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1--22 交流

 夫婦を訪問するのは月二度だった。新月と満月。運ぶのは二週間分の夜汽車と飲み水。しかし彼らはそれ以外のものも要求してきた。聞いたこともない薬品や機材の他には土。どこで手に入れればいいのかもわからない大量の鉄。研究所の地下で植物を栽培するとは聞いていたが、本当にこんなものが必要なのだろうか。塔に住む者、もとい、住んでいた者の考えることはクマタカにはわからない。


 手配には手間と時間を要した。父にあてがわれた部下たちに任せるよりも自分が動いた方が早かったから、夫婦の世話は殆どクマタカが一手に引き受けるようになっていた。そのうち部下たちは理由をつけて仕事を休み始めた。当初はその都度理由を尋ねていたクマタカも、やがて何も聞かなくなった。自分は地位を与えられている。ならばその差分働くのもまた自分の義務だろう。


「お、つかれさまで…」


 凍りつく空の下で多量の汗を垂れ流すクマタカをイヌマキが出迎えた。「今日もまた、その、暑そうだね」と苦笑する。線路からここまでは荷車だ。誰のせいだ、という言葉を呑みこんでクマタカは頷き積み荷を運びこんだ。


「クマタカ君」


 奥からシャクナゲがワンを伴って出てきた。重そうな腹に目が行く。


「いつもありがとうございます。そこに置いておいてくれれば…」


「俺が運びます。奥さんは座っててください」


 額の汗も拭わずに一度床に置いた荷物を再度持ち上げた。


「だってさ。座ってろよ」


 イヌマキが言いながら荷物を持ち上げようとしたが、「重ッ!」と言ってそのまま床に落とした。


「…俺が運びますから」


「…はい」


 筋でも痛めたのか、腰を擦りながら膝をつくイヌマキが眉毛をハの字にして首を竦めた。


「情けない」


 シャクナゲが心底恥だと言わんばかりに嘆息する。


「情けないとか言うなよぉ」


 情けない格好でイヌマキが情けない顔を晒した。思わずクマタカは失笑する。夫婦が揃って目を見張り、互いに顔を見合わせてから同時にクマタカを見た。


「……何ですか」


 答えもせずにシャクナゲがにやにやと笑ってきた。


「いや、まあ、ねえ?」


 などと言いながらイヌマキも笑顔だ。

 ワンが尾を振ってクマタカの脚にまとわりつき、嬉しそうに舌を出し入れしながら一度だけ吠えた。


「……何だよ」


 口の端から舌を垂らしっぱなしで見上げて来るワンをクマタカは見下ろす。


「クマタカ君」


 イヌマキが腰を擦りながら立ち上がった。「それ終わったらこっちお願いできるかな」


 決まりが悪いままクマタカは頷く。


「お茶淹れておくから。クマタカ君も飲んでいってね」


 完全に敬語を忘れたシャクナゲの声を背中で受けた。



* * * *



 父の部下たちの苛立ちが最高潮に達していた。無理もない。かなり待たされている。だがいつまで待ってもイヌマキはやって来ない。植物の生育状況の確認と電線整備のために定期的に駅には顔を出すよう伝えてあるし、一度も無断欠勤などしたことはなかったのに。


 持て余した時間で父の部下たちが管を巻いて愚痴をこぼす。やれ逃げたのだとか、やれ塔の内通者だったのだとか。被った面倒ばかりに文句をつけて、受け取った恩恵については感謝を忘れている。この明るさと快適な室温の中で、よくもそこまで言えるものだと身の程知らずたちに嫌気がさす。イヌマキは情けなくて頼りないが、契約を反故にする男ではないとクマタカは思う。何かあったのだろうか。そしてようやく一つの可能性に思い至った。そうなるとそうとしか考えられなかった。


 父の部下たちには適当に解散を命じて自分は電車に飛び乗った。やたら砂を含む風が目に沁みて、保護眼鏡を忘れたことを走っている最中に思い出す。そういえば刀も置いてきた。何をやっているんだと自分を叱責しながら研究所へ急いだ。

 

 線路脇に停車した電車。間違いない、イヌマキは研究所にいる。クマタカは線路から電車を下ろす手間も惜しんで地面の上に飛び下りた。全速力で研究所を目指す。細かな砂で口中がざらつき、咳込みながらも必死に走る。ようやく灯りが見えてき時には息をのみ、歯を食いしばって扉に飛び付いた。イヌマキにシャクナゲに、ワンに呼びかけながら乱暴に叩く。少し遅れて返事がして、扉を開けたイヌマキにクマタカは掴みかかる。汗だくで髪の毛を振り乱していたイヌマキは、されるがまま頭を前後に揺さぶられる。


「生まれたんですか? 奥さん、奥さんは!!」


「うう、う、あ…」


「マキさん!!」


「うん、…まれた…」


「奥さんは!」


「男のこ…」


「奥さんは!!」


「クマタカ君…」


 名前を呼ばれて我に返る。「すみません」と口ごもりながら手を離す。イヌマキは後頭部から首の付け根を擦りつつ、「びっくりした」と呟いた。


「すみません、あの…」


「どうしたのいきなり? この前来てくれたばかりだろ?」


 クマタカは目を見開いたまま、「今日はマキさんがうちに来てくれる日でしょう」


「ああごめっ!」


 本気で完全に失念していたようだ。狼狽という言葉に相応しくイヌマキはうろたえ、しきりに頭を下げる。クマタカは年上の後頭部を見下ろすことも憚られ、腰を屈めて覗きこむ。


「それで、生まれたんですね?」


 頷きながらイヌマキが腰を伸ばし、「三日前から産気づいてね。長かった~。初産ではないしもっと早く生まれると思ったのに長くて、俺もほんっとに…」


「それで、」


「うん。男の子。ワンと違って初めっからちゃんと産声もあって…」


「それで、奥さんは?」


「寝てるよ」


 イヌマキの言葉にクマタカは唇を閉じる。イヌマキは寝室の方を見やりながら「赤ん坊もそうだけど疲れるわ、あれは。よくやったよ、シャクナゲも」


 静かにワンがやって来てクマタカの脚に沿って一周した。尾を振り舌を出し見上げて来る。


「会っていくかい?」


 クマタカは目を丸くしてイヌマキを見る。


「赤ん坊にだよ」


「ああ…」


 そっちか。


「せっかく来てくれたんだ。こいつもそう言ってるし」


 ワンがそっぽを向く。


「え? 違うの?」


 クマタカはワンの首筋を撫でながら「失礼します」と告げてイヌマキの居宅にあがった。

 寝室に入ることはさすがに遠慮した。何食わぬ顔で招き入れようとするイヌマキが信じられない。「お子さんだけ見て帰ります」と告げて廊下で待つが、やはり気になり横目で中を覗きこむ。シャクナゲは眠っていた。額と頭皮はまだ汗に湿り、髪の毛はしっとりと濡れて見える。目を閉じ口を半開きにして首を微かに傾けているが胸はゆっくりと上下していて、クマタカは小さく胸を撫で下ろした。


 イヌマキが妻に小声で呼びかける。余計な事を。だが一向に目覚める気配がなくてクマタカは安堵する。よほどわずらわしかったのか、シャクナゲは眉根を寄せると寝返り、イヌマキに背を向けた。


「ごめん。これは当分起きないわ」


 情けない顔で肩を竦めてイヌマキはクマタカに振り返る。


「お疲れなんですよ。寝かせてあげましょう」


 むしろ何故起こそうとしたのか。


「ごめんね」と顎を突き出すようにして謝罪し、イヌマキはシャクナゲの横の赤ん坊に目を落とした。


「寝てる」


 当たり前のことを口にする。大きな手で小さな頭に触れ、「髪の毛、これ、ちゃんと生えてくるのかな」などと小馬鹿にしては、頬を指先でつつく。

 ワンがイヌマキの隣に立ち、鼻先で赤ん坊の臭いを嗅いで、舌先で頭皮を撫でた。途端に赤ん坊が顔を歪め、か細い声で泣き始めた。シャクナゲが寝返りを打つ。


「ばか。何やってるんだよ」


 イヌマキが小声でワンを叱りつけ、赤ん坊を抱き上げた。泣かせまいと必死に揺らすが逆効果のようだ。手付きも危うい。見ていられない。


「貸してください」


 耐えきれずクマタカは寝室に入りこみ、イヌマキから赤ん坊を抱きとった。イヌマキは動揺する。


「弟で慣れてます」


 おそらくイヌマキの十倍くらい。

 クマタカの言った通り、赤ん坊はその腕の中で気持ちよさげに眠りに落ちた。イヌマキは感心してクマタカを見る。


「すごいなあ、クマタカ君は。出来ないことが無いね」


「子どもは産めませんよ」


 真面目な顔でかました冗談はイヌマキに通じたようで、互いに顔を見合わせ、声を潜めて笑った。


「祝杯、つきあってくれない?」


 クマタカは目を丸くしてイヌマキをじっと見る。


「一杯だけ、ね?」


「ですが…」


 シャクナゲをちらりと見遣る。


「ちゃんと見てるよ。そんなに飲まないって。一杯だけ、ね? お願いします」


 初めてあった時のようにイヌマキはクマタカに頭を下げた。どうしてこの男はこうも、子どもっぽいのだろう。


「…一杯だけですよ」


 赤ん坊を抱いたままクマタカは折れた。イヌマキは嬉しそうに笑うと、「用意しておくよ」と言って寝室を出て行った。

 赤ん坊の静かな寝息が聞こえる。シャクナゲの寝息が重なる。ワンが爪音を立てて近寄って来て、クマタカに寄り添い、尾を振りながら見上げてきた。


「お前ら、偉いな」


 誰も傷つけずに生まれてきて。

 膝を屈め、赤ん坊をそっと寝床に戻す。赤ん坊の寝顔を見下ろしながら、すり寄って来たワンの頭を撫で下ろす。


「弟はめんどくさいぞ」


 ワンがクマタカを見る。クマタカはワンに微笑み返し、その頭を力一杯、撫でまわした。


「心配すんな。俺がお前の兄ちゃんやってやるから」



* * * *



「これは…」


 目の前の大型機械を見下ろしてクマタカはイヌマキに尋ねた。


「あり合せで作ったから不格好ではあるけど、ちゃんと走るのは確認済みだよ」


「ではなくて」 


 自分の質問の意図を理解していないイヌマキにクマタカは振り向く。イヌマキは情けなく眉尻を下げてクマタカを見つめた。


「これは何ですか」


「四輪って言うんだ。知らない?」


 知っている。何度も目にしたことはある。名前までは知らなかったが。


「知っています。でもこれは…」


 ネズミの乗り物だ。


「線路からここまで歩いて来てもらうのも申し訳ないなってずっと思ってたんだ。けどこれがあれば駅から直接ここまで来られるし、荷台も大きく取ったから一往復で済むだろう?」


 イヌマキはクマタカの懸念に気付かずに得意気だ。手作業で自分のために一からこんな機械を作ったかと思うと、その笑顔を壊してまで自分の思いを問い質すのは気が引ける。


「あ、充電! ちょっと、ちょっと待ってて」


 言ってイヌマキはばたばたと納屋を出て行く。クマタカはその背中を見送り、それから再びネズミの乗り物を見下ろした。名前の通り車輪が四つ、ついている。


「気に入らなかった?」


 ふり返るとシャクナゲだった。コウヤマキを抱いて髪の毛は後ろで結んでいる。


「難しい顔してたから」


「そういう訳では」


 顔を逸らしてクマタカは応じる。


「マキって全然力ないでしょ。頼りないし情けないし。でも頭だけはびっくりするくらいすごくいいの」


 のろけ話ほど聞く価値の無いものはない。だが下手に刺激すれば倍返しか怒りを買うか、いずれにしろ面倒臭いことになる。クマタカは冷めた気分を声に出さずに適当に合わせた。


「知ってます。俺の駅(うち)が電灯どころか空調まで導入できたのはマキさんの力に他なりません」


「本当は機械工学なんて専門外なんだけどね」


 シャクナゲは腕の中に語りかけるように言った。

 横を向くとシャクナゲもクマタカを見上げていた。目が合って気まずくなったクマタカにシャクナゲはくしゃりと笑う。


「マキったら『完成するまでクマタカ君には内緒だ』なんて言って、隠れてずっと廃材集めに駆けまわってたの。力もないくせに鉄材なんて運ぶからぎっくり腰しちゃって。バカみたいでしょ。おかげで布団の上げ下ろしは私の仕事。困ったお父さんだよね」


 最後の一言はクマタカにではなく、確実にコウヤマキへの語りかけだった。


「マキだけじゃなくてね、」


 赤ん坊を揺らしながらシャクナゲは続ける。


「私もクマタカ君にはとっても感謝してるの。おかげでこの子も無事に産まれてきたし、こんなに空が近いところにいられるなんて今でも時々信じられないし、ワンちゃんもいるし。家族みんなで過ごせるのは全部あの時助けてくれたクマタカ君のおかげです。ありがとうございます」


 最後の方は敬語になってシャクナゲは頭を垂れた。


「持ちつ持たれつです」


 クマタカは応える。


「持ちつ持たれつデス」


 クマタカの口調をシャクナゲが真似した。嫌がったクマタカを見逃さなかったシャクナゲは悪戯っぽく上目遣いで見上げてきた。


「持ちつ持たれつならもらってあげて。私たちからのせめてもの気持ちだから」


 眠っていたコウヤマキが両手を伸ばした。おそらくおくるみの中でその小さな足も伸ばしているのだろう。


「……わかりました。では、ありがたく…」


 承諾の意を伝えると、最後まで聞かずにシャクナゲが嬉しそうに破顔した。その笑顔にクマタカはそれ以上何も続かなくて、つられて頬が持ち上がる。


「シャクナゲ、ワンがまたやらかした。お前から言ってくれよ」


 イヌマキが情けない顔で戻って来た。手には切れた導線とそれに跳び上がってまとわりつくワン。


「ワンちゃんの届くところに置いておく方が悪いんでしょ」


「えぇえ~?」


 イヌマキの情けない声にクマタカとシャクナゲは顔を見合す。同時に失笑し、シャクナゲは顔を上げて大口を見せ、クマタカは肩を揺すって下を向いて笑った。



 四輪駆動車は操作も容易く砂上も難なく走り、快適なことこの上なかった。作業もはかどる。塔の技術はやはりすごい。しかしネズミの乗り物を塔から来たイヌマキたちが知っていたことはどう解釈すべきだろうか。

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