It's All Right With Me8
「妻がもういないのは本当さ」
ネグローニは唇の右端を釣り上げる。「尤も、かなり前のことだから悲しいけど慣れてしまったがね」
さて、と老人が切り出す。
「これから何か、あては?」
なんでもないことのように話すネグローニへ、アンジェラは不可解な目線を向ける。
「私に何があったか、訊かないの?」
「詮索屋はルツボで嫌われる」
ネグローニは端的に返す。「まともな神経や経歴がある人間なら、ルツボなんて住まないからね。混沌区域は尚更」
老人が「で」と話を戻す。
「その赤ん坊を連れて、これから何か見通しはあるのかい」
アンジェラは首を横へ振る。もちろん、何もなかった。
「全く事情がわからないけど、その子の親族を探すくらいなら私のツテを使ってできないでもない。加えて、私の家でよければ空き部屋を使ってもらっても一向に――」
「いいわ」
アンジェラが、「気持ちは嬉しいけど」と話し始める。
「私の力でなんとかするわ。オールドを通じて知り合ったあなたの力を借りても私の力でどうにかできたわけではないもの。悪いけど、これは私がなんとかしてみせる」
年長者は苦笑し、自分の顎を撫でた。
「頑固だね。とても」
「感謝はもちろんしているわ。でも、これは私の力でなんとかしたいの」
ごめんなさいと下げたアンジェラの頭を、ネグローニは優しく撫でる。
「構わないさ、そうして色々自分でやってみて、そこから得ることも多い。もし何かあったら、親愛なる隣人のよしみで手伝わせてもらおう」
上着を羽織り、「でも」と補足する。車の鍵を取り、アンジェラに手を差し伸べた。
「ならせめて、淑女と天使を旧名古屋中心まで送ることくらいはさせていただきたい。男としてね」
紳士的な笑みを浮かべる老人の手を、アンジェラは握り返す。
「本当に、どこを切り取ってもジェントルマンね」
「君の意地と似たようなものさ」
ネグローニは頬を緩める。「困っているレディは放って置けなくてね。私のいいところでもあり、悪いところでもある」
「あなたがあと三十歳若ければ、間違いなく惚れていたわね」
「今からでも遅くはないよ。惚れることを止めることはできない」
尤も――
「もう妻以外、愛さないと決めてしまった身だけどね」
「本当に有難う。とても助かったわ」
ビジネスホテルの前で、アンジェラが深く頭を下げる。「おまけに、オムツとかミルクの用品まで道中買いに寄ってくれて」
「礼ならいいよ」
ネグローニは朗らかに笑った。
「ただ、オールドとは早いうちに仲直りするように」
教師が窘めるような口ぶりで促す。低く落ち着いた声であり、高圧的な響きは一切ない。
「お見通しだったのね」
少女が肩を揺らせる。
「ただの推測だけどね」
大きなレジ袋を持ってホテルに消える少女を、仕立て屋は温かい眼差しで見送る。少女が完全に見えなくなったタイミングを見計らったかのように、ネグローニの携帯電話が鳴り始めた。電話相手は、見慣れた名前だ。
にこやかに電話に応じ、開口。
「やあ塩野、久しいね」