プロローグ 全ては終わり、また始まりを迎える
また性懲りもなく連載を始めてしまいました。
よろしくお願いします。
何にも分かっちゃいなかった。何にも。
石畳の街道を全力で駆け抜けながら今までのことを思いだし、後悔し、憤り、そして悲痛が胸を貫く。
俺は何にも分かっちゃいなかったんだ。
いつもなら全力疾走をしても息を切らすことは無いのに、今は呼吸が荒い。手足は小刻みに震え、胃が熱を持って不快感が全身をめぐる。
悔しくて、悲しくて、辛くて、痛くて、心も体も疲れ果て、傷ついている。
何度でも言う。俺は何にも分かっちゃいなかった。
この世界に呼ばれた意味も、皆の笑顔の意味も、仲間と言う言葉の意味も……。
「クソッ……! 俺は、なんのために……ッ!」
一度立ち止まって荒くなった呼吸を整える。
けれど、身体の傷は主張を増し、後ろから迫る足音は順調に近づいてきてる。
舌打ちを一つすると、俺は走り出す。
なんでこうなった。どうしてこうなった。考え始めればきりがないほど想いが溢れてくる。
追ってくるのは味方で、逃げている俺は彼らの味方のはずだ。なのに、追われてる。
もう俺は、味方でもなんでもないってことかよ……ッ!!
後ろの足音が、それを誇張するかのようで、我知らず歯噛みをする。
端的に言えば、俺は騙された。
勇者の一人としてこの世界に呼ばれ、一緒に呼ばれた仲間と共に戦い抜き、この世界を歪めている『悪しき神族の末裔』を倒した。
皆俺より年下で、俺が最年長だったから、頑張らなきゃって思って頑張ってきた。皆も
俺のことを頼りにしてくれた。先輩って明るく呼んでくれたから、慕われてると思った。
けど、違った。
皆は俺を仲間としては見ていなかった。俺を、いつも前線で戦ってくれる戦力としてしか見てなかった。都合のいい、道具としか思ってなかったんだ。
だから今追われていて、俺は逃げている。
自然と流れてくる涙を拭う。
だって、思わないじゃないか。皆の明るい笑顔が嘘だなんて。かけてくれた優しい言葉が嘘だなんて。そんなこと、思えないじゃないか……。思いたくなんか、無いじゃないか……。
けれど事実彼らは俺が国王を殺し、反逆の意思ありとして殺そうとしている。
もう、事実は突きつけられているのだ。
けれど諦めたくなくて、誰も味方がいないだなんて思いたくなくて、俺は走っている。あの人に会うために。
俺のことを弟の様だと言ってくれて、可愛がってくれたあの人。
教会の修道女として修行をつむ彼女は、隣に併設されている孤児院でも働いている。そんな彼女と出会ったのは、俺がこの世界に来て、どうしようもない現実に直面し、絶望していた時だ。
そんな俺に、彼女は優しく言葉をかけてくれた。愛しむように笑顔を向けてくれた。何かあれば自分を頼っても良いと言ってくれた。
それから俺は用もないのに彼女の元を訪れて、孤児院の手伝いをしたりもした。
いつも変わらぬ優しさを向けてくれる彼女なら、俺のことを信じてくれると思った。
だから、自然と彼女の元に向かっていた。
彼女に、助けてほしかったから。いつもの笑顔を見て救われたかったから。
そして、ようやく彼女の居る教会にたどり着いた。俺は救いを求めて教会の質素な扉を開けた。
扉を開けて中を見やれば、質素ながらもしっかりとした造りの礼拝堂が目に入る。そして、彼女の属する教会のシンボルである大きな天秤の前で、彼女はその身に月明かりを浴びながら、膝をついて祈りを捧げていた。
俺はその姿を見て、自然と頬が緩んだ。
一歩、一歩とゆっくり彼女に近づいて行く。
別段足音を消していたわけでは無いので、彼女はすぐに俺の存在に気付き、立ち上がると振り返った。
「シュウ……」
「やあ、シェーラ……」
振り向いた彼女はいつものような微笑みを湛えながら俺の名前を呼んだ。俺も、自然と気が緩み彼女の名前を呼ぶ。
「その怪我、どうしたんですか?」
彼女は俺の怪我を見ると、少しだけ眉を寄せてそう訊ねる。
「ああ、ちょっとね……でも、大丈夫だよ」
「もう! ダメですよ! シュウはいつもそうやって無茶ばかりするんですから! 大事にいたっては大変です。さあ、早くこちらへ来てください」
そう言われ、俺は彼女へ向かう足を速める。が、途中で足を止める。
「? どうしたのですか?」
「ねえ、シェーラ」
「なんですか?」
「シェーラは、俺のこと信じてくれる?」
「どうしたのですか、急に。それは信じますとも。シュウとは知らぬ仲ではありませんし」
「だったら……ッ!」
俺は憤りながら、右手をかざす。そうすれば、教会のいたるところに雷が落ちる。
「ぎゃあっ!」
「がっ!?」
雷が落ちたところから苦悶の声が聞こえ、どさりと質量のあるものが落ちる音が聞こえてくる。
俺は、恐らく、酷く失望し悲しみに歪んだ顔を彼女に向ける。
「なんなんだよこれはっ!!」
「……それは」
俺が今攻撃したのは、俺を追っている奴らの仲間だ。それも、正面切っての戦闘をしないで、不意打ちや毒殺――いわゆる暗殺を得意とする類の者だ。
俺の叫びに、シェーラは悲痛に顔を歪める。
「俺を……信じてるんじゃなかったのかよ……ッ」
最早叫ぶことすらも出来ない。それほどまでに、俺は絶望に突き落とされた。
「――っ! シュウ! 今ならばまだ間に合います! 己の罪を認め、贖ってください!」
「――ッ! そんな……お前まで……」
彼女は悲痛な顔をしたまま、俺にそう言ってくる。
「大丈夫です! 私も手を貸します! ですから、逃げるのは止めてください! あなたの罪が重くなるだけです!」
さあ、一緒にと彼女は俺の手を差し伸べる。
違う、そうじゃない……俺が欲しいのは、そんな言葉じゃない……!
俺は後ずさる。
なんだよ……結局、お前もかよ……!
「信じてくれるんじゃなかったのかよ……」
「信じています! あなたなら、己のしたことを顧みて罪を償えると!」
「――ッ!!」
ああ、そうかよ。そう言うことかよ! あんたは、確かに俺を信じてる。けど、それは罪を償う俺であって、罪を犯していない俺じゃない。あんたは、俺が罪を犯したと信じて、その罪を償えると信じてるんだ。俺が、罪を犯したと信じて疑わないんだな……俺は、やっていないのに……ッ!!
「結局、あんたもか……」
拳を握りしめ、憎悪に満ちた目で睨み付ける。
「あんたも、俺を信じな――――がッ!?」
俺が言葉を紡ごうとしたその時、背中から衝撃を受ける。
胸が焼けたように熱く、鋭い痛みが走る。
「てっ、めぇ……ッ!」
俺は、俺のすぐ後ろに居る、痛みを与えた張本人を睨み付ける。
彼女は、俺の背中に短剣を突き刺し、俺と視線を合わせる。
「アヤトリ……ッ!」
「シュウさん。残念です、本当に」
俺と一緒にこの世界に召喚された少女、辻あやとりは、冷静な瞳に失望の色をにじませている。
「がっ!」
短剣に力が込められ、更に痛みが走る。
「クソがッ……!!」
一瞬で体に雷を纏い、無差別に放電する。
「きゃっ!」
「……」
シェーラは小さな悲鳴を上げてその場にしゃがみ込み、アヤトリは冷静に短剣から手を離して飛びすさる。
距離を取るアヤトリに、放電と同時に作り出した雷球を放つ。
けれど、アヤトリは雷球を回避する。
分かってる。アヤトリに今の俺の攻撃は通用しない。俺を追って来るんだ。だったら、俺の得意分野である雷に対応できる装備を整えているのは当たり前だ。
だから、これは時間稼ぎだ。
アヤトリが距離をとっている間に、俺は教会の天井に雷球で穴を開けて脱出する。
「シュウ!!」
下からシェーラが俺を呼ぶ。
けれど、俺は振り返らない。振り返ってなんてやるものか。
俺は屋根を伝って教会から遠ざかる。傷は痛いが動けないほどではない。ここ数年で、痛みにはだいぶ慣れてきたから。
……けれど、そのはずなのに。
「なんで、こんなにいてぇんだよ……ッ!」
俺は痛みの激しい胸を掻き抱くように左手で押さえる。
歪み、おぼろげな視界の中家々を足場にして逃げる。
痛い、痛い、痛い。
傷では無く、また別のどこかが痛い。
「信じてたのに……!」
皆、皆、俺は信じていたのに。俺に反逆の意思は無い。国王も殺してない。
ああ、そうだ。ずっと認めたくなかった。けど、ここまで来たらもう認めるしかない。
俺は――仲間に嵌められたのだ。
「ああ…………あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
その事実を、ついに認めた俺は慟哭を上げる。
信じてたのに! 皆、仲間だって! 俺は殺してないって、皆なら信じてくれると思ったのに! 俺が信じてたから、皆も信じてくれていると、思ったのに……!
慟哭を上げながら、夢中になって走り続ける。
走って走って走って、がむしゃらに走り続ける。
「あ、がぁっ!」
走り続けた末、足をもつれさせて転ぶ。
気付けば、街からは遠ざかり街を一望できる丘の上にいた。
俺は転んだ身体を起こし、街を見る。
そこに、丁度朝日が差し込み、朝焼けが街を包み込む。
どうしようもなく、美しい情景。
「はっ、はははっ……」
けれど、その美しさは汚い。偽善と欺瞞と恐ろしいほどの醜悪な欲望が渦巻くその街は外観だけを美しく保っていて、その内側は酷く汚い。
「まるで、人間だ」
まあ、当たり前か。人間が住むのが街なら、人間の色を見せるのは当然と言える。
汚い。汚い汚い汚い! 醜く、下劣で、下衆で。そして何より――すべてが偽りだ。
あの笑顔も、言葉も、行動も、何もかも偽りだ。
「全部、偽りだ……ッ!」
「そう、偽りだよ、兄さん」
「――ッ!」
声がして振り返る。
そこには、一人の少年が立っていた。
俺を兄さんと呼ぶこの少年は、俺と同じ勇者の一人で、俺を兄のように慕ってくれていた、大切だった仲間の一人――――ユキトだ。
「何が兄さんだ。全部偽りのくせに」
俺は油断無く右腕をユキトに向ける。
ユキトはそんな俺を見ても、いつもと変わらぬ微笑みを向ける。
「酷いや兄さん。ボクは兄さんのことを兄のように慕ってるよ? この気持ちだけは、偽りなんかじゃないよ?」
「騙されるか! 口では何とでも言えるんだよ!」
「う~ん、真実なんだけどなぁ……」
信じてもらえなくて悲しいよ、とあからさまに肩を落として見せるユキト。が、直ぐに両手をポンと打ち付けると表情を明るくする。
「そうだ! これ見たら信じてくれる?」
「何を見ても無駄だ。俺はお前らなん、か――」
信じない。そう言おうとしたのに、続きの言葉が紡がれない。
信じる信じないよりも、ユキトの手には俺が言葉を噤むほどに衝撃的なものがあった。
「これ、な~んだ?」
ユキトがそう言って笑顔でこちらに向けてきたのは――
「な、ん」
「ぶっぶ~! ナンじゃないよ、兄さん! 美味しくなさそうでしょ、これ? う~ん、切り取っちゃったから、形代わってわかんないかな? あ、でも王冠があるからわかると思うんだけどなぁ」
「おう、さま……?」
「ぴんぽんぴんぽん~! 大正解! 正解は、ジャン! アルディス国王陛下でした~!」
兄さんに百万ポイント贈呈~と緊張感のない冗句を言うユキトの手には、この国の国王陛下であるアルディス・マルキネスの首がぶら下がっていた。
その事態に、俺は頭が追いつかない。
なんで、ユキトが国王の頭なんか……。
理解の追いつかない俺を置いて行って、ユキトはべらべらと語り始める。
「いやね? こいつがさ、強すぎる兄さんが反逆起こすかもしれん、殺すしかないって話してるのを聞いちゃってさ。そしたら、もう殺すしかないじゃん? でもさ、殺したら殺したでこいつの根回しが広すぎて、すでに兄さんに罪を被せる算段が整っちゃててさ、あっという間に兄さんが反逆者扱いなわけですよ」
「お前、俺がやってないって、知ってたのか……?」
「当たり前じゃん。さっきも言ったけど、ボクが殺したんだよ? 真犯人が真犯人を知らないって言うのも変な話でしょ~」
おかしそうにけらけらと笑うユキト。
その姿に俺は苛立ち、怒りがせり上がってくる。
「ふざけんなよ!! お前のせいで俺は!!」
「ちょっと待ってよ兄さん。別にボクが殺さなくても、兄さんにはいつか反逆者の汚名が着せられていたんだよ? それに、ボクは兄さんのために王様殺しただけだし。感謝されるいわれはあっても、怒られるいわれはないなっ!」
ぷんぷんおこですよとふざけながら怒りを示すユキト。
その常と同じ様子に、背筋が粟立つほどの気味悪さを覚える。その気味の悪さで俺の怒りに染まった頭は冷静になっていく。
「まあでも、結局は兄さんに言わなかったんだし、似たようなものかな?」
そして、怒っていると言ったわりにはあっさりと自分にも非があったと認める。
いつもは天真爛漫で陽気で、自分の非を認められる素直で頭の良い奴だと思っていたユキトが、得体のしれない何かに見えてくる。
「でも、兄さんが嫌いでもないし、裏切ってなんかいないから、兄さんの糾弾は間違ってるよ?」
「……じゃあ、なんで俺に言わなかった? それで裏切ってないだなんて、良く言えたもんだな」
俺は、気持ちの悪さを押しとどめながらそう返す。
「あー、それもそっか。まあでも、ボクは愛がある分いいよね?」
「は?」
なんだ? 今こいつなんて言った?
「愛、だって……?」
「そうだよ? ボクは兄さんを愛してるからね。いわゆる一つの愛情表現ってやつだよ」
ああ言ってしまったと赤らめた頬に手を添えるユキト。
分からない。数年も一緒に居たはずのこいつが、今何を考えているのか、今まで何を考えていたのか、さっぱりもって理解ができなくなった。
「ボクはね、兄さんの頑張る姿が好きなんだ」
普通に聞けば言葉通りに捉えられるその言葉も、この状況で聞くと酷く湾曲して聞こえる。
「兄さんがボクたちの……いや、ボクのために血を流して、傷を負って、それでもなお悪に立ち向かうその姿、その表情が好きなんだ。でもね、戦いはもう終わってしまったし、その表情も見れないでしょう? だからね、これはチャンスだと思って黙ってたんだ」
そう言いながらユキトは手に持った頭を乱雑に放り捨てて近づいてくる。
俺はユキトの得体のしれない気味悪さに動けない。
なんだ、こいつは。なんなんだ。
ぴとりとユキトは俺に体を触れるくらいに押し付け耳元で言葉を紡ぐ。
「ねえ、兄さん。このままワ――――ボクと一緒にこの国の不届き者たちを一緒に倒そうよ。兄さんを騙した愚か者どもを倒すんだ。それってとても、正義ある行いだと思わない?」
するりと両腕を俺の背中に回し、優しく抱きしめるユキト。
「今兄さんの味方はボクだけ。ねえ、兄さん。もう一度戦って? 大きな国と戦って、その立ち向かう雄姿をボクに見せてよ。大丈夫、ボクはこれ以上、絶対に兄さんを裏切らないから」
……そうか、こいつも同じか。
こいつも、ユキトの中のシュウを信じているだけか。
あいつらと同じだ。結局は、俺を見てくれていない。
悪に立ち向かう姿がかっこいいだって? そんなわけあるか。俺は今まで悪に立ち向かうために戦ってきたわけじゃない。
「何を信じてるのか知らないが、俺はもう戦わない」
強引にユキトを引きはがし、奴の目をしっかりと見つめる。けれど、俺の視線に熱はなく、ただただ冷めた視線だけをユキトに向ける。
「俺は、別に悪に立ち向かうために戦ってきたわけじゃない」
「え? そんなことないでしょ? 兄さんは今までずっと『悪しき神族の末裔』どもを倒すために戦ってたんだよ? 悪に立ち向かってるじゃない」
「違う。俺は――――」
様々な激情が俺の中を荒れ狂う。その激情がない交ぜになって、得体のしれない気持ち悪さが胃からせり上がってくる。
今まで信じていたものが音を立てて崩れ去る。それと同時に俺が戦う理由も、この世界に存在する理由も、生きる理由も、全てが瓦解する。
だから俺は、ただ事実を伝えるために無機質に言い放つ。
「ただ、お前らを守りたかったから戦っただけだ」
もう、それも叶わないけれど。
「俺は、戦わないことがお前らを守ることだったのなら、戦わない道を選んだ。けど、状況が、世界がそうさせてくれなかった。だから仕方なく戦う道を選んだだけだ」
「ち、違う」
俺の言葉に、ユキトは愕然と目を見開き、いやいやと首を振る。
「兄さんは、かっこいいんだ。強くて、優しくて、自分の信じた正義のために戦って」
「違うよ。俺は、強くも無ければ、優しくもない」
ただ利己的で、自分の守りたいものだけを守るだけの男だ。
「違う! 兄さんは悪に立ち向かう勇者なんだ! ワタシが憧れる、物語からそのまま飛び出してきた勇者そのままなんだ!」
錯乱したように髪を振り乱して吠えるユキト。
俺はそれをただ冷めた目で見る。
「それはお前の信じたい俺であって、俺の本質じゃない」
「違う! 違う違う違う! ねえ、兄さん! もう一度悪を倒そう! そうすれば兄さんが自分のことを勘違いしてるって分かるよ! だからもう一度、もう一度戦って! 大丈夫、悪ならそこら中に蔓延してるよ! そうだ、世直しの旅に出るのも良いと思うよ! そうすれば兄さんも自分が正義のために戦う勇者だって分かるよ!」
「そんなのは、もう御免だ……」
「――――っ!! あああああぁぁぁぁぁ!! なんでさ兄さん! なんで戦ってくれないの!? 悪を滅ぼそうよ! ああ、それともあれかな、悪の定義が分からないかな? 大丈夫、ワタシが悪を示して兄さんがそれを斬れば良い!」
「さっきも言ったけど、俺はお前たちを守りたかっただけなんだ」
だから、もう俺が戦う理由は無い。もう、守りたいものなんてないのだから。
いやだいやだと頭を掻きむしり狂乱するユキトから、少しずつ距離を取って俺は剣を抜く。
俺が剣を抜いたことにようやく気づいたユキトが、血走った目でこちらを見る。
「兄さん、なにをする気……?」
「決まってんだろ。もうさようならだ」
その言葉で全てを察したのか、ユキトがこちらに向かって来る。が、全て遅い。
「じゃあな」
またな、なんて言わない。どうせもう会えないし、会うつもりもないのだから。
「兄さ――」
ユキトがこちらに手を伸ばす前に俺は――――自分自身にその剣を突き立てた。
「がッ!」
口から血を吐き、何に逆らうことも無く地にひれ伏す。
今まで血を流し過ぎたせいで急速に意識が遠のいて行く。
「――ッ! ――――ッ!」
ユキトが何かを言っているが、それを理解することはもうできない。
俺は世界を救って、仲間を守って、国を守って――――信じたモノに裏切られた。
ああ、まったく、クソッたれだ。
俺は今までなんのために戦ってきたのだ。戦いたくないのに戦ったのに、全てに裏切られて、最後はみじめに自分の手で幕を下ろす。
俺は遠のく意識に身をゆだね、静かに意識を沈めていく。
そうして、俺の人生は幕を閉じた。
辞世の句とは違うだろうが、あえて言わせてもらうならば、一言。
もう人間は助けない。人間なんて大嫌いだ。
暗い、けれども温かい感覚。
苦しい、苦しい、苦しい。
閉塞感に包まれ、息苦しい時間を過ぎて、ようやく解放された。と思ったら今度は凄く眩しい。
光が目に痛い。
なんだ? 俺はどうなったんだ? 俺は確か自殺して、それで……それから……。いや、それからなんて無い。そこで終わったはずだ。なのに、なんで感覚があるんだ?
「――!」
何か言葉が聞こえてくるけど、何を言っているか分からない。音を音として拾えるけど、ぼんやりとしか聞き取れない。
ああ、それに、酷く疲れた。とても眠い。
なんだか喉に違和感があるし、温かい感覚に包まれていると眠くなってしまう。
まあ、良いか。とりあえず、今は眠ろう。起きてから、考えよう。
……恐らく、これがいけなかった。いや、けれど結果は変わらないか。どちらにしろ、自分がこうなってしまったと知れば慌てふためく。結局はそれが少し早いか遅いかの違いだけだ。
「ああ、わたしの可愛い雅……生まれてきてくれて、ありがとう……」
意識が途切れるその瞬間に確かに聞こえてきたその声。なぜ聞こえてきたのか、もう少し考えておくべきだった。
憔悴しきりながらも、愛を感じるその言葉のことを聞いて、無理矢理にでも意識を覚醒して現状把握に努めるべきだった。
けれども、そんなことを言ってももはや後の祭り。
どうあっても、現状は変えられない。そして、それを打開する術を、俺は持ち合わせていない。なにせ――
「ああ、愛しいわたしの赤ちゃん……」
――俺は、赤ん坊になってしまったのだから。