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結局、ジェレミーナⅩⅩⅩ世さんはぷんすか怒りながらもお引き取りくださったので、私愛用のボールペンが血を吸うには至らなかった。
ほっとしたような残念なような?
「ジェレさん用の依頼書には、もっと工夫が必要ですねぇ」
疲れ切ったシバさんが机に突っ伏したまま、呻いた。
「めんどくさいですねぇ」
「なんて書いたらいいのかな。指定された範囲にある、処分されたら困るものを除く全ての撤去、じゃダメかなぁ」
「処分されたら困るかどうか、の判断がつくならいいんじゃないですか? でもほんと、なんとかしなきゃですね」
午前中は比較的暇とはいえ、依頼のたびにああやってクレームつけに来られたのではこちらの精神がもたない。
だいたい私はいつも、暇であるはずの午前中に書類の整頓等の雑用をすませてしまう事にしているというのに、貴重な時間を潰されてしまって非常に迷惑だ。残業代なんか出ないのに!
ちなみに本日のクレームは、子供が原因らしい。
古着処分の依頼だったんだけど、かくれんぼでその古着の山に隠れていた子供がいたもんだからさぁ大変。子供の着ている服も処分対象なのだと思い込んで追っかけまわした結果、その親御さんたちに退治されそうになったんだと。
なんつーか、うん。子供の心にも深ぁい傷を負わせたと思うし、相討ちってことでよくない?
いっそ退治されちゃってくれてればなぁ、と、職員としてはあるまじきことを考えながらやっとこさ書類整理に入ろうとしたところで、館内放送のチャイムが鳴った。
ぴ~んぽ~んぱ~んぽ~ん。
ドミソド、の音の後、聞き慣れた機械音声が呼びだしたのは、なんと私。
『ミズキさん、ミズキさん。至急、チュートリアルルームに来てください』
チュートリアルルームに呼ばれる。それが意味するところはただ一つだ。
私は身体をぶるりと震わせた。
「だいじょぶですか?」
心配そうに見上げるシバさんに頷いて、私は腰を上げた。
……ぁー、残業決定。
「失礼しま~す」
「遅いですよ。至急と言ったでしょう」
入室早々上司に叱られてしまった。
いや、だって、受付カウンターからこの部屋に来るのって結構大変なの知ってるでしょうに。一度外に出てぐるりと建物大回りして、そこから地下に降りるんだからそれなりに時間見てもらわんと。
「それにしたって遅いんですよ。あなたはこの仕事を舐めてるんですか」
命が掛かっているんですよ、というお説教に、私ははぁい、と首をすくめた。
チュートリアルルームというのは、ギルド別館の真下にあるちょっとしたダンジョンの一室である。
出入室は厳しく管理されていて、自動警備システムでガッチガチに固められている。なぜならここは、この世界の、ある意味中心だから。
地下ダンジョンの一室であるからして当然、窓はない。
元はただ岩をくりぬいただけの部屋だったそうだが、今ではギルドが改修したおかげでそれなりに部屋っぽい作りになっている。岩肌に木材で壁張っただけで、だいぶ生活感が出るもんなんだなぁ。
部屋のまん中には青白い燐光を放つ魔方陣があって、その手前にソファーが一つ。このソファーはもちろん、魔方陣から出て来るお客様用である。
この部屋唯一の扉を塞ぐようにカウンターが設置してあって、私達職員はこの扉をお客様が勝手に突破しないように守る事も義務付けられている。
と言っても、強硬手段で突破されそうになったら非力な私の手には負えないんだけどね! その時は多分、ここの自動警備システムの制御コンピュータを兼ねるエリスさんに頼り切りになると思う。
エリスさんというのは、古参の「落とされモノ」の、ロボットである。さっき館内放送で私を呼んだのは、このエリスさんだ。
E3βふにゃふにゃ(以下略)という、コミュニケーションソフトがその本体で、ロボットの身体はこちらに来てから自分で設計して組み立てたとか。
なんでか知らんが、エリスさんは間違ったメイドさんのような容姿を選んだ。つまり、ミニスカ、フリル、ツインテール(髪色はピンク)である。
あざとい、さすがコミュニケーションソフトあざとい! ニーズを知っている!
ちなみに彼女(メイドさんのカッコしてるし、おにゃのこって事ででいいとおもう)、何のチート持ちなのかはまだ解明されていない。
本人いわく「故障して自立思考制御が外れた事でしょうか」とのこと。うぅむ、わからん。
「先程、反応がありました。『落とされモノ』は人間タイプ、女性です」
眉間にしわを寄せた上司、名前をユリウスという。彼はトレードマークでもある片眼鏡をいじりながら、憂鬱そうに説明を始めた。
あーぁ、せっかくお綺麗な顔なのに勿体なぁい。まぁ、彼の種族はエルフであって、エルフっつったら美形がデフォで、本人いわく「私程度は普通です」だそうだけど。
普通って、ソレで普通って……。
うっかり「氷の」とか「人形のような」とか「白皙の」とかつけたくなるような、色素の薄い冷たい美貌と、紫の瞳。
おまけにこれまた氷のように水色掛かった長い銀髪。ゆるめに結わえて後ろに流しているだけなのに、とんでもなく色っぽく見えるってのはどういう了見だ? これで普通とか、他種族に喧嘩売ってんのか。
そんな、笑ってしまうほど美形な彼は、やはりエルフ的なデフォで人間が嫌いである。あぁ、ここに来たばかりの頃は毎日生きた心地がしなかったとも。
身寄りのない私の後見人になってくれた事には感謝しているけれど、一から厳しくしつけられた日々はあまり思い出したくない。いっそ記憶ごと埋めたい。物理的に。
そんな私の心を知ってか知らずか、彼はモニターから顔もあげずにこう言った。
「あなたが落ちて来た時の恰好によく似ています。同郷の方じゃないですか?」