009 音無母
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音無に文字を教え始めてから、俺は音無と行動を共にすることになった。まあ、正確には、音無が俺の後を付いてきているだけなのだが。
ともあれ、俺と音無は幼稚園にいる間四六時中一緒に居る。何をするにも一緒。
最初は正直鬱陶しかったが、今となってはもう慣れてしまった。
そして、今日も今日とて音無は俺と一緒に居る。
しかし、今日は珍しく俺たちは外に出ていた。
勘違いしないでほしいのだが、自発的に出てきたわけではない。音無が俺の手を引いて、半ば強引に外まで連れ出されたのだ。
が、外に出てきたはいいものの、俺たちは特に何もしていない。とりあえず、手を繋ぎながら立っている。
目の前で年長から年少までの子供が自由に駆け回っている。その中に先生も混じったりしている。
そんな光景を見ながら、俺は音無に外に連れてきた真意を訊く。
「どうして、おそとにでてきたんですか?」
「わかんない」
じゃあ俺も分かんねぇよ……。
まあ、いつものことだ。ただの子供の気まぐれだ。
「じゃあ、なかにもどりましょう?」
「えー」
俺が中に戻ろうと提案すれば、嫌そうな声を上げる音無。
「じゃあ、おそとであそびますか?」
「……うん」
音無は少し考えるそぶりをした後、こくりと頷いた。
そして、音無は俺の手を引いて歩き始めた。果たして、あてはあるのだろうか?
そんなことを思っていると、音無は砂場の前で立ち止まる。
「あら~? 珍しいわね~二人がお外にいるなんて~」
砂場にはみゆこ先生と他の園児がいた。
どうやら、砂場でお山を作っているようだ。
音無は、みゆこ先生の言葉にこくりと頷くと砂場に入って行く。
ええぇ……砂場で遊ぶの?
砂場で遊ぶと砂だらけになりそうだから嫌なのだが、音無に手を引かれている俺はそのまま音無の後に付いていくほかない。
集団から少し外れた端っこで、音無は腰を降ろす。必然、俺も腰を降ろす。
俺が腰を降ろすと、音無はおもむろに砂を掴むと、一か所に盛り始める。どうやら、お山を作るらしい。
俺は、その様子をジッと見ている。
しばらく音無の様子を見ていたが、急に音無が手の動きを止める。
何事かと音無を見てみれば、音無は俺をじーっと見ていた。
「どうしました?」
「みやびも、やまつくって」
うん、そうだろうと思った。
俺は、溜息を一つ吐くと、近場から砂を集めて音無の山に盛る。
そうすれば音無は満足したのか、一つ頷くと山作りを再開した。
砂を掴んで山を盛る。その作業を機械のようにこなす。その間、会話など一切ない。ただただ山を作るだけだ。
黙々と作業を続ける俺たち。
「……」
「……」
……うん、不毛だ。とてつもなく不毛だ。音無はこれが楽しいのだろうか?
気になり、音無の顔を見てみる。
すると、音無にしては珍しく微妙そうな顔をしていた。
「……べつのことしますか?」
俺がそう提案すれば、音無はこくりと頷いた。
俺は立ち上がると手をパンパンと叩いて砂を落とす。音無も立ち上がり、手を拭くで拭お――まてまてまて。
俺は慌てて音無の腕を掴む。
「てを、ぱんぱんってたたいてください」
服で拭ったら服が汚れちまうだろ。
音無は俺の言ったことを理解したのか、手をぱんぱんと叩く。
「ぱんぱん」
口で言わんでいい。
「ごしごし」
俺が油断しているうちに音無は手を叩いた後服で砂を落とす。
お前、口で擬音語言えばいいと思ってるのか?
「も、いいです……」
「うん」
いや、うんじゃなくて……まあ、いいよ。うん。
音無は砂をある程度落として満足したのか、俺の手を引いて砂場から離れる。
うん、俺も砂を触ってるから、気にしない。
俺が、諦めていると、興味を魅かれたものがあるのか音無は足を止めた。
音無の視線の先にはブランコがある。だが、ブランコは人気なのか、三つあるのだがすべてが埋まっていた。
「ちがうところにいきましょう」
「うん」
俺の提案を、音無は素直に聞き入れる。
ブランコは空いたら使えばいい。
音無は俺の手を引いて歩く。
そして、少し歩くと音無の脚が止まる。その視線の先にはウサギ小屋があった。
この幼稚園ではウサギを飼っているのだ。
音無は、ウサギ小屋まで歩いていく。そして、ウサギ小屋の前で止まると、そこで腰を降ろす。俺も、腰を降ろす。
「うさぎ」
「そうですね」
よかった、ウナギとか言いださなくて。
変なところで安堵をする俺。いや、子供って言い間違えたりするからさ。イクラとオクラを言い間違えたり、マスタードとカスタードを言い間違えたりさ。
ともあれ、音無はウサギに夢中なようだ。
ぴょんぴょんと跳ねまわるウサギを夢中になって見ている。
まあ、延々と砂山を作り続けるよりはましだ。
俺も、ウサギを眺める。
ウサギを眺めていると、あっという間に自由時間は終わってしまった。ウサギに時間を持っていかれた気分だ。
これで白兎がいたら、気分は不思議の国のアリスだ。まあ、あっちは白兎に懐中時計を持ってかれてしまうのだが、細かいことは気にしない。
俺と音無は手を洗ってから教室に戻った。
「は~い。それじゃあ、お昼寝の時間で~す。皆、お布団敷いて~」
みゆこ先生に言われ、俺たちは布団を敷き始める。と言っても、長座布団とタオルケットだけなので大した労力では無い。
疲れると言えば、一回机を後ろに下げなくてはいけないことくらいか。
だが、皆慣れたもので机を運んだら、直ぐに布団を敷く。
「はい、それじゃあおやすみなさ~い」
先生がそう言えば、俺たちはタオルケットをかけて寝始める。
因みに、どこに布団を敷くのも自由だ。だから俺は端っこに布団を敷いたのだ。
……まあ、例によって音無が俺の隣に布団を敷いてるわけだが。しかもスペースを空けずに、布団と布団をくっつけている。
そんなぴったりくっつけんでも……。
まあ、最早今更である。いちいち気にしてたらきりがない。
俺は、諦め、目を瞑る。
かちこちと時計の音だけが静寂にこだまする。静かで、落ち着く時間。
子供の身体になってから、お昼寝のときにきちんと眠くなるようになった。だから俺は、特に抵抗することなく眠気に身を任せる。
そうして俺は意識を手放した。隣でもぞもぞと動く音無には気付かぬまま。
「雅ちゃん、咲夜ちゃん、起きて~」
身体を優しく揺すられながら、優しい声が耳朶をくすぐる。
眠たい眼を頑張って開けると、そこには微笑みを浮かべるみゆこ先生がいた。
「おはよう雅ちゃん。もう起きる時間だよ~」
「……はい……」
眠いから、声を出すのも一苦労だ。気を抜くと、また寝入ってしまいそうだ。
「って、咲夜ちゃんがいたら起きれないか」
……なんだって?
「ほら、咲夜ちゃんも起きて~」
「ん、うむぅ……」
みゆこ先生が揺するのは俺のすぐ隣。そして、眠たげな声もすぐ隣から聞こえてくる。
まさかと思いながら、隣を見れば寝ぼけ眼の音無と目が合う。
「……おあよぉ……」
「……おはようございます」
いや、おはようじゃねぇよ、なんで俺の隣で寝てるんだよ。て言うか、俺を抱き枕にしてやがるな? がっしり掴まれてて体が動かしづらいんだが?
「あら。咲夜ちゃんよだれ垂れてるわよ~?」
「ん……んむぅ……」
て、ちょ! 俺の肩で拭くんじゃねぇ!
俺の心の叫びが聞こえるわけも無く、音無は俺の肩でよだれを拭く。
「こらこら! 雅ちゃんの肩でよだれ拭いちゃダメでしょ!」
みゆこ先生がポケットからハンカチを出して咲夜の口を拭く。といっても、俺の肩で大分よだれが拭けてしまったので、あまり意味がない。
しかも、音無はみゆこ先生に口を拭かれている間にまた眠りについてしまった。
「え、あれ? 咲夜ちゃん? 起きて~」
先生が頑張って揺するが、音無は一向に起きる気配が無い。
こうして、しばらくの間俺は音無の抱き枕に甘んじることになった。
音無が起きてから、いつも通りお勉強の時間が始まった。今日のお勉強は足し算だ。
「ウサギさんが一匹います。そこに、二匹のウサギさんがやってきました。それじゃあ、ウサギさんは何匹ですか~?」
みゆこ先生の問題に、ウサギは一羽です、なんて茶々を入れたりしない。正解は三。うん、簡単。
俺はのほほ~んとしながら他の皆が答えるのを待っている。
ふと気になり、隣の音無を見てみれば、音無は両手を使って頑張って数えていた。しかし、指を全部折り曲げていることから、音無の中ではウサギが十羽いるに違いない。
「はい」
音無が自信満々に手を上げる。
「はい、咲夜ちゃん」
「さんびき、です」
なんで指全部折り曲げてたんだよ!?
音無の答えを訊いて、俺は心中でツッコミを入れてしまう。
え、なんで? なんで指全部曲げてたのに答えが適切なわけ?
「正解で~す」
俺の困惑をよそに、みゆこ先生はぱちぱちと拍手をして音無をたたえる。
正解した音無は、ふんすと鼻息荒く胸を張る。どうやら、とても嬉しいらしい。
その後、みゆこ先生が簡単な問題をいくつか言っていき、その問題を解いていく。解いていく数は圧倒的に音無が多かったが、他の子も負けじと頑張っていた。
音無は正解するたびに俺の方を見て、ふんすと鼻息荒く胸を張ってくる。
わかったわかった。凄いよ、うん。
俺が一つ頷けば、音無も満足げに頷く。なんだこの意思疎通は……。
多分、全く通じていない意思疎通をしながらも、お勉強の時間は過ぎていく。
「それじゃあ、最後行くよ~? みかんを十一個貰いました。その後リンゴを十二個貰いました。さて、合わせて何個でしょうか~?」
みゆこ先生が最後の問題に二桁の足し算を出してきた。俺は、もちろん答えを即座に脳内でたたき出す。が、他の子は分からないようで頭を捻っていた。音無は例によって両手の指が全部握られているので計算しているのかすら分からない。
「ん~、まだ分かんないかな~?」
そんな皆の様子を見て、みゆこ先生はにこにこと微笑みながら言う。
みゆこ先生がそう言ってしばらく待っても誰からも答えが出ない。
「は~い、それじゃあ答えを言うね~。答えは、全部で二十三個でした~。ちょ~っと難しかったかな~?」
いえ、全然。とは言えない。
俺は隣の音無の様子を見てみる。
今まで正解するたびに俺にどや顔をしていた音無だ。結構悔しく思ってるかもしれない。そう思い、見てみたのだが……。
「……」
音無は握りしめた手をぷるぷると震わせて、目には涙を溜めていた。
……予想以上に悔しがっていた。
いや、子供なんてそんなものか。一つ一つ真剣に取り組むから、出来なかった時の悔しさが人一倍あるのだろう。
と、そこでみゆこ先生が時計を確認する。
「は~い、それじゃあ、今日のお勉強はこれでお終い。それじゃあ、お迎えが来るまで皆遊んでていいよ~」
そう言って、みゆこ先生はいったん退出した。
その瞬間、音無は席を立ち俺の方にやって来て、がばりと俺に抱き着いて来た。
首元に顔を埋められ、すんすんと鼻をすする音が聞こえてくる。悔しくて泣いてしまったようだ。
俺は、多少面倒くさく思いながらも、音無の背中をぽんぽんと優しく叩く。全国共通の泣いた子供のあやし方だ。
しかし、傍から見るとどう見えるんだろうか? 三歳児を落ち着かせる三歳児。俺ならその三歳児が年齢詐称しているのを疑う。そして、お前何歳だよ! とつっこむ。
まあ、幸い時間が早いから大人は誰もいない。見ているのは同じクラスの子だけだが、子供たちは俺たちにあまり関わってこないので、遠巻きに見ているだけだ。
と、思っている時期が俺にもありました。
「さくやちゃん、だいじょーぶー?」
舌足らずな声で、音無を心配するツインテールの女の子。その子につられたのか、他の女の子も寄ってくる。
「さくやちゃんどーしたの?」
「ないてうのー?」
男子は、女の子の集団に気が引けて入れないでいる。
あっという間に、俺の周りに女の子の集団ができる。
「みやびちゃん、さくやちゃんどうしたのー?」
一人の女の子が、とうとう俺に話しかけてくる。
俺は吐きそうになる溜息を呑み込み、出来るだけ愛想よく振る舞う。
「さいごのもんだいがとけなくて、くやしかったみたいです」
「そうなのー? さくやちゃん、だいじょーぶだよー?」
「そーだよ。わたしもわかんなかったもん」
周りの女の子は俺の答えを聞くと、音無を慰め始める。大丈夫だよ、皆同じだよと、頭を撫でながら言う――って、誰だ。どさくさに紛れて俺の頭を撫でてる奴は。
しかし、止めてくれと強く言えるわけもない。俺は音無と同じくなすがままになっていた。
そして、男子は無情にも外に出て遊び始めた。
ちょっと男子ぃ! 女の子泣いてるんですけどぉ!? なにかしようと思わない分けぇ!?
因みに、俺ならそんな気は起こらない。
少しばかり男子に恨みがましい怨念を抱いていると、がらがらっと教室の扉が開かれる。
「咲夜、迎えに――あら?」
入ってきたのは、音無を迎えに来た音無母であった。
入園式の日に着物を着ていたから、気合いが入った人だなと思ったが、どうやら私服も着物らしい。つまり、入園式の日は少しだけ高い着物を着てきただけなのだ。
その音無母は、女の子の集団――因みに一名男――の中に自分の娘がいることを確認すると、優雅に小首を傾げる。
「これは、どういうこと?」
説明します。だから、とりあえず助けてください。
因みに、作中で子供がしちゃう言い間違いは、全て自分がやらかしました。
イクラはオクラ、マスタードはカスタード。全て店員さん相手にやらかしたので、滅茶苦茶恥ずかしかったです。