006 幼稚園
お母さんを、お母さんと認めてからまた数日が経った。
夜、ご飯を食べながら魔物との戦い方をシミュレートしていると、父親が――因みに、父親の方はまだ認めていない――そう言えば、と声に出してこちらを向いた。
「雅、そろそろ幼稚園に行くかい……って、もの凄く嫌そうな顔をするなよ……」
おっと、そんな顔をしてしまっていたのか。
俺は、すぐさま常の表情に戻す。
「ようちえん、ですか?」
「なかったことにするのか……まあいいや。ああ、そうだよ。幼稚園だ」
あえてスルーしたことにもの言いたげな顔をしていたが、直ぐに幼稚園の方に話題を戻した。
「雅も、そろそろお友達欲しいだろう……って、また嫌そうな顔をして……」
俺は慌てて常の顔に戻す。
だが、俺が嫌そうに顔を歪めてしまうのも仕方のないことだろう。小学校は仕方が無いとは言え、幼稚園は出来れば通いたくない。
集団に属すればこちらがどれだけ避けようとも、人との関わりが否応なくできてしまうものだ。だから、義務教育が始まる小学校は仕方がないとして、幼稚園は通っても通わなくてもいいのだから、正直通いたくはない。
それに、俺は勉強も人並みにできれば、絵も歌も人並みにできる。運動は、流石に前線で戦ってきただけあって人よりも秀でているとは思っている。
だから、正直俺が幼稚園に通うメリットは無い。そもそも、幼稚園は小学校に上がる前の教養を学び、他人との付き合いを覚える場所だ。俺に教養は必要ないし、友達も必要ない。つまり、お金がかかるだけで行く意味などないのだ。
そしてなにより、俺は子供との接し方が分からない。
「ぼくには、ひつようないとおもいますが……」
「まあ、そう言われるとそうなんだけどね。でも、友達くらい作った方が……そんなに嫌かい?」
また嫌な顔をしてしまったのか、父親が苦笑しながら訊いてくる。
「ぼくは、ほんとお母さんがいれば、それでいいです」
「え、僕は?」
俺の言葉に父親が訊き返してくるが、俺はあえて何も言わずに食事に戻る。
「あれ? お~い、雅~僕は~?」
正直、友達と言う言葉に嫌な顔をしたのは条件反射だと思う。
恐らく、仲間、友情、親友などなど。俺はそう言う他人との近しいつながり方を表した言葉を聞けば、条件反射で嫌な顔をすることだろう。
仲間に手ひどく裏切られたのだから、当然と言えば当然なのだが、それでもこの癖は直しておいた方がいいだろう。
人と関わらなくて済むためには、余計な諍いを避けることも必要だ。それには今のこの癖、と言うよりも条件反射は無くしておくべきだろう。
「ねえ、雅」
そんなことを考えていると、しょぼくれている父親を慰めているお母さんが優しく微笑みながら声をかけてくる。
「幼稚園、行ってみてもいいんじゃない?」
「なんでですか?」
「う~ん……なんでと言われると、なんでなんだろうね~?」
俺の問いにそう問い返してくるお母さんに、俺はずるりと椅子に座ったままこけそうになる。
「お母さん……」
「あはは~雅、そのリアクション古い~」
俺のリアクションが面白かったのか、楽しそうに笑うお母さん。
「けど雅、僕もお母さんと同じ考えだよ。幼稚園に行くことが当たり前って訳じゃないけど、行くことに価値はあると思うよ。何より、本と語らうだけじゃ得られないものを得られるよ?」
父親の言葉に、思わずむぅっと唸ってしまう。確かに、俺はこの家とこの街の特定の場所と言う小さな世界でしか生きていない。だから、この世界の世間と言うものを俺は全く知らない。
確かに、そういうことならば幼稚園に通うメリットは大いにあることだろう。
しかしやはり、子供と一緒の空間と言うのが面倒くさい。うるさいし、騒がしいし、やかましい。……結局うるさいしか言っていないが、まあ、子供に対する印象なんてそんなものだろう。
「それに、幼稚園で本が読めないわけじゃないでしょう? ちょっと自由な時間は無くなっちゃうと思うけど、それでも、楽しいところなのよ~?」
その楽しいの基準が大人と子供とで違うのだが……。
しかし、お母さんがこうまで言うのだ。これ以上渋ったら、お母さんが悲しむ。
「わかりました。ぼく、ようちえんにいきます」
俺がそう言えば、お母さんは嬉しそうにぽんと両手を合わせた。
「それじゃあ、早速明日手続きしちゃうわね!」
「わかりました」
まあ、社会見学だとでも思うことにしよう。幼稚園とは言え、学ぶことが少しはあるかもしてないのだから。
それにしても、俺にとっては二度目の幼稚園か。正直、幼稚園での記憶なんて曖昧だ。友人と遊んだ記憶と忘れられないほど強烈な思い出くらいしか覚えていない。
だから、一度通っているとはいえ、俺にとっては未知の世界。まあ、無難にやり過ごせればそれでいいか。
○○ ○
そんなこんなで入園式。
俺はお母さんに連れられて自宅から十五分ほど歩いたところにある幼稚園に来ていた。
お母さんは俺と手を繋ぎ、嬉しそうににこにこしていた。
名簿に記入をして小さな体育館に入って行く。そこで、お母さんと別れて子供が座るところに向かった。
その場所では子供はじっとしておらず、そわそわとしていた。まあ、三歳児ならばそれが当然だろう。
俺は、特に指定が無かったので空いてる席に前から詰めて座った。一個だけ席開けたりすると、後から移動しなくてはいけないので面倒くさいし。
俺は、時間までぼーっとしていようと思い、ぼーっと正面を向く。
そうすると時間があっという間に過ぎていき、入園式が始まった。
子供が我慢できないことも、気が短いことも知っているのか、園長先生の挨拶は短かった。
そして、さくさくと進行していき、あっという間に入園式は終わった。時間からして一時間も無かったのではないだろうか?
ともあれ、面倒なことがさくさくと消化されるのは良いことだ。と言っても、この後もまた面倒なことが待っているのだけれど。
入園式が終わった俺たちは、保護者と一緒にそのまま自分たちの教室に案内された。
教室に向かえば、机が置いてあり机の右斜め上に大きな名札シールが貼られていた。
「は~い、それじゃあ皆、自分の名前の書いてある机に座ってね~。あ、保護者の皆様はお子さんの隣にどうぞ~」
担任の先生がそう言えば、大人も子供も一緒に机に向かった。
この誘導はうまいな。親と子供の触れ合いにもなるし、なにより字が読めない子が迷うことも無い。
まあ、そんな思惑が先生にあるのかは分からないが、俺はその思惑からは外れてしまうだろう。
俺はお母さんが隣にいることを確認すると、すたすたと自分の名前が書いてある席に着く。お母さんは、にこにこしながら俺に付いて来る。
「は~い、皆さん席に着きましたね~。それでは、初めにまずは先生の自己紹介! 先生は、木暮美結子と言いま~す! 皆さん、みゆこ先生って呼んでね~?」
担任の先生――みゆこ先生がそう言えば、周りの子供たちは「はーい」と元気よく手を上げて返事をした。
「は、はーい……」
俺は、周りの元気の良さについて行けず、遠慮がちに手を上げて返事をした。
「皆、元気なお返事ありがとう~! それじゃあ、今度は皆の名前をみゆこ先生に教えてくるかな~? それじゃあ、一番端っこの君から順番に教えてくれるかな?」
みゆこ先生にそう言われた男の子は、元気よく自己紹介を始めた。そこから、流れるように子供特有の元気の良さで自己紹介が行われていく。
正直、そんな流れに乗って自己紹介をしなくてはいけないのかと思うと辟易するが、その流れをばっさりと切り落とす者がいた。
「音無咲夜です。よろしくおねがいします」
綺麗な黒髪を二本の長い三つ編みにして、お人形のように整った顔をした美幼女は、静かな声でそう挨拶をした。
静かだが、確かに聞こえてくる不思議な声音。
美幼女――音無は静かな所作で席に着いた。って、隣の母親着物着てるよ。滅茶苦茶気合い入ってるなぁ……。
音無の母親の格好に若干驚いている間に、音無の物静かな自己紹介が終わった後でも、変わらず元気な自己紹介が続いた。
そして、とうとう俺の番が来た。
まあ、無難に終わらせるのが吉か。
「姫宮雅です。よろしくおねがいします」
綺麗に一礼した後、にこりと優しく見えるように微笑む。最近気づいたことだが、外面が良いと何かと融通がききやすいのだ。お母さんは根っからのほわほわした性格だから、外面を繕っているわけではないが、それでもその性格から相手は心を開きやすい。
つまり、相手に警戒心を抱かせなければ、それだけ本心を引き出しやすい。人間を疑うのも容易ではない。であれば、なるべく疑う必要が無いように相手から本心を引き出すのだ。
そう思って笑顔で自己紹介をしたのだが、なにかおかしい。
皆が皆、大人も子供も、園児も先生も保護者も関係なく、皆がぽか~んと呆けている。お母さんも礼に漏れずにぽか~んとしていた。
え、なに、俺なにかした?
内心で少しだけ困惑しながらも、決してそれを表に出さないように努める。
少し待っても何も変化が無いので、俺はダメ押してにっこりと更に微笑みを深くしてから、席に着いた。
え、なに? マジで俺なにかした?
「――っ! あ、ありがとうね、雅ちゃん! それじゃあ、次の子、自己紹介お願いね~!」
みゆこ先生は俺が席に着いたことで我に返ると、すぐさま次の子供に自己紹介をするようにお願いする。みゆこ先生の言葉をかわぎりに次々と我に返る子供と保護者。
その後は特に何も異常が起こることは無く、つつがなく自己紹介は進んだ。
「はい! それじゃあ、今日はこれでお終い! 皆、これからよろしくね~!」
みゆこ先生がそう言って、今日の幼稚園は終わりである。
俺たちは、各々が席を立って帰り始める。と言っても、席が隣同士で仲良くなった母親もいるらしく、外に出れば立ち話をしている人もいた。
帰路に着きながら、俺は先ほどのことをお母さんに訊いてみた。
「おかあさん。なぜぼくのじこしょうかいのとき、みんなぽかんとしてたのでしょう?」
少し不安げな顔をして言ってみれば、お母さんは俺を安心させるために優し気な笑顔を向けてくる。
「それはね、雅がとても可愛らしかったからよ~。さすがわたしの雅! 笑顔の破壊力が尋常じゃないわ!」
お母さんは俺を抱き上げると、頬擦りをしてくる。
……つまりあれか? 皆俺の笑顔と見た目に見とれていたってことか?
お母さんの言うことを信じるならばそうなのだろうが、とてもそうは思えない。
だって俺は……あれ、俺って今どんな顔してるんだっけ?
前世の俺の顔は、優し気だがイケメンと言うわけでは無かった。だから、見とれるという可能性を即座に否定したのだが……はて、今の自分はいったいどんな顔なのだろうか?
いや、顔は毎日見ているのだ。歯を磨くとき、お風呂で頭を洗うとき、どちらもちゃんと鏡に映っているのだ。映っているのだが、俺は自分の顔など気にしたことも無かった。せいぜいが、ああ自分だなと認識する記号としてであった。
だから、自分の顔をまじまじと見たことも無いし、ましてや自分の顔の特徴すら覚えていない。
そんなどうしようもない自分に今更気づき、流石にこれだけ無人間に頓着である自分に引いてしまった。人間嫌いなのは分かっているが、まさか自分の顔を認識しないほどだとは思っていなかったのだ。
いや、顔が変わったから、自分と言う認識がなかったのかもしれない。まあ、どちらにしろ、あんまりではあるのだが……。
帰ったら、顔見てみよう……。
少し自分に引きながら、俺はそう決めるのだった。
そして、家に着いてご飯も食べ終わり、さあ歯を磨いて寝るぞと言うところでついでに顔を確認してしまう。
洗面台の前に俺専用の台を置き、その台の上に乗って鏡とにらめっこをする。
鏡に映っているのは、肩まで伸びた綺麗な黒髪に、大きく綺麗な黒曜色の瞳。子供特有の柔らかそうな頬に、好きっとるような色白な肌。お風呂から上がったばかりで微かに上気した頬は朱に染まり、可愛らしさを助長していた。
まあ、つまりは――見た目が完全に女の子であった。
……いや、いやいやいや! 流石に、流石にそれはどうだろうか! 俺の今の顔は、子供だから男女の区別がつかないという状況を軽く超えている。
完璧に女の子に見える。見紛うことなく、女の子に見える。それも、とてつもなく可愛い女の子だ。
――! まさか、俺は自分の性別すら認識していなかったのか!?
その可能性に至ると、俺はすぐさま自身の股間を確認する。
が、そこにはちゃんとついている。
俺は、まごうことなく男だった。
……いや、まだ希望はある。成長が進むにつれて男らしくなっていくはずだ。
そう思いながらも、そう言えば父親もどっちかというと女顔だったなとふと思い出し、がくりと肩を落とした。