ムーンライトセレナーデ3
殺し屋が腰を下ろしてから五分。建物の陰から、亜麻色の髪をした少女が意気揚々と姿を現した。年齢は十二歳から十三、歳身長は150センチくらいであろうか。大人に爪先数ミリを踏み込もうとしている、幼さと性徴を感じさせる顔立ちと体つきだった。私服とミリタリーを組み合わせた装いと、大きなリュックが目を惹いている。
「どうオールド。ちゃんと合図通りに撃てたでしょ?」
まるで部活少女がテニスラケットでも扱うかのような気軽さでライフルを肩にあて、ニヤリと笑っている。少女が持つライフルは俗に「ドラグノフ」と呼ばれ、比較的メジャーなライフルだ。旧ソ連が作ったオートマチック狙撃銃であり、随所に木を使用したボディは長期間の酷使に耐えられる剛性を持った、信頼性の高いライフルである。
得意げな少女とは対照的に、オールドと呼ばれた男は苦い顔つきをしていた。苦し紛れに煙草を咥え、火を点ける。
「アンジェラ。お前が撃ったアレな、俺がくしゃみで手を跳ね上げただけなんだよ」
「――は?」
アンジェラと呼ばれた少女が目を丸くさせる。もとより大きくて丸い目が、一層の丸みを帯びた。口も半開きにさせ、オールドの発言を呑み込みかねない旨を示している。
「あれさ、合図じゃなくてくしゃみなんだ。俺の」
「……はあ」
アンジェラが金田を見る。男はすでに絶命し、赤い池に身体を半分沈めている。
そこでようやく、アンジェラは唇の片端を大袈裟に下げた。
「それってどうなのよ」
「寒さのせいにしてくれよ。俺だってわざとじゃねえさ。まさか今日こんなに冷えるだなんて思ってもみなかったさ。天気予報じゃ20度の予想だったのに、ふたを開けてみれば18度なんてこっちだっていい迷惑だ。日光もない夜にジャケット一枚じゃ心元ねえ。俺は悪くねえよ」
殺し屋はぼやく。「どうせ殺す予定だからいいけど、なんか締まらねえよな」
深々と息を吐くオールドに、アンジェラが無言で背中を蹴った。
「『俺が上手く演出するからお前は練習がてら400メートル離れたビルの屋上から合図に合わせて撃ってみろよ』なんて息巻いていたのはどこの誰かしら」
「俺でございます」
殺し屋が頬を膨らませる。
「それがこのざま?」
「それとこれとは別だろ」
オールドが歯を剥き出す。「追いつめたじゃねえか。そこまでは問題ねえし俺はちゃんとしっかりお膳立てはした。お前は違ったとはいえ俺の合図で撃ち殺した。満点だ。要はセッションで言うなら締まりが悪く、セックスで言うならザーメン出し切れずにちょっとモヤっとするくらいの問題なんだよ」
「慎みなさいよド変態」
再びアンジェラがオールドの背を蹴る。いずれも痛みを伴うものではなく、靴を当てる程度の威力だ。
「俺は悪くねえって。寧ろ突拍子もない合図にうまく対応できたお前は褒めてやる。さすがあの爺さんから手ほどき受けてるだけはある。褒めてやるよ」
「自分のミスをうまくこじつけるのはよくないと思うわ」
うるせえなと、殺し屋が吼える。「もとはお前が途中でトイレに駆け込むのが悪いんだろ。そのタイムロスがなけりゃ俺だって身体冷ことなかった。出発前にトイレを済まさなかったお前の低いプロ意識が原因だろ」
ぐっと、アンジェラが押し黙った。何か言いたいが言えないような、妙な間が生じる。
オールドが大仰に腕を広げた。
「この件はチャラだ。金田は殺す予定で無事死んだし、ここはひとつなかったことにしようじゃねえの」
「びっくりするくらいに軽いわね」
呆れて半眼になるアンジェラの頭を、オールドは荒く撫でる。
「細かいことは気にするもんじゃねえさおチビさん。インペリアルの店でも行ってスカッと飲もうぜ」
「……はいはい」
少女が折れた。ライフルも鞄にしまい込み、意気揚々と歩き始めた殺し屋に追随する。
少女と殺し屋の夜は、ゆっくりと深まっていった。