1--12 地下と塔
「少ないのう」
ヒキガエルが吐き捨てた。
「夜汽車自体が減ってますから」
クマタカは答えた。
「うちの分、本当にこれだけか?」
セッカも苛立ちを剥き出しにする。
「それだけです」
「ちょっと困るんだけど」
中年女が頭に響く甲高い声を上げた。
夜汽車の分配の日が重なり、ワシの駅で寄り合いが行われることになった。搾血作業と分別と片付けでただでさえ慌ただしい最中に。クマタカは駅の者たちに申し訳なく思う。
「こっちから行った方がいいんでないか?」
「行くってどこじゃ」
カメの提案にその場にいた全員が首を傾げ、オカダトカゲが皆の疑問を代弁した。
「取りに行くんだよ、本線まで。でないとこんなんじゃ足りないべや」
「夜汽車を襲う気かえ?」
「夜汽車を襲う!?」
「オサガメさん、まじか?」
動揺が駆け抜けた。クマタカも困惑する。
「待ってください。本線の夜汽車はまだ子どもです」
ト線に入った夜汽車でさえ自分よりも年下なのに。
「体が小さければ搾れる量もその分減ります。十分育つまで待った方が賢明です」
「待っとるうちにこっちがおっ死んどるわ」
「ほやのう。これっぽっちなら次の配給まで持たんかもしれんしのう」
「ですが本線の夜汽車を襲うなど」
それではまるでネズミだ。突然現れてこちらが何もわからないうちに襲いかかって来る、何も知らない幼い彼らと。
「そうですね。それもありですね」
セッカが腕組みを解いてクマタカの肩を叩き、「お前んとこが行け」
「……何を言っているんですか」
「夜汽車の調達はワシの仕事だろう?」
セッカが当然のような顔で言う。芸能など生活におよそ不可欠とは思えない生業で、他の駅が汗水垂らして生み出した生活必需品を掠め取って行く輩が、よくもまあいけしゃあしゃあとそんなことを。
「決まりじゃの」
「ワシの旦那はようしてくれた」
「あんたのその腰の物はそのためのもんやろ」
何かに付けて父の名を出す。事あるごとに慣例を持ち出す。そうやってこいつらは面倒事を常に回避してきたのだろう。
「あそこの塔に頼めば?」
ヨタカが口を開いた。皆一斉に首を回す。
「『あそこ』って?」
ヤマネコがヨタカを見下ろして尋ねた。
「本線ちかくに住んでんだ」
そうだよね、とクマタカに同意を求めた。
「本線近くの塔? なんやそれ」
ヒキガエルが不機嫌なままヨタカを怒鳴りつけるように言う。
「すごい奴らなんだよ。そいつらの研究? がうまくいけば夜汽車なんかいらないって…」
「ヨタカ!」
クマタカはヨタカを睨みつけた。ヨタカはクマタカの視線の意図に気付かないようで、怪訝そうに眉根を寄せて首を傾げた。
「研究って?」
早速セッカに突かれる。
「夜汽車が必要無いってどういうこと?」
中年女が緊張した面持ちで身を乗り出す。
「だから、食りょうが…」
再びヨタカが口を開いた。クマタカは大股でヨタカに歩み寄り、腕を引いた。
「なに?」
「何の話け」
「ちょい待ちね」
「失礼します」
「兄ちゃん?」
「続けろや、坊主」
「失礼します」
「クマタカ!」
セッカの声を鉄扉で遮断した。
「兄ちゃ…」
「黙ってろと言っただろ!」
それを条件に同席させてやったというのに。
「部屋に戻ってろ」
背中を向けて取っ手を掴んだクマタカに、ヨタカはようやく声をあげる。
「だ、だって教えてくれたの兄ちゃんじゃん。だから俺…」
「サシバ」
話し合いの場には決して入れない男をクマタカは呼ぶ。
「ヨタカを連れて行け」
暗がりから姿を現したサシバをヨタカが不安げな顔で見上げた。
話し合いの場はクマタカが戻ると一瞬で静まった。ヒキガエルの、腹の底から腕を突っ込まれるような不快な視線が突き刺さる。
「説明してもらおうか」
「何についてですか」
「惚けんなや!」
「隠すことでもあるの?」
中年女も割りこんできた。
「何もありません」
「だったら包み隠さず言いなさい。ここで。今」
ヤマネコが女を見た。
「話す必要ありません」
「あるか無いかはこっちが決めるの」
この女。
平静を装うも、目の前の女に向けてクマタカは小鼻が引き攣るのを抑えられない。
「とっとと言え言うとろうが!」
ヒキガエルの神経症じみた声がこだました。
「あんたんとこと塔が密な関わりなのはわかっとる。親父さんもそうやった」
腹の出た男がのんびりとした口を開いた。何を言っている? クマタカは男を睨みつける。どこの駅の誰だっただろうか。
「だがなあ、塔は塔や。わしらとは違う。わしらは奴らの隷属でもなければ奴らの道具でもない。利害関係があってこその仲や」
糸のような目の瞼がゆっくりと上がり、男はクマタカを見た。クマタカは心なしか顎を引いている。
「わかるな?」
大柄な男がクマタカの肩に手を置いた。ぬるりとした汗の感覚が服の上からでも不快にクマタカを締めつける。今や誰もが同じ目でクマタカを見つめていた。生きてきた時間の長さで、経験の差だけで自分はそれより力があると信じている目。若いというだけで相手を目下だと決めつけている目。雰囲気に気圧されたヤマネコが平静を装いながら眼球だけで状況を把握しようと躍起になっている。
「植物だろう?」
セッカだった。男たちからのクマタカへの圧力が分散される。
「夜汽車が無ければ困るのはあいつらも一緒だからな。代替品の開発が始まったとは聞いてた」
自分しか知り得ないと思っていたことを、腕組をした偉そうな男が淡々と語り始めた。
皆黙ってセッカの話しを聞いている。クマタカも俯き加減で聞いていた。自分が知らないことまでも含まれていた。
―もしこの研究が成功したら夜汽車が足りなくても食いっぱくれが出なくなると思わないかい?―
―頭だけはびっくりするくらいすごくいいの―
夫婦が嬉々として語っていた夢物語を、目の前の小男が一切の面白みを見つけられないとでも言うように、淡々と説明する。時々鼻で笑いながら。面白いか面白くないか、馬鹿馬鹿しいか画期的か、彼らを知らない者が彼らを語る権利などあるのだろうか。クマタカは両手の拳を握りしめる。
「だいたいそんなところだ。違うか?」
セッカが腕組みしたまま首を回した。クマタカの視線に気付いて顔を上げると、幼子をあやすように眉を寄せる。
「塔の連中も宴はする。呼ばれることがちょくちょくあってな」
生活を送る上では到底不可欠とは思えない生業は、情報を得る上では有用な道具となっているらしい。
「つまりこんな下らない会合の必要もなくなるってこと」
ヤマネコが久方ぶりに口を利いた。
「下らなくもないと思うけどの」
その横でヘビの男が言って、ヤマネコを覗きこむ。
「そこじゃないの、ヤマちゃん」
中年女が低い声のまま言った。ヤマネコとヘビの男が同時に振り向く。
「ほやの。そこやない」
太めの男も頷く。
「なんで黙っとった」
汗症の男のしわがれた声にクマタカは身を固める。
しかし予想に反して汗症が問いかけたのは自分ではなかった。セッカが「すみません」と頭を下げる。
「正直まだ続いてるなんて思ってませんでした。絵空事だと思ってつい今しがたまで忘れてたというのが本当のところで」
「思い出してくれてよかったわ」中年女が言って「この子は私たちに隠し通すつもりだったみたいだし」クマタカを横目で睨みつけた。
「塔に肩入れしやがって」
「親が親ならっちゅうやつか」
「血は争えねえ」
爺共が口々に自分を、自分たち親子を罵った。クマタカは混乱した。話の趣旨が理解出来ない。議題の方向性がクマタカにだけ見えていない。
「セッカ、場所わかるけ」
ヒキガエルが言った。
「本線の入り口あたりです。線路脇に電車が置いてあるんでそこから南に歩いていけば灯りでわかります」
「面倒臭い場所やの」
ヒキガエルは鼻筋に皺を刻んで唾を飛ばし、鉄扉を乱暴に閉めて出て行った。
「おう、うちも手伝うわ」
「ちょい待ちぃ、カエルの」
腹の出た爺たちが口々に声を掛け合ってヒキガエルの後を追う。
「しゃあない。行っか」
「どちらへ?」
「あいつらで十分やんけ」
「何の話ですか」
「頭数揃えた方が効果的やろ」
「…ったく」
老体たちは連れ添うように肩を並べ、クマタカを完全に無視して出ていく。おそらくクマタカ同様、状況を飲み込めていないだろうヘビの若い男も両脇を掴まれて出て行った。
「私たちも行くわよ」
「どこに?」
「ヤマちゃん」
中年女も完全に小さくなったヤマネコを連れて退場した。
目の前で扉を閉められたクマタカと、その様子を腕組みして見守っていたセッカだけが静まり返った一室に残される。
「何考えてんだが知らないがな、情報は共有しろ。そのための寄り合いだ」
クマタカはセッカに振り向く。
「塔と親密に係わり過ぎるのもやめておけ。あいつらと俺たちは違う」
「皆さんは何を」
「少し態度を改めた方が身のためだぞ。でぶやじじい共にも良く思われてない。確かにお前のいる駅はでかいし瓶詰め作りっつう要を握ってる。だがあくまでそいつは駅の功績だ。お前のじゃない」
「皆さんはどこに、何しに行ったんですか」
「親父さんには世話になった。俺も感謝してる。だがいくら恩者の息子だとしても庇いきれないもんもあるんだ。お前ももっと成長しろ。いつまでそうやってつっぱってるつもりだ」
「答えてください!」
「そういう態度が目ぇ付けられるって言ってんだ!」
セッカは力を持っている。老齢のヒキガエルたちや若輩のヤマネコやヘビの男、そしてクマタカたちのちょうど中間の年齢にあたる彼は、寄り合いでは緩衝材として機能している。ように見せかけ、実際はスズメの利益になるように話を持っていく。スズメの参謀などと言っているが実質スズメの駅はこの男が掌握しているのではないかとさえクマタカは思っている。
「答えてください」
だがセッカは小柄だった。男としても、もしかしたら女のヤマネコよりも背が低い。クマタカはセッカを壁際まで詰め寄って見下ろした。小さな年長者はクマタカを見上げていたが、諦めたように息を吐くと、クマタカを押し退けて扉に至った。
「お前んとこと懇意にしてたあの塔の奴ら…」
「なぜ彼らのことを知ってるんですか」
ワシの駅の中でも周知に努めたわけではないのに。
「なんでって…」
セッカは呆れ顔を隠さずに息を吐いた。「あんなとこに妙な建物ができれば誰だって気付くだろう。宴のあとで塔の奴らに聞いたんだ。塔を降りる変り者は時々いるらしいがそいつらを匿う奴もいるんじゃないかって。場所的にお前のとこしかないだろう」
塔にもイヌマキたちの生存は気付かれているのだろうか。クマタカの拳が筋張る。
「その塔の奴らが進めてる計画は、さっきので合ってるんだろう?」
クマタカの無反応はセッカに肯定と捉えられる。セッカは半目になって再び息を吐いた。
「爺共はその計画を止めてもらいに『交渉』に行った」
何のために。
「当然だろう」
セッカは呆れ顔で見上げる。
「いいか? 塔は夜汽車を走らせる。夜汽車は俺たちにも必要だ。だからと言って俺たちが奴らの配下になる必要はない」
「『配下』?」
何を言っているんだ? この男は。
セッカは大きく息を吐いた。
「塔は俺たちに夜汽車を『恵む』。俺たちは塔から夜汽車という施しを『譲り受ける』。塔は見返りを当然のように『徴収』して、いらなくなった瓦礫の山をト線に『棄てる』」
クマタカは目を見張る。
「……あなたも、ネズミが何なのか知っているんですね」
「それは聞いてるんだな」
反対にセッカに言われてクマタカは眉根を顰めた。セッカは鬢髪を撫でつけながら「みんな知ってる」と言った。
「もっとも大部分の連中は知らない。知らない方がいいに決まってるだろう、自分の子ども飲んでるかもしれないなんて。でもここにいる連中は全員知ってる。それを承知の上で夜汽車を受け取ってネズミに対応してる。寄り合いに来るってのはそういうことだ」
斜め下に視線を流していたセッカがクマタカを睨み上げた。
「塔の連中も知ってるだろうな。あいつらは独占が好きだから隠し事もよくする。俺たちの知らないことももっとあるだろう」
クマタカは唇を結ぶ。
「だが俺たちはあいつらの下になった覚えはない。普段はそれが一番手っ取り早いから奴らの思ってる通りに動いてやるが、時々、奴らにも思い知らせてやらなければならない。そうやって成り立ってんだ」
「どうやって?」
セッカがぎろりとクマタカを見上げた。
―君たちが塔を憎むように教育されていたように、俺たちも地下に住む者は粗暴で野蛮だと聞かされ続けてきた。気に入らなければ理由もなく相手をその場で殺害するって。技術と資源を奪うためなら本線の駅も襲うって―
―そんなこと…、するわけないでしょう―
してきたのか。これまでもそうやってずっと。自分が知らなかっただけでおそらく父も祖父の代でもそれ以前からも脈々と。
クマタカは毛穴の全てが開くのを肌で感じた。体毛が逆立ち、血流が速度を速め、筋肉が収縮する。
クマタカはセッカを押し退けて鉄扉の取っ手を握った。途端にセッカに肩を掴まれる。クマタカは全身を使ってセッカを払い倒した。
「お前は行くな」
セッカが言う。
「なんでマキさんたちが!」
クマタカは怒鳴った。
「マキさんは変えようとしてるんだ。塔だけじゃない。俺たちのことも考えてくれてる。本気であんなことを必死にずっと。マキさんの研究が成功すれば…」
「夜汽車は不要になる」
セッカは立ち上がった。
「そうなればト線には何も来なくなる。お前の駅の仕事もなくなる。俺たちは飢え死にだ」
「制度が変われば仕事も変わるのは当たり前じゃないですか。無くなる程度のものならいらなかったということです」
「いいか、よく考えろ。そいつらの計画が上手く行けば確かに塔の奴らは万々歳だろう。夜汽車をト線に入れる手間も省ければ線路自体破棄されるかもな。だが俺たちはどうなる。夜汽車も来ないこのト線で、何で生きてく。所詮塔の奴らが考えることなんてその程度だ。俺たちのことなんか何とも思っちゃいない」
「違う! 塔だけじゃない。俺たちの生活も保証するための…」
「塔と俺たちは違う!!」
―持ちつ持たれつデス―
「クマタカ!」
セッカの腕をなぎ払ってクマタカは駆けだした。