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[muds] 死との境を越える禁忌  作者: 篠渕暗渠
4/12

暗くて深くて底がない闇

 その日は、ほとんどありえないくらいに、珍しい機会が訪れた日になった。

 私達は、施設の職員に、何かの建物内ではなく、壁に囲まれた敷地内を、自由に行動していいと言われたのだ。

 私達とは、私とトイの二人のことだ。

 彼とは『何もないけど広い部屋』以来の再会だが、特に思うところはなかった。

 『あぁ、またコイツか』、という感じ。

 子供達がペアになってどこかで過ごすように命じられるのは、数日に一回と言った頻度だけれど、私とトイはそれでも一緒になる頻度が多い方だと思う。

 お馴染みの――もっと言えば少し飽き飽きとした、付き合ってもいないのに、まるで倦怠期を迎えた恋人か夫婦のような……って何言ってんの私。こんなことを考えるから耳年増というコトになってしまうのだ。

 トイに対して思うところは何もない。

 こんなヤツ、男らしくも何ともないし、なよなよしているし、ぼーっとしているし。

「ソギ……なんかさ、珍しいよね、これって」

「名前で呼ばないで」

「な、なんで会ったばかりなのに怒ってるの……僕、何かした?」

「何もしてないから悪いの!」

「……??」

 我ながら意味のわからない言いがかりではあった。

「うーん、まあ話を戻すとして。確かにそうね……こうやって外で遊んでろ、みたいなのって、確かにほとんどない機会よねぇ……。大体、屋内だし。私、物心ついてから、こうやって堂々と外に出た機会って、『施設案内』の時くらいしかないわ」

「……んー。僕も、そんな感じ……かなぁ。それにしても、『施設案内』……懐かしいねぇ。不思議と、あれ以前のこと、僕は思い出せないや――ソギはどう?」

「……私も、そうね」

「単純に忘れているのかなぁ――それとも、記憶が消されているのかなぁ?」

 確かに後者の可能性も、この施設では十分に考えられることだった。

「そういえば、『施設案内』の時、初めてソギに会ったんだよね。それから何だかんだ、ソギとは一緒だなぁ。……ソギは覚えてる? あの時のこと」

「――覚えてないわ」

 本当は覚えている。忘れるはずがなかった。それを思い出していたから、珍しく私の口数は減っていたのだ。

 トイの顔を初めて見た時、やっぱりコイツのことを、『ぼんやりした顔だなぁ』と思ったのだと思う。

 しかし、私に見つめられて、照れたように笑う笑顔を、多分、ちょっと可愛いと思った気はする。

 それになんだか優しそうだなぁ、と。

 その時の私のファースト・インプレッションは、しかし裏切られて、コイツは何も考えていないだけのぼーっとしている男に過ぎない、というのは次第にはっきりとしてきた。

 だけれど、初対面の印象が、たまに顔を出す。

 『可愛い』。

 『優しい』。

 そう思う度に、何となく、トイと会ったあの日のことを、私は思い出す。今もそうだった。

「……僕は覚えてるなぁ。まぁ、それまでの記憶がないから、僕自身、なんでその時、そう思ったのかはわからないんだけれどね」

 トイは照れたように、鼻の頭を掻いた。

「ソギを見た時、凄い、こんなに可愛い女の子がいるんだ、って僕は思ったよ。……ウソじゃないよ?」

「別にそんなこと、トイに言われても……」

「あはは、まぁ、付き合っていく内に、なかなか素直じゃない女の子だって、わかっていくんだけれどねえ」

「…………」

 思わず顔を赤くしてしまって、私はそっぽを向いた。

 いや、これはトイごときに侮辱されたから、その屈辱によって、怒りによって、顔が赤くなっているんです。そういうことなんです。

 今日のトイは、何だかおかしかった。トイのくせに。

 私達は、散策しながら言葉を交わしていたが、不意にトイが足を止めた。

「……うーん、やっぱりちょっと気になるんだよなぁ」

「何が気になるって言うの?」

「いや、だから突然、施設の職員が、僕達を外に出した理由だよ……これまでしてこなかったことを、突然するってことはさ、何か理由があるような気がしてさ」

「……そんなの、どうでもいいわよ」

 なぜか、頭がぼうっとしている。トイの様子がいつもと違うから、それに翻弄されているだけかと思ったんだけれど、どうもそうじゃないみたい……。あの、身体を箸みたいなロボットアームの指先で弄くられる実験を受けたのは、一体、何日前だっけ? うまく思い出せない。

 実験の影響は、屋内でじっとしている分には、そんなに普段、意識しない――でもこうやって外に出て、太陽を浴び、身体を動かしていると――なんだか、なんだかフラフラとする……。

「もしかして、何か実験を受けた?」

「…………」

 図星だったので、私は黙っていた。

「実は僕も受けたんだよねぇ――大きな鳥籠みたいな場所に閉じ込められたんだ。床は石畳だった。僕は中央の黒い石の上で立っているように指示されていた。すると、上から何ていうか……トラバサミ? みたいな? ギザギザした歯のような刃のついたものが降りてきて、それが二つ折りに閉じて、僕の頭をガッチリとホールドしたんだ。刃は僕の頭に完全に食い込んでいた。不思議と、まったく痛みはなかったよ。それから、ギリギリギリって、鎖で引き上げられて、宙吊りにされても、やっぱり痛みはなかった。普段は体験しないような、浮遊感だけがあった。首吊りってこんな感じかな? って思ったよ。あるいは、ソギが教えてくれたみたいな、UFOキャッチャーだっけ? あの景品になったら、こんな気分かな? と思ったよ。僕はそのまま、しばらく吊り下げられていて、そしてまた降ろされた。でね、まぁ、その実験が終わってから、なんだか頭が良く回るんだ。こんなに喋れているのって、人生で初めてかもしれない……」

「わかった、わかったから……ちょっと、黙ってて……」

 頭がクラクラする。

 うまく喋れない。

 ソギに会話の主導権を握られていることに対する、謎の焦りがある。

 私はなんだか、今のトイが、いつものトイとは違う存在に思えて、違う生き物のように思えて、フラフラと彼から距離を取る。

 アンタは私に、付いてくれば、いいのよ……。

 そんな気持ちで。

 歩き続けなければいけないと思った。「待ってよ」とトイの声が聞こえる。そうだよ、トイにはそれが相応しいんだよ。あなたは、私がいないと……ダメなんだから。

 頭がうまく働かない。もう歩くので精一杯だ。

 何だか熱っぽくて、このまま死んじゃいそうな気がする。

 でも、歩いていないと、トイが付いて来てくれない気がして。

 視界の中に、何かおかしなものが映った。

 あれはなんだろう? 答えが出ない。でも、私は歩き続ける……その何かに向かって、歩き続ける……。

 後ろで、トイが何かを喚いた。

 うるさいなあ、と思う。私に、トイが指図するなんて、そんなの違うでしょ。おかしいでしょ。

 そうして。私はトイから突然、突き飛ばされた。

 左の方に向かって、ドン、と押される。

 トイが私に暴力を振るうなんて、信じられなかった。

 だから、その時点で、私は我に返るべきだった。

 ちゃんと、自分を取り戻すべきだった。

 しかし。

 未だに私の頭ははっきりとはしていない。

 視界の中で。

 トイが私を押したことで、出来たスペースに、私の視界にこれまで映っていた何かに向かって、つんのめる。

 頭から突っ込む。

 ばしゃり。

 と、音がした。 

「…………トイ?」

 バシャバシャと、何かが揺れている。

 あれは――あれは、水面だ!

 意識が覚醒した。

 しかし、身体がそれについていかない。

 私は何とか、沼のようなモノの水面を足掻く、トイの手を取ることに成功する。

 一度は、それを掴んだトイだったけれど――。

 私は自分のひょろひょろとした腕を見つめる。ずっと施設の屋内で過ごしてきた、ロクに運動もしていないような、細い細い腕。

 これでは、トイを引き上げられないんじゃないか。

 必死にトイを引っ張りながら、私はそんな不安を抱く。

 だけど、それを私以上に理解していたのは――トイだった。

 それを気付いたのは、後でのことだったけれど。

 トイは、彼の手首を掴む私の手に、思い切り爪を立てた。

 それは深く痕が残るくらいの、渾身の力を込めた一撃だった。

 ――トイの二度目の暴力。

 私は悲鳴を上げて、トイの手を離してしまった。

 トイは沈んでいく。ゆっくりと、しかし確実に沈んでいく。

 手を下の方に持っていっている――もし全身が見えるのならば、まるで気をつけのような姿勢をしているのかもしれない――私の手が、トイを掴む取っかかりがない。

 トイが意図して、そうしている。

「なんで……なんでっ、トイ……っ!!」

 私は未だ、熱で朦朧としたままの意識で叫ぶ。

 トイが、彼が沈む前の表情は――なんだか嬉しそうだった。

 死にそうなのに。

 死にかけなのに。

 なんだかぼーっとしているようで、優しそうで、そして可愛い。

 トイのいつもの笑顔だった。

 そして、トイはそのまま沈んでいった。

 二度と浮かび上がらなかった。

 そうして、トイは死んだ。

 私は永遠に彼を――失ったのだ。 




 ……と、そこで終われば、私が、素っ気ない振りをしていた――しかし間違いなく好意に近い何かを抱いていた男の子を失う、一つの喪失譚としてお話は終わりだっただろう。

 けれど、残念ながら物語はここで終わらない。

 愚かな私が、続けてしまった。


 ――私は、禁忌を犯した。

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