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1--10 ぼっちゃん

 セッカは腰を擦りながら地上へ急いだ。クマタカめ、思いっきり突き倒しやがって。手に負えない若者の愚行に奥歯が軋んだ。

 説得できると思っていた。あの無口な餓鬼は、軽く脅せばすぐに押し黙るだろうと。しかし子どもといえども体格は自分よりも大きかった。常日頃、卑屈に下を向いていたからうっかり小さく見ていた。あんなに感情をさらけ出すとは予想外だった。あれほど興奮したままで現場に行って何をするつもりか。奴は一体何を考えているのか。


 だがセッカの焦燥を嘲り笑うかのように、地上への道は混雑していた。武装したワシの男たちが怒鳴り合っている。イソシギやオオサンショウウオが喚き散らしている。


「何があった」


 すぐそばにいたワシの男の肩を掴んで質問した。ワシの男はセッカに振り返ると一瞬固まり、そして周囲に注意しながらセッカに屈むよう促した。


「電車が足りないんです」


「どういうことだ?」


「俺もよくわかんないんすけど、なんか、寄り合いに来てた…いらっしゃっていた方たちがうちの電車乗ってっちゃって、で、俺らは(かしら)から出動命令出たんで支度してきたんすけど、俺らの乗るやつに乗せろって他の駅の皆さんが割りこんできて、でも俺らが先に行かないとってサシバさんは聞かなくて…」


「サシバって?」


「先代の秘書さんっす。あれ? 今もかな」


 セッカは顔を上げて見回す。長身の若い男が目につく。いつもオオワシの半歩後ろを歩いていた根暗な男、あれか。


「サシバ!」


 セッカは怒鳴りながら上に進んだ。振り返ったり舌打ちしたりする面々を押し退けて長身の男のもとにようやくたどり着く。


「サシバか?」


 サシバは一瞬嫌な顔をして見せたが、すぐに「はい」と返事をした。


「スズメの駅のセッカだ。オオワシさんには世話になった」


「存じてます」


「うちの(かしら)がたまたま不在でな、今日は俺しかいない。よって俺の意向はエナガのそれだと思ってくれ」


 サシバが無言で頷く。


「お前のところのクマタカの後見だ。あいつの動向を見張る義務が俺にはある。今すぐ電車を出せ。命令だ」


 サシバが固まる。セッカは苛立つ。


「お前らのところのバカ(がしら)がとんでもない愚行を仕出かそうとしてるんだ! 今すぐ止めに行く。早く出せ!」


 苛立ちのまま怒鳴り散らした声の末尾が余韻を残して響き渡った。あれほどざわついていた空間が静まり返る。どうせこの喧騒の中では聞きとられないだろうと『若頭』にかけて放った悪口が、ワシの男たちの目を白けさせた。あんな子どもでも一応、駅頭(えきがしら)として部下をまとめる努力はしているらしい。セッカは自分に突き刺さる無数の敵意を警戒しながら、もう一度サシバに凄んだ。


「電車を出してくれ。今すぐ」


「総員準備でき次第、出動するようにと命じられています。他の駅の方々は一度お下がりください」


「立場をわきまえろ。ここにいるのは駅頭(えきがしら)とその従者だ。お前らよりも…」


「ここはワシの駅っすよ!」


 背後から野次が飛んだ。振り返るも声の主は見つからない。全ての顔が怒りに満ちてセッカを睨みつけていた。


「あんたスズメっしょ」


「うちの駅でのさばってんじゃねえよ!」


 一度箍が外れると、野次は罵声になり、罵声は動作を伴い、掴みかからんばかりに感情を剥き出しにした男たちがセッカや他の駅頭(えきがしら)たちを取り囲んだ。暴徒と化す一歩手前だ。


「やめろ、ノスリ」


 襟首を持ち上げられそうになっていたセッカを誰かが助けた。セッカは内心、息を吐く。セッカに迫っていた男の肩を引き戻し、注意するというよりも静かに恫喝した男は、セッカを見下ろすと、「でもこいつの言うとおりです」と言った。


「ここはワシの駅です。立場をわきまえてください」


 セッカは息を飲む。他の駅の者たちも今では小さくなって押し黙っている。


「なあ、こういうのはどうけ?」


 突然場違いな若い男の明るい声が響いた。その場にいた全員が振り返る。


「まずワシの皆さんが乗る。全員乗られて空いてる場所に俺たちも乗るだけ乗らせてもらう。それなら問題無かろう?」


「乗れなかった奴は?」


 ネコの若い娘が横で尋ねる。


「次の電車に乗せてもらえばいいにか」


 ヘビの男が親しげに答える。そこだけ切り取れば平和な家族のような会話だった。しかし、


「次なんて()ぇんだよ!」


「黙って下がれ、他所者ども!」


 ヘビの若頭の提案はワシの男たちによって却下されかけた。だがこれを逃したら本気でクマタカを止められない。


「わかった! それでいい!」


 セッカは叫んだ。


「空いてる席で…通路でもいい。乗せてくれ」


 腸を煮え繰り返しながらサシバに頭を下げた。血管が破裂しそうだったが背に腹は代えられない。


「それでいいか?」


 先の暴動を仲裁した男がサシバに耳打ちした。サシバが黙って頷く。


「お前ら乗れ! 全車両幌無しだ。(かしら)ぁ、待たすんじゃねえぞ!」


 男が怒鳴ってワシが動き出した。流れるような蠢きの中でオカダトカゲが近づいてきた。


「助かったじゃ。自分、大丈夫け?」


「何とか」


 セッカは襟元を緩めながら頷く。


「シュウダもよう言ったわ。まだまだ子どもや思っとったが」


 シュウダか。セッカはヘビの若い男を見遣る。


「にしても何なのこれ?」


 イソシギも駆け寄って来て耳打ちした。「ワシのあの子、こんなに統率力あったの?」



* * * *



 サシバは焦っていた。次にとるべき行動がわからなかった。流されるままに電車を走らせ始めたが、目的地についたらその後はどうすればいいのだろうか。


 オオワシが亡くなって以来、自分の身の振り方がわからなかった。オオワシはどこに行くでも自分を傍に置き、雑務全般を押しつけては四苦八苦しているサシバの背中を指差して笑っていたから。オオワシにさえついていけば仕事はあったし何も考えずとも居場所があったから。だが自分を絶対的に庇護してくれた存在の突然の消失はサシバを路頭に迷わせた。


 オオワシの後は長男が継いだ。理由はわからないが自分を毛嫌いしている男だ。男、と呼ぶには若すぎる青年だ。

 他の男たちのように振り分けられた仕事もなかったサシバには、次に何をすべきか指示を仰ぐ必要があった。自分からすべきことを探すという発想はサシバにはなかった。


 幸いにも長男は、オオワシに倣って自分に仕事を与えてくれた。その多くは雑務とさえ呼べないものだったが、何もしないよりはましだった。だからサシバは長男の傍らにいるようにした。しかし長男が自分を嫌っている事実は変わらなかった。


―なぜお前に呼び捨てされなければいけない―


 他の者たちのように『おかしら』と呼ぶべきだったのだろうか。だがオオワシさえそんな風に呼んだことはない。オオワシはワシの駅の(かしら)だったがサシバの(かしら)ではなかったから。オオワシはオオワシでしかなかったから。そもそも(かしら)とは何なのかサシバには理解できていなかったから。もし仮に、誰かがその定義を文章化してサシバに伝えていたとしたらサシバの理解も多少は進んだかもしれない。だが誰もそれをしなかった。だからサシバは今日に至るまで、(かしら)とか部下とか仲間とか、そういう難しいことがわかっていない。ただ、行く場所がない。だからそこにいる、それだけだった。


 呼びかけることが出来ないと会話も生まれない。だが仕事がなければそこに身をおくことも許されない。結果、サシバは呼ばれるまで待機することしか出来なかった。


「お(かしら)は何、言ってた!」


 荒れ狂う吹雪の中でコノリが耳元で叫んだ。先の騒動を抑えこんだワシの実力者は、世代交代した長男をすんなり『おかしら』と呼び始めた。クマタカはこの男こそを傍に置くべきだとサシバは思っていた。オオワシも頼りにしていた男だ。だがクマタカは何もかも自分で解決しようとする。何もかも背負い込む。コノリの声も聞こえていない。結果、コノリの立場も『先代の参謀』という曖昧なものになり果てていた。


「『俺は先に行く、早くしろ」と!」


 サシバも怒鳴り返す。


「あの塔のところだろ! 何があったんだ!」


 コノリが誰に尋ねるでもなく疑問を口にした。サシバも同じ思いだった。今日の寄り合いで、あの密室で一体何があったのか。他所の駅頭たちは頑なに答えようとしないし、その従者たちはサシバ同様室外待機だったから、誰に尋ねても埒が明かない。


「何でもいいっすよ! 調達でもないのに帯刀命令出たんす、暴れてやりますよ!」


「お前は少し黙ってろ!」


 血の気の多い若い男がコノリに窘められた。若い男はだみ声で、「でも先輩!」と続ける。


「あいつら黙ってれば好きなだけ瓶詰め持ってくくせに今度はあの塔のことで文句言ってきたんすよね?」


 最後尾の満員車両を見やりながらだみ声は言う。


「これ以上黙ってる筋合いありますか? 特に俺はカメが気に入らないっす!」


「後ろに聞こえるぞ! バカ!」


 コノリがだみ声を叱りつけた。サシバは男たちが一致団結した理由を、この場に及んでようやく気付いた。

 クマタカは駅の統治など出来ていない。誰の言葉も聞かず、誰も傍に置かず、全てが独断的で何もかもを抱え込んでいては、周囲が距離を置くのは必然だ。頭目とは名ばかりでクマタカのやり方に異を唱える連中は駅内にも少なくない。今日この出動の直前に見せたワシの結束力は、単に他所への不満ゆえだ。クマタカの力ではない。しかしあんなのでもオオワシの息子だ。オオワシの息子なのだ。


「サシバ、」


 コノリが肌が触れそうなほど接近して耳打ちした。


「実際、どうなってんだ。『ぼっちゃん』は何しようとしてる」


 サシバは唇を結んだ。自分が知るはずがない。しかしヨタカの話だと、


「夜汽車の不足分を補おうとしているらしい」


 コノリが目を見張って顔を覗きこんできた。


「どうやって?」


 サシバは首を横に振る。自分が聞きたいくらいだ。


「あの塔と何か関係あるのか?」


「すまない。俺もわからない」


「お前、側近だろ! 何してたんだよ! お前がやらないで誰が『ぼっちゃん』を制御するんだよ!」


 サシバはコノリを凝視した。他の者が自分をそんなふうに見ているなんて知らなかった。


 サシバはいつもそうだ。周りの者の考えを汲み取ることができない。自分は舌足らずなくせに周囲からは徹頭徹尾、簡潔な文章で説明されなければ相手の意向も物事の詳細も理解出来ない。与えられた言葉は与えられた言葉のとおりしか受け取れない。そうではない、と教わり、叱られ続けてきたがこの年齢になっても一向にその点においては成長が見られない。だがオオワシは、サシバ自身を悩ませ続けてきたその欠点を笑い飛ばし、むしろその点こそを重用した。


―お前、おもしろい奴だな―


 そんな風に言う奴はお前以外はいない。



* * * *



 シュウダは目の前の惨状に口元を手で覆った。伯父の仕事の手伝いで血は見慣れているが、これは酷い。


「この殺し(やりかた)はあいつじゃ」


 オカダトカゲが横でぼそりと呟いた。あいつって誰だ?

 しかしそんな疑問よりも身についた生業の使命感がシュウダを動かした。見た目は酷いがまだ助かるかもしれない。やるだけやってみねばならない。そう思い踏み出したシュウダをしかし、年長者たちが制止した。


「何け? 放せま」


「いい、いいんじゃって」


「診てみんとわからんやろ。まだ助かるかもしれ…」


「死んどる」


 叱りつけんばかりに睨みつけられてシュウダは顎を引いた。横たわる体を見遣る。男と思われる体は胴より下は赤く染まり、腹からは中身が飛び出していた。背後から殴られもしたのだろう。血で固まった頭髪が後頭部が割れていることを物語る。閉じた瞼と半開きの口だけが眠っているような穏やかさを演出するも、胸部のへこみは…。誰かが蘇生を試みたのだろうか。


「お(かしら)は?」


「女の方はどこだ」


「おい、何があったんだよ!」


 ワシの男たちが家屋の中に土足で踏み込み、遺体の周りで疑問を叫びあっている。


「カエルやろ」


 後ろの方で声が聞こえた。「好き者やしな」


「ああ」


 誰かが納得したとばかりに相槌を打った。


「おい、あんたら」


 ワシの男がシュウダたちの元に近づいてきた。


「これ、先に行った奴らの仕業だろ? どういうことだ。なんか知ってんじゃねえのか?」


 何も知らない。シュウダは素直に首を横に振る。しかし男の視線はシュウダたちを捉えて離さない。シュウダはちらりと周囲を見た。駅頭(えきがしら)たちは皆、口を閉ざして視線を逸らす。


「おい!」


「無駄だ、やめとけ」


 凄んだ男を別の男が止めた。「年寄りは何も喋んねえよ」


「年寄りぃ?」


 そんなところにばかり反応する。ワシの男たちとサカマタが言い争いを始めた。言い争いで終わればいいが多分、いや、絶対に終わらない。シュウダは止めに行こうとしたがオカダトカゲに肘を掴まれた。


「離せま、爺ちゃん。あいつらまた…」


「いいからお前はここにおれ」


「でも…」


「後でマムシに聞け」


 聞いたこともない低い声で凄まれてシュウダは黙るより他なかった。ヤマネコと目が合う。強がった表情の中に不安の色が見える。ヤマネコも他の駅頭たちの異様な雰囲気を感じ取っている。身軽さを追求した外套が寒そうだ。大丈夫だと言って抱きしめてやりたい。


「この方はなあ! うちの駅の技術指導の先生なんだよ!」


 ワシの男が遺体を指差してサカマタに怒鳴りつけた。


「死なれちゃ困る偉い方なんだよ! わかってんのか!」


 がなるワシの男たちを尻目に、シュウダの背後ではまた、ぼそぼそと低い会話が聞こえてきた。


「阿呆が。ワシども、塔に感化されおって」


「なんで誰も止めんかった」


「自分とこやろ」


「すみません」


 年寄り連中に小声で責め立てられた小男が俯き気味に謝罪している。よほど腹を立てているのだろう。セッカの頬が引き攣っているのが吹雪の中でも確かに見えた。


 電車を降りて雪原を歩いて、やっと辿り着いた目的地は奇妙な平屋だった。駅ではない。でも廃屋でもない。ここに塔から逃れてきたワシの駅の関係者が住んでいるという。塔を捨ててワシになった? ワシではなくまだ塔で…? 話し半分に聞いていたシュウダにはいまいちよくわからなかった。今日はそんなことどうでもよかった。早く面倒事を終わらせてヤマネコとのことをオカダトカゲに報告に行く日だったのだ。


「あれ」


 ワシの男が吹雪の中を指差した。掴みあいの言い争いをしていた連中も、建物の中で喚いていた男たちも、全員が目を凝らす。


「『ぼっちゃん』?」


 シュウダは声のした方に思わず振り返った。酷いあださ名で呼ばれているようだ。

 不名誉なあだ名の主は吹雪の中をこちらに向かって歩いて来ていた。シュウダは息を飲む。吹雪の中でも目につく衣服のまだらな赤。ワシの男たちも(かしら)の異様な佇まいに固まっている。


「クマタカ…」


 シュウダは誰の制止も聞かずに踏み出していた。吹雪の中の赤い男に駆け寄り、その両腕を握って揺さぶる。


「おま…! 何けえ!? 何あったが?」


「…んで何もしなかった」


 俯く男の呟きが聞き取りづらくてシュウダはその顔を覗きこんだ。その瞬間、クマタカがシュウダの腕を振り払った。同時に襟首を後ろから強く引かれる。オカダトカゲが自分と入れ替わるようにして前に出た。首が締まって息が止まる中、目の前を雪の粒とは異なる向きの弧が走る。

 ヤマネコの叫び声が遠くに聞こえた。自分の意思とは関係なく腰が砕けて尻をつく。後からやって来た感覚に下を覗きこむと腹のあたりが寒かった。布地が切れて肌が露出しているからか。違う。露出したのは肌だけでなくてこの位置なら腸、胃、肝臓、は…


「シュウダ!!」


 ヤマネコの顔が見える。その後ろで罵声と怒号、その後に悲鳴と絶叫。


「じいちゃ…」


「喋んな!」


 オカダトカゲが倒れてきた。変な格好で。目を見開いたまま止まっている。


「じいちゃ?」


 そんな格好しとったら駄目やちゃ。まぁた腰、悪くする。

 オカダトカゲは目を見開いたまま体の周りに赤い雪を作っていく。あ、この赤いがは俺のけ?


「クマタカぁ!!」


 セッカの声。だいじょうぶなわけないにか…


「動くな、喋んな、じっとしてろよ!」


 あり得ないほど寒くて、眠くて、痛くて、静かで、温かい。雪に混じって


「や……」


「頼むから喋んないで!!」


 泣かれんな、だら。



* * * *



 クマタカは足元の老体から太刀を引き抜き、迫りくるもう一つに構えた。一瞬目の前が暗くなる。セッカ。右手で禿げ頭を制し、左手でクマタカの喉元に拳に納まるほどの小さな小銃を突きつけている。塔の武器か? 情報を出し惜しみするのが好きな男だ。


「退けい!」


 禿げ頭が割れた声でセッカに怒鳴った。しかしセッカは無言でちらりとそれを見やると、年長者の目でクマタカを睨みつけた。


「クマタカ、お前…」


 セッカの目付きが変わった。クマタカはその後ろを見る。若い男がセッカの喉元に刀の刃を当てていた。


「下ろせよ」


 肩で息をする男は刃の向きを微妙に変える。セッカの首に赤い筋が走る。見ると残りの駅頭やその従者たちにも、自分の部下が抜刀して威嚇している。 

 セッカは目を見開いて背後を窺い、クマタカを睨みつけたが、やがて禿げ頭を制したままクマタカの喉から銃口を下ろした。男がセッカの背中を蹴飛ばす。セッカは禿げ頭もろとも前にのめる。


「どういう状況っすか? 皆殺しますか? でもこのままやりあうのはうちも戦力殺がれるの目に見えてます。(あたま)潰して他は無視ってのもありかもっすけど、とりあえず体勢たて直してからじゃないすかね」


 クマタカは早口に耳打ちしてきた男の顔を見つめた。ワシの男であることは間違いないだろう。刀を持っているし。

 セッカから顔を上げた男は保護眼鏡のままクマタカに向き直り、それからにやりと頬を持ち上げた。


「ノスリっす。何度か報告係でお部屋に行ったこともあるんすけど」


―自分だったら、最前と最後尾、あと中央車両は見張り用として幌無しで行かせます―


 あの時の。


「任せます」


「へ?」 


 クマタカは太刀を握る右手を下ろして、ノスリにもう一度言った。


「それでお願いします」


 ノスリはぽかんと口を開けたまま、しばらくクマタカを見つめた。それから周囲を見回し顎を指先でかき、片頬だけ半笑いのまま、


「…っと、じゃあとりあえず、今後夜汽車の分配はなしってことすか?」


 確かに。そうすれば全てが丸く収まる。寄り合いも必要なくなるし駅の者たちの腹を満たしてやることもできる、ワシの駅の。


「はい」


「まじすか?」


 だみ声をさらにしゃがれさせてノスリは顔を突き出した。口を開けたまま保護眼鏡を持ち上げて直接クマタカを見つめる。


「いい加減にしろ」


 セッカが近寄って来た。


「何、好き勝手なことしてる。そんなもの許されるわけないだろ。状況をよく見ろ。お前だけで統べられると思うか? 何があったんだか知らないがな、とにかく今すぐ頭下げろ。あっちはうちが何とかするからひとまずこの場を…」


 突然頭ががくんと落ちたかと思うと、セッカは脚を押さえて低く呻いた。


「うちの大将が考え中だろ? 邪魔すんなよ」


 ノスリの太刀の先端から赤い筋が滴った。


「いつも的確な助言、感謝します」


 痛みに半面を引き攣らせながら驚愕の表情を向けてきたセッカに背を向け、クマタカはノスリに伝えた。


「それでいいと思います。それでお願いします」


「おい、クマタカ…」


「了解っす!」


 口を挟みかけたセッカを差し置いて、ノスリが満面の笑みで承諾した。


「……ふざけんな」


 ヤマネコが歯ぎしりしながら立ち上がった。刀を向けるワシの男たちを蹴り倒してクマタカに向かってくる。


「ふざけんな! そんなこと誰が受け入れるか! うちは絶対認めない、ネコは断固拒否する!」


「ヤマちゃん!」


 中年女がヤマネコに駆け寄り、ワシを警戒しつつその腕を引いた。


「ヤマちゃん、黙ってなさい。今は下がって…」


「ヤマネコ」


 クマタカが自分の名を呼ぶとは思わなかったのだろう。ヤマネコは中年女と揃って目を丸くして顔を上げた。


「お前のところにはこれまで通り分配したほうがいいか?」


 ヤマネコだけでなく、その言葉を聞いた者全員が、呆気に取られてクマタカを見た。

 クマタカとしては別段、奇妙なことを口にしたつもりはなかった。ネコは数も少ない。ネコの駅くらいならこれまで通り養ってやれなくもないと思ったし、ネズミ対策に充当されている女たちには同情していた。しかし、


「なめんな、クソが!」


 ヤマネコは顔を真っ赤にして全身を小刻みに震わせながら睨み上げてきた。言い方、伝え方の問題だろうか。クマタカがもう一度真意を伝えようとした時、死んだと思っていた血まみれの男がヤマネコとの間に立ちはだかった。確か、ヘビの。


「シュウダ!」


 半開きの瞼の奥から睨み上げて来る視線にクマタカは自分の身の内が急激に冷めていくのを感じた。


「ぶ、分配なくすって…」中年女がヤマネコ達の後ろで、歯をかちかち鳴らしながら言葉を紡ぐ。


「なくされた、あ、私たちは…どうすればいいの? 夜汽車なんて、うちのとこまで来……し、だって、それに…、瓶詰めなんて、どうやって作るのか…」


 与えられるものを当然の権利として貪るだけの連中は、与える側の苦労や努力を理解出来ない。クマタカの予想通り、他者に依存することで半生をやり過ごしてきた惨めな年老いた女は、物事を自分の頭で考えるという発想さえも持ち得ないのだろう。それはそれで不憫だとクマタカは思う。


「働かない者に価値はありません」


 中年女が顔を上げる。


「働かざる者食うべからず、と言うでしょう」


「病気…」 


 クマタカの助言に中年女が涙目で何かを口籠る。クマタカは眉根を顰める。


「病気で伏してても…? うちの旦那…、もう自分で動けないの。あ…あの姿見ても、……同じこと言えるの?」


「病に罹ったのはその方の自堕落が招いたことでしょう。自業自得です」


 涙を一筋こぼして女は固まった。


「おばさん下がって」


 ヤマネコが呆然自失とした中年女の前に出た。「このバカは私がやる。喋るだけ無駄だ」


「やめとけ、姉ちゃん」


 クマタカが口を開く前に半笑いのノスリが前に出た。


「あんたじゃ勝ち目ねえよ。俺ら全員相手にするつもりか?」


「そっちこそ下がりな、三下。ネズミ駆除の専門家をなめんじゃないよ」


「いきがるなよ、バカ女」ノスリが大口を晒してから真顔になる。「瓶詰め作り(ころし)は俺らの専売特許だろうが!」


 よほど他所への不満が蓄積していたのだろう。自分を守ろうとでもするかの様にヤマネコに立ちはだかった男たちの背中を見て、クマタカは申し訳なく思った。ヤマネコが息を飲む。歯茎を晒して身構える。ヘビの男が腹を押さえながらやっとのことで立っている。中年女は今や腰を抜かして地面に尻をつき、ワシの男たちに取り囲まれている。中年女が不憫になったクマタカは、足元を見下ろした。


「これも」


 一突きで動かなくなった老体を指して中年女に教えてやる。


「『これ』からでも瓶詰めは作れます」


 ヘビの男が真っ赤な目をしてこちらに向かってきた。ヤマネコが叫ぶ。ノスリが怒鳴る。残りの駅頭(えきがしら)とその従者たちがヘビに加勢して、ワシの男たちが真っ向から受けて立った。騒然とする周囲をぼんやりと見つめながら、自分で口にした提案を、それもありか、と納得する。


「すみません」


 傍らにいた男に声をかける。刀を持っているしこちら側にいるからワシだろう。


「これも駅に運んでおいてください」


 腹の出た脂肪まみれの老体は、夜汽車の少年たちに比べれば味も落ちているかもしれない。だが飲めないことは無いだろう。

 言い含められた男は、どこかの駅頭(えきがしら)だったものとクマタカを見比べた。

 喧騒の中でクマタカは歩きだす。ワシの男たちが、自分たちの頭目のために道を開ける。


「クマタカ!」


 呼ばれて振り向くとセッカだった。痛むのだろうか。片足跳びでもするように、ひょこひょことこちらに近づいて来ようとしている。


「彼も運んでおいてください」


 その男には、まだ聞きたいことがある。

 大きく目を見開いたセッカを、自分の部下が両脇から抱え込んだ。自分の名を連呼する小男が離れていくのを確認してから、クマタカは研究所の扉を閉めた。

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