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調和の守護者 リリィ&コピ第二部  作者: マスター


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第76話 最後の評議会

首都セントラの地下へ続く階段は、古かった。


表の中央広場とは違う。


磨かれた石畳も、整列した警備兵も、巨大な表示壁もない。

そこにあるのは、湿った空気と、古い壁に刻まれた都市記号だけだった。


水滴の印。

麦の印。

歯車の印。

錨の印。

山の印。

そして、首都を表す円の印。


ラグナ。

グラナ。

ギアード。

ミナトリア。

オルム。

セントラ。


かつて、この地下は、国家の記録を保管する場所だったのだろう。


各都市の状態を集め、危機の時に照合し、どこに何を回すべきかを確認するための場所。


だが今、その奥から響いてくるのは、記録を守る静かな音ではなかった。


低く、重い脈動。


赤黒い光が、階段の下から漏れている。


黒晶統制炉。


人類統制評議会が、首都の地下に隠していた支配の中枢。


リリィは双剣を握り、階段を駆け下りていた。


後ろには、ミラ、アルセリウス、カイ、ガレス。

ファルコンの小型支援ドローンが、頭上の狭い空間を滑るように進んでいる。


地上では、ヨルクが首都市民の避難と記録維持を行っている。

コピとオルガはラグナから回線を支え、各都市の声をつなぎ止めている。


地下へ向かうリリィたちは、少人数だった。


だが、背後にはもう、二つの都市だけではない。


ラグナ。

グラナ。

ギアード。

ミナトリア。

オルム。

セントラ。


それぞれの都市が、自分の場所から支え始めていた。


階段の途中で、壁の端末が赤く点滅した。


カイが反射的に立ち止まる。


「警告……黒晶制御波が強くなってる!」


ミラが端末をのぞき込む。


「このままだと、地上の警備装備だけじゃなくて、各都市の残っている黒晶系統にも再接続されるかもしれない」


ガレスは歯を食いしばった。


「グラナの黒晶装備もか」


アルセリウスが答える。


「ええ。ラグナの中央塔、グラナの炉、ギアードの工業装備、ミナトリアの港湾警備、オルムの採掘設備。黒晶が組み込まれている場所は、全部影響を受ける可能性があるわ」


リリィは足を止めずに言った。


「なら、早く止めよう」


「止めるだけではだめよ」


アルセリウスの声は冷静だった。


「黒晶統制炉は、首都の通信、治安、備蓄管理、都市間記録にも接続されている。壊せば、首都の機能ごと落ちるかもしれない」


リリィは息をのむ。


また同じだ。


ラグナの水門。

グラナの農業炉。

首都の黒晶統制炉。


支配に使われているからといって、ただ破壊すればいいわけではない。


命を支える仕組みの中に、支配の鎖が絡みついている。


だから、鎖だけを外さなければならない。


「分かった」


リリィは双剣を握り直した。


「壊さない。流れを戻す」


階段の終わりに、広い地下空間があった。


そこには、巨大な扉が立っていた。


扉には、古い文字が刻まれている。


**アルヴェリア都市間記録中枢

最終評議室**


ミラが小さく読み上げる。


「最終評議室……」


カイが首を傾げた。


「黒晶統制炉じゃないの?」


アルセリウスは扉を見つめる。


「もともとは黒晶炉ではなかったのよ」


彼女はマスターの記録端末を開いた。


「ここは、国家が本当に危機に陥った時、各都市の記録を照合し、最後の調整を行う場所だった。首都が命令するためではなく、都市代表が集まり、最終確認を行うための部屋」


ガレスが低く言った。


「それを、評議会が統制炉に変えたのか」


「おそらく」


アルセリウスの声に、怒りが滲んだ。


「最後にみんなで確認するための部屋を、最後にすべてを支配する部屋へ変えた」


扉の奥から、強い黒晶波が走った。


リリィの胸元の自然回復型結晶が、緑の光を放つ。


赤黒い波と、緑の光がぶつかり、空気が震えた。


「来る」


ガレスが前へ出る。


扉の両脇から、黒い装甲が現れた。


人ではない。


無人の警備装甲だった。


首都型の黒晶警備体。


赤黒い結晶が胸部に埋め込まれ、腕には拘束具と衝撃武器が備わっている。


カイが悲鳴をこらえる。


「こんなのまで……」


ファルコンの支援ドローンが前へ飛ぶ。


『武装部、確認。関節部と結晶接続部を狙え』


ファルコンの声が通信から響いた。


リリィは頷いた。


「みんな、下がって!」


警備体が一斉に動いた。


狭い地下通路に、重い足音が響く。


リリィは前へ跳んだ。


双剣が緑の光を帯びる。


一体目の腕が振り下ろされる。

リリィは横へ滑り、刃で武器の接続部だけを斬った。


金属音。

火花。

黒い結晶が一瞬強く光る。


「硬い……!」


すぐに二体目がリリィの側面へ回り込む。


ガレスが割り込んだ。


彼は黒晶装備を外している。

以前のような増幅された力はない。


それでも、黒晶隊で覚えた動きを使い、警備体の重心を崩した。


「リリィ! 胸じゃない、背面だ! 首都型は背面に制御線がある!」


「分かった!」


リリィは警備体の肩を蹴り、背後へ回る。

双剣を交差させ、背面の赤黒い線を切断した。


警備体の動きが止まる。


ファルコンのドローンが別の一体の足元へ入り込み、関節を焼き切る。

ガレスは三体目の腕を受け流し、黒晶接続部の留め具を外す。


ミラは後方で、端末を見ながら叫んだ。


「警備体の制御信号、全部奥から来てる!」


カイが震えながら入力する。


「記録した! この型番、首都警備用だけど、黒晶制御は後付けだ!」


アルセリウスが目を細める。


「本来の警備装備に黒晶を埋め込んだのね。なら、制御線だけ切れば通常停止するはず」


リリィは最後の一体へ向かった。


警備体が拘束網を放つ。

リリィはフェイズナイフを投げ、発射口だけを破壊する。


続けて双剣を連結し、大剣形態で警備体の背面へ踏み込んだ。


「止まって!」


刃が黒晶制御線を断つ。


警備体は膝をつき、赤黒い光を失った。


通路に静けさが戻る。


だが、黒晶統制炉の脈動はさらに強くなっていた。


扉が、ゆっくり開いた。


中には、円形の巨大な空間が広がっていた。


古い議場だった。


中央には、円卓のような制御台がある。

周囲には六つの席。


水滴。

麦。

歯車。

錨。

山。

円。


六都市を表す席だった。


その天井から、巨大な黒い結晶が吊り下がっている。


結晶は炉のように脈動し、赤黒い光を部屋全体へ流していた。


床には、首都の地下へ伸びる太い管。

壁には、各都市へ向かう通信線。

古い記録中枢の上に、無数の黒晶制御装置が絡みついている。


ここが、黒晶統制炉。


そして、最終評議室。


かつて都市が集まり最後の確認をするはずだった場所が、今は都市を従わせる心臓に変えられていた。


「ひどい……」


ミラが呟いた。


アルセリウスは唇を噛んだ。


「記録をつなぐ場所を、命令を流す場所に変えたのね」


カイは端末を見て、青ざめた。


「黒晶波、上昇中。完全起動まで……十分もない」


リリィは中央の黒い結晶を見上げた。


「どうすれば止められる?」


アルセリウスが記録端末を接続する。


「本来の最終評議室なら、六都市の確認署名で全体制御を開けるはず。だけど今は、評議会本部が黒晶中枢権限で上書きしている」


ミラが言う。


「六都市の署名……ラグナとグラナはある。ギアード、ミナトリア、オルムも通信はつながった。でも、正式署名じゃないよね」


カイが端末を操作しながら言った。


「旧系統なら、有志記録でも一時署名として扱えるかも。でも、首都の署名が必要だ」


ガレスが周囲を見る。


「首都の署名は、評議会本部が握っているはずだ」


その時、部屋の奥から声がした。


「その通りだ」


全員が振り返る。


エルド・レグナスが、そこに立っていた。


いつの間に降りてきたのか。


彼の背後には、数名の本部警備兵がいる。

だが、彼らの装備にも黒晶の光が揺れている。


エルドは、中央の黒晶統制炉を見上げた。


「ここが、アルヴェリアを崩壊から守ってきた最後の中枢だ」


リリィは剣を構えた。


「守ってきた? これが?」


「そうだ」


エルドは静かに答えた。


「ラグナが水を奪い合わないように。グラナが種を抱え込まないように。ギアードが部品を自都市だけに使わないように。ミナトリアが物流を止めないように。オルムが水源と鉱物を隠さないように。首都が全てを見て、必要なところへ配分する」


「でも実際は、評議会が全部を握っていた」


ミラが言った。


エルドは彼女を見る。


「握らなければ、壊れる」


ヨルクはいない。

だが、彼の言葉がリリィの中に蘇る。


間違えたからこそ、記録し、確認し、仕組みを直すべきだった。


リリィは一歩前へ出た。


「あなたは、人を信じていないんですね」


エルドの表情は変わらない。


「信じている」


「え?」


「人は弱い。恐れる。奪う。自分の家族、自分の地区、自分の都市を優先する。私はその人間らしさを信じている」


彼の声は冷静だった。


「だから、構造が必要だ。人が自分の弱さで国家を壊さないための構造が」


アルセリウスが言った。


「その構造が、支配になっている」


「支配は悪ではない」


エルドははっきり言った。


「崩壊するよりは、支配された秩序の方がよい。飢えて殺し合う自由より、管理された生存の方がよい」


その言葉は、広場で聞いたものよりも、さらに本音に近かった。


エルドは、この国を滅ぼしたいわけではない。


彼なりに、守ろうとしている。


だが、その守り方は、人から選ぶ力を奪うものだった。


ガレスが低く言った。


「それで兵士から迷いを奪ったのか」


「迷いは時に死を招く」


「迷いがあるから、撃たずに済むこともある」


エルドはガレスを見た。


「君は黒晶を外したことで、自分を取り戻したと思っているのだろう。だが、次に暴徒が倉庫を襲った時、君は撃てるのか」


ガレスは言葉に詰まった。


エルドは続ける。


「撃てなければ、種子保管庫は奪われる。撃てば、市民を傷つける。どちらを選んでも、君は苦しむ」


「だから迷わない兵士にするのか」


「そうだ」


ガレスの拳が震える。


エルドはリリィへ向き直った。


「君たちは、迷いを美しいものとして語る。公開、確認、対話、調和。だが、危機は待ってくれない。都市連合など、危機の速度に追いつけない」


リリィは答えた。


「それでも、勝手に奪っていい理由にはなりません」


「では、君が責任を取るのか」


エルドの声が強くなる。


「ラグナの水が不足した時、誰に減らせと言う。グラナの種が足りない時、どの農区を待たせる。ギアードの部品が足りない時、どの病院を後回しにする。ミナトリアの船が一隻しか出せない時、どの都市へ送る。オルムの山が崩れそうな時、どの採掘を止める」


彼は中央の黒晶炉を指した。


「この中枢は、そのためにある。痛みを引き受けるためだ。誰かが冷たく選ばなければならない」


リリィは黙った。


エルドの言葉は、重かった。


彼がただの権力欲だけで動いているなら、斬れば終わるかもしれない。

だが、彼は恐れている。


人間の弱さを。

都市の対立を。

崩壊を。

もう一度、災害と混乱が戻ることを。


その恐怖が、支配を正当化している。


リリィは胸元の結晶に手を当てた。


「コピ、聞こえる?」


ノイズの中から、コピの声が返る。


『聞こえています。黒晶波の影響が強く、通信は不安定です』


「エルドさんの言うこと、間違ってる?」


少しの沈黙。


コピは答えた。


『完全には間違っていません。危機時には迅速な判断が必要です。公開確認には時間がかかります。人間は常に合理的ではありません。都市間利害も存在します』


エルドがわずかに目を細める。


リリィは続けた。


「じゃあ、どうすればいい?」


コピの声は、少しだけ柔らかくなった。


『だからこそ、単独支配ではなく、緊急権限にも公開確認構造が必要です』


アルセリウスが頷く。


「緊急時に全員で長く話し合う必要はない。でも、誰が何を判断したのか、どの記録に基づいたのか、いつ見直すのか。それを閉じてはいけない」


カイが震えながら言った。


「グラナの炉も、全部止めずに出力を変えた。種を守りながら、黒晶装備だけ止めた。難しかったけど、できた」


ミラも言った。


「ラグナでも、全部の水門を開けたわけじゃありません。最低流量を見て、少しずつ流しました」


ガレスが続ける。


「兵士も同じだ。危険な時には止める力が必要かもしれない。でも、黒晶で迷いを奪えば、兵士は守る相手を見失う」


エルドは黙って聞いていた。


しかし、黒晶統制炉は待ってくれない。


脈動がさらに強まる。


カイが叫んだ。


「完全起動まで五分!」


アルセリウスが端末を操作する。


「六都市署名が必要。ラグナ、グラナは確定。ギアード、ミナトリア、オルムは非公式署名として受信できる。問題は、セントラ……」


エルドが静かに言う。


「首都署名は私が持っている」


リリィは彼を見る。


「渡してください」


「渡せば、君たちは黒晶統制炉を止める」


「はい」


「そして、国家は統制中枢を失う」


「支配中枢を失います。でも、都市間記録中枢は戻せます」


エルドは首を振った。


「理想だ」


リリィは一歩近づく。


「理想でも、始めなければ何も変わりません」


「始めて失敗したら?」


「直します」


「間に合わなければ?」


リリィは言葉に詰まった。


間に合わなければ。


その可能性は、確かにある。


人々が選ぶ構造は、失敗するかもしれない。

都市連合は、対立するかもしれない。

公開記録は、誤解や不安を生むかもしれない。


でも、支配なら失敗しないのか。


ラグナの水は閉じられていた。

グラナの種は隠されていた。

炉は黒晶装備に使われていた。

ギアードの部品は監視装備へ回され、ミナトリアの物流は統制装備を優先し、オルムの山は採掘のために閉ざされていた。


支配も、失敗していた。


ただ、その失敗を見えなくしていただけだ。


リリィは顔を上げた。


「支配だって、もう失敗してます」


エルドの目が動いた。


「ラグナの水は止まっていました。グラナの農民は飢えかけていました。黒晶隊は兵士から選ぶ力を奪っていました。首都の人たちも、自分たちの備蓄や治安の記録を知りません」


彼女はまっすぐ言った。


「それは、守れているとは言えません」


エルドは沈黙した。


黒晶統制炉の赤黒い光が、彼の顔を照らす。


その表情には、初めて疲れが見えた。


「君たちは、簡単に言う」


「簡単じゃありません」


リリィは首を振った。


「怖いです。失敗するかもしれない。でも、だから全部を奪うのは違う。怖いからこそ、みんなで見えるようにするんです」


エルドは中央の黒晶炉を見上げた。


「私は、崩壊を見た」


その声は、小さかった。


「水を奪い合う市民。倉庫を襲う群衆。泣きながら自分の子に食料を渡す母親。治安部隊に石を投げる老人。都市代表は互いを責め、誰も全体を見なかった」


彼は目を閉じた。


「その時、私は思った。人に任せてはだめだと。誰かが、嫌われても、冷たくても、全体を握らなければならないと」


リリィは静かに聞いた。


エルドの過去。


それは、彼の支配の根だった。


善意から始まったのかもしれない。

恐怖から始まったのかもしれない。

責任から始まったのかもしれない。


だが、それはいつしか、他者の選択を信じない構造になった。


「エルドさん」


リリィは言った。


「あなたは、最初から悪い人だったわけじゃないと思います」


エルドは目を開く。


「だが、間違えたと?」


「はい」


はっきりした答えだった。


エルドは、わずかに笑った。


「残酷だな」


「隠す方が、もっと残酷です」


その時、黒晶統制炉が強く震えた。


カイが叫ぶ。


「三分!」


アルセリウスが言った。


「セントラ署名がなくても強制切断はできるかもしれない。でも危険よ。首都の通信と備蓄系統も落ちる可能性がある」


コピの声が入る。


『首都署名なしで実行した場合、成功率は低下します。黒晶中枢の暴走リスクもあります』


ミラがリリィを見る。


「どうするの?」


リリィはエルドを見た。


剣を向ければ、彼から署名キーを奪えるかもしれない。


だが、それはまた同じことだ。


必要なものを、力で奪う。


リリィは双剣を下ろした。


「エルドさん。選んでください」


エルドは眉をひそめた。


「私に?」


「はい」


リリィは手を伸ばさない。


ただ、待つ。


「あなたが守りたいのが本当に国家なら、黒晶統制炉を止めてください。支配を守りたいなら、止めないでください」


エルドは何も言わなかった。


黒晶の脈動が、部屋を満たす。


その振動は、心臓の鼓動のようだった。


だが、それは命の鼓動ではない。


恐怖を流す鼓動。

服従を流す鼓動。

問いを止める鼓動。


ガレスが息を殺している。

ミラは記録ケースを抱えている。

カイは泣きそうな顔で端末を見ている。

アルセリウスは、いつでも代替手順に入れるよう構えている。


地上から、ヨルクの声が通信に入った。


『リリィ、聞こえるか』


「聞こえます」


『首都市民が、セントラ公開確認署名を集め始めた』


「え?」


『市民たちが、自分たちの端末で署名している。首都代表権限ではない。だが、旧中継所の記録系統が、市民確認署名として受け付け始めている』


カイが端末を見た。


「本当だ……セントラ市民署名が流れてきてる!」


アルセリウスが目を見開く。


「最終評議室の旧仕様だわ。首都行政署名が失われた時、市民確認署名の一定数で暫定代替できる」


エルドの表情が大きく変わった。


「そんな機能が……」


アルセリウスは言った。


「最初の評議会は、一人の首都代表が国家を止められないようにしていたのよ」


地上から、首都市民の声が次々に流れ込む。


『黒晶統制炉の停止を求める』


『首都の記録を公開してほしい』


『兵士を操らないで』


『配給記録を見せて』


『地方都市を反逆者にしないで』


『私たちも確認したい』


署名数が増えていく。


だが、黒晶統制炉の完全起動も近づいている。


カイが叫ぶ。


「二分!」


コピの声が重なる。


『セントラ市民署名、必要数の六十パーセント。まだ足りません』


エルドはそれを見ていた。


自分が握る首都署名キー。

そして、市民たちが必死に集めている公開確認署名。


彼は、初めて本当に選ばされていた。


支配者として命令するのではない。


一人の人間として、選ぶ。


リリィは何も言わなかった。


待った。


エルドの手が、ゆっくり動いた。


胸元の紋章に触れる。


そこから、薄い黒い認証板を取り出した。


首都署名キー。


ガレスが息をのむ。


エルドはそれを見つめる。


「私は……国家を守るために、これを持っていた」


リリィは静かに言った。


「なら、国家を守るために使ってください」


長い沈黙。


そして、エルドは認証板を制御台へ置いた。


カイの端末が青く光る。


「首都署名、入った!」


アルセリウスが叫ぶ。


「六都市確認、成立!」


コピの声が響く。


『黒晶統制炉停止手順へ移行できます。ただし、黒晶系統を完全停止させるには、各都市側の同時切断が必要です』


リリィが頷く。


「みんな、聞こえる?」


通信に、各都市の声が重なる。


ラグナ。


『水路側、黒晶接続を遮断する準備完了』


グラナ。


『農業炉、黒晶再接続を切る準備完了』


ギアード。


『工業炉の黒晶補助線、特定した。切断準備完了』


ミナトリア。


『港湾警備系統、黒晶制御を切る。作業員班、待機中』


オルム。


『採掘設備の黒晶共振線、隔離準備完了』


セントラ。


ヨルクの声。


『首都市民避難、進行中。警備装備の手動解除、続行中』


アルセリウスは制御台に手を置いた。


「これは、最後の評議会よ」


ミラが顔を上げる。


「最後の……」


「一人の評議会ではない。支配のための評議会でもない。六都市が、最後に黒晶の鎖を断つための評議会」


リリィは頷いた。


「うん」


カイが端末を見ながら叫ぶ。


「停止手順、同期まで十秒!」


ガレスは黒晶統制炉を見上げた。


「これで、兵士たちも……」


リリィは剣を構える。


「黒晶ケーブルを切るタイミングを教えて!」


コピがカウントを始めた。


『十』


各都市の通信が重なる。


『九』


ラグナの水路が圧力を落とす。


『八』


グラナの炉が黄金色に安定する。


『七』


ギアードの技師が工業炉の補助線を切る。


『六』


ミナトリアの港湾作業員が警備系統を手動解除する。


『五』


オルムの記録班が採掘設備の黒晶共振を隔離する。


『四』


首都市民が兵士の装備を外し続ける。


『三』


アルセリウスがマスターの記録端末を最終評議室の古い中枢へ接続する。


『二』


エルドが目を閉じる。


『一』


リリィは双剣を振り上げた。


『今!』


リリィの刃が、黒晶統制炉から伸びる最大の赤黒いケーブルを斬った。


同時に、アルセリウスが旧都市間記録中枢を起動する。

ミラがラグナとグラナの公開署名を重ねる。

カイが各都市の記録を同期する。

ガレスが黒晶兵装への逆流を遮断する。


黒晶統制炉が、悲鳴のような音を立てた。


赤黒い光が膨れ上がる。


部屋全体が震える。


リリィの自然回復型結晶が強く光り、緑の光が赤黒い波を押し返す。


「止まって……!」


黒い結晶の表面に、ひびが入る。


だが、砕けない。


代わりに、赤黒い光だけが抜け落ちていく。


黒晶の中に閉じ込められていた恐怖の波が、ゆっくりと薄れていく。


通信から、各都市の声が次々に届いた。


『ラグナ、黒晶信号消失!』


『グラナ、再接続停止!』


『ギアード、工業炉安定!』


『ミナトリア、港湾警備系統正常化!』


『オルム、採掘設備の共振停止!』


『セントラ、警備装備の黒晶反応低下!』


カイは泣きながら叫んだ。


「止まった……黒晶統制炉、停止!」


部屋の赤黒い光が消えていく。


天井から吊り下がっていた巨大結晶は、黒いまま沈黙した。


不気味な脈動はもうない。


代わりに、床の古い記録中枢が青白く光り始めた。


六つの席に、それぞれの都市の印が浮かぶ。


水滴。

麦。

歯車。

錨。

山。

円。


黒晶統制炉ではなく、都市間記録中枢として。


最後の評議室が、本来の姿を取り戻し始めていた。


リリィは膝をつきそうになった。


ミラが支える。


「リリィ!」


「大丈夫……少し、疲れただけ」


ガレスは黒晶炉を見上げていた。


「終わったのか」


アルセリウスは静かに答えた。


「黒晶統制炉は停止した。でも、国家が戻ったわけではない」


カイが涙を拭く。


「これから、記録を開かないと」


ミラも頷く。


「水も、種も、火も、部品も、港も、山も、首都も」


リリィは立ち上がった。


エルドは、制御台の前で静かに立っていた。


彼は、自分の手を見ていた。


首都署名キーを置いた手。


支配を止めるために、自分で使った手。


リリィは近づいた。


「エルドさん」


彼はゆっくり顔を上げる。


「私は、間違えたのか」


リリィは少し考えた。


「はい」


エルドは小さく笑った。


「やはり残酷だ」


「でも、最後に選びました」


「それで償えると思うか」


リリィは首を振った。


「分かりません。たぶん、それだけでは無理です」


エルドは目を伏せる。


リリィは続けた。


「だから、記録の前に立ってください。何を考えて、何をして、何を間違えたのか。首都の人たちと、各都市の人たちの前で話してください」


エルドは長く黙った。


そして、静かに頷いた。


「それが、公開確認か」


「はい」


「裁きではなく?」


「必要なら裁きもあると思います。でも、まず隠さないことです」


エルドは黒晶炉を見上げた。


「隠してきたものが、多すぎるな」


その言葉は、独り言のようだった。


地上から、ヨルクの声が入る。


『地下はどうなった』


カイが端末に向かって叫ぶ。


「黒晶統制炉、停止しました! 都市間記録中枢が復旧し始めています!」


少しの沈黙。


その後、地上から大きなどよめきが届いた。


歓声ではない。


まだ早い。


混乱と驚きと安堵が混ざった声。


けれど、確かに恐怖だけではなかった。


リリィは、六つの都市の印が浮かぶ円卓を見た。


最後の評議会。


それは、支配者たちの最後の会議ではなかった。


一人の本部代表が国家を握るための部屋でもなかった。


水の都市。

農の都市。

工業の都市。

港の都市。

山の都市。

首都の市民。


それぞれが、自分の場所から確認し、声を出し、同時に鎖を断った。


それが、本当の最後の評議会だった。


そして、最初の都市連合の確認でもあった。


アルセリウスが静かに言った。


「黒晶統制炉停止を記録。都市間記録中枢、暫定復旧」


コピの声が、ノイズの少ない通信で返る。


『各都市回線、安定化しています。ラグナ、グラナ、ギアード、ミナトリア、オルム、セントラ。全て、最低限の双方向通信が可能です』


オルガの声も聞こえた。


『こっちも無事。ラグナの人たち、水路の前で泣いてるよ』


ファルコンの声が上空から入る。


『首都広場、市民と兵士が一緒に装備解除を続けている。まだ混乱はあるが、武器を向け合ってはいない』


ミラは目を閉じた。


「よかった……」


カイはその場に座り込みそうになった。


「怖かった……本当に怖かった……」


ガレスが彼の肩に手を置いた。


「それでも記録した」


カイは涙を拭きながら笑った。


「うん」


リリィは円卓に手を置いた。


冷たい石の感触。


だが、その下にかすかな光が巡っている。


黒晶の脈動ではない。


都市間記録の光。


水と種と火と部品と港と山と首都が、もう一度つながり始める光。


リリィは静かに呟いた。


「マスター。最後の評議会は、終わったよ」


胸元の結晶が、淡く光る。


そこに言葉はない。


けれど、リリィには少しだけ分かった気がした。


これは終わりではない。


評議会を止めたからといって、明日から全てがうまくいくわけではない。


水路の調整は続く。

種子台帳の確認も続く。

工業炉の配分も、港湾物流の再編も、山岳水源の調査も、首都の備蓄公開も必要だ。

黒晶装備を外した兵士たちの扱いも、評議会関係者の責任確認も避けて通れない。


人々はまた迷うだろう。

争うかもしれない。

間違えるかもしれない。


けれど、もう一つの中枢が止まった。


恐怖と服従を流す黒晶統制炉は、沈黙した。


そして代わりに、都市同士の記録をつなぐ古い中枢が目を覚ました。


リリィは仲間たちを見た。


ミラ。

アルセリウス。

カイ。

ガレス。

ファルコン。

通信の向こうのコピとオルガ。

地上のヨルク。

ラグナ、グラナ、ギアード、ミナトリア、オルム、セントラの人々。


世界は、数人では救えない。


でも、流れを戻す構造は作れる。


そのことを、彼女たちはここまで来て何度も見てきた。


リリィは最後に、黒く沈黙した結晶を見上げた。


「もう、命令のためには使わせない」


そして、円卓に浮かぶ六つの印へ視線を移す。


「ここからは、みんなで確認するんだ」


地下の最終評議室に、六都市の光が静かに灯った。


水源都市ラグナ。

農業都市グラナ。

工業都市ギアード。

港湾都市ミナトリア。

山岳都市オルム。

首都セントラ。


支配の評議会は終わった。


だが、都市の循環は、今ようやく始まろうとしていた。

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