駅を見てきたと言う。しかしどこも似たような惨状で、唯一正気と微かな生気を感じ取られたのがヘビの駅だったそうだ。


「これからヘビはどうされるおつもりですか?」


 それを聞いてどうするつもりだと言いそうになる。ワシの傘下に入った者に伝えられることなど無い。

 女もそれを察したのだろう。シュウダの返答を待たずに話し始めた。


「セッカをご存知ですか? スズメの実質的なまとめ役でした。彼がワシに捕まり、私たちは身動きが取れません。こうして私がここにいることさえ、知られればワシへの謀反と取られるでしょう」


 その危険を犯してまで情報提供に来たのだと恩でも売るつもりだろうか。


「先ほども申しました通り、スズメはワシに従います。今は」


 シュウダはちらりと視線を上げる。案の定、女と目が合う。


「いつかは裏切る、と」


 女は無言でシュウダを見据えていたが、やがて何も言わずに目を伏せた。そして、


「私たちに出来るのは奴らの出方を伺い、時機を見計らい、それを伝えることだけです。もともとスズメは大した力を持ちません。体格にも恵まれず、技術も持たない私たちは今までもそうして生き延びてきました」


 確かにスズメは男も女も小柄な者が多い。


「これからもそれは変わりません。『誰か』が私たちの持つ情報を欲するのであれば、私たちに危険が及ばない限り、その方に必要な情報を提供します」


 味方は出来ない、だがある程度の後方支援は行う、だからお前らがワシを討て。

 自分たちの身の安全は確保しながら第三者に本願を託そうという勝手な言い分だ。だが女など皆、勝手な生き物だろう。


「その情報はいつ、どんな形でもらえるんやろのう」


 シュウダは女から視線を外し、壁の方に向かって呟いた。女も顔を上げ、シュウダの視線の先を追うようにして壁を見遣る。


「線路が破壊された今、各駅間の移動は至難の業です。ワシの駅には鉄壁の見張りもあります。あれの目を誤魔化すことは今後さらに困難になると予想されます」


「『見張り』?」


「おそらく塔の技術かと」


 また塔。


「どんながですか」


 シュウダの質問に女は顔色を曇らせた。


「申し訳ありません。私もよくわからないのですが…」


「わからんがに鉄壁ですか」


 女はそれまでの冷たく固まった顔を少しだけ崩し、唇に手をあてる。


「気配なんです。四六時中ワシの駅の中にいると視線を感じます」


 塔の技術で視線と気配。


「監視装置的な?」


 女は口元を覆っていた手を下ろして二の腕を擦る。


「監視…だけではなくて、ワシたちは小間使いのように扱っています」


「機械やとしたら」


 小間使い以下の扱いだろう。機械なのだから。この女は何を言っているのか。


「あれは、実際に見なければご理解いただけないと思います。……説明のしようが、ありません」


 女は歯切れ悪くそう言った。



 女はヘビの無事を祈ると告げて駅を後にした。いずれまた来るだろう。名前を尋ねたシュウダに女は悲しげに微笑み、「ヒバリです」と答えて一礼した後、夜の中に隠れるように去っていく。後ろ姿を見送りながらシュウダは今後のことを考えていた。


「ウミ(ねえ)、」


 一言も発さずに同席していた従姉に呼びかける。一日前の呆けた様子からは大分回復したように見えるが、普段の口やかましさは未だに戻ってきていない。


「スズメの話、どう思う?」


 返事は期待していなかった。だが無言でいるよりは気が紛れるし誰かに語りかけたほうが頭の中の整理がつくから、ただそれだけの理由で声を出したに過ぎなかった。だが予想に反して従姉が口を開いた。


「乗ってやる必要なんてないちゃ。スズメはスズメの駅、守るために追従を決めただけやろ。だったらあんたもヘビの駅を守るための決断をしられ」


 目を丸くして固まっているシュウダを尻目にウミヘビはさらに続ける。


「けど情報源としては使えそうやわ。かなり伝達は遅そうやけどないよりましやんね。しばらくは協力に見せかけて泳がしておくのが一番かのう」


 ウミヘビはシュウダに顔を向け、


「ワシも含めて他所のことはこの際、一旦置いとかれ。今は駅の再興が最優先、せやろ? やるべきことはわかっとるのう?」


 返事を求められてシュウダは(こわ)ばった口を動かそうとする。しかしウミヘビは愚鈍な従弟を待たない。


「瓶詰や」


 シュウダは開きかけた唇を結んで息を呑む。


「備蓄なんてすぐになくなる。線路もなければ夜汽車を取りに行くのも無理。なら近場で調達するしかなかろう」


―『これ』からでも瓶詰めは作れます―


 ウミヘビは眉を釣り上げてシュウダを横目で見上げた。


「あんた、覚悟は出来とんがけ?」


―あたしあんたを飲みたくない―


 シュウダは口を噤み、見たことのないよく知った顔をまじまじと見つめた。




 ウミヘビの話を聞いていたくなくて、シュウダは改札に向かった。

 きつい物言いは元からだ。だがあそこまでではなかった。それともシュウダが気づいていなかっただけであれが従姉の本性だったのだろうか。例えそうであったとしてもそれをひた隠しにして繕った顔しか見せていなかったならば、その繕った方こそがシュウダにとっては本来の従姉だったし、例え作り物であったとしてもそのように見せられるということはそれは従姉の一部分であることに違いはないし、演技だとしても演じていたのが当のウミヘビである限り、完全な作り物のはずがないとシュウダは思う。いやそう願う。そうであってほしかった。


 だが綻びから見えた顔はカエルの子どもたちに通じるものがあって、シュウダは背筋に冷たいものを感じると同時に、怒鳴りたいほどの悲しさに襲われた。そしてそれは怒りに昇華させる以外にやり場がない。


 オサガメに貸した部屋の戸に手をかける。対面させた時のリクガメの横顔がちらつき、開けるのを躊躇する。


―…ほんとに二、三日でよくなるのかよ―


 適当な診断を伝えてしまったことを後悔した。迎えに来たリクガメの呼びかけに答える事はなく、オサガメは眠り続けていた。

 シュウダが決心するより先に引き戸が動く。リクガメが無言で佇んでいた。灯りの下で見た顔は初めて会った時以上に暗く、シュウダは若すぎる責任者に同情を禁じ得ない。リクガメはシュウダの顔を見ずに虚ろな目のまま頭を下げる。


「サガメさんは…」


「お世話になりました」


 シュウダの言葉を遮って青年は言う。


「おっちゃん…オサガメを連れて帰ります」


 あの状態で?


「腕力には自信あるんで」


「瓶詰抱えてオサガメさんもけ」


 リクガメははっと目を見張り、それからまた暗い顔に戻ると背を丸めた。


「出来れば…台車かなんか、お借りできればありがたいです」


 抱えすぎだ。


「オサガメさんは動かされんな。傷に触る。早く起きてほしいがなら今はこのまま寝かせとかれ」


「でも…」


「自分とこの埋葬も手伝う言うたにか。こっちも片付き次第、手ぇ空いた(もん)回すっちゃ」


「それも…」


「駅が心配ながはわかっとっちゃ。けどのう、今はひとまず自分も休まれんと…」


「これ以上世話になれません」


 リクガメの大声にシュウダは固まる。


「……そちらの親切には感謝してます。でも、これはカメ(うち)の問題ですから、」


―これはネコ(うち)の問題なんだよ―


「あとは自分らで何とかします」


 リクガメは固い表情で言い切った。


 どいつもこいつも。

 どいつもこいつもどうしてそこまで線を引きたがる。内だ外だと分けることに何の意味がある。困っている奴がいたら助けてやればいいし、頼れる奴がいたら助けてもらえばいい。そんなこと、生きている限りは当然のことではないのか。


「……なんで敬語なが?」


 尋ねられた内容をすぐには理解できなかったのか、リクガメが怪訝そうに顔を上げた。


「さっきまで普通に喋っとったがに、何、いきなり畏まって。自分、丁寧け」


 不機嫌そうに方言でまくしたてるヘビの若い(かしら)を、リクガメは口を半端に開けたまま見つめる。

 シュウダの苛立ちは治まらず、徐々に口調と言葉尻も荒れ始めた。


「一丁前に遠慮しくさってはがやしいわ。何け? 『うちの問題です』? だらぶちが。出来ることと出来んことくらいわかろう。オサガメさん担いで? 瓶詰持って? こっから自分の駅まで半日かけて歩くつもりけ。ワシ来たらどうするが? ネズミが出たら? カエルも襲ってくるぜ。あいつらすでに他所の(もん)は夜汽車やと思っとる。スズメも頼られんぞ。ワシについた言っとったわ。オサガメさんやって無理に動かせばどうなるかわからん。それでも連れてく言うがなら精々腕力よりも悪運でも磨かれま。運良くどこにも襲わられんかった儲けもんやちゃ。


 けど運悪くオサガメさんも自分もおらんくなったらあのカメの子どもらはどうするが? 瓶詰も無い、頼りの(かしら)と自分も帰って()ん、遺体の山と姉ちゃんたちだけでみんな揃って仲良く野垂れ死にさせるつもりけ。かー勇ましい! 孤立無援や。立派過ぎて泣けてくるわ」


「だったらどうしろっつうんだよッ!!」


 ついにリクガメが切れた。


「俺だってどうすりゃいいかわかんねえっつってるべや! けどおっちゃんはいつ起きるかわかんねぇしこのままここに寝かしとくわけにもいかねえしあいつらのことも心配だし全部まとめて解決するならそれしかねぇんだよ!」


「なんでだめなが」


「あ゛?!」


「なんで駄目なのかって聞いとんがやちゃ」


「あんた訛りすぎてて何言ってっかわかんねぇんだよ!!」


「オサガメさんをここで寝かせておいたら何か不都合でもあるのか?」


 シュウダは努めて標準語で尋ねた。リクガメは顔の中央に寄せていた皺を一瞬伸ばし、それから斜め下を向くとまた鼻筋に皺を刻む。


「……これ以上迷惑かけられない」


「こわくさい餓鬼やちゃ」


「ああ?」


「誰が迷惑言うた? ヒバけ? あいつはあんながやけども怪我しとる(もん)、見捨てる奴やない。元々オサガメさんを見つけてここに連れてきたがもあいつやぜ」


 リクガメが目を見張る。それからはっとしてまた俯き加減になり、


「………でも、ヘビだって埋葬も大変そうだし、負傷者もかなりいたし」


「舐められんな。貫徹看病なんて日常茶飯事や」


「けど…、だってヘビだって…」


「自分、名前何け? デモガメ言うたか? でもでもけどけど女々しいわ」


「な……、あんただって! がーがーぎーぎー何言ってっかわかんねぇんだよっ!」


「ぎーぎーなんちゃあ言っとらんにか。耳、大丈夫け? 専門外やけど診てやっちゃ」


「うるせぇよ! いらねえよ!」


「見てやる言うとろう!!」


 シュウダの怒号にリクガメが怯んだ。


 シュウダを探していたウミヘビが声を聞きつけ通路の角から顔を出す。ウミヘビが見たのは上背を丸めて従弟を下から睨み上げるカメの青年とそれを見下ろすシュウダだった。身長差はそれほど無いのに。何を話していたのか聞き取れなかったウミヘビは対峙する男たちに歩み寄る。


「シュウダ…」


「見てやる、言うとろう」


 シュウダは繰り返した。ウミヘビはなんのことかわからず瞬きをする。しかしリクガメには伝わっていた。唇を噛み締めさらに背を丸めて俯く。


「でも…」


「言い直すちゃ。自分らの技術がほしい。ヘビを助けてほしい。うちと組んでくれんまいけ。頼む」


 シュウダは言って頭を下げた。背を丸めるリクガメよりも低く腰を曲げる。

 ウミヘビは呆気にとられる。が、すぐに我に返り従弟の早まった決断を止めるために走った。


「シュウダ! あんた何、言っとんがけ…」


「あくまで対等な協力者として!」


 ウミヘビの静止を押し切って、


「うちと組んでくれ」


 腰を曲げたまま顔だけ上げてシュウダはリクガメを見据えた。

 ウミヘビは信じられないといった形相でシュウダを見つめ、それからカメの青年を見た。


 リクガメは低い位置からのシュウダの目を見つめていたが、やがて腹を決めたようだ。丸めていた背を伸ばし、今度はリクガメが勢いよく頭を下げた。


「オサガメに報告してきます」


 言って踵を返したリクガメをシュウダは呼び止める。


「敬語やめられ。うちと自分らは対等や。せやろ」


 リクガメは目を見張る。それからにやりと口元を歪めて、


「んだな」


 卑屈さが抜けた青年の初めての笑顔に、シュウダも目を細めた。




「何、勝手言っとんが?」


 リクガメが見えなくなってからウミヘビが呟いた。静かな低い声。顔を見なくても不機嫌が伝わってくる、本気で怒った時の声だった。


「あんた自分が何したかわかっとんがけ」


「ああ」


「足りん言っとんがになして必要な瓶詰の数増やそうとするん」


「戦力強化やちゃ。ヘビに無いもんカメは持っとる」


「足枷増加の間違いやろ。必要なんは口減らしやないがか」


「誰減らすつもりけ」


「そういうが言っとるんやない! あんたがやるべきこと見失っとるって…」


「俺がヘビの(かしら)やちゃ」


 シュウダは従姉を真正面から見据えた。


「駅は守る。でかいとなろうが誰がおろうが駅は守る」


 ウミヘビが唇を閉じる。


「ウミ(ねえ)、手伝ってくれ」


 シュウダは従姉に詰め寄る。ウミヘビは従弟を睨み上げる。


「絶っ対うまく行くわけない。文化が違い過ぎる」


「なんとかまとめて見せる」


「戦力言うても残っとるがは子どもばっかなんやろ? 養うだけやにか。そんな余裕うちにはない」


「子どもは育つ。今後を担ってくれる。子どもら養わんくなったらそれこそそんな駅は終わりやちゃ」


「シュウダ、」


「ウミ(ねえ)!」


 ウミヘビは上体を乗り出したままの格好で気圧される。


「ウミ(ねえ)しかおらん。手伝ってください」


 リクガメにしたのと同じようにして、シュウダは今度はウミヘビに向かって頭を下げた。

 ウミヘビは唇を動かし、閉じて舐め、噛み締めた後に額に手を当て息を吐いた。


「だら」


 シュウダは顔を上げる。従姉が諦め顔でそっぽを向いている。許してくれた時の顔だった。


「ウミ(ねえ)、」


「……何け」


「やっぱりウミ(ねえ)やちゃ!」


 ウミヘビが軽蔑の眼差しを送ってきた。シュウダは満面の笑みで迎え撃つ。


「私にそんなが通じるわけないやろ! だら」


 いつもの見知った従姉の姿にシュウダは心底嬉しくなって、そして安堵した。



* * * *



 壊滅的なカメの駅を放棄して、残った者は全てヘビの駅に移らせることにした。オサガメを動かすことは難しいし、リクガメもそれでいいと首を縦に振った。拒む者もいただろうにリクガメが上手く対処したのだろう。シュウダに何か言ってくる者はカメの中にはいなかった。


 問題はヘビの方だった。シュウダとウミヘビの姉弟が決めたこととは言え、ウミヘビと同じ理由でカメの移住に異を唱える者は少なくなかった。しかしその声を静めてくれたのは他ならぬヒバカリだった。ヒバカリはあの数日間に何があったのかスッポンとは口を利かない仲にまでこじらせていたが、カメの駅の中に身を置いて何か思うところがあったのかもしれない。年下の幼馴染みの働きにシュウダは腹の底から感謝した。後で小突きまわしてやろうと、カメの駅の埋葬を手伝う後ろ姿に目を細めた。


 駅丸ごとの移住など前例もなく、物作りを生業とするカメの荷物は大量で、引っ越しは想像以上の日を要した。だがやれば割りと出来るものだ。何よりカメたちの働きが凄かった。皆、子どもとは思えないほどの力持ちだ。女でさえ重い荷物を軽がる運ぶ。ヘビの男たちはカメの女の強力(ごうりき)に度肝を抜かれていた。


 面倒事は早めに片付けるに限る。そういつも思っている。それが座右の銘のシュウダだったが、珍しく最後まで持ち越した問題があった。


 カメの駅を完全に放棄する日、全員を先に地上に上がらせてシュウダは単身、中に入った。スッポンやイシガメとクサガメの兄弟が一緒に残ると譲らなかったが、例え血の繋がった者同士でも、いや、血の繋がりがあるからこそ出来ないこともある。全くの部外者の方が上手く出来ることもある。そしてその役割は自分だろうとシュウダは思った。


 駅の中は初めて入った時よりも暗く静かで、自分の靴音がやけに耳に付いた。壁際に残しておいてもらった灯りが点々と、心許なげに辛うじて行く先を照らす。広場に至る。累々とした遺体の山も泣き疲れて表情を失った子どもたちも何も無い。ここでカメたちが暮らしていたことを知る者がいなければ、少し小奇麗な焦げ臭い廃屋だ。ただ一つ、廃屋と違うのは扉の向こうの。


 合同葬儀も引っ越し作業も何一つ参加せず、最後まで引きこもっていた。ヘビの中にはその顔をまだ一度も見たことがない者さえいる。シュウダは扉の取っ手に手をかけ、小さく中に声をかけた。どんな声でもここでは響く。返事は無くとも聞こえていないはずはない。数秒置いてから静かに取っ手を回した。

 女はあの日と同じようにそこにいた。相変わらず大切そうに炭の塊を傍らに置いている。あの日よりもさらに痩せたか。


「ヘビのシュウダです。何度も失礼します」


 聞こえているはずなのに。


「引っ越し作業、終わりました。妹さんも従弟のイシガメ君たちも先に行かれましたよ」


 眉一つ動かさない。


「妹さん、しっかりしとられますね。おかげで予想以上に早く終わりました」


 炭を見つめている。


「ところでヒメウミガメさん、リクガメ君に聞いたがですけど、」


 シュウダは腹の傷に手を置いた。


「旦那さん、いい方だったがですね」


 女が微かに下を向く。


「次のカメの(かしら)は間違いなく旦那さんやったって。オサガメさんも自分の孫娘と旦那さんの結婚するがを楽しみにしとったって」


 女が顎を引く。


「一緒に行かれますか。旦那さんも、お子さんも一緒に」


 女の顔が動いた。シュウダは続ける。


「お式の日取りをずらさんかったがは、晴れ着が合わなくなる前にと急いだからでしょう。披露宴で酒も飲まれんかったんは、お腹の赤ちゃん気にされてですよね」


―姉ちゃん、水も飲まないの―


 飲まないのではなくて悪阻で飲めなかったのだろう。


「お式の日に襲われたがはヒメウミガメさんのせいやない。自分が日取りを変えなかったからとかそんながじゃないです。旦那さん亡くなったがもカメの皆さんが犠牲になったんもあんたのせいではないが」


 歯を食いしばっている。前髪が震える。


「そんなに自分を責められんな」


 ヒメウミガメが両手で口元を覆った。


「誰もあんたを責めてない。あんたは悪くない。もう十分でしょう。十分です。もういいがです。許してやってください」


「だって! だってぇ!!」


「悪いがはワシでしょう」


「みんな飲んでなければ逃げられた! あの日じゃなければこんなことにならなかった!」


「例えお式の日が別の日やったとしても、あの日ワシが来たことは変わらんかった。どの日やったとしてもあいつらはやりよった」


「でも!」


「どの日やったとしても旦那さんはあんたとお子さんを守った!」


 ヒメウミガメが息と動作を止める。


「守られたがでしょう? 旦那さんはお子さんを守ったがでしょう? せやからあの花嫁衣装は腹の部分だけ白いままだったがでしょう?」


 俯いて涙をこぼす。遅れて悲鳴のような嗚咽。


「次はヒメウミガメさんの番じゃないがですか。旦那さんが守ったお子さん守れるがはあんたしかおらんでしょう」


 腹を押さえて蹲る。


「オサガメさんはまだ目を覚まされません。リクガメ君たちも頑張っとりますけどまだ若過ぎる。もうあんたしかいないがです、カメを守れるんは。その子を守れるんは」


 目を開き、しゃくりあげながら炭を見つめる。


「ヘビもぼろぼろです。本音を言えばあの子らを養える余裕なんちゃあありません。みんないい子ですでも! いずれ価値観も考え方も違うことに気付き始めるでしょう。その時に俺だけじゃあヘビとカメを繋ぎとめるのは難しい思います。カメの声が必要や。あんたの声が。オサガメさんが信頼しとった旦那さんに守られたあんたの声が」


 シュウダは床に膝をつき、両手の平もついた。ヒメウミガメがようやくこちらに振り向く。


「結婚して下さい」


 シュウダの土下座にヒメウミガメは涙も忘れて呆気に取られた。しばらくしてから「……え?」と気の抜けた音を出す。


「一番手っ取り早い。ヘビとカメを繋ぎ合せる手段です。俺と結婚すればヘビは誰もあんたに口出ししない。あんたと結婚出来れば俺の意見はあんたを通してカメも聞いてくれる。振りでいいがです。共同生活もいらない。俺が気に食わなければ嫁の仕事も何もかも拒否してくれて構いません。ただ結婚してください」


 ヒメウミガメは瞬きも忘れてシュウダの背中を見下ろしている。


「一生のお願いです。頼みます」


「…そんなことしてどうするの?」


 ヒメウミガメの声にシュウダは頭を上げた。視線は床の一点に注いだまま、


「ワシを討ちます」


 静かな声で決意を語った。


 沈黙だった。シュウダはひたすら待ち続けた。ヒメウミガメの泣き声は途絶え、まだ目立たない腹を撫でる衣擦れの音だけが聞こえる。


 ヒメウミガメは両手を置いた腹を見下ろした。自分以外の躍動を体で感じていた。謝罪ばかりしていた小さな存在を抱きしめるようにして腹を抱え、顔を上げて夫の亡骸を見つめた。


「一つだけ約束して」


 シュウダは顔を上げた。ヒメウミガメのその目は既に遠くを見つめ、こけた頬は乾いている。


「ワシを討つまで。それが終わったら別れる」


「はい」


 シュウダは膝と両手を付いたまま、頭をもう一度下げた。


「それと、」


 一つでは済まないようだ。


「この子に名前ちょうだい」


 シュウダは顔を上げて女の横顔を見つめる。女も振り返りシュウダを見つめた。


「父親になってくれるんでしょう?」


 シュウダはヒメウミガメを見つめたまま、「はい」とゆっくり頷いた。

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