1話-③
運ばれて来た巨大な升の縁を、茶髪の美女が指で撫でる。
喧騒が店内を支配している中で、その升の側面から出るカチャリという音は、誰の耳にも入らなかった。
このビールダブル用の升には、隠された秘密がある。
縁をなぞると側面が扉のように開くのである。そこに入れられているのはタグの付いた鍵。
鍵をしばらく見つめた後、美女はポケットにそれを滑り込ませた。
「おあいそ」
そう美女が告げると、アルバイトが伝票を記入しにかかる。
その顔には「あのビールを全て飲み干すとは」という畏怖と軽蔑の色が綺麗に混ざって顕れていた。
そして伝票をまとめる手が止まる。
「店長!これ間違ってません?ビールダブル30000円って」
美女はアルバイトの頬に手を添える。
「それでいいのよお嬢ちゃん。安いくらいだわ」
そう言って総額より少し多目に置いて、店を出た。
本日は特別な日である。
交通事故の件数が0であった。
とあるご老人が町中で昔の知り合いと再開した。
美女が殺し屋のメールアドレスGETの最初の関門を突破した。
本当に特別な日であった。
朝からカフェでコーヒーを飲む男。
これでもかというくらいフレッシュを入れたので、テーブルの隅にその容器が山になっている。
それだったら最初からカフェオレにしといたら良いのに。聡明な読者ならそう思うだろう。
当の本人は満足げに頷いている。
猫舌である彼が、最初からホットでカフェオレを頼んでいたら、飲み終わる頃には蛍の光が店内に流れていたことだろう。このカフェが閉店の時に何を流すかは知らないが。
彼はリュックサックから手帳を取りだし、なにやらすらすらと記入すると、その一ページを破って店員を呼んだ。
駆け寄って来た女性の店員にそのメモを差し出す。
「困ります」
まんざらでもないように、女性店員は差し出されたメモを拒む。
「私には大切な彼氏とポメラニアンがいるので」
そう言われた男は、あとでクレームを入れることに決めた。この店は教育が行き届いていない。
とあるチェーンのカフェ、その数店舗のマニュアルにはこう記載されているはずである。
テーブルの一端にフレッシュの容器を13個並べたお客様から何かを渡されたら、すぐさま店の責任者に取り次ぐこと。
その後、ホールにいた他の店員が血相を変えて飛んできて、男にあたふたと謝罪をした。
こうして、彼もまた件のメールアドレスGETの第一関門を突破した。




