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002 死ぬことが裏切りであれば

 絶食宣言をして早三日。狂おしいほどの空腹が襲って来るが、まだ大丈夫だ。あっちにいたころ、はぐれて一人彷徨って三日三晩何も食べなかった時がある。しかもその時は戦闘をこなしながらだ。その時よりもまだまし。


 むしろ、これから大変になっていくだろう。ここからが勝負である。


 しかし――


「……」


 俺は、ベビーベッドの隣に座り、幽鬼と見紛うほどの青白い顔で俺を見下ろす母親を見る。


 顔は青白く、生気は薄い。今の俺よりも先に死んでしまいそうなほど、弱っていた。


 彼女の座る隣には小さなテーブルが置いてあり、その上には哺乳瓶や粉ミルク、電気ケトルや水が置かれていた。


 俺がお腹を空かせればすぐにでも与えられるように準備しているのだろう。


 彼女がここまで準備をし始めたのは俺が絶食をしてから一日を過ぎたころだ。


 その日、帰ってきた父親に俺がミルクを飲まないということを話した。父親の方は、もう少し様子を見てみようと言ったが、母親は俺のことが気が気でないのか、不安そうに俺の様子を窺っていた。それこそ、眠らないでずっと傍に居るほどに。


 母親は元々身体が弱い。その上、食事と仮眠をとっているとは言え、食が細くなったのか、あまり量を食べないし、三十分もしないうちに起きてしまう。そんな生活を二日と少し過ごしている。そうすれば、必然俺よりも体調が悪くなろうものだ。


 今も、俺を見守るというよりも、ただぼーっと眺めていると言った方が正しいだろう。


 まあ、いいさ。


 どうせすぐに根を上げる。父親の方も母親を心配していた。そのうち、無理にでも寝かしつけてご飯も食べさせるだろう。俺の方は、医者に見せるとかするだろう。まあ、それでも絶食は止めないが。


 点滴を注すにしても、限界はある。俺はその限界まで我慢するだけだ。


 なに、こんなところに留まる以上に苦ではないさ。


 さて、あと何日でこの世界を旅立てるか。ああ、楽しみだなぁ。出来れば、記憶は無い方が良い。今回のようなことは無いに限る。次は、普通に暮らして、普通に死にたい。


 自刃でも、裏切られるでも無く、普通に。


 そうだ、ドラゴンになるのも言いな。よくあるだろう? 転生したら人外だったりとか。そう言うのでいい。人間はもうこりごりだ。


 って、記憶が無かったらそんなことも気にならないか。


 まあ、なんにせよ死んでからのお楽しみだ。来世を楽しみに、今世を去ろうではないか。とても短い今世ではあるけれどね。


 そんなふうに来世に思いを馳せていると、急に俺に影がかかる。


 見やれば、どうやら母親が立ち上がったところらしい。


 お手洗いか? それとも、根を上げてお休みかな? まあ、どちらでもいい。ずっと傍に居られるのも面倒だったところだ。俺から離れてくれるならそれでいい。


「……」


 と、思っていたのだが、母親は俺の方に手を伸ばすと俺を抱きかかえる。


 そして、抱きかかえた俺を強く抱きしめると、嗚咽を漏らす。


「……ご、めん、ね……っ」


 は?


 涙を流しながら俺に謝る母親。


 いや、なんで謝る? 


 母親の突然の謝罪に困惑する。


 しかし、俺の困惑など気付いていないのか、そのまま嗚咽をもらしながら俺を優しく、強く抱きしめる。


「……ごめん、ね……っ。わた、しが……こんなんだから……」


 こんなんって、どんなんだよ。ちっとも分かんねぇよ。


 俺には、母親がなぜにこんなに泣いているのかが分からない。ああ、俺が飯を食わないからか? それに関しては素直にすまないとしか言えない。まあ、止める気もないけれど。


「……わたしがっ……こんな、身体だから……ちゃ、ちゃんと、生んであげられなくてっ……ごめん、ね……っ」


 いや、あんたの身体云々は関係ない。これは俺の問題だ。あんたは何にも関係ない。


「わたしが、弱いからっ……みやびが、ご飯食べられないんだよね……ごめんねっ……ごめんねっ……」


 だから、違うって! 俺の結論を勝手にあんたのせいにするなよ! 俺が死にたいから飯を食わないだけだ! あんたのせいじゃない!


 そう心の中で怒鳴り散らしても俺の声は届かない。当たり前だ。だって俺は喋れないのだから。


「わたしが、そんな身体に産んじゃったからっ……」


 だから! 関係ないんだよ! 俺はちゃんと健康だよ! ただ俺が死にたいだけなんだよ!


「ごめんねっ……ごめんね……」


 泣きながら、俺を包み込むように抱きしめる母親。


 だから、違うから……俺は、ただ死にたいだけなんだって……。


 母親に俺の声なんて聞こえない。


 ただただ泣き続けながら、彼女は俺を抱きしめ続けた。


 俺はその間、声の届かないもどかしさと苛立ちを抱え続けた。





 ふと、目が覚める。


 俺はベビーベッドの上で寝かされており、どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。


 近くに母親の姿は無い。


 俺の憶えている限りでは、彼女はずっと泣き続けていた。彼女の鳴き声と、見当違いの懺悔が俺の耳から離れない。


 ……どうしろって言うんだよ。俺は死にたい。人なんて信じられない。この世界に、未練なんてないし、死ぬこと自体も怖くない。


 けど……だけど……母親は俺に死んでほしくないみたいだ。俺がご飯を食べないのを、自分の身体が弱いから俺をちゃんと産んであげられなかったせいだと考えている。


 ……いや、関係ない。俺は、死ねばいいだけだ。俺が死んでも、次を産めばいい。そうだよ。俺よりももっとかわいげのある子を産めばいいんだ。そもそも、泣かないうえにろくに声も上げない俺なんて気味が悪いだけだろう。


 そうだ。俺が死んだらいいことづくめだ。これ以上金はかからないし、手もかからない。スペースも時間も取らない。ほら、良いことしかない。


 母親もいずれそれに気づくだろう。今は初めての子供だからこんなことになって動揺しているだけだ。


 それに、人間なんて結局は自分の都合のいいものを欲するのだ。俺が死んだって、直ぐに記憶の片隅にすら留めなくなるさ。


 そう心の中でまとめていると、微かに人の声が聞こえてきた。方向はリビングの方。


 恐らく母親と父親が何か話でもしているのだろう。


 俺は少しだけ聞き耳を立ててみた。そんなに防音設備がしっかりしていないこの家は、少し耳をそばだてるだけで隣の部屋の音が聞こえてくる。まあ、リビングと俺の部屋が扉一枚しか隔てていないというのもあるだろうが。


 ともあれ、会話の内容を聞き取るべく、耳を澄ます。


「さよ、そろそろちゃんと休んだ方が良い。君はただでさえ体が弱いんだ。このままだと君の方が先に倒れてしまう」


「ううん、平気よ。わたしより、今はみやびのことだわ」


 母親は気丈にそう言うが、声には覇気が無く無理をしているのが聞いているだけで分かってしまう。


「……みやびは、明日病院に行って見てもらおう。なにかの病気かもしれない」


「この間行ったときは、先生はなにも無いって……」


「簡単な検査だけだろ? なら、今度はちゃんと検査してもらう。そうすれば、なにか分かるはずだ」


「……ええ」


 父親の提案に、母親は暗い声で返事をする。


 まあ、病院に行っても無駄だけどな。俺は普通に健康だ。まあ、自殺しようという精神は、他の人からしたらいくらかおかしいのだろうけど。


「……どちらにしろ、わたしのせいだわ……」


「小夜、そんなことはない」


「……いいえ、そうだわ。わたしの身体が弱いからいけないのよ……」


「それも含めて明日確認しに行こう。明日は僕も仕事を休むから」


「診てもらわなくても分かるわよっ! あの子、わたしと目を合わせてくれないのよ? 少し前から、段々ご飯も食べてくれなくなったし、ここ最近なんて一回も食べてない……わたしを母親として見てくれてないんだわ……わたし、母親失格だわ……」


「そんなことないよ。小夜は頑張ってる。みやびを心配するのはいいけど、思い詰めるのはダメだ」


「……だって……」


 父親の励ましの言葉にも、否定的に返す母親。


 まあ、確かに母親は頑張ってるよ。俺なんかの相手を、よくそこまで根気強くできるもんだよ、本当に。


「だって、わたし……」


 母親の言葉が震える。恐らく、泣いているのだろう。


「わたし……子供は、望めないって、言われて……でも、それでも、みやびが産まれてきてくれたから……っ。それが、すごく嬉しくてっ……でも、みやびご飯食べてくれないから……もしかしたら、わたしが母乳がでないのがいけないのかなとか、色々考えちゃって……もしっ、もしわたしの弱さが遺伝しちゃったって分かったら、わたし、みやびに申し訳なくて……っ」


「小夜……」


 支離滅裂で、言いたいことがまとまっていない母親の言葉は、正直に言って、何を言いたいのかが分からなかった。


 分かったのは、身体が弱くて、子供が望めなかった自分に、俺が産まれてきてくれて嬉しい。自分の体の弱さが遺伝したのかもしれない。もしそうなら俺に申し訳が無い。


 ……ああ、分かってるよ。そんなこと、言われるまでも無く分かってんだよ。自分が今、滅茶苦茶最低なことをしている自覚なんて、ちゃんとあるんだよ。


 自分の都合で死のうとして、そんで両親を困らせて、しまいにゃ母親を泣かせてる。分かってる、俺のしてることは最低な行為だ。


 けど、だけど……俺だって、傷つくと分かっていながら生きていけねぇんだよ。裏切られるってびくびく怯えながら生きていきたくねぇんだよ。けど、もう人をそんなに簡単に信用できなくなっちまってんだよ。


 ……こんなの、どうすりゃいいんだよ。


 生きるのは怖い。けれど、俺が死のうとしていることによって、両親が悲しんでいる。


 生きるか死ぬか、二者択一だ。


 生きても辛い、死んでも辛い。


 ……もう詰んでんだよ。


――本当にそうかな?


 俺が心中で諦めたとき、声が響いて来た。


 俺はその声に思わず思考を停止してしまう。


 ――よく考えてみよう。君は本当にそれでいいのかな? 守りたいものを守ってきた君は、それで。


 ――君は誰よりも良く知っているはずだよ? 守る側が一番つらいと思うことを。


 ――さて、その上で質問です。君は、このままでいいのでしょうか? このまま、君の信念を曲げて、君と同じ思いをしている人を裏切ってもいいのでしょうか?


 シンキングタイムスタートと、声はおどけたように続けた。


 けれど、聞こえてくる声は真剣で、必然的にあの人を思い出させる。


 俺に力をくれて、俺に戦い方を教えてくれて、俺に全てを託してくれた人。


 まったく……まだ師匠せんせいのつもりかよ……。いや、ずっと師匠なんだろうな。


 けど、まさか生まれなおしてからも聞こえるとは思わなかった。けど、思い返してみれば俺と彼女はそういう関係だ。そういう風になってしまったのだから。


 そうか。俺には、まだ信じられる人がいたんだな……。


 彼女は俺と一緒にいるから、俺の全てを知っている。だからこそ、彼女は俺の潔白を知っている。彼女だけは、俺を裏切らない。なにせ、俺たちはもう同一の人物と言っても差し支えないのだから。


 ……ああ、分かってるよ師匠。ちゃんと分かってる。守る側が一番つらいのは、守っているのに誰かが傷ついてしまった時だ。ちゃんと、守り切れなかった時だ。


 自分が強かったら、もっと早く駆け付けていれば……そんなふうに、いろんな後悔が押し寄せてくるのだ。


 今の母親も、そう言った状態だ。


 そして、母親自身が一番責めているところが自分の虚弱体質だ。


 ふと、泣きながら謝る母親といつかの俺の姿が重なって見える。


 ――さて、答えは出たかな? まあ、自分が最低な行為をしているって自覚があるんだから、答えはもうとっくに出てるだろうけどね。


 分かってるよ。最初からずっと分かってるよ。けど、さっきも言ったけど、怖いんだよ。また裏切られたらどうしようって、そればっかり頭の中をぐるぐるとめぐっている。俺の思考を支配している。どうしようもないほど、怖い。


 ――うんうん、まあ分かるよ。あんな終わり方はあんまりだとワシも思うよ。人は見かけによらないとは、まさにこのことだな。


 人ごとのように言う師匠。まあ、師匠にとっては人ごとなんだろうが……。


 ――そこで一つ提案だ。


 提案?


 ――そう、提案だ。ワシも少し前はそうしていたからな。丁度良かろう。


 一人で納得しないでくれ。


 ――おお、すまんすまん。まあ単刀直入に言ってしまえば、君は人を疑って生きていけばいいのさ。


 人を、疑う……。


 ――そう。人を疑ってかかるんだ。君は誰でも彼でも信じすぎたんだ。少しは疑うことを覚えた方が良い。人を疑わないから、あんな結末になるんだ。


 ようするに、俺の自業自得な部分もあると?


 ――まあそうなる。ま、結局は裏切った彼らが悪いのだけどね。恩を仇で返すとはまさにこのこと。


 俺は、師匠の言葉を吟味する。


 確かに俺は人を疑ってこなかった。人を疑うのは、その人に悪いようで嫌だったから。けどそれは、結局は自分が見たくない物を見ないようにするためにそうしていただけだった。だから、騙された。


 なら俺は、人を疑おう。疑って、生きて・・・やろう。


それに、俺には師匠がついていることは分かった。師匠は俺を裏切らない。なら、このまま死んでしまうのも、面白くない。それに、師匠を二度も俺の都合で死なせるわけにはいかない。


 何より、俺は守れなかった痛みも、裏切られたときの絶望も知っている。裏切った奴が、どれだけ劣悪に見えるのかも知っている。


 俺は、そんなふうにはならない。


 俺は誰も裏切らない。でも、誰でも疑おう。


 ――ああ、それでいいんじゃないかな? でも、差し当たっては、ちゃんと母君を安心させてあげなね?


 ……分かってるよ。


 俺がそう言うと、師匠は満足げな雰囲気を漂わせた後、その気配を消した。恐らくは、また眠りについたのだろう。


 翌日、俺がミルクを飲んでやると、母親はたいそう喜んだ。


 目の下に隈を作りながらも、その笑顔は輝かしく生きる気力に満ち溢れていた。その笑顔が眩しくて、後ろめたくて、俺はそって目を閉じた。


ブックマーク、感想、ありがとうございます。

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