冷たくてやさしくて気持ちいい実験
『何もないけど広い部屋』で、トイと過ごしてから数日が経った。
その日の私は、独房のような個室で、一人で過ごしていた。
こういう日も多くある。
外の世界では許されているという、ゲームも本もスマートフォンもないんだから、こういう時は暇を持て余す。
『何もないけど広い部屋』は外装も含めて真っ白だし、特殊な材質だけれど、この施設全体が、『白』という色をコンセプトとしているというのがあるらしくて、実際、私の部屋の床も壁も白い。
ちなみに家具はなくて、床から、ベッド、机、椅子、ソファーのような凹凸がせり上がっている。
そのような名称は、インターネットで調べた私が、勝手につけたものだ。
それらの凹凸は、材質や大きさの異なる直方体、あるいは立方体で出来ている。
ベッドは柔らかくて低反発素材のようなもので出来ているし、ちゃんと横になれるくらいの大きさがある。
机と椅子は勉強机と椅子のセットのような感じだ。椅子の立方体は動かすこともできる。
ソファーも普段過ごすには、程よく身体が沈み込んで、心地よい。
部屋の外と面した壁には、私の手の届かないくらいの高さに、小さな窓がある。
個室から出てみれば(今の時間、私にそれは許されていないけれど)、廊下も大体、白で統一された配色をしている。
私の部屋の隣にも、同様の扉がある。
いくつもの部屋が並ぶ様子は、牢屋というよりは、外の世界におけるホテル――いや、白に配色されていることもあって、病院かな――それも、普通の病室じゃなくて、特別病棟とか、隔離病棟とか。
精神科。
私の精神は病んでいるのかなぁ、と思う。
外の世界の子供達と実際に会ったことがないから『普通』がどんなことなのか、良くはわからないけれど、少なくとも私は、それなりに我を持った子供なんだろう、とは思う。
自分がある。
自分というものを重視しない、施設の職員に従順な子供達は、自分で自分の名前なんか新たにつけたりしない。
番号で十分だし、番号を記憶しなくたっていい。
自分の名前なんかなくていい。
自分なんかなくていい。
そういう子供達も多い。
だって、何もしなくたって、ここの施設の職員達は、子供達に何かをしてくれる。
着替えも手伝ってくれる、食べるのをサポートしてくる、頭のおかしくなる実験だってしてくれて、至れり尽くせりだ。
自分なんかなくたって、大人達は子供達に色々なことを求めてくれる。
でも、そこまで自分がないということは――為されるがままということは。
本当に生きていると、言えるんだろうか?
そもそも、生きているというのは、一体、どういうことなんだろう?
そこまで考えたところで、私は、ふっ、と我に返った。
この部屋に一人でいると、どうしても思考が融けていってしまう。
中空を見つめ、ぼーっとしていると、考える必要もないことを考えてしまう。
『考えてしまう』とは言ったものの、別に他にやることもないので、別にいいのだけれど。
この施設にいる場合、趣味は大体、二つに分けられると言っていいだろう。
一つ目、意味のない考えごとをする。
二つ目、何も考えないでぼーっとする。
なんだろう、この虚しい趣味の分類は……。
ちなみに、一つ目に属するのが私であり、二つ目に属するのがトイである。
ある意味、分かりやすい分類ではある。
そうして、そんな風に私が無為な思考に沈んでいた時(まぁ、そんなのいつものことと言えばいつものことだ)、部屋の扉がノックされた。
「やぁ、来たよ。楽しみにしてた?」
それは予想された通り(それ以外の想像の余地がない)、一人の施設の職員だった。
それにしても、この施設の職員達には、まるで見分けがつかないなぁ。
全員白衣を着ていて、黒髪をオールバックにしていて、同じ眼鏡を掛けているのもあるだろうが、雰囲気が共通しているのだ。
姿形は、それぞれかなり違うはずなのに――まるで、同じ思考を持っている、思考を共有しているアンドロイドみたいだ。
たまらなく気持ち悪い。どうしようもなく不快な来訪だった。
「それじゃ、付いてきてね」
「……はい」
それでも、従わなければいけない。それが、この施設で生きていくということだった。
今回の実験は、以下のような内容だった。
『何もないけど広い部屋』ほどではないけれど、それでも『手術室』と呼ぶにはあまりにも広い部屋だった。
私はその部屋の角にいた。
扉からの位置関係で言うと、そこは左奥の角だ。
その部屋に入る前に、私はすべての服を脱いでいる。
つまり、私は今、全裸だった。
外の世界でも、手術する時には、裸になるものなんだろうか――いや、『手術着』とでも呼ぶ、簡素な衣を着るんだっけな。
ともあれ、そんなことに思いを馳せても仕方がないことだ。
子供であり、女である、そんな私を全裸にして悦ぶだなんて、やっぱり施設の職員は変態だわね、なんて、この部屋に誰かがいれば言いたいんだけれど……残念ながら、この部屋には、私以外、誰もいない。
角の方に頭を向けて、扉の正面の壁に沿うように、私が仰向けに寝ているだけだ。
その他には誰もいない。
もちろん、それでここの施設の職員が変態であるという事実が覆るワケではないんだけれどね――実験の時、私は大抵全裸になるし、その際、通常の手術のように、施設の職員が施術をすることだって多いんだ。
まぁ、それで一々見下していても仕方ないことではある。
そんなことで一々『気に入らない』と思っていても、流石に不毛だ。
こんなところに、子供達を監禁しているような施設の職員なのだ。むしろ、小児性愛の傾向くらいは――そのくらいの変態性は帯びていて、むしろ当然のような気がした。
実際に手を出されたことはないし、欲情、みたいなことはされたことがない気がするなぁ……ネットの、『男は大体小さい子が好きなロリコン』という感じの情報は、誤っていたんだろうか。
それとも私に女としての魅力がないんだろうか?
私は多分――多分としか言えないけれど――それなりに可愛い顔をしていなくもないと思っている。
私に魅力がないと言われると、ちょっとショックだなぁ。
トイは私のことをどう思っているのかなあ……いや、あくまで『女の魅力』確認的な意味で言っているのよ、私は。
トイのこととか、ホントにどうでもいいし。
それにしても、逆に言えば、トイほど『男の魅力』がない男子もいないんじゃないかな……あのぼーっとした顔……。
そこまで考えたら、魅力だのどうだの、そういったこと全般が、すべてどうでもよくなってきた。
大多数の人間に、魅力を感じられるかどうかより、自分が好ましいと思う身近な相手に、好きって言ってもらえるかの方がきっと大事なんだろう。
ネット上で読める少女マンガによれば、多分、そんな感じのはずだった。
そこまで考えたところで、今回の実験が始まったようだ。
私が見上げる天井――丁度、私の顔の真上にある、天井の角に穴が開き、そこから細い金属のアームが三本ほど生えてきた。
それは関節のある金属の長い棒状の物のように見えていたが、私の身体に近づくと、ギュパ、とその手が開いた。
全体的な印象としては、腕の部分が異様に、人間と比較できるレベルではないほどに長い、金属製の手の骨のようだ。
腕がろくろ首みたいな感じか――いや、そういえば、そういう能力者が登場するポピュラーなマンガがあるんだっけ? タイトルはなぜだろう、失念してしまった。
しかし、それは伸びているのではなく、単純に初めから長いのだが。
腕は重さを支えるためか、それなりの太さを持ってはいるけれど、手指の部分はかなり細い。
まるで、食事の時に使われる、箸のようだった。
しかし、その連想は、これから行われることを想起させるために、するべきではなかった――私は怖くなってしまい、「ひぅ?!」と身体が強張った。
その手指が箸ならば――じゃあ、食べられる対象は、何だというんだ?
誰だというんだ?
――私じゃないか。
だけれど、それはあくまで私の想像であり、妄想に過ぎなかった。
現実が妄想に勝ることもままある。
ロボットアームの、その箸のように細い手指は、私の内部に侵入してきた。
爪を突き刺すかのように、私の左の太ももと、お腹、そして頭に侵食してきた。
それぞれの五つの指が、かき回すでもなく、ただただまっすぐに、深いところにまで到達する。
まったく痛みはなかった。
異物感すらない。
私は手指の侵入を受ける前とまったく変わらない身体感覚のままだ――でも、逆に、それが気持ち悪い。
気持ち悪い! おぞましい! イヤだ! 嫌だ嫌だ嫌だ!!
あぁ――私はそうして、侵入を受ける前とはっきり変わっている事柄を知る。
手足が、身体が、まったく自分の意志では動かない。
呼吸はできるのに、目も動くのに、この状態から逃れるための行動だけが出来ない。
そりゃあ、実験だもの。
私に動かれたら困るかあ。
手術で言うところの『麻酔』くらいはするか。
気持ち悪いながらも、半ばもう自分を客観視するしかないくらいには諦めの境地に達した私は――(実験が繰り返されるにつれて、私もそういった類の『諦める技術』を習得することに成功した)――今、一体何が起こっているのかを考えた。
いや、考えたとしても、わかるはずもないんだけどね。
それでも、その深くまで到達した手指が、私の中にずっと居座るにつれて、私の感覚に変化が訪れた。
ロボットの金属製の手指が、自分の内部に痛みも感覚もなく侵入し、しかも恐らくは麻酔に似た薬物が混ぜられた液体を注入している――その状況は、間違いなく気持ち悪いものであるはずなのに。
嘔吐したら、むしろラクになるくらいの、胸がムカムカするようなことのはずなのに。
でも、なんだか、気持ちいい。
多分、私みたいな女の子が、裸になって『気持ちいい』とか言っていると、真っ先に連想されるのは『性欲』だろう。
『あの子は性に早熟だなあ』と微笑まれてしまうくらいかもしれない。
しかし、これは性的な気持ちよさではない。
なぜそのように言えるかを問うてはいけないが、しかし、これは違う。
これはそうじゃない――もっと、違う、『なにか』だ。
施設の職員達は、私に対して、『性的な視線』を向けたことはないと言った。
性欲を向けたことはないと。
しかし、別の『欲望』は確実に向けている。
その『欲望』は、一体何なのだろう――。
そういえば、私と話した施設の職員は、こんなことを言っていた。
「私達に、最終的に、どのような能力を求めているんですか?」
「この施設は、君達を、おかしくして、特別にするために存在している」
しかし、この言葉には続きがある。
「だけれど、それが『最終目的』と言うと、語弊があるね」
「……?」
「君達は、私達を特別にするために――おかしくされているんだよ」
言葉を入れ換えただけのようにも思えるが。
それは、私達だけでは、『最終地点』には到達出来ないことを意味していた。
結局、私達は『中継地点』に過ぎないのだろうか。
だから、いくら使い捨てにしてもいいのだろうか。
どんなにおかしくなっても、代わりがいるから、それでいいのだろうか。
普段は考えないようにしている、重苦しい『自分の存在の意味』みたいなことを、ついつい考えてしまう。
しかし、そんな重苦しい現実なんてどうでもよくなってしまうくらいに――
――この実験は気持ちいい。
侵入されている感覚も、注入されている感触も、茫洋とした感情も、私にはうまく測れなくなっているそれらが、最終的には、結果としては、気持ちいい。
すべて快楽に繋がっている。
この実験が、私をどこかおかしくしてしまうのだとして――きっとそれはこの『気持ちよさ』と通じているのだろう。
それは、人間の三大欲求とも言われる、『食欲』、『性欲』、『睡眠欲』と同じように、抗いがたいシロモノで――しかし、それら欲求とは、根本的に性質を異なると感じさせる『なにか』だった。
私は口をうまく制御できず(しかし呼吸が出来なくなっても、病院における呼吸器みたいになんらかの形で私の生存は保たれるのだろう)、口元から顎に掛けて、つつっとよだれが垂れていくのを感じた。
その感覚すらも気持ちよかった。
もうすべてが気持ちよかった。
それはその気持ちよさ以外が、すべてどうでもよくなってしまうような――退廃的なニュアンスに、満ちていた。
「――どうだい? 今日の実験も、気持ちよかったかい?」
施設の職員は、いつも通りの優しくていやらしい笑顔でそう言った。
「……別に」
私の答えも、いつも通りだった。