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[muds] 死との境を越える禁忌  作者: 篠渕暗渠
8/12

優遇されても自由のない玉座 その2

「それにしても、環境は良くなったとはいえ、自由とは言えないわよね~」

 私は切なくなってしまった気持ちを誤魔化すように、わざと呑気さを装って、そんな独り言を言ってみる。

 背中の方の『トイ』に話しかけたようなシチュエーションではあるが、どうせ返答はない。

 私の元に来るお金持ちの客達は、きっと『自由』なんだろう。

 多分、私はお金持ちというのを、投資か何かで儲けるとか、資産があるとかで、『働く必要が基本的にない』人だとみなしていた。

 普通、外の世界では生きていくのにお金が必要だそうで、だからこそ賃金を得る労働が必要になる。

 しかし、資産があれば働く必要がない。

 労働しなくても生きていくことができる。

 正確に言えば、働くことも働くことも自由に『選択』できる――何でも自分の好きなようにできる。

 それが私のイメージする『自由』である。

 まぁ、世間知らずの私のことですから、これは子供の空想に近いお金持ち像なんでしょうけれどね。

 ともかく、私の定義の中では、今の私は自由ではないのだった――所詮は狭い籠の鳥だ。

 施設の職員に、仕事のタイミングも管理されて。

 今も自由には出られない、ちょっと広い部屋の中。

 『トイ』と一緒に――二人きりだけ。


 そして、その時。

 声が聞こえた。

 耳の鼓膜を震わせてではない――頭の中に、自分の思考と交じるように。

 しかし、確実に、自分のモノとは区別できるカタチで。


「――自由」


 その言葉の意味を確かめるように、ポツリと呟いた声は、続けてこう言った。

 トイの声でこう言った。

「『自由』。その言葉の定義は難しいけれど、君の心は自由だよ、ソギ。

 今でもきっと――そう信じれば、君の心は自由なんだ」

 私は驚愕の中で――どうして今まで、応えてくれなかったということに憤りを覚えた。

 ホントに――本当に、『気に入らない』ヤツだ――


「……『トイ』? 『トイ』なの?」


「そうだね――君がそう呼ぶのなら。

 ……僕は、『トイ』だ。

 僕が、『トイ』だよ」


停滞しつつも安堵する日々/そして、変化する新しい日々


 『トイ』が私の頭の中に、脳の中に――よりファンタジックな言い方を選ぶとしたら『心の中』に語りかけてきた時、もちろん、私は動揺した――ともあれ、それはもちろん、どちらかと言えばポジティヴな動揺だった。嬉しいサプライズに感じたのだ。

 なにせこれで私は、トイの瓜二つの容姿を持つ[muds]、『トイ』と喋ることが――コミュニケーションを取ることができるのだから。

 その時には、いや初めから、私にはトイの姿を取る[muds]に対する嫌悪感なんてなかった。

 なんだよ、ホンモノじゃないくせに本人の姿を騙りやがって、的な憤りはなかった。

 まぁ、それは私の求めに応じて、[muds]が『トイ』の姿を取ったという事情もあったのだから、当然のことだ。

 しかし、私が、トイと『トイ』に相似を感じているからこそ、込み上げてくる感情というのも、またあった。当人というか、人間に、こうしてコミュニケーション能力を得た『トイ』が近付き過ぎてしまったことで、私の心の中に一気に羞恥心が込み上げてきたのだ。

 女子トイレにまでついてくるみたいなエピソードは、既に振り返ったけれど、その時に私の頭に浮かんだのは、もっと直接的で直裁的な、ちょっとシャレにならない感じの、そんな場面だった。


 ――つまり、私が『トイ』と一緒にお風呂に入った時のシーン回想である。


 もう事態が進行してしまった以上、もう何を言ってもイイワケのようになってしまう感があるが、しかし当時、『喋る前』の『トイ』は、私にとって、人間ではなく、人形のような感があった。

 しかし、それは外の世界で言うところの『等身大フィギュア』みたいに、無機質に佇んでいたというのでは、やはりない――その身体が、血の通った感触を私に与えるというのもあったけれど、それ以上に、それがトイの似姿であるというのが、やはり大きい。

 トイに対する私の感情は、未だに整理できていない――『トイ』が現れたことで、余計に複雑化して、ゴチャゴチャと解きほぐせなくなってしまった気もする――が、それは置いておいて、やはり目の前で死んだ親しい人間の姿形を、これ以上ないほどに正確にトレースしている[muds]は、私にとって、やはり特別な存在だった。

 同時に大きいのは、[muds]が『紐付け』された人間の、常に傍らにいようとする性質である。

 その死を前にして、全身が虚脱感に包まれるかのような衝撃を、私に与える相手――それがトイだ。

 もちろん彼は私にとって、外の世界で言う、『恋人』や『家族』でこそなかったけれど……。

 それでも、何だかんだで大事に思っていたのだとは思う。

 今更、自分のそんな感情を否定しようとも思わない。

 そして、吊り橋効果さえも越えて、『自分を庇って先に死んでしまう』だなんて強烈なシチュエーションを叩き込んでくれたヤツのことだ。

 私がトイに対する思慕を、ちょっとくらい深めたって、それはおかしなことじゃあないでしょ?

 そして、重要なのは、そんな特別な存在であるところの[muds]の『トイ』と、私はずっと一緒にいたということだ――本当に正真正銘の意味で、四六時中。

 ネットで得た少女マンガの知識で言えば、付き合い始めのカップルどころではない、同棲中のカップルレベルのベッタリ状態だ。

 ある意味では、外の世界で言うところの、『家族』みたいなモノかもしれないけれど……だけど、実際問題、家族だってこんなにベッタリ一緒なのかは疑問だ。

 どうやら子供というのは、ある程度の年齢になると、一人部屋を欲しがるらしいしね……。

 そもそも、[muds]は人間じゃないんだから、人間同士の関係性では例えづらいという事情もあるか。

 今に至るまで、コミュニケーションは取れなかったワケだし。

 『紐付け』対象である私には、触れるし見れる『トイ』だが、しかし、『トイ』側からは何の働きかけもすることはない……彼がするのは、『ずっと私と一緒にいる』ということくらいだ。

 まぁ、その一緒にいてくれる、というのもある意味得難い価値だよね……というのは確かに思うよ。

 恋愛は三ヶ月くらいで冷めると言う。

 結婚した人は離婚するかもしれない。

 子供だって、やがて独り立ちする。

 そういった事情は何一つ関係なく、『ただずっと一緒にいる』ことだけに意味を特化した存在。

 ある意味で、[muds]は人形や道具に近い性質を持っているかもしれない。

 人形、人形ねぇ……そういえば、以前見た怪しげなページに、エッチ込みでずっと同居するタイプの、とても高い人形が載っていたっけ……。

 確か、八十万円くらいするんだったっけな? いや、私にとって、『八十万円』っていう金額自体も、ホントは「多分高いよね?」くらいの感覚なんだけれどね。

 何でそんなコトを今になって思い浮かべてしまったかと言えば、多分、そういった人形と同じような扱いをしたからかもしれない……。

 いや、ホントにイイワケじみてしまうけれど、私はそういうつもりじゃなかったんだからね!?

 全然違うんだから!!

 『トイ』とは確かにお風呂に入ったけれど……別に性的な意味でそうしたワケじゃないし……。

 はい、イイワケします。イイワケしますよ。

 私的には[muds]の人形的な――つまり、『道具』としての側面を重視したい。

 人間関係ならぬ道具との関係性だって重要なのだ。

 本来、道具には使用する『目的』があるワケだけれど、その機能が落ちてきたから、必ずしも買い替えするとは限らないはずだ――それは愛着が生まれるから。

 『身に馴染む』なんて言葉もあるけれど、ある意味では友人以上に、恋人以上に、家族以上に身近な存在である道具は、やっぱり使い慣れることによる、感情移入も強いモノになるだろう。

 そして、『身に馴染んだ』道具は、もはや自らの身体の延長線上にあるとまで言える存在になるのではなかろうか……。

 ――剣豪がそうだったように。

 いや、まぁ、[muds]は武器でもなんでもないんだけれどさ……。

 でも、そうだ、アレ! マンガとかでは人形師とかいう、人形を武器に戦うキャラクタも登場するよね!

 いや、まぁ、私は人形師でもなんでもないんだけれどもね……。

 とにかくともかく、そんな感じで。

 『トイ』は私にとって特別な存在であるトイの姿をしていて、そして家族以上に四六時中一緒にいることで、私の心の中に急速に入り込んだ――それほど長期ではなくても、十分に私に必要な存在になった。

 ちょっとした、二三日の小旅行でも男女の関係性がぐっと深まることがあることは、私は少女マンガで学習している。

 ならば、数週間くらい『目の前で死んだ男の子の姿』属性持ちの人形と同棲すれば、その重要性が、『自分と一心同体だ』というくらいに高まってもおかしくはない。

 まったくおかしくはない(それ自体はおかしくはなくても、こんなことを考えている私の頭は十二分におかしいかもしれないのが悲しい)。

 だから、私は『トイ』と一緒にお風呂に入ったけれど……しかし、それは自分一人で入ったようなモノなのだ。

 だって、『トイ』は私の一部なんだから。

 まさか、一々心の一部を脱衣所に置いたまま、お風呂に入る人がいたとしたらそっちの方がおかしいと言えるだろう。

 そして、私は『トイ』をお風呂場で洗ったけれど、それだって、私の身体を洗ったようなもので――だから。

 だから、全然恥ずかしくなんてなかったんだからね!!


 どうしてそんなことを思い立ったか、それを正確に思い出すことはできない――というコトは、私ははっきりとした、具体的な決意を伴って、『トイ』とお風呂に入ろうと思ったのではない、ということだろう。

 トイレの個室に入って、腰掛けたところで、『トイ』が平然と傍らに立っていた――みたいな俗に言うところの(言わないけど)『トイレ事件』を『トイ』が初めてやらかしたのは、なんと同棲初日のことだった。

 トイレに付き纏う『トイ』を押し留めるには苦労したし、数日を要したけれど、しかし、それ以外に特にセクシャルな事件は起こってはいなかった。

 『トイ』をお風呂に入れたのは、確か、同棲生活二週間経過時点くらいだった気がする……はっきりとはしないけれど。

 私はどうして、『トイ』をお風呂に入れようと思ったのか。

 さすがに人の形をしていて、体温もある存在であるところの『トイ』を、ずっとお風呂に入れないのは、マズいと思ったのだろうか。

 だけれど、この説明は論理的に突き崩すこともできて、だって『トイ』は――[muds]は、私にだけそう見えているだけで、実際には泥なのだ(そういえば今気付いたけれど、別に洗い流しても溶け落ちるとかなかったな――一度溶け落ちて、排水口とかから流れて、また集まったのかな? そう考えると、なんだか風呂に入れることによって、逆に不衛生さを増してしまったような気もする。気が付かなければよかった……)。

 だから、私は別に、何か明確に『こうしなければいけない』と思って、そうしたワケではない……モノグサな女が、たまにはペットをお風呂に入れてやろうかと、思ったくらいのニュアンスだろう、と自己分析をする。

 逆に言えば、それくらい、『トイ』は私にとって、いて当然の存在に――あって当たり前の日常に、なっていたことに他ならないのだけれど。

 別にそれはもう私は、否定しようとは思わない。


 まず、私が困ったのは脱衣所においてだった。

 [muds]って、どうやって服を脱がせたらいいんだろう……?

 『トイ』は登場時点から、服を着ていた。

 彼が登場したのは、沼の底からだったはずだけれど、しかし別に泥まみれだったということもなければ、全裸ということもなかった。

 最初から、トイが死んだ時、着ていた施設服のままだった。お風呂に入る時にも、同じ格好のままだ。

「えっと……『トイ』、服脱いで?」

 取りあえず、言うだけ言ってみたが、『トイ』は身動きをしようとはしなかった。

 しかし、その当時には、『トイ』の表情を読むことにかけては達人の域に達していた私には、その無表情が、まるで首を傾げて「どうすればいいのかわからないよ?」と言っているかのように見えた。

 そうか……服を、どうやって脱いだらいいのかわからないのか……。

 [muds]って、精神年齢的には人間換算でどれくらいなのかなあ。

 そんなことを考えながら、私は取りあえず先に自分は服を脱いでしまうことにした。

 まずは上着と、Tシャツ状の服を脱ぐ。

 外の世界で言うブラジャーをつけている施設の子供を見たことがない。

 だから、これで私の上半身は裸だ。

 私はTシャツから腕と首を抜き終えて、そして、ずっとこちらを無表情で見ている『トイ』と目が合った。

 私は数秒固まった後、『トイ』に背を向けて、裸の上半身を丸めて、うずくまった。

 顔を手で覆う。

「……ぅぅあ、」

 コレ、思った以上にヤバいんだけれど……恥ずかしいんですけれど……。

 何の気なしに、『トイ』とお風呂に入ろうとか考えるんじゃなかった……。

 彼はペットでもなんでもなかった。

 感覚的にはかなり人間寄りだった。

 いやぁ……実際に経験してみて、わかることってあるんだなぁ。

 だけど、だけれど、今更ここで引き下がっていいんだろうか……? 私が、あのトイと同じ外見である『トイ』に対してさ! 肌を見せることを恥じらっていていいんだろうか……! それは私の沽券に関わるのでは……そう、そうだ! これはプライドの問題なんだよね!! 『トイ』の視線なんかに負けないから!

 そうやって、えいやっ、と私は立ち上がり、『トイ』と向き直った。

 自分のハーフパンツとショーツも下ろしてしまう。

 やはり気恥ずかしくて、一瞬目を逸らして、再び『トイ』に目を戻すと、

「…………!?!?」

 『トイ』もいつの間にか全裸になっていたのだった。

 というワケで、言葉を失うほどの衝撃に頭を真っ白にされながら、『トイ』と一緒のお風呂が始まった。

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