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評価、感想、ブックマークありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。

 お昼ご飯を食べ終わって、自由時間。


 俺は教室でのんびりと本を読んでいた。


 俺以外にも、おままごとをしている女の子や大人しい男の子は教室にいる。


 俺は集団から外れたところで黙々と本を読みふける。


 そして、俺の隣にはなぜか音無がいる。


 俺が広げる本を、俺の肩に頬を預けて覗き込んでいる。


 いや、なんで頬を押し付けてくるの? それほっぺ痛くないの?


 そんな疑問も浮かんでくるが、俺が身じろぎをしても無反応なことから痛くは無いらしい。


 ともあれ、俺としては非常に本が読みづらい。いろんな意味で。


 俺は、少しだけ音無から距離を取る。


 すると、音無は俺に距離を詰めてくる。そして、俺の肩に頬を預けて本を覗き込む。


 ……いや、もうこの行為自体が無駄であることは理解している。なにせ、このやり取りは何度も繰り返されているのだ。そのたびに、音無は無表情で俺と距離を詰めてくるのだ。嫌な顔や、悲しそうな顔をされた方がまだましだ。無表情が一番怖い。


「はぁ……」


 俺は溜息を一つ吐いてこの無意味ないたちごっこを止める。


 口で言って聞くような子ではないから行動で示してみたのだが、やはり音無はどこか頑固で、図太いところがある。子供らしく我を通しているように見える。


「ほん、たのしいですか?」


「ううん。よめないから、わかんない」


 音無の返答に、思わずずっこけそうになってしまった。


 ……読めないのに眺めとったんかい……。


 突拍子も無く、行動に意味も無い。まさしく子供っぽい。


 多分、俺が本を読んでるから、一緒に眺めてるといったところだろう。


 だが、俺が呼んでいるのは幼稚園児が読めるように全てがひらがなで書かれている。どれくらいの年齢で文字を読めるようになるのかは分からないが、おそらく、この子は一つのことに集中したら、夢中になってしまうタイプだ。


「……」


 俺は、おもむろに本の中の一文字を指差す。


「『あ』」


「……?」


「『あ』」


「……あ?」


「うん、あ」


「あ」


「そうそう」


 続いて、次の文字を指差す。


「『い』」


「い」


「うん」


 そうして、次の文字を差す。それを、延々と繰り返していく。


 最初は、どれがどの発音なのかを覚えさせる。慣れてきたら、段々とランダムに指差していく。


 もうお分かりだと思うが、俺は音無に文字を教えている。ただ横に居られても邪魔なので、身になることをしているのだ。


 その日の自由時間は、ひたすら音無に文字を教えた。


 やはり、俺の思った通り、音無は一つのことに熱中するタイプのようで、俺の教えを真面目に聞いていた。


 これなら、文字を覚えるのもそう遠くないと思う。





 音無に文字を教えた次の日の自由時間。


 今日も今日とて端っこで本を読んでいる俺の元に音無は訪れた。


 俺の目の前に立つ音無の手には、落書き帳とあいうえおと可愛らしい文字で書かれた紙が握られていた。


 音無は、俺の隣に座るとあいうえおと五十音にひらがなが書かれた紙を広げ、その横に落書き帳を広げた。


 そして、ポケットから黒色のクレヨンを取り出す。どうでもいいけど、クレヨンをそのままポケットに入れるんじゃない。洗濯するのが大変になるから。ポケットに入れたまま洗ってしまっては悲惨である。


 そんな俺の心中の忠告は、もちろん聞こえるわけも無く、音無は黙々と落書き帳に五十音でひらがなを羅列していく。


 黙々と文字を書いていることから、今日は俺の邪魔をするつもりは無い。いや、音無からしたら俺の邪魔をしているつもりは無いのだろうが……ともあれ、俺はゆっくり本を読めるということだ。


 と、思っていたのだが……。


「あ」


 そう言って、音無は『あ』を書く。


「い」


 そう言って、音無は『い』を書く。


「う」


 そう言って、以下略。


 音無は、文字の発音をしながら書き始めたのだ。


 ……少しばかり気が散るが、まあいいだろう。それくらいの妨害で俺の集中力が途切れることは無い。俺は向こうで魔法書を読んでいる時、隣でユキトが騒がしく外に行こうと誘ってきてもかまわず本を読むような男なのだ。それくらい気にしない。


 と、そう思っていました。


「な」


 うん。


「に」


 うん。


「め」


 違う。


「れ」


 だから違うって。


「にょ」


 『ょ』どっから出てきた!?


 いや、最後のは滑舌が悪いだけだ。子供特有の舌足らずだ。そのはずだ。


「ちがいますよ」


「どこが?」


 後半全部だよ!


「な、に、ぬ、ね、の、です」


「な、に、ぬ、ね、の」


「そうです」


 俺が正解の『な行』を言えば、音無は声に出して落書き帳に書き込む。


 ……中々に集中力を持っていかれた。


 あれだな。子供と言うのは突拍子もない。だから、不意を突かれるのだ。


 そうして、俺の隣で音無のひらがな口座は続いた。途中、何度か間違えてはいたが、順調に進んでいった。『の』はたまに『にょ』になっていた。やはり、滑舌の問題なのだろうと思う。


 しばらくしたら音無は満足したのか、一つ頷くとぱたりと落書き帳を閉じた。そして、昨日と同じく俺の肩に頬を当てて本を読み始める。


 おそらく、どれくらい読めるか試しているのだろう。やたらストイックな三歳児である。


 俺ももう諦めたもので、音無が肩に頬を当てるのを止めない。何を言っても無駄だと理解したのだ。


 しばらくそうしていると、音無がおもむろに本の一文の中にある一文字を指差す。


「これ、なに?」


 音無が指差したのは『ー』であって。


 確か、これ単体には読みは無かったはずだが、長音符(・・・)と言ったはずだ。が、それを説明したところで三歳児の音無に理解できるとは思えない。


「これかしてください」


「うん」


 音無から落書き帳を借りて、空いているスペースに『はい』『はーい』と書く。


 俺は『はい』を指差す。


「はい」


「はい」


 俺が発音をすれば音無は俺に続いて発音をする。音無も俺が教えてくれると分かっているから、俺に続いて発音したのだろう。なかなかに優秀な教え子である。


 そんなことを思いつつ、俺は次に『はーい』を指差す。


「はーい」


「はーい」


 そう発音すれば、違いが分かったのか音無は閃いたといった顔をする。


「ながい」


「そうです。ながいんです」


 音無は、水色のクレヨンをポケットから取り出すと――って、だからクレヨンをポケットに入れるのはやめなさい。後でちゃんと注意しなくては。


 そんな俺の心中の決意など知ったことではない音無は、クレヨンで『あまーい』と書いた。


「めまーい」


 違うそれじゃあ眩暈だ。


「ちがいます、あまーいです」


「あまーい?」


「あまーいです」


「あまーい」


「はい」


 音無は、甘い甘いと連呼する。うん、『あ』と『め』を間違えるなんて、詰めが甘いよね、うん。


 満足したのか、音無は一つ頷くと本を眺め始める。


 俺も、本を読み始める。


 その後は、特に音無が何かに反応することも無く、ゆっくりとした時間が過ぎていった。





 それから、数日が過ぎた。毎日ひらがなの練習をしていたので、音無はひらがなをなんなく読めるようになった。子供の成長とは速いものである。


 そんな俺は、いつも通り教室の隅っこで読書である。


 と、例の如く俺の前に音無が立つ。


 俺は音無を見る。すると、いつもの音無とは違う部分があることに気付く。


 手にした落書き帳は変わらない。ポケットにクレヨンがあることはもう諦めている。何度言っても聞きやしないのだ。と、それは良いとしてだ。音無は落書き帳の他に、アイウエオとカタカナで書かれた紙を持っていた。


 どうやら、ひらがなからカタカナにステップアップしたようだ。


 音無は俺の顔を見ると、一つ頷いてから俺の隣に陣取る。音無にとって頷くのは癖であって、特に意味は無いらしい。自分が納得した場合頷いてるのかもしれない。


 音無は、いつも通りに落書き帳と見本を広げてカタカナの羅列を書き始める。


「ア、イ、ウ、エ、オ……」


 例によって、発音をしながらである。


「サ」


 うん。


「ツ」


 うん、惜しい。


「おとなしさん。『ツ』ではなく『シ』です」


「シ?」


「シ」


「シ」


「はい」


 音無はこくりと頷くと、カタカナの書き込みに戻る。


 俺はそれを横目で見ながら思う。


 子供って、こんなに熱心だったっけ? と。


 いや、子供は時に大人が引くくらいの集中力を見せるが、それは短期的なことに限ってだ。音無のようにこんなに何日も同じことを覚えようとするのは、俺が言えたことではないが、いささか子供らしくない。


 ……まあ、大人しくしてくれているのは俺的にはありがたい。


 他の子供は今も喧しく遊んでいる。それに比べて音無はおとなしい。いや、ダジャレでは無く。本当におとなしい子なのだ。


 静かで、一つのことを黙々とこなす。


 うるさい奴に付きまとわれるよりはましだが、このままでは音無には友達ができないかもしれない。俺は別に友達なんていらないからいいが、音無は違うだろう。


 音無は年相応に子供で、俺は中身は二十を超えているのだ。価値観も違えば、経験も違う。俺たちは、根っこは似ているが、それ以外は似ていないのだ。


 音無は、これから成長していけばどうなるかは分からないが、可愛い顔をしているのだ。そうなれば、人は簡単に引き付けられてしまう。そうしたら、自然と音無は輪の中心にいることになる。


 であればこそ、俺と一緒に居てはいけない。俺は輪から外れたい人間なのだ。人間なんて信用していないから、輪に入らない。着かず離れずを保ち続ける。


 俺はある種の達観をしてしまっているから、それで生きていけるが、自分の結論づけた世界を知らない音無は、色々と経験するべきだ。


 俺は、こういう生き方が俺のためになるからそうしているが、音無に俺の生き方が合うとは限らないのだ。


 完全に信頼できる少人数とのみ関係を築くのが俺だ。だが、世の中には広く友好を持ちたい人もいる。


 まあ、何が言いたいかと言うと、音無にはまだ未来があるのだから俺にばっかり構っていても良いことなどないのだ、ということだ。


 しかし、それを音無に強要するのもおかしな話だ。ここは俺がやんわりと音無に伝えるべきなのだろう。


 しかし……。


「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」


 可愛らしく読み上げながら書き込んでいく音無。


 それを伝えるのは、今じゃなくてもいいだろう……。


 最近知ったことなのだが、俺と音無の家はそれなりに近い。学区も一緒だ。つまり、小学校に上がれば、音無とは同じ学校に通うことになる。その時にまだ俺と一緒に居るようであったら、音無にやんわりと教えてやればいい。


 まあ、その時には俺のことなんか気にしなくなっている可能性もあるわけだ。子供特有の気まぐれって言う奴かもしれない。


 ともあれ、今すぐどうにかすることでもないだろう。


 ……なんだろう。やたら音無の心配してしまってる……。


 いけないいけない。人にあまり踏み込むな、人を踏み込ませるな。着かず離れず、一定の距離を保つんだ。


 俺は、自身の思想に、自身の決めたルールを刷り込む。気休め程度だが、思い出したときにやらないとすぐに薄れて行ってしまいそうだから。


 ――まあ、根が優しい君は、疑うことをすぐに忘れちゃうものねぇ~。


 ……うるさい。


 ――機嫌悪くした? ごめんよ~。


 まったく謝る気のない謝罪をする師匠。


 いいさ。師匠がそう言う人間だってことは俺が一番良く分かってる。


 のらりくらりと、ふらふらしながらも、俺の痛いところを的確に付いてくる。俺のことをよく見てくれている証でもあるのだが、的確過ぎて痛いのだ。


 ――まあ、頑張りたまえよ。君が見ている答えが、君が最後に出す答えとは限らないんだからね。


 うん? それってどういう意味? 


 ――考えなね。時間はたっぷりあることだし。


 そう言うと、師匠は引っ込んでいった。


 むぅ……たまに師匠らしく謎を残していく……。いや、特に何の意味も無いのかもしれない。師匠はたまに意味深なことを言って俺を困らせるだけのこともある。今回も、例にもれずそうなのかもしれない。


 まあ、あまり気負わずに考えるとしようか。


「ワ、ヲ、ソ」


「ちがいます。『ソ』ではなく『ン』です」


「ン?」


「ン」


「ン」


「はい」


 俺が色々考えている間に、音無はカタカナの練習を進めていく。未だ、似たような文字で躓いているが、それでもやはり覚えるのが速い。子供と言うのは覚えるのが速いと言うが、こうまで速いとは思わなかった。頭がまっさらな分、呑み込みが早いのだろうか?


「……」


 俺は、音無の様子を見ながら本を読む。


 ……今更気づいたが、なんか立場的には先生かお母さんをやっている気分だ。


 まあ、本当のお母さんの方が何倍も忙しいのだろうが……。


 ともあれ、俺の自由時間はこうして過ぎていく。音無がカタカナをマスターしたのは、それから二日後のことであった。


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