1--13 母への
伯父に連れられて向かった先は、葬式らしく陰気臭い空気に淀んでいた。遺体に縋りついて泣きわめくイソシギの傍らに、無表情で突っ立っているヤマネコがいる。そちらに向かおうとシュウダが足を踏み出した時、カモメがヤマネコに話しかけた。カモメの口が動く。ヤマネコが口元だけで応える。カモメは何か言うと振り返った。シュウダと目が合う。呼ばれた気がしてシュウダは身を乗り出したが、ヤマネコはその場から立ち去った。
「例のか?」
「ばあさんと同じやつや」
「あいつは往生した方だよ」
「いい女だったのになあ」
「見て来いや。まだいい女だよ」
「見る影も無いわ」
伯父と他所の駅の者たちの会話を耳に挟んで、おおよその事の次第をシュウダは把握する。声を掛けられて振り返るとカモメだった。
「ウミちゃんは?」
「お父さんとお留守番」
「アホウは来ないんけ」
「さすがのミーくんもあれはちょっと」
カモメはイソシギを見遣った。
「いい泣きっぷりやのう」
「何それ」
「古いがか?」
「近いしね。昔は母さんに連れてきてもらったりしてたの。ヤマちゃんといたずらしてよく怒られたっけ」
シュウダはカモメを見下ろした。
「すっごいきれいだったんだ。ヤマちゃんも似てきたと思ってた」
言ってカモメは涙ぐむ。
「ちょっと会わないうちにあんなに……」
シュウダは軽く腕持ち上げて胸を開いた。カモメは濡れた顔を上げてシュウダを見る。シュウダは眉だけ持ち上げて見せた。カモメは声を上げて笑うと目頭から頬にかけて手の平で拭った。
「ミーくんに怒られる」
あんなのが怒っても高が知れている、と思ったが、シュウダは相槌を打って腕を下ろした。
「ヤマちゃんにしてあげて」
「間違いなく殺されよう」
「弱った女は落としやすいって言うでしょう?」
「友達思いやのう、カモメちゃん」
「シュウくんだからお願いするの」
そのあだ名はやめてほしい。シュウダは肩を竦めて見せた。
埋葬ではなく火葬を行うそうだ。伯父の話だとネコ全てではなく、ヤマネコの一族のみがそうなのだという。病の伝染を防ぐための措置というわけだ。まるで意味の無い、前時代的な盲信だ。だがネコたちは聞く耳を持たないのだろう。誰だって病は恐ろしい。
吹雪が止むまで待機という話しだったが夜も更け、朝が近づくにつれ、一つ、二つと空席が目立ち始めた。あれほど大声で泣き喚いていたイソシギも、やがてカモメに連れられてウミネコのもとに去っていった。
「あんたも帰れば」
ついにヤマネコが口を開いた。部屋にはシュウダと母親の遺体以外、誰もいない。
「男手も必要やろ」
「足りてる」
「どうせアホウみたいな、なよいのばっかやろ」
「なめんな」
「手伝わせれま」
「やめておきな」
母親の寝顔を見下ろしながらヤマネコが息を吐いた。二席に跨って足を投げ出していたシュウダは天井に向かって息を吐くと、重い体を持ち上げた。
「来んなよ」
「俺の勝手やろ」
「面識もないんだ。何、言うつもり?」
シュウダは立ち止まってしばし考え、何も思いつかなかったので黙ってまた歩き出した。
「だから来んなって」
「ワシんところ、来なかったのう」
「この吹雪で来れないってさ」
「忙しいんやって、あそこは。わかってやられ」
「あんなのに端から期待してない」
「じゃあなんで拗ねとんが?」
「うるさい、死ね」
「こういう場で言う台詞やないやろ」
ヤマネコが口を閉じた。
ヤマネコの横に至った。ヤマネコは顔も上げない。シュウダはヤマネコの態度に肩を落としてから、その手が繋がる先を見て、絶句した。
「おばばもだった」
ヤマネコがぽつりと言った。
「おばばのおばばも、そのまたおばばも、みんな、おんなじ顔になって死んでった」
「お前、いったいいくつなが?」
シュウダの揚げ足にヤマネコは一切触れなかった。
「何を試してもだめ。薬は効かない。まじないでも何でもやってみたけど誰も助からなかった」
ヤマネコは言いながら母の手を握りしめた。枯れた指先がヤマネコの手の中で曲がる。
「最期はばばあもさ、諦めたのか何もしなくなって。脳味噌腐ったかと思うくらい話すことも馬鹿みたいに……」
だからカモメのところに入り浸っていたのか、とシュウダは思う。
「自分が一番やばいっつうのにさ。馬鹿かって。…ったく」
自分の母親をこれでもかと罵り、蔑んでヤマネコは一息、笑った。ヤマネコは枝のような手を離し、立ちあがった。握りしめられていた指先は力なく曲がったままだ。
「触りたくないだろ、こんなの。同じ空気吸うだけでもうつるんじゃないかって言ってる奴もいる。あの青いのもそうなんじゃないの?」
シュウダはヤマネコを見遣る。そっぽを向いていて顔は見えない。
「あんたも早いとこ帰って消毒でもすれば? そのうち手遅れになるよ」
「何言っとんが、だら」
振り返ったヤマネコをシュウダは黙って見つめた。ヤマネコは強がった視線から力を抜き、下を向く。
「あたしは誰とも結婚しない」
「せやの」
「あたしもいつかこうなる。あたしの子どももこうなる。その子の子どももそのまた子どもも…」
「かもしれん」
「こいつは知ってたくせにあたしを生んだ。馬鹿だから。どんだけ迷惑だと思ってんだって話しだよ。何も考えないでさ」
「そやのう」
「あたしで断ち切るの。もう、こんなの…」
シュウダは息を吐いた。ヤマネコを押し退け、遺体の傍に跪く。ヤマネコの喉の奥から発した声を尻目に枯れ枝を握りしめ、両手で包んで瞼を閉じた。
合わせた手を解いて立ち上がった。ヤマネコは黙ってシュウダの横顔を見つめている。
「礼、言っといた」
「礼?」
「どら娘、生んでくれてありがとうございましたって」
ヤマネコは唇を閉じて顎を上げた。下瞼が重そうだ。
「少なくとも俺は、お前のお袋さんに感謝しとるぜ?」
ヤマネコの左右の頬を大粒の涙が伝った。シュウダは軽く腕を上げる。今度は拒絶も遠慮もなかった。
年上の言うことは聞いておくべきだ。行く先々で応用出来る。女の言葉も聞いておいて損は無い。カモメには後で礼を言っておこう。
シュウダの見立て通り、ヤマネコの尻は最高だった。
* * * *
祝言など要るだろうか。しきたりに則った作法などただ手間なだけだ。しかし伯母曰く盛大に執り行うべきだという。従姉たちは近親者の祝い事など久々だと手放しで喜んでいた。だが伯父だけは違う顔を見せた。ヤマネコが来るなら大歓迎だがシュウダがヤマネコのもとに行くことは許さないという。尤もだ、とシュウダも思った。しかしあのヤマネコが自分の仕事を放棄するとは考えられない。だが一刻も早くヤマネコと暮らしたい。
伯父と話していても埒が明かないので、別の意見を聞こうと思った。折好く今日は寄り合いだ。母方の祖父にでも相談しよう。その際にはヤマネコも連れていくつもりだ。
予想通り、ヒキガエルとクマタカが揉め始めた。ここまで来ると風物詩だ。春一番のようなありがたみの無い類の。毎回毎回、飽きもせず懲りもせず、よくやるものだとシュウダは思う。だがいずれはそれも終わる。面倒事は早めに済ませておくのが一番だ。
部屋の隅に座っていた子どもがつまらなそうに両足をぶらつかせている。クマタカが連れてきた、年の離れた弟だ。弟は嬉しそうに兄の後ろをついて回り、シュウダは無表情の意外な横顔を覗きこんで、歯を見せて目配せした。
ヤマネコが上半身を曲げ覗きこむようにしてクマタカの弟に話しかけている。子どもの扱いはウミネコで慣れているのだろう。シュウダは女の垣間見せた母性本能にうっとりと目を細めた。