1--4 カメの駅
主人公が闇の中に落ちっぱなしなのでモブたちが頑張ります。
護身用の刃物や薬の類を没収される代わりに、カメの駅に入ることを許された。
駅の中はもっと悲惨だった。リクガメと名乗った青年の言っていた通り、臭いを放ち始めた遺体がまだそこかしこに横たわっていてヒバカリは口元を袖で覆った。口を開ければその場で嘔吐しそうな顔をしている。シュウダもそうしたい気持ちは山々だったが、遺体に縋り付いて泣き続ける子どもの姿に自分の衝動は控えた。ウミネコを思い出す。カモメたちは無事だろうか。ネコの駅にイソシギはいなかった。
「リュウ」
リクガメが壁際で項垂れて座り込む男の肩を揺する。
「生きてっか」
リュウは、へっへっと肩を揺すると片手でリクガメを払った。それから緩慢に眠たそうな顔を上げ、シュウダたちを怪訝そうに睨む。
「ヘビだって。おっちゃんを手当してくれてるらしい。嘘か本当かわかんねぇけど」
「疑っとんがか、自分!!」
瞬間、いきり立って怒鳴り散らしたヒバカリは、吐き出した怒気の代わりに吸い込んだ臭気にむせて、再び袖口で鼻を覆った。
「嘘やないちゃ。オサガメさんは責任持ってヘビが診とる」
シュウダが言って、リクガメとリュウが顔を見合わせた。
「どこ連れてくんだよ」
リュウがリクガメに尋ねた。
「とりあえず中、入りたがってたから」
リクガメがばつが悪そうに顔を背ける。「おっちゃんに報告すんだって」
「大丈夫かよ」
リュウが不信感を露わにシュウダたちをねめつける。
「自分らさっきから黙って聞いとれば好き勝手言いさくって…」
「上の者はおらんがか」
ヒバカリの憤りを遮ってシュウダは尋ねた。
「オサガメさんの代わりに話ができるような、自分らよりも年長の」
「俺らが一番上だよ」
リュウがぼやいた。シュウダとヒバカリは絶句する。
「さっき言ったべや。ほとんど殺されたって」
リクガメが壁を睨みつけながら呟いた。
「あ、でも」リュウが顔を上げた。「スーの姉ちゃんがいるわ」
「その姉ちゃんと話、させてくれ」
こいつらよりはましだろう、とシュウダは思った。しかしカメの子どもたちは顔を見合わせる。
「したら俺が聞くわ」リクガメが前に出た。「リュウは代わりに上、見張ってて」
「自分じゃ話にならん言うとろう」
ヒバカリがしゃしゃり出る。リクガメが睨みつける。
「何け? こっちは善意で来てやっとんがにさっきから自分らはぐちぐちいじいじと」
「黙って聞いてやってんのはこっちだべや。うるせえんだよ、横からいちいちがたがたがたがた」
「ああ?」
「んだよ」
「ヒバ」
「触ってんじゃねえよ」
「リク、やめれや」
「触る訳なかろう。自分みたいな臭いが」
「ヒバ!」
血の気の多い子どもたちの仲裁に入ったシュウダは、自ら発した大声に腹部を押さえて膝をついた。
「シュ…、頭ッ!」
ヒバカリがすぐさま傍らに屈んで覗きこむ。結果的には良かったと、腹を押さえながらシュウダはヒバカリに引き攣った笑顔を向ける。
「あんた怪我してたんだ」
リクガメが見下ろしながら呟いた。途端にヒバカリが睨み返すものだから、シュウダはその上着の裾を掴んで止まらせる。
「なーん、大したことないが」
強がって見せたシュウダにリクガメは背を向けた。そのまま膝を曲げて屈みこむ。
「……何け」
ヒバカリが忌々しげに背中に向かって呟く。
「早く乗れや」
「自分みたいな臭いがにうちの頭を乗せられるわけなかろう!」
「お前みたいなひょろい奴じゃ、その頭ば運べないんだべ?」
ヒバカリが顔を真っ赤にして弾かれたように立ち上がった。シュウダは静止が間に合わなかった代わりに「悪いの」と言ってリクガメの背中に体を預けた。
「お頭…」
「正直これ以上歩くがは辛かったがやちゃ」
大げさに痛がって見せて、リクガメを睨みつけるヒバカリに苦笑を向けた。
「したっけ上行くわ。そっち頼むぞ」
「気をつけろよ」
リュウが言って改札口の方に歩き去った。リクガメは暗がりにその背中が見えなくなるのを確認してから、シュウダを負ぶったまま膝を伸ばす。想定外に重たかったのかニ、三歩よろけ、呻くような息を吐いて歩き出した。
「気ぃつけろや! 落としたら自分、ただじゃ済まさんからの!」
背後で怒鳴るヒバカリをたしなめて、シュウダはリクガメに耳打ちする。
「うちの若いのがすまんの」
「俺も」
リクガメも小声で言う。「あんたが怪我してるって知らなかった。悪いことしたよ」
「なーん。今こうして担いでくれとんがやろ。気の毒な」
「『気の毒』?」
リクガメが怪訝そうに首を傾げた。
* * * *
「宴の最中だったんだ。結婚式。どうしても休むわけにはいかないっておっちゃんだけ誰も付けないで寄り合い行っちゃったけど、それ以外は全員で飲んでた」
オサガメが普段以上に不機嫌だった理由を知った。
「おっちゃんも式までには帰って来るはずだったんだ。でも待っても来ないし、いい日取りだったから延期するのもって話になって始めちゃってさ。おっちゃん、出たかったと思うよ。孫の結婚式だ、出たかったに決まってるべや」
どれのことを、もとい、誰のことを指して言っているのか。
「でもこっちにいなくて正解だったかもな。いたらおっちゃんも焼かれてたしな」
黙々と黒焦げの遺体を布に包んでいる少女がいる。どれが誰かなどわからないのだろう。性別さえも見分けがつかない。それでも一つひとつ、慈しむように、曲がり固まった関節を丁寧に、無言で作業を続けている。
「始めは来客かと思った」
シュウダを負ぶったままリクガメが俯いた。声を抑えているが密着するシュウダには振動が伝わってくる。
「カメ同士の式だし身内だけの披露宴だったけど、他所からも花の一つでも届けてくれたのかなってさ。俺、あいつらにも酒、勧めたんだよ!」
リクガメの声に目を瞑っていた幼子たちが虚ろな顔を向けた。泣き腫らした目の周りだけが白く色味を帯びている。
広間まで侵入したワシはそこで火を放ったのだろう。泥酔していた親たちがまず逃げ遅れたのか、子どもたちだけは命がけで逃がしたのか。通路の遺体は放火から逃れはしたがネズミの武器で殺された者たちかもしれない。
「その…、何とかさんの姉ちゃんさんは?」
子どもしか残っていない状況に言葉をなくしていたシュウダは、思い出したようにリクガメに尋ねた。リクガメはシュウダを負ぶったまま、遺体を布で覆っている少女を呼んだ。
「スー、ヒメちゃん喋れる?」
自分の従姉と同じ名前にシュウダは反応する。
スーと呼ばれた少女は疲れ果てた顔を上げ、ぼんやりとシュウダたちを見た。リクガメが説明するが、少女は悲しげに俯いて「やめてやって」と言った。
「お願いだからそっとしといてやって」
少女の懇願にリクガメは口を噤む。そのままちらりと奥の閉じた扉を見遣った。その視線をヒバカリは見逃さなかった。大股で黒い遺体を跨ぎ越えて扉に向かう。
「だら!」
シュウダは慌ててリクガメから降りた。遺体を踏まないようにヒバカリを追う。リクガメがシュウダを追い越す。少女の悲鳴が走る。だが全てが間に合わず、ヒバカリは扉を押し開けた。中に踏み込み、しかしすぐに後ずさりする。その肩にリクガメが手をかけて振り向かせた。
リクガメがヒバカリを殴り倒す。遅れてきたシュウダがリクガメを止めたが、その傍らを駆け抜けた少女がヒバカリに飛び乗った。起き上がりかけたヒバカリの襟首を掴み、反対の手で平手打ちを繰り返す。
「スー!」
リクガメがシュウダの手を払い除け、少女を羽交い絞めにしてヒバカリから引き離した。全身で息を吐きながらヒバカリを睨み下ろす少女を抱きしめ、やがて少女もリクガメにしがみついて嗚咽した。
「ってえ…」
「自分が悪かろう」
さすがのヒバカリも反省した様子で、切れた口の端を手の平で拭う。黙りこんだヒバカリから顔を上げたシュウダの目に、開かれた扉の中が映り込んだ。
女がいた。白い上等な着物は花嫁衣装だったのだろう。だがそれもあちこちが焦げて黒ずみ、灰にまみれて見る影もない。しかしそれが元々は白かったと一目でわかったのは、女が膝に載せた、炭と化した誰かの体の黒さとの対比があったからだ。女は炭を大事そうに膝に載せ、溶けかけた氷細工にでも触れるかのように手を添えていた。
「リッくん?」
子どもたちが集まってきた。皆、虚ろな目で煤けた格好で、乾いた唇を半開きにしている。
「悪いな、うるさくて。何でもないから」
「スーちゃんどうしたの?」
「何でもない。何もないからあっち行け」
子どもたちはぼんやりと泣きじゃくる少女を見上げている。
「そうだイシ! みんなに瓶詰配ってやれや」
イシと呼ばれた子どもがリクガメを見上げる。
「ほら、マルとクサとさ。早く取ってこいって…」
「リッくん、」
イシが無表情で言う。「おとついのでさいごって言ったっしょや」
リクガメの出来損ないの笑顔が崩れた。「そうだったっけ」などと口籠って視線を泳がせる。
四方からの虚ろ視線がリクガメを責める。責めているのではないのかもしれない。だが指示を求めている。これからどうすべきか、どうすればいいのか、どうなっていくのか、子どもの頭では処理しきれない問題の回答を求めている。だがリクガメもまだ子どもだ。この重圧は辛かろう。
「自分ら腹減っとるがか?」
子どもらの目線まで腰を曲げてシュウダは尋ねた。シュウダの問いかけに子どもたちの注目がリクガメから離れる。聞き慣れない言葉を操る見知らぬ来訪者に子どもたちは不信感丸出しの怪訝そうな顔を向ける。
「うち来るけ? 瓶詰飲みたかろう」
不信感が一瞬で晴れた。子どもたちの目の中に喜びが差し、空腹感を思い出したのか腹をさする者もいた。
「お頭!」
ヒバカリが慌ててシュウダの肩を掴み、引き寄せて耳打ちする。
「何言っとんがですか! うちだってそんなに余裕なんちゃあないがですよ」
「備蓄は残っとろう」
ヘビはここ数年出産率が下がっているが死亡率は変わらない。結果瓶詰は余剰に分配されていたが、伯父の提案で災害時用の備蓄として貯蔵していた。
「あれは万が一の時のための物です」
「今がその万が一やにか」
「けどあれはヘビのための…」
「自分、それでもヘビけ」
ヒバカリが口籠る。
「困っとる者助けんで何がヘビか」
ヒバカリは微かに俯いたが唾を飲み込むと顔を上げ、シュウダを睨むほどに見つめて言った。
「ヘビとしてお頭は正しい。でもシュッちゃん、ヘビの頭としてならそれは間違っとる」
「何がどう違うがけ」
シュウダもヒバカリを見据えながら凄む。だがヒバカリも譲らない。
「シュッちゃんはこの餓鬼どもを助けて甥御さんを飢えさせようとしとるがですよ? こいつらに瓶詰やるいうがはタカチの飯、取り上げるがと一緒です」
従姉甥の泣き顔が過ぎる。
「どっちが大切かなんてわかるやろ」
ヒバカリの言うことと尤もだ。しかし、
「どっちも大切やちゃ」
「お頭!」
ヒバカリの手を払ってシュウダは立ち上がった。
「自分ら一辺、うち来られ。瓶詰もやけどオサガメさんもうちで預かっとるしの」
「おじいちゃん生きてるの?」
リクガメに縋りついて泣いていた少女がシュウダに駆け寄ってきた。「おじいちゃん生きてるの!?」
自分の腕を痛いほど掴んで揺さぶる少女にシュウダは笑顔を作って頷いた。
「スーちゃん?」
「おじいちゃん! イシ! おじいちゃんが生きてるって!!」
「ほんとう?」
イシと同じ顔をした少年が泣き出した。「ないてんじゃねーよ、バカ!」と強がってその頭を叩くイシも涙目になって、やがて大声で泣きだした。泣き声は子どもたちの間を瞬く間に伝播する。黒一色だった子どもたちの顔に感情らしきものが戻って来る。反対にヒバカリの顔から表情が消えていく。
「ヒバ…」
「おい、あんた」
リクガメに呼ばれてシュウダは振り返る。歓喜と安堵の泣き声の中でリクガメだけがまだ、眼光鋭くシュウダを睨んでいた。
「さっきの本気か」
リクガメは少しだけ言いづらそうに視線を泳がせると、「瓶詰、…分けてくれるって」と口ごもりながら言った。シュウダはヒバカリをちらりと横目で見てから、「本気や」とリクガメに告げる。
「瓶詰くらい分けてやるわ。当然やろう。こんな子どもら見捨てられんちゃ」
ヒバカリが鼻筋に皺を寄せて奥歯を噛みしめ、下を向く。
「埋葬も手伝う。手も足りんかろう。うちも片づけ終わり次第、手の空いた連中をこっちに回すから、」リクガメと少女を見遣り、「自分ら少し休まれ」言ってリクガメの肩を二度ほど叩いた。
少女が床にへたり込む。脱力しきった顔を項垂れた。礼のつもりだったのかもしれない。リクガメは両手を握りしめて顎に力を入れている。シュウダは部屋の中の女を見遣り、それから下を向いて鼻で息を吐くと顔を上げて言った。
「よし! まずは瓶詰や。少し距離あるけど二日もあれば持ってこれよう。運搬係は誰け? 早よ決められ」
「おれ! おれ行く!」
真っ先に手を上げたのはイシと呼ばれた少年だった。隣でいまだにべそをかいているそっくりなのは弟か何かだろう。
「行くぞ、クサ。いつまでも泣いてんじゃねーよ」
「お前らじゃ運べねえだろ」
リクガメがここに来て初めて、軽口じみた明るい声を発した。
「足手まといは黙って待ってれや。俺が行ってくるよ。ついでにおっちゃんにも会って来る」
「ずっりー! リッくんばっか外、出てさ」
「うるせーよ。どう考えたってお前の力じゃ全員分の瓶詰なんて運べねえだろ? せいぜい三本がいいところだべや」
「おれだって! おれだって…」
「イシ、待ってよう。ね?」
少女が顔を上げて子どもをたしなめた。「瓶詰とおじいちゃんはリクに任してさ、あんたはここ、私と一緒に守ってよう?」
「おれだって瓶詰くらい…」
「ここにいなって言ってんでしょ」
少女が突然声色を変えた。目も据わっている。シュウダは少女の垣間見せた一面にぎょっとした。面と向かって言われたイシも同じだったようで、「…わかった」と素直に従った。
「……でも、リッくんいなくなるのはやだな…」
イシと同じ顔をした泣き虫がぼそりと呟いた。リクガメと少女もはっとして顔を見合わせている。
「心配しられんな。リクガメの代わりにこいつが自分らとこの駅を守る」
シュウダはヒバカリの肩に手を置いてその体を揺すり、「のう?」と覗きこんだ。事の次第を諦めて我関せずと言わんばかりにそっぽを向いていたヒバカリは、突然振られた役割に怪訝そうに顔を顰め、それからカメたちの視線を浴びて事情を察し、「はあ?」と大声をあげた。
「何言っとんがけ? 俺? 俺がこの、カメどもの駅の…」
「頼むちゃ」
ヒバカリは真正面から向けられたシュウダの満面の笑みに言葉を失い、何事かを言いかけて、だがそれも無駄だと諦めたのか大きく息を吐いて項垂れた。
「こいつが残るの?」
スーと呼ばれる少女が、低い声でじっとりとヒバカリを睨みつける。
「誰もいないよりましだろ?」
リクガメが少女に言い含める。
「別に俺は残らんでもいいがやぜ」
ヒバカリが少女を睨み下ろす。
「ヒバ、」とシュウダに窘められて、ヒバカリは舌打ちして顔を背けた。
「いてもいいけど」少女がヒバカリに言う。「あんたは上で見張り役ね。日の出まで入って来ないで」
「言われんでもそうするわ!」
ヒバカリが唾を飛ばした。「誰がこんなくっさいところ…」言いかけた口をシュウダの手の平が覆う。
「決まりやの」シュウダはヒバカリの口を押さえながらカメたちを見回した。「俺とリクガメは一日で戻って来る。それまでの辛抱やちゃ。それまで自分ら、持ちこたえとれよ」
「わかった!」
イシが返事した。シュウダは元気な子どもに満面の笑みを向ける。イシもそれに応えた。子どもらしい笑顔が戻ってきた。
「早いとこ行くべ」
リクガメがシュウダを急かした。それからスーに向き直り、「頼むな」と言葉少なに呟いた。頷く少女の手はリクガメの手を強く握りしめていた。
完全に口を閉ざして不満を募らせているヒバカリにカメの駅を託してリクガメと共にヘビの駅に急いだ。リクガメはシュウダの腹の傷を気遣いながら歩幅を合わせて歩く。
「すまんの。急いどんがに」
「何言ってんだよ、あんた」
リクガメが呆れたように呟き、立ち止まった。シュウダは俯き加減の少年に振り返る。
「どうしたが? 自分…」
「あんたが来てくれて」
リクガメが砂に向かって口を開く。言いあぐねて唇を噛み、それから歯を食いしばったまま目元を手の平で隠した。
「あんたらが来てくれて、スーの、イシたちもみんな、顔変わった。久しぶりにみんなあんな…」
鼻を啜りあげ、その後は怒涛だった。
「どうすりゃいいかわかんなかった。親父たち焼かれてタメも上もみんな死んで、同年代も俺らしかいなくて、でも俺らしかいないから何とかしなきゃって思って、けど…も…、なにすりゃいいのかわかんなくって…」
シュウダはリクガメの元に歩み寄り、丸まったその背中を擦ってやる。リクガメは滅茶苦茶に顔を両手で擦りながら膝を地面に着いて啜り泣いた。




