1--5 帰還
主人公が闇落ちしていてスポットが当たらないので、モブたちか頑張ります。
地面が弾けて砂柱が立った。風圧に押されて子どもたちの影のいくつかが砂の上を転がる。シュウダの体は脇腹で砂上を滑った。その間にも砂柱は方々に上がり、カエルの子どもたちはたたらを踏んだ。
痛みに呻きながらシュウダは瞼を持ち上げた。朧月の薄明かりの中、薄膜に包まれた雑音が遠く近くにこだまする。
何かが跳ねた。四肢を弛緩させて姿勢よく地面から飛び上がり、離れたところに倒れ落ちる。二つの車輪が走る。突っ伏した体目がけてその上を駆け抜ける。伏した体は喜ぶように諸手を上げた。悲鳴が上がる。鎖が振り回される。走る車輪に命中する。後輪を撒きこんでそれは横転した。しかし一台仕留めたところで意味がない。後から後から砂柱があがり、機械音が駆け回る。
転倒した時に自分に巻き付けてしまったのか、絡みついて取れない鎖に苦戦していた子どもは八方を囲まれ、嘔吐時に似た声をあげて潰された。悲鳴が逃げ惑う。仲間をおいて走り去る背中がある。銃声と同時にその背中も地面に沈む。笑い声。叫び声。機械の唸り声が真横を通り抜けて少女の脇腹を長い腕が絡み取る。
―女は使えるからのう。奴らまずそれを狙うが―
少女たちは瞬く間に掴み取られて夜の中に呑まれていく。
―歯向かっちゃいけねえぞ。深追いもしられんな。捕られた女は諦めるしかないやちゃ。奴ら一の犠牲に百の報復で返してくる―
少年だった者たちは次々と地面に沈む。
―だからの? もしも奴らに会っちまった時は、万が一にでも遭遇しちまった時には―
悲鳴の主も、怒号の出処も次第に数を減らし、静寂が割合を増す中、
―逃げろ―
シュウダは目を見張って腰を抜かした。
生前の父の声が耳元で繰り返す。逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、
声は喉に絡まり、舌をひくつかせただけだった。シュウダの無力を嘲笑うように、車輪の嵐は砂丘の果てに去っていった。
子どもたちの残骸にまみれて、シュウダは尚も動かなかった。何もしなかった。何も、出来なかった。
初めて目にした。何度も話だけは聞いていた。気をつけろと言われ続けてきたのに、自分の身には起こらないだろうと、根拠もないのに自信たっぷりに思い込んでいた。
「ネズミ……」
ようやく息を通した咽喉から、ただその名前だけがこぼれ落ちた。
* * * *
駅に辿り着いたのは、さらに数日後のことだった。血が滲む腹部を押さえ、足を引き摺るシュウダをしかし、誰も配慮しなかった。シュウダもそんなものは期待しなかった。期待などという感情を抱えられるほど余裕がなかった。ある程度覚悟はしていたが予想通り、それ以上の惨状だった。遺体置き場と化した広場で伯父の亡き骸と対面した。伯母もその横で眠っていた。長姉も末の姉も、男も、女も、昔の女もみんな。
「シュッちゃん?」
ひどく汚れた従姉甥だった。シュウダは駆けよる。
「カガシ! 自分、どこも…」
「シュッちゃん~…」
ヤマカガシが数年ぶりに泣き顔を晒す。
「カガシ、ミミちゃんは? ミミちゃんおらんがか?」
「ミミちゃん…」
従姉甥が壁際を指差した。呆けた顔で壁にもたれるウミヘビを見つける。シュウダはすぐに駆け寄ろうとしたが改札付近が騒がしくて、そちらを見遣った。見知った顔の年老いた男が介抱されている。駅の者ではない。寄り合いでいつも怒鳴り散らしていた…
「オサガメさん?」
従姉甥をその場に残してオサガメのもとに向かった。介抱する駅の者たちがシュウダに気付いた。「お頭…」と声を上げてくれた者もいる。
「知り合いですか?」
「カメの頭や」
みすぼらしく血と泥にまみれているが。
「上で倒れてたがです。多分、ワシの襲撃に巻きこまれて逃げてきたんやと」
オサガメが瞼を持ち上げる。シュウダを始め、ヘビたちは目を見張る。
「…マムシの?」
「安心しられてください。ヘビの駅です。ワシはおりません。今、手当てします」
オサガメは目を細めると「ワシ」と呟いた。
「ワシ…、あの若造…ッ!」
シュウも頷く。
「傷、見して下さい。ヘビの仕事です」
「帰る。早く…」
シュウダは思い出す。オサガメは寄り合いにはいた。本線を襲撃しようと言いだしたのはオサガメだった。だがあの小屋にはいなかった。カエルとイモリと共に一番乗りで飛び出して行ったきりだった。ならばオサガメはどこにいたのか。どこからここまで逃げてきたのか。
「カメの駅はどうなっとるがですか?」
「わからん。だから早く戻るんだろ」
一度も戻ってないのか。
「処置室に連れてかれ」
シュウダは周囲の者たちに指示を出した。
「いらん。すぐ帰る」
「見てきます。オサガメさんはこれ以上動かない方がいい」
「いらん、離せ」
「ここ頼むちゃ」
傍らにいた男の肩を叩いてシュウダは立ち上がる。
「お頭は?」
「カメの駅、見て来る」
オサガメが顔を上げた。
「お頭も動かん方がいいっちゃ! 自分代わりに行ってきます」
タカチホヘビが立ち上がる。シュウダは威勢のいい餓鬼大将を諌め、「タカチはここ頼む」と言い含めた。カエルの子どものこともある。下手に様子見に行かせて狩られては堪らない。
「ヘビの、すまん」
オサガメがようやく立ち上がることを諦めた。
「なーん、お互い様ですちゃ」
ぼろぼろのカメの頭に笑顔を向けて地上に向かった。
「お頭ぁ!」
振り返るとヒバカリが追いかけてきていた。
「自分も行きますちゃ」
「何あるかわからんぞ。待っとられ」
「なおさらやにか!」
ヒバカリは引き下がらない。「大頭もおかみさんも死なれました。お頭にまで死なれたらうちはどうなるがですか!」
必死の訴えをそれ以上退けることが出来ず、
「何かあったら逃げられ。それが条件やぞ」
「はい!」
シュウダの腹に気付いていたのだろう。ヒバカリは許した途端に傍に来て、シュウダに肩を貸した。
「大丈夫やちゃ。離され」
「なーん。離しません」
「自分何け?」
「お頭、」
苦笑しかけたシュウダにヒバカリが真面目な顔で声を張った。そして、
「生きとって良かった、シュッちゃん」
鼻声で俯いた近所の年下をシュウダは無言で小突いた。
* * * *
カメの駅はさらに酷かった。ネコやヘビどころの話ではない。線路どころか駅そのものが破壊され、火でも放たれたのか改札のいくつかは黒く焼け焦げていた。何の恨みがあってここまでするのか。楽しいか? ワシの目的は何だ。
「誰かおるがですかね」
ヒバカリが呟いた。シュウダも全滅という言葉が頭をよぎった。
「まだわからんちゃ」
自分に言い聞かせてシュウダは改札を覗きこんだ。
暗がりの中には灯り一つ見当たらない。本当に全滅か…
「シュッちゃん!」
ヒバカリの声を聞くと同時にシュウダは身を逸らした。腹の激痛に尻をつく。改札の暗がりから駆けあがってきた影が振りまわした鈍器は空を切り、砂の上を一回転して止まった。
「何するが!」
ヒバカリがシュウダを庇うように立ちはだかる。夜の中で影がむくりと立ち上がる。シュウダもヒバカリを引き止め、腹を押さえて立ち上がった。
「カメやの?」
影は答えない。夜の中でも目に見えるような荒い呼吸を響かせて肩を怒らせている。カエルの子どもと同じように。
「武器下ろせ、てめえ!」
がなるヒバカリを宥めてシュウダは前に出る。
「ヘビや。ヘビのシュウダ。オサガメさんを預かっとる」
「おっちゃん?」
影がようやく口を利いた。シュウダは頷きながら一歩前に出る。
「オサガメさんは怪我が酷くてここまで来られんかった。代わりに俺らがカメの様子、見て来るよう頼まれたんやちゃ。何があった? 自分以外に残っとる者おるが? 襲撃はいつやった? どういう状況や」
「聞きすぎやちゃ、お頭」
ヒバカリに注意される。シュウダは軽く頭を下げてから影に向き直る。
「ヘビは自分らを狩るつもりはない。せやから話聞かせてくれんけ? 何あったが」
「おっちゃんは無事なのか」
影が尋ねてきてシュウダは頷く。
「死にはせん。二、三日水分補給して安静にしてればすぐまた元気になる」
怪我の状態はきちんと見た訳ではないが、あの小屋からここまで自力で来られたのならば問題無いだろう。
「自分らは? 他の者はおるがか?」
影が手にしていたものを腰帯にしまった。こちらに向かって歩いて来る。ヒバカリが全身で威嚇し、シュウダがなだめる。
「ほとんど殺された、半分以上。まだ埋葬も出来てないから中、臭いけど」
近づいてきたのは肉付きのいい青年だった。年の頃はヒバカリと同じかそれよりも下だろう。暗い空の下で青年の顔はさらに暗く、風呂にも入れてないのか体臭がきつい。顔を顰めてからシュウダは、そう言えば自分もそうだと思い出す。
「いつ襲われた」
「……六日前」
「うちより先や」
ヒバカリが呟いた。
「自分らワシと確執でもあったが?」
シュウダの問いかけに青年は歯ぎしりする。
「知らねえよ。おっちゃんもいない時に突然来たんだ。寄り合いで何、あったんだよ」




