優遇されても自由のない玉座 その1
施設にはこんな場所があったんだ――もう何度も来ているこの場所に、初めて来た時、私はそんなことを思ったのを覚えている。
もちろん、識別番号で認識されるところの? 被験体でしかない私が、施設の全容を知っているワケなんてないんだけどね~?
なんて、皮肉めいたことも浮かんでしまうけどね。
それにしたって、独特の場所だった。
この何と呼称されているかもしらない『施設』は、何となくだけれど、科学のようなものを基準にしていると思っていた――だけれど、その場所はどこか神聖さのようなモノを感じさせる。
いや、違う――神聖さの『演出』を目指している、って感じか。
相変わらず、材質不明の謎の白い建材で壁や床が天井が構成されているのは、施設全体と同じだが――どこか、そこは祭壇、のように見えた。
人間が上に目一杯上に手を伸ばしたくらいの、大きな段差がいくつか積み重ねられ、その上がステージのように、ちょっとした広間になっている。
そこまでは細かい階段によって登ることが出来た。
広間には、八本の柱で支えられた屋根のある建築物がある――それは、外の世界が『世界遺産だ』とかで観光に行くという、ギリシャのパルテノン神殿っぽい感じがしなくもない。
だけれど、その『っぽい』っていう部分が案外、印象の占める範囲としては大きい。
材質が、プラスチックとまでは言わないけれど、近代的な安っぽさがある感じがする。
歴史を感じるというよりは、そういう歴史ある建造物を模してでっち上げた、という質感があった。
この施設を管理している組織には、科学的ではなくて、宗教的な、あるいはカルト宗教っていうの? そういう前身があったのだろうか。
なくはないという気がする――すべて、想像でしかないけれど。
私が『能力』を発現させている以上、自分の内側にまで入り込まれているワケで、もう否定してもどうしようもない段階に来てしまっている気がするが、この施設が使っていた薬物らしきモノが『死への欲望』をトリガーとして人間に作用するというのも、なんだかそれらしい。
宗教は、恐らくだけれど、身近ではあるけれど、生きたまま経験することが不可能である――そんな死の世界を語り、人間の心に付け入るような気がするから。
もちろん、そこで語られるのがホントのモノなのかどうかは、死んでみないとわからないが。
この施設の前身で語られる『死後の世界』は案外ホンモノだったのかな――私に芽生えた力が、一応、現実に影響を及ぼす以上。
しかし、すべてが私の想像を元にした考えなので、そんなことは考えても、意味がない。
祭壇風のその場所について、視線を戻すとすれば、そこは、前身のモノであろう建築物にプラスして、今は豪奢な装いが為されている。
祭壇に続く階段には、漆黒で足音の響かないカーペットが、一段一段に敷かれている。
また、祭壇上の神殿には、その内部に更に入れ子構造のように、豪奢な天蓋付きのベッドが設置されていた。
それは最初に来た時からそうだった。
施設の職員が言うには、「客層に相応しい環境の提供――演出と言ってもいいけどね。まぁ、ドレスコードとそうは変わらないさ」とのことだ。
ドレスコード、後でネットで調べたところによると、豪華絢爛の世界の住人に必要とされる服装を指すそうだ。
調べるまでもなく、初回から、『お客様』と接した時にそれはわかったけどね……。
施設の職員とは、まるで別種の世界の空気感を感じた。
どこか、間延びしていて、緊張感がないような、ぼんやりとした空気感。
そのくせ、私やこの施設に対しては、心の奥底では蔑みを感じているのがわかった。
そして、どこか皆、ふくよかだ。
痩せている人は、ただ一人を除いてこれまで来ていない。
今回の『お客様』は、真っ白な服を来たふくよかな女性だった――胸やお腹に脂肪がたっぷりとある。
顔も丸みを帯びていた。
彼女は階段を億劫そうに登り(それを付き人に代わらせることはできないか、下で施設の職員に尋ねていた)、私のいる祭壇へと登ってくる。
そう、申し遅れましたけれど、お客様。
そうです、私こと、ソギが僭越ながら――『司祭』の役目を務めさせていただいている人間になります――まぁ、そんな自己紹介を口に出すことはしないんだけれどね。
天蓋付きベッドの上で、私は優雅に女の子座りをしていた。
説明や解説はこちらで行うので、お前はただ謎めいた笑みでも浮かべていろというのは施設の職員の弁だ。
「それでは、こちらの神の子に、死した魂についてお伝えください」
神妙な顔、なんてレアな施設の職員の表情はここでしか見られないよ! ……見てどうするんだ。
そして、『神の子』って言われる度に、私はむず痒い気分になる。
イエスキリストかよって感じ……軽々しく世界最大の宗教の救世主と同じ称号を与えたりすると、逆に安っぽくなるでしょうに。
そういうところが謎の新興宗教っぽさを醸し出していると、私は感じていたが――しかし、施設の職員に、そのことをアドバイスめいたカタチで伝えることなんて、もちろんしなかった。……どうせ聞かないでしょ。
ちなみに、私の傍には、『トイ』――つまり、私に寄り添う[muds]がいる。もう私とはセットのようなものだ。どれくらいセットかというと、女子トイレにも付いてくるくらい。
いやぁ、ホントに初回は個室の中にまで付いてくるから困った。
それを徐々に、扉の前で待ってもらうように、そして、女子トイレの前で待ってもらえるように、と距離を広げていったのだ。
あれはホントに赤面モノのエピソードだったなぁ。
こっちは本気で恥ずかしかったのに、というか恥ずかしいとかそういうレベルじゃない問題なのに――『トイ』の方はずっと平静そのものの顔をしていたっけ。
ムカついたなぁ――同時にやっぱり、『トイ』は[muds]であり、トイそのものではないことを実感した。
『トイ』の反応が違うというより、私の感じ方が違うのだ。
もし仮にトイが女子トイレに侵入してきたら、往復ビンタした上に絶交したであろう確信が私にはあるが、しかし、『トイ』にはどこか、『ホンモノじゃないから、仕方ないか』『人間じゃないから仕方ないか』、そういう諦めみたいなモノを抱いていたのは事実だ。
とまれ、私がそんなことを思い出して、ちらっと『トイ』に目をやったところで、ふくよかな女性は、いよいよ覚悟を決めて得体の知れない『神の子』に、何がしかを語ることにしたらしい。
「……あれは、あれは三日前のことでしたの。まだ、葬式の手配もしていないんですよぉ――私の息子は、亡くなりました。
最近、どうも様子がおかしいとは思っていたんです。
夜、帰るのも遅いし――それに一度、万引きで警察に補導されたんですのよ!
『次はうまくやる』だなんて言っていて、私、心配していました。
それで、夜遊びの途中で、交通事故で――そう、事故です。
別に何か悪い遊びをしていただとか、何かの事件に巻き込まれたとかではないから、私も安心しましたけれど――いいえ。そういう問題じゃありませんよね……。
息子は死んだんです……食事もこの三日、ロクに通らず……」
「――わかったわ」
私はそれ以上の話を遮るように、端的に答えた。
あまり余計なことを喋るな、と施設の職員に念押しされているものの、別に返事までするなとは言われていない。
最低限の応答くらいは必要だろうし、それくらいは看過される。
それにしても、なんだかうんざりとしてきた……。
[muds]は、対象の人間が死後の人間を強く想っていれば、ちゃんと『紐付け』を行う。
だから、死後の人間を強く悼んでいるのなら、こういうエピソードトークはまったく必要ないのだ。
もし仮に、こういう話が、私に仕事のやりがいを感じさせてくれるものだったら、私も別に構わないんだけれど――これまでのケースでは、ほぼ決まってウンザリさせられてきた。
まぁ、これもサービスパッケージの一環なんだからしょうがないんだけれどさ……。
とはいえ、このふくよかな女性も、ただのそこら辺の小娘でしかない私に、『息子が死んでいるのに、その死んだ原因が家柄に悪影響を受けないかをむしろ気にしている』とか、『そのでっぷりとした体型を見るに、ホントに三日間、食べることを我慢できたか疑わしい』みたいな見下しを受けたくはないだろうに。
いや、まぁ、そういう感情を表に出したりはしないけどさ……これもお仕事だしね。
私は本心を口にせず、施設の職員に用意されたセリフを喋ってから――微笑む。
「あなたの魂は、あなたの子の魂と通じています。これからその繋がりを、私が見えるようにします」
なんだかトイが死んでから、すべてがどうでもよくなってしまって、表情を作ることは、結構、簡単なことになってきた。
そして、私はふくよかな女性と[muds]の『紐付け』を行った。
天蓋付きベッドの下に潜む[muds]の一部がするりと抜け出し、女性の傍に人の高さくらいの柱のようなモノを形作る。
「ああ……マサキ……!!」
それは女性にだけは、その『マサキ』という息子そのものに見えているんだろう。
それがどんな少年なのかは、私にもわからなかった。
私には、女性が柱の周囲に腕で作った輪で囲むようにして、彼女だけに見える『マサキ』を抱きしめているのであろう姿が映るだけだ。
それにしても『マサキ』っていうのはどういう字を書くのかな――両親に名付けられた名前というモノへの憧れをぼんやりと感じながら、その日の仕事は終わった。
この仕事を始めてから、私は以前より、優遇された環境に身を置くことになった。
私が普段暮らしている個室は、前よりずっと広いモノになり、『トイ』と暮らすにもまったく不自由しない。
以前の部屋は、白い素材でできた無機質な家具が配置されていたが、今回の部屋には私の希望により、外の世界の家具が並べられていた。『所狭し』とまで言うと言い過ぎだけれど、必要十分以上に並べられているのは間違いがなかった。
外の世界への憧れが強かった私は、とにかくその空気感のようなモノを感じたくって、取りあえず家具を色々と取り揃えてみたかったのだ。
タンス(中身は全部同じ被験体服)、本棚(何冊かだけの本がその内容物)、カラーボックス(崩れそうだけれど崩れないバランスで積み上げてある)、大きな姿鏡(そう、鏡の使用を許可されるようになった!)、テレビ(ただし映らない)、冷蔵庫(何も入ってない)、食器棚(多少は食器がある)、ぼんやりと明るい(まるでトイのぼんくらさを連想させるような)間接照明もいくつかムダに吊り下げてあった。
ベッドも大きめのサイズのモノが二つ置いてある。
まぁ、[muds]って眠らないらしいんだけれどね。
今も私はベッドにうつ伏せに寝転がっているんだけれど、『トイ』はその傍らに立っている。
寝ている時にも、ずっとこちらをほぼ無表情で見つめているワケだから、最初は気恥ずかしかったり、夜中に起きてしまった時は不気味だったりしたものだが――もう慣れた。
どうやら、やっぱり私は『トイ』を――[muds]を、視覚的、触覚的に人間と同様に見えるとはいえ、人間とは別モノと捉えているのだろう。
コミュニケーションができない、というのが案外大きいだろうか。
私の能力が、これ以上進むようなことがもしあれば――[muds]と話すことももしかしたら可能になるかもしれないが。
今のところは、死人と同じ風体をした生きた人形、という域を出ない気がする。
ともあれ、それとずっと一緒に暮らしているんだから、感情移入は……するけれど。
私は、『トイ』がいる側とは別の方に顔を向けて、『仕事』をする度に思い出す、二人目の客のことを思った。
その客は、その他の多くの客とは違って、太った外見をしていなかった。
逆に極端に痩せており、枯れ木のような身体をしていた。
栄養失調を疑うくらいの、生きているのがどこか不思議であるかのような、そんな生気のなさを感じた。
生きながらにして、死を纏っている。
その印象は、何も彼女が全身を黒衣で覆っているから、生じたというワケではないのは明らかだった。存在自体から発する空気感のようなモノなのだ。
どこか初めて見た瞬間から私は、『この人ほど、[muds]が相応しい人間はいないだろうな』と感じていた。
その姿から、死を連想するからだろうか。
いや、結果から言えば、彼女が死人を人生を賭するほどに求めていたからだろう。
彼女は言った。
「どれだけお金があっても――何の意味もない。
お金でもできないことはある。お金にはできないことの方が多いわ。
どんなにお金を集めても、どれだけ身を削るように仕事をしても、ただただ虚しいだけだった。
私は一目、彼に逢いたい。
それができるなら、すべてを捨てても、構わない」
断言した。
私はそれに圧倒されるように、何の応答もすることもなく、すぐさま[muds]を『紐付け』した。
その時、[muds]が震えたような気がしたのだ。それがなぜなのかは、私にもわからない。
怯え? ――いや、歓喜、だろうか。
[muds]に、そんな感情めいたモノがあるかどうかなんて、わからないけれど……。
そして、[muds]が像を形成した瞬間の、女性の表情を私は忘れられない。
彼女の表情は、一瞬、虚無に堕ちた。
一目でわかった。
[muds]は彼女の期待に応えられるものではなかったのだ。
急激な罪悪感のようなモノに襲われ、床に手をついてでも謝罪をすべきだという衝動に私は襲われた。
しかし、その次の瞬間、彼女はボロボロと涙を零していた。
「――あなたに、会いたかったっ」
人間というのは、これだけ僅かな時の間に、感情を凝縮できるのかというほどに。
彼女は諦め、嘆き、喜んだ。
感涙し、くるくると踊り、その場に崩折れた。
それは狂人のような振る舞いにも見えたかもしれない。
しかし、そう感じた人間は、人間的な情や想像力がないと言っていい。
施設の職員は目を背けていたから、きっと非人間的人間なんだろうな。
私は――その女性に、はっきりとした好感を抱いた。
すぐさま女性は、[muds]を連れて、階段を駆け降りてしまった。
会っていたのは実際、大した時間の長さではなかっただろう。
けれど、その短い時間が、私の人生の中でも色濃い情景を、胸に刻んでいた。
彼女を追う[muds]の挙動が、駆け下りる彼女に合わせるように機敏だったのが、なんだか印象的だった。
私には、あれだけの想いを抱ける相手が、人生の内で見つかるだろうか?
かなり難しいと言わざるを得ないだろう……少なくとも、トイとはあれだけの情を築き上げたとは到底言えない。
積み重ねた時間なのか……それとも、自分で選択して出会った相手ではない、ということが大きいのか。
どっちにしろ、もうトイとの時間は積み重ねられない。
『トイ』との時間は、トイと過ごすのとは、また別物だから。