優遇されても自由のない玉座 その3
実際、浴室に入って思ったのだけれど、『トイ』に対して抱いていた、『人形みたい』だとか『道具だから自分の身体の延長線みたいなモノ』という考えは、ただの机上の空論に過ぎなかったことを知った。
というか、思いつきの勢いだけで、うっかり行動を起こし過ぎだろう、私。
自分自身についての自覚が足りなかったということかな――思慮が足りないというか、思考に振り回されるタイプなのかも。
とにかく、普通に恥ずかしいんですけど……。
いや、『トイ』ってこう見ると、普通に男の子の身体だよなぁ……当たり前なんだけれど。
外の世界では、少年少女っていうのは異性の裸を見ると(あるいは異性に裸を見られると)、羞恥心を覚えるモノらしいんだけれど、私は別に実験とかで裸になることも裸を見ることも裸を見られることも慣れっこだから、それ自体がどうこうというのではない。
だけれど……実験とはさすがにシチュエーションが違うしねえ。
だって、一対一だし。
それに、お風呂場だし。
どう考えてもプライベートな、親密さを感じさせるシチュエーションだよねぇ……とはいえ、普通の人間と入るのと[muds]である『トイ』と入るのは、やはり勝手が違うのだが。
例えば、コレが人間の恋人と入ったのであれば、お互いの裸にキャキャー騒ぎあった後、お互いの身体を洗いっこしたりだとか、狭い浴槽に一緒に入ったりして、親密さをより深めるという展開になるのかもしれない。
しかし、『トイ』は自発的に動かないのである。
だから、私が多少気恥ずかしくても、『トイ』の方は別に表情を変えたりしない。
身体も洗い合うのではなくて、こちらが一方的に洗うだけだ。
リアクションがないから、どうにも盛り上がりには欠ける、というのはあるかもしれない……やっぱりこういうのって、二人のコミュニケーションの相乗効果的な部分が大きいんだろうね。
ともあれ、せっかく一緒に入ったのだし、お風呂に入る前の私にとっては、『まるで一心同体のような道具』であったらしい『トイ』の身体の方から、洗ってみる。
他人の身体を洗うって、案外、違和感があるということを私は知った。
泡塗れにしたスポンジを当てても、当然、自分ではそれがどれくらいの強さで当てられているのか、感覚がないワケだから、ちゃんと洗えているのか少し心配になる。
自分の身体にそうするように足元から洗っていって、まぁ、深く考えずにそのまま下半身、上半身、首まで洗っていく。
ちょっと目が止まってしまうポイントが、ないとは言わないけれど……。
うーん……やっぱりどうしても、施設の職員の一部が目論見かけていたという人間と[muds]の 『異種交配』について、ちょっと連想してしまった。
つまりそれは、私と『トイ』がセックスしちゃう、みたいな意味なワケだけれど。
まぁ、別に今どうこうするつもりはないけれど、男女二人で(種族は違うけれど)お風呂に入るっていうのは、確かにそういうコトも普通にあり得る流れではあるよね……私も、まったく意識していなかったと言えば、ウソになるし。
でも、そんな行動をしたら――そんな扱いをしたら、それこそ『トイ』を性的な意味での人形として使っているような気分になってしまう。
私はそれはなんとなくイヤだった。
それ以上考えるのをやめると、『トイ』にシャワーでお湯をかけて、身体を洗うのを終わらせた。
私もサクサクと身体を洗う。
私は女にしてはあるまじき、大雑把なタイプなので、それほど時間はかからなかった。
そして、うまく『トイ』を誘導して(さすがに外の世界で言う介護のような手間はかからない。足腰はしっかりしているし。コツを掴めば『トイ』が自分で動いてくれる)、一緒に湯船に浸かった。
「ふう……」
両側の縁に背を預けて、ちょうど向かい合っているようなカタチで、お風呂に入る私達。
心なしだけれど、『トイ』も緩んだような表情をしている気がする。
うーん? [muds]にも快いという感覚とか、あるのかな……多分、人間とまったく同じ感情とか感覚とか、そういうのはないんだろうけれど……でも、『トイ』が少しでもこのお風呂を気に入ってくれたら、それはそれで嬉しいな。
あまり感じたことのなかった、人になにかをしてあげる楽しさを噛み締める私だった。
しかし、この時の私は、やはり『トイ』の裸に気を取られていたようで――彼の、[muds]の本質が『泥』であることをすっかり失念していた。だから結局、『トイ』が気持ちよかったかどうかは定かではない。
自分の身体が溶け落ちるのも、それはそれで気持ちよかったりするのかな? なんて。
それはちょっと、闇の発想な気がするので、それ以上の追求は避けたいところだった。
私がそんな『トイ』との入浴シーンを、走馬灯のように早送りで回想している間にも、ついさっき初めて言葉を発した『トイ』は、こちらに興味深げな視線を注ぎ続けていた。
「……えっと、なに?」
「感動の再会に相応しい言葉を、探していたんだ」
「…………」
「冗談だよ。これが感動の再会と言えるかどうかは、疑わしいよね。僕は別に君の思い出の、トイ君じゃあないしさ」
「少なくとも、性格はかなりかけ離れている気はするわね……」
強いて言うならば、あの二人で外に出た日の、いやに饒舌なトイと若干似ていると言えば、似ているかな?
だけれど、あの時にもトイは純朴というか、疑うことを知らない感じというか、とにかく今のような多少の皮肉を含ませたような喋り方はしていなかったはずである。
「そこら辺は段々と君の求めに応じて、同調していくところだとは思うけれどね……」
「同調?」
しかし、『トイ』は私の疑問点には取り合わず、自分の言いたいことを続ける。
「まぁ、取り合えず言っておくけれど、ソギ。僕と一緒にお風呂に入った時のことは、恥ずかしがらなくていいよ……あの時から別に僕に自我が芽生えていたワケじゃないから……というか、今も芽生えていると言っていいかどうかは、疑わしい」
「うーん。訊きたいことが色々あるんだけれど、まず一つね。あなた、私の心が読めるの?」
「うん。僕はソギの心を食べて、生きているワケだからね。そう――僕は君から貰うばかりだった。だけれど、ようやく君に返すことも覚え始めたというワケさ。これまではもっぱら受信専門だったけれど、ようやっと送信機能も身に付けたラジオって感じかな」
「ラジオってあの電波を読み込んで、音声放送が聞けるっていうヤツ?」
「そうそう。まぁ、僕は君の知識を元に喋っているから、君が知っていること以上のことは、僕は知らないんだけれどね。ともあれ、ソギ」
「なに?」
「君には一つだけ言っておかないといけないことがある。僕はそのために、こうして喋る能力を獲得したと言っても、過言じゃない」
「それはどんなこと?」
「重要なこと。そして、割と差し迫っている――緊急性の高いコトだ。更に言うならば、僕と君の溝を埋めるための、大切な『情報』でもある」
「教えて、『トイ』」
「ああ、もちろんだ。ソギ――今から僕は君に[muds]の生態を教えるよ」
それからの日々は、比較的慌ただしかった。いや、それは施設内の私にとって、というだけであって、外の世界から見れば、なんだかんだで時間的余裕に満ち溢れた毎日だったのかもしれないが。
実験と、後は[muds]と金持ちの『紐付け』という仕事の時以外は、ずっと自分の部屋でダラダラしているだけだし。
ただ、その自分の部屋での時間に、『トイ』の話を聞くという、『やるべきこと』ができたワケだ――プライベートの時間にやらなきゃいけないことがあるなんて、私の人生においては、極めて珍しいコトだ。
そうして、私は施設の職員も知るコトのない、[muds]の本質について理解を深めた。『トイ』が言っていた、同調という言葉通り、彼の喋り口調は段々と生前のトイに近くなっていった。トイは死ぬその日だけ、饒舌だったけれど、『トイ』は喋り始めたあの日だけ、饒舌だったワケだ。なんだかチグハグである。
若干とぼけたような、ゆっくりとした口調で語られるその『情報』は、私にとって、特に驚くに値しないモノだったけれど――むしろその能力に見合った、当然の生態と言えた。
しかし、大人達にとってはそうでもないかもしれない。
私は機会を伺い、最も効果的なタイミングで、それを明かすことにした。