第1話 空白の地図
新連載です。
地図に、名前のない場所がある。
そこはただの空白だ。山も川も、村も遺跡も、何ひとつ記されていない。
そしてそこには、記録されてはいけない“何か”がある。
でも、そのとき俺たちは――それが何を意味するのか、まだ知らない。
「で? 今回の“何もない場所”は、何があると思う?」
先頭を歩きながら、俺――レオン・ヴァルクは振り返る。
「矛盾したことを言うな」
即座に返ってきたのは、冷たい声だった。
黒髪の女、シア・アルベリク。白いローブに身を包み、無駄のない動きで足場の悪い岩場を進んでいる。
「空白というのは、記録が存在しないという意味であって、何もないとは限らない」
「つまり“何かあるかもしれない”ってことだろ?」
「……雑な要約だが、否定はしない」
少しだけ間を置いて頷くあたり、律儀なやつだ。
「だったら当たりだな。俺の勘」
「根拠がないものを勘とは言わない。ただの思いつきだ」
「夢がねえなあ」
そんなやり取りをしていると、後ろから大きな足音が近づいてきた。
「おいレオン! 無駄話してないで前見ろ! 落ちたら洒落にならねえぞ!」
怒鳴ってきたのは、ガルナ・レーヴェン。赤茶の髪を短く切り揃え、軽鎧の上から分厚い本を背負っている。男顔負けの気の強い女だ。
「大丈夫だって。こういうとこで落ちるのは大体、油断してないやつだから」
「意味わかんねえこと言うな!」
「つまりガルナは安全圏」
「そういう問題じゃねえ!」
いつも通りのやり取りだ。声が響いて、谷の向こうへと消えていく。
「はは、今日も平和だねえ」
最後尾から、のんびりした声が聞こえた。
振り返ると、フードを被った男――ルカ・ノクスが、岩に腰掛けてこちらを眺めている。
「お前、なんで座ってんだよ」
「いや、罠がないか見てた。ほら、こういう“何もない場所”ってさ、逆にあるんだよね」
「何がだよ」
「何かが」
「お前シアと同じこと言ってるぞ」
「彼女ほど真面目じゃないけどね」
ルカは肩をすくめて立ち上がると、軽く地面を叩いた。カツン、と乾いた音が響く。
「ほら」
次の瞬間、足元の岩の一部が崩れ、鋭い杭が何本も突き出した。
「……うわ」
「ね?」
「ね、じゃねえよ!」
ガルナが顔をしかめる。
「お前それ、最初からわかってたなら言えよ!」
「いや、ちょっと試してみたくて」
「誰で!?」
「レオンあたりでいいかなって」
「雑に命使うな」
ため息をつきながら、俺は崩れた地面を覗き込む。かなり深い。落ちたらただじゃ済まない。
「でもまあ、ありがとな。助かった」
「どういたしまして。命の価値は平等だからね」
「お前が言うと信用できねえな」
軽口を叩きながら、再び歩き出す。
空白地帯。地図に何も記されていない場所。だが実際には、こうして“何か”がある。噂では、魔王討伐後、教会か王国かによって突然記録が消されたらしい。冒険者にとってはとんだ迷惑だ。
で、それを見つけて、記録する。それが俺たちの仕事。っていうか依頼。
やがて岩場を抜けると、視界が開けた。
「……あれ、遺跡か?」
遠く、崩れかけた石造りの建造物が見える。
「記録にはないな」
シアが即答する。
「つまりビンゴだな」
「まだ確定していない」
「夢がねえなあ」
二回目だぞ、それ。
苦笑しながら、俺たちは遺跡へと向かう。
近づくほどに、それがただの廃墟ではないことがわかってきた。
風化はしているが、意図的に隠されていたような形跡がある。
「……おい、これ」
ガルナが壁の一部を指さす。
削り取られた跡。何かの紋章か、文字か――意図的に消されている。
「珍しいな。わざわざ消してるってことは、知られたくないってことだ」
ルカが楽しそうに言う。
「笑い事じゃねえだろ……」
「でも興味は湧くでしょ?」
その言葉に、誰も否定しなかった。
中へ入る。
崩れた天井、ひび割れた床。だが、奥へ進むにつれて妙に保存状態が良くなっていく。
「……おかしい」
シアが呟く。
「何が?」
「ここだけ時間の流れが違うように見える」
「怖いこと言うなよ」
ガルナが顔をしかめる。
やがて、小さな部屋に辿り着いた。
中央に、石の台。その上に――
「本?」
いや、正確には“手記”だった。
革張りの古い冊子。埃はかぶっているが、崩れてはいない。
「……読むか?」
「読む以外に選択肢があるのか?」
シアに言われ、俺は肩をすくめて手に取る。
ぱら、とページをめくる。
文字は古いが、読めないほどじゃない。
「えーと……」
最初の数行は、ただの研究記録のようだった。
だが、途中から妙に言葉が荒れている。
「……なんだこれ」
「どうした?」
ガルナが覗き込む。
俺は一行を指でなぞりながら、ゆっくりと読み上げた。
「――“この力は、我々の想定を超えている”」
空気が、少しだけ重くなる。
「――“もしこのまま使用を続ければ、取り返しのつかない事態になるだろう”」
「……魔法か?」
ガルナが低く呟く。
「たぶんな」
さらにページをめくる。
そして、次の一文で手が止まった。
「――“我々は気づいてしまった”」
喉が、少し乾く。
「――“魔法は、なんやらかんやら(読めない)を消費して成り立っている”」
静寂が落ちた。風の音だけが、崩れた天井から入り込む。
「……は?」
最初に声を出したのは、ガルナだった。
「今、なんて……」
「消費……?」
シアの声もわずかに揺れている。
ルカだけが、いつも通りの調子で笑った。
「へえ。面白そうじゃん」
面白い、か。
俺は手記を見下ろす。
そこに書かれているのは、ただの仮説なのか。
それとも――
「なあ、シア」
「なんだ」
「魔法ってさ」
軽く言うつもりだった。
いつもみたいに、冗談っぽく。
「なんかそういうのあったりする?」
でも、声は思ったより軽くならなかった。
シアは答えなかった。
ただ、じっと手記を見つめている。
その沈黙が、妙に現実味を帯びていて。
俺は、初めて思った。
――この地図の空白、埋めちゃいけないやつかもしれないなって。
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