1--6 求婚
主人公は闇落ち中なので、しばらくスポットが当たりません。
ばたばたと傍らを駆け抜けていく耳障りな足音にシュウダは目覚めた。鍋でもひっくり返したのか赤ん坊が熱でも出したのか、寝起きの頭には刺激が強過ぎる喧騒だ。煩わしさの中で開いた視界は薄暗い。起き上がろうとして腹部に激しい痛みを覚え、息を止めて背を丸めた。反射的に覆った両手を解き、上着の裾を持ち上げると血の滲んだ包帯が幾重にも巻かれていた。白地に赤い染み。吹雪の中に広がる赤い雪。
「じいちゃん」
シュウダは身を起こした。痛みの波が収まる前から首を持ち上げ辺りを見回す。床に直接寝かされていた。それもそのはずだ。自分の足の先にも頭の後ろにも、同じように横たわらされた体がいくつも連なっていた。病床が足りていないのだろう。見慣れない顔ばかりだ。ヘビの駅ではない。シュウダは走り抜けようとしていた女の腕を掴んだ。
「どんだけ経ったが?」
「ちょ、離せよ! こっちは忙しいんだ」
「俺はどんだけ寝とった?」
「ヤマ!」
別の女の叫び声が聞こえた。「起きたよ!」
先を急いでいた女はシュウダの腕を振り払い、迷惑そうに一瞥して走り去る。代わりに別の女がヤマネコを伴ってやって来た。
「ヤマネコ…」
「黙って」
ヤマネコが口早に言うと一緒に来た女がシュウダの顔をまさぐり始めた。下瞼と舌の色を確認した後で、おもむろに上着を捲ると包帯を真ん中から掴んで引き上げる。
「これやったがあんたけ?」
酷い縫合部位を見下ろしてシュウダは尋ねる。
「上手いだろ」
得意気に女が言う。「皮はくっついて来てる」
「問題ないの?」
ヤマネコの質問に女は笑顔を向けた。ヤマネコが脱力する。皮膚だけでなく内臓の状態も気になりはしたが、シュウダは「助かった」と口にする。
「で、どうなったが? あれから」
痛みを押して立ち上がろうとした。制止しかけた女を押し退けてヤマネコがシュウダの肩を押し込むようにして座らせる。臀部から伝わった衝撃は傷口を襲ってシュウダは思わず腹を抑えた。
「おま…、怪我しとるがに…」
「だからだろ。下手に動きまわるんじゃないよ」
こういう女だった。ヤマネコなりの心配の仕方にシュウダは閉口する。
「ワシの乱心が四日前」シュウダの質問に女が答える。「ヤマが抱えてきてからあんたはずっと寝てたよ」
自分の知らない時間の長さに愕然とする。それから頭を小刻みに振り、顔を上げた。
「じいちゃんは?」
ヤマネコが顔を背けた。
「オカダトカゲ! いたやろ? どこおるが?」
女はヤマネコをちらりと見てからシュウダを見ずに、
「ここにいなかったらいないよ」
シュウダは身を乗り出す。
「どこにおるがけ」
「生きてる奴は運んだ」
腰痛も構わずに変な格好で固まっていた。
「……死んだ奴は?」
「連れてかれた」
「どこに…」
―『これ』からでも瓶詰めは作れます―
痛みも忘れて身を乗り出したシュウダをヤマネコの回し蹴りがその場に止めた。後頭部の痛みさえ腹部に伝播する。シュウダは呻きながらうずくまる。
「あんたは養生してな。仇ならもう討ちに行ってる」
ヤマネコの言葉にシュウダは顔を上げた。
「長たちがワシの駅に向かったんだよ」
女が言った。「おさ?」とシュウダは首を傾げてヤマネコを見上げた。
「ネコの頭ってお前じゃなかったが?」
「あたしらはネズミの駆除係。長は別にいるよ」
ヤマネコが見下すようにシュウダに言う。知らなかった、シュウダは口を開いたままヤマネコを見上げた。だったらヤマネコが別の駅に嫁ぐことも簡単だろうなどとシュウダは場違いなことを思う。
「でも、ネコの男っちゃあいっつも寝とるって…」
「まあね。親父さんたちは物ぐさだよ。でもやる時ぁやる」
「刃物振り回さないと戦えないワシなんかと一緒にすんなって話しさ」
ヤマネコと女が口々に仲間の男たちを自慢する。
「あいつら、ネコの男を敵に回したことを後悔してる頃だよ」
女が言って口元を持ち上げた。その時だった。
地価全体が揺れた。地震だ。シュウダは咄嗟にヤマネコを引き寄せ、思い出したように女の手も引いて床に伏せさせる。天井から降りかかって来る埃と砂屑に顔を顰めながら地面が身震いを止めるのを待つ。だがこの地震は長かった。そして少し奇妙だった。
「長いね」
女が言う。「これ、本当に地震かい?」
女に言われてシュウダは辺りを見回す。頭上は酷い揺れだ、天井が落ちてきそうなほどの。しかし足元は。
「揺れが移動してる」
降りかかる砂埃に目を細めながら天井を見上げてヤマネコが言った。女が素っ頓狂な声を出す。
シュウダもそれは感じていた。最初、頭の真上で響いていた轟音が徐々に壁の向こうから聞こえてくるようになっている。そして揺れない足元。
「線路を割ってる?」
ヤマネコの疑問符に女とシュウダは息を飲んだ。ヤマネコが立ち上がる。
「ヤマネコ!」
シュウダも後を追おうとしたが、腹部の痛みが邪魔をする。女に先を越され、壁に手を突きながら、なんとか足を踏み出した。
女たちしかいなかった。男は全員で出て行ったのだろう。地上への階段がごった返している。女たちの悲鳴と怒号と泣き声。ヤマネコの声も。シュウダは腹を押さえながら女たちを掻きわけてヤマネコを目指し、開けたところに至って足を止めた。
「チャコ! チャコ!」
「なんで上に出したんだよ! 子どもは中に入れとけよ!」
「親父さんたちの帰り待ってたみたい」
「チャコぉ!」
「どけ」
シュウダは女たちを押し退けて横たわる少女の傍に膝をついた。何かの爆発に巻き込まれたか。腹を貫通するのは割れた枕木。息が弱い。母親らしき取り乱した女を別の女に預けて少女の気道を確保する。今すぐ処置が必要だ。だがここにあるのか?
「チャコぉ!」
母親の悲鳴が響く。シュウダは自分の腹を治療した女を見上げる。
「どこで縫った」
「え?」
「俺の腹、縫ったが自分やろ! この駅、処置室あるがか! 早よ運ばんとこの子手遅れになる…」
「チャコ?」
母親がいつの間にかまた少女の傍らにいた。息が止まっている。胸の動きも。
シュウダはその場で蘇生術を始めた。一発目で目がくらみそうな激痛が腹部に走る。止まりかけた自分の体を叱咤し再び少女の胸を叩き始めた。
「変わる」
ヤマネコがシュウダの顔色に気付いて押し退けた。
「チャコ、がんばれ。死ぬんじゃないよ、あんた」
「いぎ…でない…」
母親が涙と涎にまみれながら訴える。
「まず心臓や。続けろヤマネコ」
シュウダは腹を押さえながら声を振り絞る。シュウダの言葉にヤマネコはさらに体重を乗せて少女の胸を押した。
「舌出たよ?」
少女の変化に気付いた女が不安げにシュウダを覗きこむ。
「いい、続けろ」
「押し過ぎだって、ヤマ。チャコが壊れちゃう…」
「続けろヤマネコ!」
ヤマネコは返事もせずに一心不乱に少女の胸を両手で押す。
「チャコぉ、チャコぉ、ちゃこお…」
誰の耳にも聞こえる音がして少女の胸が陥没した。ヤマネコも手を止める。母親が発狂する。シュウダが怒鳴る。ヤマネコは混乱する。女たちも動揺し、手を止めろと言う者も出てくる。
「骨なんて生きてりゃくっつく! いいから続けろォッ!!」
シュウダの言葉を受けてヤマネコが少女の胸を再び叩き始めた。母親が啜り泣きを始める。シュウダは振り向き母親に怒鳴りつけた。
「諦めんな! 娘さん頑張っとるがにあんた諦めてどうすんがけ!」
「動いた!」
声に振り返ると少女が目を見開いて呼吸を再開していた。興奮して混乱してこぼれ落ちそうな眼球と口を手指を震わせている。シュウダは少女のもとに這って寄った。
* * * *
被害は少女だけではなかった。ヤマネコの予想は当たり、ネコの駅周辺の線路は登りも下りもものの見事に破壊されていた。爆薬を使ったのだろう。地上に出て男たちの帰りを待ちわびていた少女はその爆発に巻き込まれた。そして少女だけでなく、女たちが信じて疑わなかった男たちの帰還はなかった。唯一戻って来たのはヤマネコが長と呼んでいた男の、額に穴が開いた頭部だけだった。
「一日だけ猶予やるって」
地上に様子を見に行き、男の頭部を持たされて戻ってきた女が青い顔でうわ言のように言う。
「ネコの女は、…ワシになるなら、養ってやるって」
男の頭部の血を洗い流すことも失念して、両手を胸前で硬直させながら女は続ける。
「おんな? …は、のまな…って」
言いきって女は腰を抜かした。女の伝言はつまり、男は全員瓶詰めにされたということだろう。
平時は誇りの高さが高慢さになって、他所者には無礼な態度ばかりとるネコの女たちが、この時はしかし、屈辱的な条件にもその場ですぐに異を唱える声は出なかった。
「……ほんとにワシ?」
放心状態の女が言った。「だってワシって、結構、いい男多くて…」
「何言ってんだよ! この状況であんた!」
「だって長の頭の傷…」
それはシュウダも思っていた。あの穴はネズミに襲われた者が負う傷だ。男の頭部を見た時、瞬時にネズミの仕業だとシュウダも思ったのだ。
「わし…、ワシ!」
腰を抜かしていた女がひっくり返った声で叫ぶ。
「ワシ!! あいつら、ネズミと同じ武器持ってた!」
その場の全員が息を飲む。シュウダは思い当たる。塔に住む者に肩入れしていたという話、あいつはそこまで塔と繋がっていたのか。
「ヤマ…」
頭目を失い、男を残らず失った女たちが頼ったのは女の中での一番の実力者だった。だがシュウダの腹を縫合したというテンの話だと、ヤマネコは腕っ節がいいだけだ。主導力に長けている訳ではない。それはシュウダも感じていた。頭目になるにはわがまますぎるし誰もいないところでは顔に似合わない幼稚さも垣間見せる。
「ヤマネコ、」
シュウダは女を呼びとめようとした。しかし周囲の女たちに咎められる。
「他所者は下がってて」
「これはネコの問題だから」
「自分ら、女だけでワシとやり合うつもりけ?」
女たちが一斉にシュウダを睨む。さすがのシュウダもたじろぐ。
「チャコを助けてくれたことは感謝してるよ」テンが言った。「でもさ、これはネコの問題なんだよ、シュウダ。悪いけどあんたはさがっててくれるかい?」
半日ぶりに見たヤマネコの顔は暗く沈み、目はおち窪んで姿勢も悪く、母以上の何かを失ったようだった。テンも脇に控えている。見つめるシュウダの目を見ずに、ヤマネコは床に向かって口を開いた。
「ワシには屈しない」
女たちが息を呑む。
「ネコは最後まで戦う」
静寂。その後まばらな歓声。歓声。
女たちは叫び、干乾びるかと思われるほど目を剥き出し、喉の奥から野太い声をあげた。明らかな虚勢だった。自分自身を騙して無理矢理興奮状態に持って行こうとしている。駄目や、シュウダは呟いた。駄目やって、やめれま。低音の忠告は床に沈み浮上してくる気配もなかった。
「明日一番、」
ヤマネコの声が響いた。
「日が落ち次第ワシを攻める。みんな準備しておきな」
言うと踵を返し、奥の暗がりに姿を消した。シュウダは煽り立てられた女の群れを掻い潜ってヤマネコの姿を追った。
「ヤマネコ」
歓喜の渦を背にヤマネコは暗い通路を無言で進む。
「待てま!」
腕を掴まれてようやくヤマネコは立ち止まった。シュウダは腹を押さえて息を切らせながら、反対の手でヤマネコの腕を握りしめる。
「正気け」
ヤマネコは答えない。
「あいつ塔と組んどるんやぜ。ネズミの武器、あの傷、あんなが生身で攻めて勝てるわけなかろう」
「あたしらはネズミ駆除を専門にしてんだよ」
「ネズミは女を殺さん! でも相手はワシ…」
「ワシだって女は殺さないって言ってんだろう?」
「信じとんがけ?」
ヤマネコは答えない。
「捕まったら何されるかくらいわかろう」
押し黙ったままだ。
「ヤマネコ!」
シュウダはヤマネコの腕を引く。しかし反対に振りほどかれる。
「わかってる」
「だったら!」
「でも!」
ヤマネコは俯いたまま押し黙った。
「何考えとる」
シュウダは怒りのままにヤマネコに凄んだ。しかし女が言葉を吐くことはなく、また無言で歩き始めた。
「話、聞けま!」
「聞いてる」
残響を伴うシュウダの罵声にヤマネコは小さく答えた。その声はシュウダには届かなかった。
無言で歩き続けるヤマネコの背中を、穴を穿つほど睨みつけていたシュウダはやがて、空気が淀み始めたことに気付いた。そういえば何度か階段を下った。腹が痛い。同じくらい古傷が疼く。
腹を押さえて立ち止まったシュウダに気付いたヤマネコは、振り返ると黙って引き返してきた。シュウダの腕を掴み、強引に歩かせる。
「どこ行くが?」
答えない。
「離され。そっちは…」
「ご両親のこと思い出す?」
久方ぶりに口を利いたヤマネコの言葉にシュウダは口を噤んだ。この年齢になっても克服できない弱点に冷や汗が止まらない。
「元々ヘビのもんだろ? 地下鉄って。あの事故はあたしも覚えてるよ。あんたのご両親だったってのはこの間、聞くまで知らなかったけど」
父母だけではない、自分も乗っていた。急患が出たとかで地下鉄で急行する途中だった。留守番が嫌で駄々をこねて父母に同行を許してもらい、仕事だと難しい顔をしていた父の足元で、初めての地下鉄に自分だけは浮足立っていた。
「緊急用だからって使わせてもらえなかったからさ、餓鬼の頃はヘビが羨ましかった。カモメと何回も忍び込もうとしてばばあによく怒られたよ」
ヘビの特権だった。それに飛び乗る姿に憧れていた。
「使われなくなってから結構経つから速度は出ないかもしれないけど、例の事故現場までなら線路は繋がってる」
ヤマネコがようやく立ち止まる。シュウダはその横顔を覗きこむ。
「何に使うが?」
「乗って」
シュウダは身を引いた。無意識の行動だった。だがヤマネコは及び腰のシュウダの腕を掴んで逃がさない。
「行って」
「どこに」
「あんたの駅。早く帰った方がいい」
「何言っとん…」
「だってこれヘビのもんだろ」
錆びた線路と今にも崩れそうな古い車体を見下ろす。
「今は誰も乗っとらん」
カメの尽力で電車の速度も上がった。乗らない時は電車を線路の外に下ろしておくという規則も出来たしヘビだけの道は仕事を終えた、過去の遺物だ。
「だからだよ」
ヤマネコはシュウダの正面に立った。
「今は誰も地下鉄なんて使わない。ワシもきっと忘れてる。上の線路が壊されたんだ、今、移動に使えるのはこれしかない」
「せやけど…」
あの事故を思い出す。二度と乗りたくないと体が言う。
二の足を踏むシュウダにヤマネコは声を荒らげた。
「あんたヘビの長だろ!? あんたがいなくて誰がヘビをまとめるんだよ、みんな待ってるんじゃないのかい!」
「伯父さんが…」
「餓鬼みたいなこと言ってんじゃないよ! そんな生半可な気持ちで継いだ訳じゃないだろ? しっかりしな!」
両腕を掴まれて前後に揺さぶられた。腹に響く。頭に響く。そして胸にも。
「本気でワシを攻めるがか」
シュウダの問いかけに今度はヤマネコが視線を逸らした。
「自殺行為や。自分やって気付いとんがやろ」
ヤマネコがシュウダの腕から手を離した。その腕をシュウダが掴む。
「結婚してくれ」
何度口にしたか数えきれない決まり文句。
「俺んとこ来い。上にいる奴らも全員まとめて連れて来られ。俺が面倒みる。全員見てやる。ワシんとこなんて行くことない」
本気だった。だがしばしの沈黙の後で、ヤマネコは笑った。小バカにするように、ウミネコの遊びに付き合う時のように。
「何、おかしいが」
シュウダは真剣に尋ねる。
「あたしあんたを飲みたくない」
「何け? それ」
シュウダは顔を突き出して呆れ声で言った。本当に意味がわからなかった。いやによく笑うヤマネコに不安が押し寄せる。
「ヤマネコ?」
「あいつらを置いてけない」
「だからみんなまとめて俺が!」
「ネコの矜持だ。男全員やられて黙ってられるほど、あたしら賢くない」
「なら俺も残る。お前らと一緒にワシでも何でも潰す。全部片付けてから来ればいい」
「あんたんとこは…」
「ヘビはネコに協力する。うちの連中、連れて来るからそれまで時間稼いで…」
「ヘビの駅は無事なの?」
シュウダは言い淀む。ネコが壊滅的被害を受けているのだ、他も襲われている可能性は薄々感じていた。
「…うちはワシんとこからも離れとるし」
仲間はどうしてる。伯父は、伯母は、従姉たちは、従姉甥は。ネコの惨状に集中することで考えないようにしていた予想がむくむくと膨らむ。
「みんなあんたを待ってる」
「……お前も来い」
「行けって」
「お前も…」
ヤマネコが両手を伸ばしてきた。つま先立ちでシュウダの首に縋る様に腕を絡める。
「寄り合いに出させられて良かったのはあんたに会えたこと」
耳元をかすれた声がくすぐる。
「シュウダ、」
甘い吐息が頬にかかる。
「死ぬなよ」
絡めた腕を解くと、ヤマネコはシュウダの背後に回ってその背中を蹴り飛ばした。つんのめったシュウダは頭から地下鉄の車体に載せられる。埃っぽくて咽る。それよりも地下鉄だ。起き上がろうとしたが腹の痛みが邪魔をする。その間に車体は動き始める。
耳障りな音と動きだした風にシュウダの声は掻き消された。
* * * *
動かない父母を何時間も見つめていた現場までは乗っていられなかった。腹の傷を押さえながら地面を進む。線路沿いを歩こうとしたが外れてほしかった予想は的中しており、ネコの駅周辺同様に、へちゃげた鉄材と木端微塵の枕木が延々と続いていた。何のための所業なのか。夜汽車を独占するため? それしかないだろう。ワシの駅は本線に一番近い。だからこそ瓶詰め作りを一手に担っていた。夜汽車が減って取り分が減って、自分たちの分を確保するために分配を撤廃するなどと言いだして、挙げ句の果てには他の駅が夜汽車を取りに行けないように線路まで破壊して。
―すみません、忙しくて―
あの野郎ッ!
星と月と太陽を頼りに駅に急ぐ。これほど遠かったのかと変わらない景色に何度も愕然とさせられる。遅々として進まない足を恨めしく思う。ネコたちはワシを攻めたのだろうか。捕まってやいないか、ヤマネコは無事だろうか。従姉は大丈夫だろうか。自力で動けない長姉を思う。その長姉の介護を主に担っていた次姉を思う。奔放な末の姉、その息子、伯父、叔母、仲間、みんな…。
微かな気配を感じてシュウダは足を止めた。辺りを見回す。瓦礫と星以外は何もない。しかし視線を感じる。息使い? 風を切る音がしてそちらに振り返った時、足首に何かが巻き付いた。
瓦礫の狭間からいくつもの影が飛び出す。絡み取られた足が引かれ、シュウダは背中から砂に倒れる。痛みに顔を歪めながらも足に巻き付くものを掴み取り、渾身の力でそれを引いた。突然軽くなっていくつかの影が自分に向かって倒れる。
「何すんが! ワシけ!」
腹を押さえて怒鳴りながら立ち上がり、握り締めたものを見て気付いた。鎖。
別方向からさらに何本かの鎖が飛んできた。先の分銅が脇腹に命中し、シュウダは膝をつく。影が近づき、シュウダの首に冷たいものが当たった。
「そっちこそどこけ」
「ヘビや。ヘビのシュウダ」
「ヘビ?」
「カエルの子どもやな? そっちは今どうなっとる? 自分らだけけ? 親は? 駅は? 他の連中は?」
「ヘビ…」
言ってまだ幼い女は引き攣った笑い声を上げた。様子がおかしい、とシュウダも気付く。
「こいつでかいし、三日はもつやろ」
背後から別の声がした。ぞろぞろと影が増えていく。
「早よしまっし」
女の声に少年が鎌を握り直した。シュウダは背中に冷たいものを感じる。不穏な空気に周囲を見回す。少女の反対側に立っていた影が片手を振りあげた。シュウダは寸でのところで切っ先を避けた。上着が裂けて肌が覗く。鈍い痛みが肘の辺りに疼く。
「自分ら、なに…」
「そっち!」
「話聞けま!」
「殺せ!」
影たちが口々に言って襲いかかって来た。鎌が再び振り上げられる。手をつき転がり脇を抜けた。雲間から月明かりが注ぎ、焦点のずれた目が光った。
―『これ』からでも瓶詰めは作れます―
シュウダは走った。腹を押さえて腕と足に鎖を巻き付けたまま砂を蹴る。カエルの子どもたちはまだ追ってくる。
―あたし、あんたを飲みたくない―
そういうことけ。
陰鬱とした生真面目の顔が脳裏に浮かんで腸が煮えくりかえった。痛む腹を抑えて子どもたちを撒こうとした時、地面が弾けて砂柱が立った。