研究レポート
私の手元には、私の供述や施設の職員の検証等を元にした『研究レポート』がある。
『識別番号■■■■■(以下被験体A)が発見した新種の生物を、[muds]と名付ける』
ちなみに勿論、この名前は私が付けたワケではない――私はトイの姿をした[muds]をただ単純に『トイ』と呼んでいる。
この名前についても、例の(とは言っても毎回相手の容姿は違うのだが)施設の職員が色々と嬉しそうに喋っていた。なんでも泥というのは『不加算名詞』なのだと言う。簡単に言うと、『泥は数えられない』ということなのだそうだが――私には、そこからよくわからない。泥は団子状に丸めたら、数えられるのでは? よく外の世界の子供は、そうやって砂場で水を使って遊ぶと聞いたんだけれど。まあ、そういう私のツッコミは脇に置いておいて、数えられないモノであるところの泥は、複数形にならない。『泥ども』みたいなことは言わない――そういう外国の言語上は成り立たない表現を、普通はつかないはずの『s』を、あえてつけることで、『ありえない存在』を表現したかった、とのことだった。
よくわからない……というか、そういうのは施設の職員同士でやってくれ、と思う。子供に(しかも義務教育過程を経ていない子供に)、嬉々として語ることじゃあないでしょそれ……。義務教育課程を経ていないのは、そもそも施設の責任だしさ……。
『[muds]は基本的には蠢く不気味な泥の群れのようにしか見えない。まさしくその外見は、[muds]と言い表すのが相応しい。しかし、被験体Aが[muds]に働きかけると、この生物に変化が現れる。当初、この変化は、被験体A以外に観測できなかった。脳波の異常の観測により、彼女が獲得した特異性を認めただけだった。だが、彼女から繰り返し証言を得ることで、[muds]に何が起こっているのかを私達は把握した。
[muds]は彼女にとってだけは、識別番号× × × × × (以下被験体B)として認識されている。
そのように――見えている。
いや、視覚だけではなく、触覚にすら働きかけるらしい。
つまり、被験体Aは、被験体Bとして認識される[muds]に、触れることができるのだ。勿論、それを俯瞰して見れば、[muds]に被験体Aが指を突っ込んでいるようにしか見えないのだが。だが、彼女には、泥に触れているという感触ではなく、人間の肌に触れているという実感があるワケだ。
悪趣味な私達の中の一人が、それでは被験体Aと[muds]に生殖行為を促してみたらどうか? という提案をしてきた。なかなか踏み入った、禁断の領域の行為だと言えるだろうが――現段階で、この貴重なサンプルに重篤な損害を及ぼす可能性のある提案をする時点で、私達に相応しいとは言えない。彼をその後、目にすることはなくなった』
こうやってちょくちょく、施設の内情を入れてくるのやめてくれないかな。
『[muds]は如何ようにして、このように被験体Aの認識に、被験体Bを投影しているのだろうか。
これには、ある種の電気的信号を用いていることがわかっている。その詳細については、目下研究中である』
どうせこれ、私に対してだけ書いたレポートなんだろうから、正直に『もう私達にはすべてわかっているが、お前には知る権利がない』とかなんとか、書けばいいのに。
『しかし、これでは[muds]は、ただ単に被験体Aにリアルな空想を用意しているだけと言える。被験体Bに見える[muds]は、被験体Aのイマジナリー・フレンドと、どのような差異があるのだろうか?
このような疑念は、[muds]に対する再現実験による驚愕の結果によって、覆されることになる。被験体Aは、[muds]と自分以外に対しての人間の脳の『紐付け』すらも可能な能力がある、というのが判明した。つまり、『紐付け』すればどんな人間でも、被験体Aと同様の、ある種の幻覚を見ることが出来る。
『紐付け』によって、現れる幻覚には、制限がある。幻覚として現れる人間は、既に亡くなっている必要があった。それ以外、思慕の情を測られるだとか、愛着の度合いによって現れるかどうかが変わるといったような――まるで幽霊のような条件はない。[muds]には感傷的な制約は存在しない。死んでいて、呼び出したいと思った人間なら、どのような対象でも、幻覚として登場させることができた。
ただ、[muds]と人間の脳を『紐付け』した場合、その解除は難しいようだ――現段階では、貴重なサンプルである[muds]を死滅させるような行為は、出来る限り避けたいという事情もあるが――[muds]との物理的な距離を遠ざけたくらいでは、この『紐付け』は解除されない。いつの間にか、幻覚が傍にいるのだという。つまり、[muds]の引き起こす幻覚症状には、[muds]本体があるかどうかは関係ないということになる――彼らが人間とある種の電気信号を通信しているというのなら、それは少しばかりの距離くらいでは阻止できない可能性が高い。未だ、それを遮断する『素材』のようなモノも発見出来てはいない』
ふうん……施設の職員でもわからないことってあるんだ。
こちらに対しては、素直に私はそう思えた。
読んでいる内に気付いたのだけれど、やっぱり私にとって、施設の職員達は逃れ得ない絶対的な存在であるせいか、彼らが何でも知っているような錯覚に陥っていた。
『ともあれ、これは素晴らしい成果である。どのような展開にするかはこれから検討するにしても、限定的なカタチだとしても、死者との再会を願う人間ならいくらでもいるだろう――そして、もしその人間が、唸るような金を余らせている暇人であるとしたら――これはサービス・パッケージの考案が捗りそうである。金がなくて困るということはないが、あるならあるで『我々』には無限の使い道を考案する能力がある』
そこまで読んで、私はうんざりした。こんなことまで、どうして私に知らせてくるか? 答えは明白だ――巻き込もうとしているのだ。その金持ち向けパッケージの一部として、私を。
『最後に[muds]という存在の本質に言及しておこう。なぜ、[muds]は、死者の姿形を真似るのか? そこにはやはり『死』が関係しているのだろう。
この施設内を満たす、種々の薬物――それは『死への欲望』によって、子供達に変質を促すモノだった。しかし、その薬物溜まりである穴に、新種の生命は発生した。つまり、『我々』の知恵は、子供達だけではなく、環境にすら働きかけていた、ということだ。
[muds]は穴から外に出ることを経験した。薬液外でもその生存には容易であるようだ。
また、[muds]がどんなエネルギー代謝を行って、生存しているのかは不明だ。もしかすると、植物の『光合成』ように、太陽光を体内で変換している可能性もあるが、ほぼ密閉状態にある室内でも、[muds]がその蠢きを止めた例はない。あるいは、生物とは違う形態を持つ存在なのかもしれない。存続にコストがほぼ掛からないというのも、パッケージ化には魅力的な点だ。
この成果に感謝しよう――そして、被験体Aに賛辞を送ろう。
なあ。被験体Bの死は、決してムダではなかっただろう?
君は、その死を経験することにより、新しい能力を見出したのだから。
やはり――身近な被験体の死を経験することにより、脳の新しいチャンネルを開くという、私の仮説は、間違っていなかったということだ――』
最後にぶち上げられたとんでもない爆弾に、私は憤り、興奮し、混乱し、その『研究レポート』をクシャクシャにして丸めると、床に叩きつけた。
気持ちが収まらない。
全然、落ち着かない。
やっぱり、あの日、トイが立てた推測は間違っていなかった――普段絶対に出してもらえない屋外に出されたということを、もっと重く捉えるべきだった。
私が――愚かだった。
身体が震えてきた。苦しみに涙が滲みそうだった。
ふと、顔を上げると、[muds]――私には『トイ』に見えるそれが、ゆらゆらと身体を微動させ、ただこちらを見つめていた。
「アンタなんか、アンタなんか、全然トイじゃないんだから……」
私は力なく呟いた。
しかし、結局、いつものように『トイ』の身体に縋りつき、涙を零した。
なんだか、こうしていると落ち着く……全ての思考を放棄してしまえるような、泥沼のような安寧。
それはまるで眠るような。
まるで『死』のような。