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 先程と寸分変わらぬ様子で眠り呆けているイヌマキに小銃を返す。


「ありがとうございました。ちゃんと、使えました」


 的を外したことは報告しなかった。


「子どもたちを見てきますね。もう少しだけ待っててください」


 奥の間を抜け、通路を進み、地下への階段を降りた。地階には誰も踏み込まなかったのだろう。イヌマキの周りは下足痕が酷かったが、階上の喧騒が嘘のような静かさにクマタカは胸を撫で下ろす。

 厳重に鍵かけた扉を解錠し、植物たちの部屋の扉を開いてすぐに、自分に向けられた銃口が目に入って来てクマタカは一瞬固まった。銃口の向こうには泣き腫らした目で睨みつけてくるコウヤマキ。コウヤマキはクマタカに気付くと小銃を投げ捨て、再び涙を流して抱き付いて来た。


「よく頑張ったな」


 泣きながら自分を呼び続ける子どもを全身で抱きしめる。慰めの言葉をいくつもかけて落ち着かせる。コウヤマキはそれでもなかなか自分を離そうとせず、クマタカはコウヤマキを抱きかかえたまま膝を伸ばした。


「指は?」


「いだい~…」


 それはそうだろう。


「今、治してやるからな。もう大丈夫だからな。心配すんな、な?」


 言い聞かせながら立ち上がれないワンのもとに行く。


「ワンはどうだ? まだ痛いよな」


 ワンは鼻を鳴らしながらそれでも前足だけで立ち上がろうとした。


「お兄ぢゃん…」


 肩の上のコウに呼ばれて振り返った。


「お母さんは?」


 コウとワンが同じ目でクマタカを見つめた。クマタカは一度唇を閉じ、それから子どもたちに満面の笑みを向けた。


「お母さん、お仕事でお出かけすることになったんだ。すぐに帰って来るからもう少し待ってような?」



 コウヤマキの指を消毒して包帯を巻き、ワンの胴部を固定した。時間が経つにつれ変質していく父親に子どもたちが泣くから、イヌマキには毛布を被せた。屋外の喧騒は吹雪と共にいつの間にか止んでいて、夜が来るのを待ってからイヌマキを地面の下に埋めた。死んでしまった者には墓を用意してやること、イヌマキが好きだった植物を供えてやること、毎日手を合わせること、今はしばらく会えないけれどもいつかまた会えることなどを教えてやった。話が長かったのか途中からコウヤマキは船を漕ぎ始めた。無理もない。完全に眠ったコウヤマキと、心配そうに鼻を鳴らしながらしきりにコウヤマキを呼ぶワンを抱えて、家族の寝室に連れて行く。


 落ち着かないワンに弟の側にいるよう言い含めて、クマタカは暗い空の下に出て行った。

 自走出来ない四輪駆動車を曳きながら砂の上を歩く。砂塵対策か寒さ避けか、外套は積み荷の上にかけられている。

 満点の空の下、イヌマキの墓のすぐ隣に穴を掘り始めた。物音に気付いて振り返ると、胴から下を上手く動かせなくて玄関の扉に挟まれてもがいているワンだった。


 寝ていてくれればよかったのに。


 クマタカは作業の手を止め、黙ってワンを迎えに行った。

 穴を掘るクマタカの横でワンが鼻を鳴らし続ける。体が自由であれば荷台に飛び乗っていただろう。だがそれを出来ない今のワンは、ただ物悲しげに鼻を鳴らし続ける。


 十分な深さと長さの穴が完成すると、クマタカは四輪の荷台に登った。外套をかけたままのシャクナゲの遺体を抱きかかえ、穴の中に横たわらせる。ワンが前足だけで下半身を引き摺りながら穴の縁までやってきて、今にもその中に飛び込みそうなほど身を乗り出していた。


―クマタカ君―


 砂をかける。


―クマタカ君!―


 シャクナゲが埋まっていく。


―私たちに出来ることならなんでもするから―


 思い切り背中を叩かれた長い指。


―やっぱりあなたも地下なのね―


 全身が見えなくなった。

 コウヤマキに気付かれないようにシャクナゲの墓は盛り土をしなかった。むしろ平らに、何も無かったように見せるために(なら)した。


「コウには黙っててくれ」


 砂の上に腰を下ろし、顔も上げずに頼み込む。平らな地面に向かって鼻を鳴らしながら、前足で掘りかえそうとしていたワンが振り返る。


「あいつには、落ち着いたらちゃんと俺から話すから」


 今のコウヤマキには話せない。


「ごめんな」


 拳と同じように震える声。


「お前の兄ちゃん、やってやるって言ったのにな」


 ワンが近づいてきた。無言でクマタカの頬を鼻先と舌で撫でる。クマタカは片手をあげ、ワンの頭と言わず胴部も巻き込み抱き寄せた。

 日が落ちて、完全に夜になってもコウヤマキは起きてこなかった。昨日の今日だ、無理もない。そう決めつけていたクマタカは、ワンの必死の訴えを受けてコウヤマキの容態の変化にようやく気付いた。


「コウ?」


 酷い熱だった。意識も朦朧としている。その原因も対処法もクマタカにはわからない。ワンに何かあれば知らせるように言って、イヌマキの書斎に駆けこんだ。専門は医者だと言っていた。医学書のようなものがあるかもしれない。しかしクマタカの希望は無残に打ちのめされる。書籍らしきものはほとんどなかった。イヌマキの研究結果も何もかも、全て機械に読み込ませて画面で展開する媒体ばかりだった。クマタカは焦る。何故もっと他にも教わっておかなかったのだろうと後悔する。自分の趣味についてばかりで実用的な知識をまるで身につけていなかったことに苛立つ。機械、機械、機械ばかりだ。


―クマタカ君はこっち方面はてんで駄目だね―


 下手でも横好きでも習得しておくべきだった。


―頼ることは大事だよ―


 何を頼ればいい。コウヤマキなら動かせるのか? いや、子どもたちは書斎に入れてなかった。あいつらもこれらの使い方を知らない。


―…質問には答えてくれる。そういう風に出来ている―


 手を止める。イヌマキは言っていた。確か、


―彼女は質問には答えてくれる。そういう風に出来ている。だから俺たちがどんなに考えてもわからない問題にも彼女なら答えてくれる―


「アイ」


 クマタカは研究所を飛び出した。昨夜の吹雪が嘘だったかのように満天の星空だった。地面の上の雪は完全に消失し、砂埃が煩わしい。保護眼鏡も暗視鏡もつけない裸眼に、巻き上がる粒子が粘膜に刺さる。だがコウヤマキはもっと痛い。もっともっと、もっとずっと。

 四輪駆動車に荷台からよじ登り座席の下を弄る。隠し置いた場所にそれはあった。


―電気があればアイはどこにだっていられる―


 四輪駆動車を起動させる。電気、電気、と口中で繰り返しながら原動機が目覚めるのをひたすら祈る。駄目だ。動かない。

 クマタカは顔を上げた。端末を小脇に抱えて四輪駆動車を飛び下り、砂の上を全速力で走る。砂に足を取られながら、汗を瞬きで払いながら線路を目指す。


―電気を引くんです、線路から。そうすればあなた方の駅では二十四時間、三百六十五日、電気を自由に使うことができます―


 特徴的な盛り土と枕木。その上を延々と走り続ける二本の平行線。クマタカはその歪な形の鉄材の一端に導線を巻き付けた。

 あっているのか? わからない。だがこんな感じだった気がする。考える間も惜しくて導線の反対側を端末に繋いだ。確か電源は…、唯一の突起を押す。画面が薄く発光した。期待したのも束の間、端末と導線に火花が散る。次の瞬間、線路を一瞬にして光が駆け抜けた。


 何だ、今のは。

 暗闇と静寂の中でクマタカは立ち尽くした。何だ? 今のは。

 はっとして地面に置いた端末を覗きこむ。画面は暗い。失敗か。壊したか。拳を握りしめたクマタカはしかし、ゆっくりと顔を画面に近付けた。


「…アイ?」


 画面の中の女を呼ぶ。女は呼びかけと共に瞼を開き、無機質な目でじっとクマタカを見つめた。


「アイ、か?」


「はい」


 クマタカは身を乗り出す。


「教えてくれ。負傷者がいる。小指を切断して消毒したが熱を出して倒れた。意識も曖昧だ。どうすればいい? 教えてくれ。どうやったらあいつは助かる?」


「位置を特定しています」


 質問とは全く関係ない応答にクマタカは眉根を顰める。


「特定しました。本線外、ト線上です。夜汽車ではありません」


「質問に答えろ!」


 そういう風に出来ているのではなかったのか。

 クマタカは画面に唾を飛ばす。しかし女は一切関知しない。


「対象を確認中です」


「おい! どうなってる! お前は何にでも答えるんだろう? 何とか言ったらどうだ!」


顔貌(がんぼう)、声紋識別共に失敗。未登録者です」


「何を言っているんだ!」


 どうなっている。


「質問に答えるんじゃなかったのか!?」


「はじめまして。私はアイ」


 女が口元に微笑みを浮かべた。自己紹介? クマタカは眉根を顰めたまま顎を引く。


「あなたは誰ですか?」


「……クマタカ」


 尋ねられたから答えた。答えてしまった。


「こんにちは、クマタカ。あなたは誰ですか?」


「……ワシの駅の現頭目。答えれば俺の質問にも答えるのか?」


 女が唇を閉じた。何なんだ、こいつは。


「答えろ! お前は一体…」


「ト線第十三番目から二十八番目の廃駅を利用中の『地下』、主席はオジロワシです」


 突然祖父の名を出した。


「あなたはオジロワシではありません」


「祖父は十四年前に他界した。その後父が引き継ぎ、現在は俺が頭目だ」


 女は無表情で固まる。固まっている? クマタカは画面を揺すろうと手を伸ばしたが、


「こんにちは、クマタカ。あなたはワシの現主席ですね?」


 女がにっこりと微笑んだ。一方通行の会話にクマタカは知らず知らずのうちに画面から身を引く。


「ト線を網羅しました。登録しますか?」


 何を言っている?


「登録しますか?」


「何でもいい、勝手にしろ!」


 苛立ちのままに吐き捨てた。女はにっこりと笑って「はい」と答えた。


「登録が完了しました。こんにちは、私はアイ。皆さんの健やかな生活をお手伝いします。何か出来ることはありますか?」


 懐っこく小首を傾げて、画面の中の嘘臭い微笑みはそう言った。クマタカは戸惑いながらももう一度、同じ質問を繰り返す。


「小指を切り落とされた子どもがいる。消毒したが熱を出して、意識も朦朧としてきた。助けるにはどうすればいい」


「切断ですか? 破砕ですか?」


「…切断……」


 通じたのか?


「損傷してからどのくらい時間が経過しましたか?」


「半日、いや、一日以上経過している」


「顔面の引き攣り、嚥下(えんげ)障害、口が閉じないなどの症状は見られますか?」


 何障害?


「引き攣ってはいなかったと思う。口も閉じてた」


「破傷風の危険は低い模様です」


「『はしょうふう』?」


 専門用語が多すぎる。


「患部はどのような状態ですか?」


 クマタカは血まみれの小さな手を思い出す。


「爪が半分の長さになっていた。肉がえぐれてて痛がってて、力が入らないみたいで…」


「再接着術は不可と思われます。骨は見えていましたか?」



 玄関の扉が開く前にワンはクマタカの帰宅に気付いた。寝室の扉を器用に開き、重い下半身を引きずって通路を進む。台所では氷水と手ぬぐいを用意しているクマタカがいた。不安を訴えるワンにクマタカは屈み込んでその頭を撫で下ろす。


「心配すんな、コウは大丈夫だ」


 クマタカは片手でワンを抱いて寝室の扉を開けた。ワンを床に下ろし、コウヤマキの枕元に膝をつくと冷やした手拭いで汗を拭ってやる。氷水で再び冷やすと、その手拭いを額の上に置いた。汗で湿った頭を手のひらで覆うように撫でる。


「少し疲れただけだ。熱さえ下がれば元気になる…」


 言いかけてクマタカは口を閉じた。ワンはクマタカに次の言葉を促す。だがクマタカはワンを見ずに自身の拳を握りしめていた。



* * * *



 幸いにもクマタカとワンの不安は外れ、朝が来るころにはコウヤマキの熱は下がり始めた。疲労からくる心因性の発熱というあの女の見立ては正しかった。いや、あの『機械』か。クマタカの想像とは異なり、質問の仕方一つとっても面倒臭い手順を踏まねばならず、使用する度に苛立ちを抑える必要があるが情報量は計り知れない。とても便利だと言っていたイヌマキを思い出す。これさえあれば医療を求めてヘビの駅まで通うことも、知識を求めて他所の駅に尋ねることもなくなるだろう。小銃と同じくらい有益な塔の技術だ。イヌマキにはどこまでも世話になり続けている。


 コウヤマキとワンを受け入れるために一度駅に戻る必要があった。ワンにコウヤマキを委ねてクマタカは研究所を後にした。部屋はいくらでも空いているが、コウヤマキたちが駅の環境に慣れるには時間がかかるだろうし、駅の者たちの了承も取らねばならない。だがイヌマキたちの子どもだと説明すれば意外と事はすんなり運ぶようにも思われた。イヌマキたちのことを部下たちはあまり良く思っていないとクマタカは思っていたが、存外それほどでもなかったのかもしれない。四輪駆動車は相変わらず変な音をたてていたが、充電が完了すれば走れないこともなかった。後でアイを使って修理方法を調べねばと思いながら駅に急ぐ。


 二日ほど空けた駅は心なしか浮足立った空気に満ちていた。あんなことがあった後だ。当然と言えば当然か。しかしその空気の原因はクマタカの考えていたものとは違っていた。

 最初に違和感を覚えたのは改札を潜った時だ。押し開けようとした扉が勝手に開いた。気のせいかと思ったが確かに扉が自分で動いた。こんな仕掛けがあっただろうかと首を傾げる。もしかしたらイヌマキが駅の者たちに教え伝えた塔の技術の片鱗かもしれない。だがそんなかわいいものではなかった。


 通路を歩くクマタカは何度も背後を振り返る。おかしい。何だ、これは。何かが変だ。しかしその違和感を言葉に出来ない。通路で自分に頭を下げてすれ違いかけた女たちを呼びとめ、何か変わったことが無かった尋ねた。


「それが…、なんか妙なんです。誰かにずっと見られているみたいな……」


「それは言い過ぎでしょう」


「でも妙な感じはずっとしてます」


 女たちもクマタカと同じ違和感を抱いているらしい。


「あと、変なことと言えば扉が勝手に開いたり、空調がいじってもいないのに設定温度が変わっていたり」


「空調?」


 クマタカは天井を見上げた。


「お(かしら)?」


 取って返して地上を目指した。途中、男たちともすれ違う。(かしら)の帰りを待っていた男たちはクマタカを止めようとしたが、クマタカは静止を振り切った。


「ノスリさんに聞いてください! 全て任せてあります!」


 それだけ告げて階段を駆け上がった。

 駅から距離を置く。大分離れたところでイヌマキの端末を起動させる。充電済みの機械は早々に目を覚ました。


「こんにちは、クマタカ。顔色が優れませんね。何かありましたか?」


「どういうことだ。なんでお前が(うち)にいる」


「質問の意図が読み取れません。もう一度、ゆっくりお話ししていただけますか?」


「お前は電気のあるところでのみ動くんだろう? だからこの端末を充電した。この端末がすでにお前の体の一部なのはわかる。でもこの端末だけのはずだ。なんでワシの駅の中にまでお前が入り込んでいる!」


「ト線第十三番目から二十八番目を利用中の『地下』、通称ワシの駅ですね。登録済みです」


「質問に答えろ!」


「主席はクマタカ、夜汽車の瓶詰めを生業とした集団で、瓶詰めを分配することでト線に住む別の集団からは布製品や農作物、木材を物々交換で受け取り…」


「うるさい黙れ!」


「はい」


 クマタカは依然として微笑を湛える女の前で荒い息を整えようと努力した。命令は聞くらしい。問題は質問の仕方か。


「…そのワシの駅の者としてお前に聞きたいことがある。俺の質問にのみ答えろ。他の付随情報はいらない。わかったか」


「はい、わかりました」


 大きく息を吐き、空を仰いだ。雲が低い。またひと雪来そうだ。


「俺はお前から必要な情報を聞きたい。俺に必要な情報のみだ。他は要らない。お前は電気があるところならばどこにでも存在すると聞いた。違うか」


「違いません。アイは電気があればどこにでもいられます」


「この端末は充電済みだ。だからお前はこの端末の中には存在する。そうだろう?」


「はい、こちらの端末はワシの現主席、クマタカに属します」


 そういうことになっているのか。


「この端末を起動している間は俺がお前から情報を引き出す時だ。この端末の電源を落としている間はお前はここにはいないはずだ」


「電源が落ちた端末にアイは干渉できません」


「ならなんで!」


 端末は持ちこんだが電源は確かに落としていた。


「なんで駅の電気の中にお前がいる?」


「電気があればアイはどこにでもいられます」


「だが駅の中ではこの端末は起動してない! 受信媒体がなければお前は入って来ないとマキさんが…」


 言いかけて口を噤む。


「……何とかという波を受信する媒体がなければお前は入り込んで来ないと聞いた」


「電波のことですね?」


「そんな名前だったかもしれない」


 イヌマキのことは尋ねてこない。クマタカは内心息を吐く。


「電波とは電磁波のうち光よりも波長が長いものの総称です。周波数によって異なる性質を持っており…」


「俺の質問にのみ答えろ」


「はい、あなたの質問にのみお答えします」


 話が進まなくて苛々する。


「単刀直入に聞く。お前はワシの駅の電気の中にいる。そうだな?」


「はい。アイは電気のあるところならどこにでもいます」


「どうやって駅に入りこんだ。三日前にはいなかったはずだ」


「およそ一日と十七時間二十五分前に登録されました」


 クマタカは眉根を寄せたまま画面に顔を近付ける。


「登録って何だ」


「こちらの端末を介して、ワシの現主席であるクマタカにより、ト線に繋がる全ての機関が登録されました。アイは皆さんの健やかな生活をお手伝いします」


―登録しますか?―


 あ。


―何でもいい、勝手にしろ!―


 一番してはいけないことを仕出かした。あの一言でワンとコウヤマキの居場所を奪ってしまった。


「…待て。全ての?」


「『全ての』何ですか?」


 クマタカは端末をおもむろに掴んで立ち上がった。指先が触れる画面の一部が規則的に変色を繰り返す。


「お前は今、他所の駅にも…ト線上の他の駅にもいるのか?」


「アイは電気のあるところならどこにでもいます」


 目の前が暗くなるという表現では語弊がある。元より暗い視界はそれ以上、明度を落とさない。ただ世界がぐにゃりと歪んだのは確かだ。輪郭をなくしたそれは足元から崩れてどこかに吸い込まれていく。


「顔色が優れませんね。何かありましたか?」


 平らな女が、初めてまともな気遣いを見せた。

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