Get in Line6
一時間後、アンジェラは混沌区域の入り口でスケッチブックを掲げていた。中学生少女が混沌区域の入り口で物怖じすることなく堂々としていることもさることながら、スケッチブックの文言が道行く有象無象の視線を集める。
『殺しが得意です。値段は応相談!』
そうだ。アンジェラは思い出す。オールドの弟子として三年、ネグローニからも銃の手ほどきを受けている。いうなれば、アンジェラは殺しのハイブリッドだ。ナイフ最強と銃器のプロから教えを受けている。殺しの腕に関しては、若いながらもかなりの覚えがある。まだオールドを超えることはかなわないが、それに勝るとも劣らないくらいの自信はある。
しかし、現実は非情だ。
数分で準備を整え、かれこれ五〇分近くこうして立っている。だが仕事が来ることはない。死んだ殺したが日常であるルツボの渦中なのに、だ。
当たり前と言ってしまえば、当たり前である。
アンジェラはあくまで『オールドの助手的ポジション』として認知されている。助手として優秀であっても、一人で仕事をこなせるのかは全く別の問題だ。ましてアンジェラ単体で仕事をこなしたことはない。そんな少女に仕事を任せるほど、ルツボの住民は愚かではない。
ルツボの住民であれば、だ。
そろそろホテルに戻らねば赤ん坊が起きているかもしれない。そんな不安を抱きながら、あと五分待ってこなければ諦めよう。そう思った、矢先のことだ。
「誰でも殺せるのか?」
声がかかった。見上げると、細身の男だった。少々胡散臭いような気がしないでもない。しかしルツボ特有の血生臭さが薄い。外の人間でありながら、堅気とは言い難い人間なのだろう。そのくらいならわかるほど、鼻は発達していた。
男は缶コーヒー片手にスーツを着崩している。やくざ者と言うより、チンピラと称した方が近い。
「もちろんよ。そこらのプロよりすごいわよ!」
あのオールドの弟子だもの!
そう言いかけ、慌てて喉元で言葉をせき止めた。オールドに頼らないと決めたのだ。ならば、オールドの後光を拝借するようなことも自分のプライドが許さない。
話を持ち掛けた男は、怪訝な面持ちでアンジェラを見る。本当か? と、口に出さないながらも訝しんでいる。
「本当か?」
口に出してきた。自分が少女だからだろうか、ずいぶんと下に見られているような気がしてならない。
「殺し屋ごっこなら他所でやった方がいいんじゃないか?」
あまつさえ偉そうな説教までしてくる始末だ。せっかくの機会を潰すまいと我慢していたアンジェラも、こめかみに欠陥を浮き上がらせる。
じろじろと値踏みするようにアンジェラを見る男が、飲み干した珈琲缶を背後へ放り投げる。
同時に、アンジェラが動いた。
腰のホルスターから黒を引き抜く。目視と同時に、銃口も缶へ。フラッシュ。鉛球が、螺旋を描きながら空き缶を空中で貫いた。
缶が地面に落ちる。ころころと転がり、弾痕が見え隠れする。
話しかけてきた男は、完全に硬直していた。
「これでも不満?」
ニヤリと笑う。天使のような外見からは想像できない、悪魔染みた笑い方だ。
男はハッと正気を取り戻し、鞄から紙袋を取り出す。「前金で二千万。これでどうだ」
アンジェラが絶句する。二千万! しかも前金! 成功したら報酬ももらえる!
拒む理由はどこにもなかった。がくがくと首を縦に。「いいわ、何でも殺してあげる!」
男もどこか安心したように息を吐く。懐から写真を一枚。
「この赤ん坊を殺してくれ」
写真を受け取り、アンジェラは目を見開いた。
嘘。
そう言いたい思いを、必死に押しとどめる。
殺しの対象は、アンジェラが引き取っている赤ん坊と瓜二つだった。