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1--7 ハンノキ

主人公が闇落ちしたので周りにスポットが当たります。

 サシバは怯えていた。どうすればいいかわからなかった。今すぐその場から逃げだしたかったが、逃げ出したところで行くべき場所などなかった。


 数日前から違和感はあった。塔にいた時と同じ空気を感じた。だがここは地下だ、そんなことあり得ないと自分に言い聞かせた。しかし不安は的中した。アイが来た。この駅にいる全ての者を登録するという。順番に呼ばれている。サシバは思った。追ってきたんだ、俺を。どうしよう、見つかる、見つかれば掴まって……。


 現実に目をそむけたくて顔を上げた。叫び出したい衝動が襲って来て再び頭を抱えて椅子に座ったまま伏せる。逃げるか? どこに? 今度はどこに? どこにも居場所なんてない。


「サシバぁ、」


 二日ぶりにヨタカが声を出した。かすれた弱々しい声だった。


「……なんだ」


 サシバは平静を装って返事をする。子どもに動揺を見抜かれるのは恥ずかしい。年上らしく努めて胸を起こし、視線を斜め上に上げる。


「お前、なんにも聞かないんだな」


 普段はふてぶてしい子どもが珍しく殊勝な顔で、布団の上で蹲って言った。顔の右半分は包帯に巻かれている。右目はおそらくもう、使い物にならない。爛れた皮膚は冷やすのも痛がったが空気にさらしておくのも痛々しかった。


「俺は何か聞いた方がいいのか?」


 叫び声が聞こえて覗いたら長男が次男を焼いていた。長男の行動の意味はわからなかったが次男が痛そうだったから思わず仲裁に走った。長男は無言で部屋を出て行き、次男は声もなく泣き崩れた。


 火傷はまず水で冷やすものだから次男を連れて顔を流水で流させた。居室に帰ることを頑なに拒んだから自分の部屋に連れてきた。それから丸二日、次男は便所に行く以外は飲み水を要求するだけで、あとは身動ぎもせず、時々居眠りをしては叫んで飛び起き、それからまたじっと蹲り続けていた。


 自分の布団を占拠する次男は片目でどんよりとサシバを見ると、「普通は聞くだろ」とぼやいた。聞いてほしいのだろうか。自分の気分も紛らわせたかったから、サシバは聞いてみた。


「何があった」


「今、聞く?」


 ヨタカは呆れた視線を寄こすと壁に向かってため息を吐いた。


「お前が聞けと言ったのだろう」


 サシバは言ったが、「サシバカ」とぼやかれただけだった。

 こうなるとサシバはもうわからない。どうすべきか、何を言うべきか、尋ねたことに答えてもらえなかった時は、もう一度尋ねると十中八九怒りを買う。だから黙りこむ。


 扉が叩かれた。男が顔を覗かせ、「次っすよ」と言って引っこんだ。『登録』だ。アイが呼んでいる。アイに見つかる。もう終わりだ。


「なんなんだろな、『とうろく』って」


 ヨタカが面倒臭そうに口を開く。「あいつ、今度は何しようとしてんだ?」


 『あいつ』とは兄のことだろうとサシバは思った。この二日間、ヨタカの少ない呟きの中から読み取れたのは、ヨタカは兄のことを『兄ちゃん』と呼ばなくなったことだ。


「行って来いよ。お前の番なんだろ?」


 部屋の主のような顔をしてヨタカが扉を顎で指した。サシバは覚悟を決めるしかなかった。


「俺は塔から来た」


 ヨタカがぼんやりと振り返る。


「塔に住んでいた。あれは『アイ』だ。あれに登録されると全ての行動が記録される」


 ヨタカは片方の眉を中央に寄せる。


「俺の行動も記録されていた。俺が親を殺したところも全て見られていた」


 ヨタカの目が見開いた。口も開けて固まっている。


「嫌いだった、全部。普通にしろと言われても出来なかった。アイに普通とは何かを何べんも何べんも説明してもらったがその通りにしようとしたが俺がやると普通が普通じゃなくなった。俺が普通じゃないのは俺を普通に産まなかった親のせいなのに、親は俺が悪いと言った。普通じゃないならいらないと言われて、普通じゃないなら普通はやらないことをしても俺がやれば普通になるかと思って、普通になりたくてなろうと思った。だから刺した。でも普通になる前に親は死んでアイは俺を捕まえようとして、掴まったら殺されると思って逃げてるうちに塔から出ててでも塔の外でどうやって生きていけばいいかわからなかったし行くべき場所もなかったし戻るべき場所に戻れば死ぬだけだからだったら普通じゃない俺は戻らないで普通じゃない場所で死ねば普通になると思って普通じゃない場所を探していたらオオワシに拾われた」


 サシバは組んだ手の上に額を置いた。


「あいつは、オオワシは、お前の父は、嫌な奴だった。地下に住む者だから塔の俺は殺されると思ったけどあいつも俺と同じで普通じゃなくて俺を殺さなかった。それどころか俺に死ぬ暇を与えないように仕事ばかり押し付けてきた。俺を拾ってから寝る時間が三倍に増えたと喜んでいた俺は寝不足が続いたのに! 

 ……でも、俺が普通じゃなくてもあいつは笑って流した。いつもあいつは笑って俺を…」


「なんで刺したの?」


 ヨタカの質問にサシバは顔を上げた。床の一点を見つめたまま、


「普通になりたかった」


 と答えた。

 扉が再び叩かれた。今度は先より強い調子で。苛立ちを表現した音で。


「早くしてくださいよ、後ろ詰まってるんすわ」


 先とは別の男はそう言うと、扉を乱暴に閉めた。


「アイは俺を探しに来たんだろう」


 サシバの声にヨタカは顔を向ける。


「殺したんだ。だから今度は殺される番だ」


 仕方ないことだ。自分は普通ではないから。


「サシば…」


「お前の父の隣はうるさくて腹立たしくて眠れなかったが、居心地だけは悪くなかった。どこかの機会でお前の父に伝えようと思っていた。でも伝えられなかったから代わりにお前に伝えた」


 言ってサシバは部屋を出た。



 クマタカがいた。無表情で半目でどこかを見つめている。だみ声の若いの、ノスリもいる。「おせえよ」と敬語も使わず露骨に苛立ちを見せる。


 小さな画面の中のアイがいる。アイはじっとサシバを見つめ、そしてゆっくりと微笑んだ。


「珍しい場所でお会いしましたね、ハンノ…」


「サシバだよ!」


 ふり返ると息を切らせたヨタカが立っていた。ノスリが目を細める。クマタカが顔を上げる。兄に睨みつけられたヨタカは一瞬顎を引き、泣きそうな顔になったが、決心したように息を吐くとずかずかと割りこんできた。


「順番守れよ、おい」


 ノスリが面倒臭そうに唇を尖らせてがなる。だがヨタカには雑音にしか聞こえないようだ。元々割れただみ声だ。聞き慣れない者なら何を言っているか聞きとれない。

 ヨタカは兄を睨みつけながら近づき、サシバの横に来ると、小さな端末を見下ろした。


「こいつはサシバだ。ワシの男。文句あるか?」


「お前は下がってろ」


 クマタカの一声にヨタカは怯む。だがサシバの手首を掴むと、画面の中の女に向かって、


「こいつはワシ! サシバ! 父さんの右腕だった男で今は俺の右腕だ!!」


 怒鳴った後でサシバを睨み上げ、


「上司は部下を守るもんなんだよ」震えながら言った。


 ノスリが腹を抱えて笑った。アイが微笑みのまま固まる。クマタカが皿のような目でヨタカを見据え、小さく息を吐いた。


「サシバ、そいつを部屋に連れて行け」


 クマタカの命令にノスリは笑い声を止めた。


「こんなんでいんすか?」


「馬鹿に割いている時間は無い」


 クマタカが言ってアイを見下ろした。「次だ」


 アイはしばらく固まったままサシバを見つめていたが、やがてにっこりと微笑んだ。


「こんにちは、サシバ。私はアイ。はじめまして」


 関節を上手く曲げられずにその場に立ち尽くしていたサシバを、ヨタカが手を引いて退出させた。



 子どもに手を引かれて歩かされながら、サシバは信じられない気持でいた。アイは『はじめまして』と言った。俺の昔の名前を呼びかけて、でも俺をサシバと呼んだ。上書きさされたのか? 追われないのか? 掴まらないのか? 殺されないのか? まだ生きてていいのか…


「心配すんな」


 見下ろした先のヨタカが言う。自分の手首を握る手は力み過ぎて白くなっている。


「父さんはお前を守ったんだろ? だったら今度は俺が守ってやるよ。お前は今日から俺の『右腕』だ」


「お前には右腕があるだろう。俺がお前の右腕になったらお前は腕が三本になるぞ」


「何言ってんだよ! お前、バカだな。わかれよ、サシバカ!」


 振り返り唾を飛ばしたヨタカは、叫んだ後で口角を上げ、口角を上げたまま眉尻を下げ、足を止めて蹲った。


「どうした」


 サシバは尋ねる。尋ねて子どもの顔を覗きこんで、その横顔が泣き顔だったことに驚いて、そして自分の胸が痛いほど苦しいことに気付いて息を吐いた。



* * * *



 駅の全員の登録が終わった頃、示し合せたように夜汽車が来て、男たちはノスリの先導の下で出かけて行った。同時期に駅の中が騒がしくなり、女の比率が上がった気がしたが、呼ばれなかったサシバにはその理由はわからないままだった。


 オオワシに与えられ、使い方を教わった刀も何故か没収された。部屋で自己練習をしていたというヨタカのも没収された。クマタカがサシバに何かを命ずることは皆無になり、ノスリがえらく傲慢な態度で接してくるようになった。ヨタカはいつも刀の練習をしていたのだからヨタカにくらいは刀を返してやれと言ったが、鼻で笑われて却下された。


「刀はワシの男の命だ。それ取り上げるってことはあいつは俺のこと男と見なさないって言いたいんだろ」


 いつかヨタカがそんなことを言っていた。刀にそんな意味があるなんてサシバはその時まで知らなかった。



 アイが来てから地下の様相は徐々にだが確実に塔のそれに近づいているようにサシバには感じた。どこにいてもアイがいる。拡声器まで取り付けられた。久しく忘れていたあの感覚の中に身を置くと、塔にいた頃の自分の無頓着さが信じられないくらい居心地が悪かった。しかしワシの駅の者たちは便利さと快適さが気に入ったのか、クマタカを称賛した。男たちが刀よりも小銃を持ち歩くことが多くなるにつれ、クマタカの地位は絶対的なものになっていった。気がつけば『ぼっちゃん』と呼ぶ者もいなくなっていた。


 ヨタカは仕事を与えられる年齢になっても調達への参加を許されず、サシバもまた除外された。代わりに最下層に行くよう命じられた。


「ようこそ、分別係へ」


 いつからかヨタカがよく遊ぶ子どもたちがいた。


「まさかお前がここ来るとはな」


 背の高い少年がにやりと笑った。


「まさか先代の右腕付きとはねえ」


 背の低い少年が肩を揺すって笑った。


「まさかこの面子で仕事するとはな」


 欠伸をしながら最後の少年が言った。


「うっせえな。手ぇ増えていいだろ? もっと喜べよ」


 ヨタカが軽口を叩いた。少年たちの前では笑顔が明るい。


「お前の遊び仲間か」


 サシバはヨタカに尋ねた。しかし、


「お前の仲間だよ、バカサシバカ」


 『バカ』をさらに増やされた。


「ヨタカ、こいつバカなの?」


「顔がバカっぽいな」


「実際バカなんだよ」


 サシバはむっとする。全員まとめてそのにやついた顔を床にめり込ませてやりたい。


「お前らだってあんまり違わねえよ、バーカ」


 言ったヨタカがにやりと笑い、全員を見回した。


「行くぞ、お前ら」



* * * *



 オオワシの隣にいた頃と同じくらい忙しく、寝る暇もなくなった。

 だがアイが干渉して来ない最下層は唯一息がつける場所で、オオワシが隣にいた頃と同じくらい居心地も悪くなかった。

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