ムーンライトセレナーデ
夜の帳もおり切った路地裏で男――金田が浅い呼吸を繰り返していた。体の随所から赤を垂れ流し、額からの流血が特にひどかった。顔面は真っ赤に染まり、目も当てられない。髭を生やし、華美なスーツに身を包んだ金田は絞り出すように声を出した。
「なんで、俺のことを狙うんだよ畜生」
「仕事だからさ」
血がべったりと付着しているナイフを拭きながら、黒髪の男が即答した。「血はちゃんとふきとったからな、マリア」と誰に言っているのかわからないがそのナイフがマリアなのだろうか。刀身を月光に照らし、「いつ見てもお前は綺麗だ」とうっとりし始める。自分を殺そうとしていること含め、どう控え目の見積もってもまともな神経を持ち合わせているようには見えなかった。そもそもここーールツボでまともな事を求める方が笑止千万だが、金田は知らない。多少危ないがそこまで酷いことにはならないろうとタカをくくっていたのだ。ルツボの住民にとって、カモ以外の何者でもない。
「ふざけんじゃねえ」壁に背を預けながら、金田が呻く。
「俺が何したっていうんだよ」
「詳しくは知らねえがアンタ、ジャーナリストや記者なんだって?」
殺し屋が話を切り出す。ナイフをしまい、懐から小型のBluetoothスピーカーを取り出した。いそいそと音楽をかけ始め、煙草に火をつける。ベースのシンプルながら弦の震えを感じさせる重音に、木管楽器の音が乗る。ミュートをつけた金管楽器が合いの手を添え、穏やかで温かみのある音が夜を彩り始めた。
ムーンライトセレナーデ。ジャズ奏者であるグレンミラーが作曲した、ジャズのスタンダード・ナンバーだ。
なんのつもりだと質す視線を察したのか、殺し屋は人差し指を立てた。
「ちょっとした休憩さ。どうせアンタはここで死ぬし、冥土の土産にくれてやる」
「殺し屋が顧客の依頼バラすなんて、プロ失格だな」
「他人の秘密引きずり出すアンタだって似たようなもんだろ」
鼻で笑った金田に対し、殺し屋は涼しい顔つきだった。
「今は顧客サービス向上期間中じゃねえから俺のさじ加減でバラせるし、何よりお客さんからの要望さ。アンタに殺しの依頼をした身元を明かすのは」
紫煙を吐き、男がジャズに耳を傾ける。血に染まった路地裏とは思えない、情緒溢れた空気を纏う。
ジャズはいいなと呟き、殺し屋が続ける。
「外の世界じゃ、色々名が売れてたジャーナリストらしいじゃねえか。有名人の隠したいことまで丸裸にして、売れっ子なのはいいけどそれで引退に追い込まれたり自殺したりしたタレントや政治家も多いんだってな」
「その遺族からか。依頼されたのは」
「ンだよ。自分でもお心当たりあったのかい」
「それが俺の仕事だ!」
唾を飛ばして激昂する金田に、殺し屋は冷めた目を向ける。
「俺だって殺しが仕事だ。よってアンタを殺す、そんだけさ。それに恨み買う覚悟もないのにそんな稼業してた、アンタに落ち度があるだろ。俺だって仕事柄恨みをこれでもかってくらいに買うが、返り討ちにできる自信があるんでね」
木管のソロが始まった。耽美な雰囲気に、殺し屋は軽く目を閉じた。息を深く吸い込んで、音に浸かる。
「俺は月光出版の金田だぞ」
「だからなんなんだよ」
語尾に「(笑)」がつきかねないほど、殺し屋は嘲りを込めて笑った。
「後生使うことはねえと思うが、ルツボに持ち込み不要なアイテムを紹介してやる」
殺し屋が指を三本立てる。
「日本国内の常識、立場、プライドだ。どれもここじゃビタ一文の足しにもならねえし、そんなモンより ナイフ一本ある方が遥かに有意義なルツボライフを満喫できる。来世の予習にしておけ」
曲が終盤に近づく。「そろそろか」と呟き、殺し屋が腕を広げた。