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[muds] 死との境を越える禁忌  作者: 篠渕暗渠
11/12

今もそこにある彼岸

 しかしまあ、より純粋に考えてみれば、この私にも彼岸というモノは存在した。

 大仰な死という世界でもなく、未知である外の世界でもない。

 もっと身近でありながら、どうしても越えられない、『向こう側』なんて、もう当たり前に知っていた。

 私は一度だけギュッと目を瞑る。

 今まで何度も見たような、走馬灯のような一瞬の黒い心象が、そこに流れる。


 私が理解できない他者を実感したのは、あの日だ。

 トイと一緒に外に出たあの日。

 そこで多分、いじめていて見下していてその底も本質もすっかり見抜いていた気になっていたトイに――私は裏切られた。

 私はトイを弱者だと考えていたけれど、結局、本当の弱者はこっちの方だったのだ。

 あの日――外に出た時から、私は『いつもと違うトイ』を感じていた。

 それはもちろん私もトイも実験によって、いつもと違うコンディションにあったというコトはあるのだろうけれど。

 しかし、引き出された面は、あくまでその個人に由来するモノだ――つまり、私には大事な局面の時に一歩を踏み出せないという弱さがあるのだろうし、トイにはきっと、自分を犠牲にしてでも何かを掴む強さがあったのだろう。

 トイ……あなたのコトを私はわかったつもりになっていた。

 おどおどとして、ちょっとMで、言いたいことも言えず、というか言いたいことがそもそもないヤツで、いつもぼーっとしてて……。

 でも、それはあくまで外面的なモノに過ぎなかった。

 人には人の心は見えない。

 それは当然だけれど――多くの人が忘れがちな盲点だ。

 多くの人は無意識の内に、人の個性というモノは外面にも現れると考える――私もその内の一人だった。

 だけれど、トイはその外見や受ける印象を裏切って、私に手を伸ばした。

 私はその手を手放さずにいることができなかった……。

 更にもう一度、勇気を振り絞って手を伸ばすこともできなかった……。

 弱い自分が嫌いだ。

 しかしながら、私がも最も嫌いな自分の心の部分は『弱い』ところじゃあない……。

 そうじゃなくって、多分トイが沈んで死んだあの時でさえも、どこか冷めた気分で、自分とトイを分けていた自分についてだ――『私がトイだったら、私を助けるなんてしないで、どうしようどうしようと手遅れになっただけだろうに』。きっとどこかで、私は自分とトイの差異に傷付いていた。どこかで自分と同類かそれ以下と見下していたヤツが、急に伝説の勇者として選ばれたみたいな、それは裏切りだった。

 それを裏切りと感じてしまっている、どうしようもない自分が、私は嫌いだ。

 自分と人は違う。所詮、人は人、自分は自分だ。

 外の世界の友達だって、恋人だって、家族だって、きっと一つにはなれない。究極的には他人なんだ。

 だから――私にとって、最も遠い彼岸の存在は、『あの日のトイ』だ。

 どうしようもなく手が届かない、手を伸ばすどころか、きっと泳いだって辿りつけない対岸――彼岸。

 きっと、誰にとってもそうなんだ。

 最も身近な彼岸は、隣にいる誰かの心だ。

 それはきっと、『どこにでもある彼岸』なんだ。

 それでも、それでもさ……と私は思う。

 トイと、『トイ』は結局別モノだけれど、それでも遠く離れた種族である私と[muds]が心を少しだとしても通い合わせたように、通じ合えたと思えた刹那は、きっとウソじゃないんだろう。

 完全に分かり合えることはなくても、繋がりを信じられる一瞬は、きっとあるんだ。

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